奇跡の駆逐艦「時雨」──白露型駆逐艦・その栄光と軌跡


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太平洋戦争において、日本海軍の駆逐艦の中でもとりわけ名高い存在として語り継がれるのが、白露型駆逐艦「時雨」です。その数々の激戦を生き抜いた“幸運艦”とも“奇跡の駆逐艦”とも呼ばれた彼女の、輝かしくも過酷な航跡をたどります。


諸元:白露型駆逐艦「時雨」

項目内容
艦名時雨(しぐれ)
艦型白露型駆逐艦(二番艦)
起工1933年12月9日(三菱長崎造船所)
進水1935年7月18日
竣工1936年9月7日
全長約107.5 m
全幅約9.9 m
吃水約3.5 m
常備排水量約1,710トン
主機艦本式タービン2基2軸・50,000馬力
速力約34ノット(時速約63km)
航続距離約4,000海里/18ノット
兵装(当初)50口径12.7cm連装砲×2基、61cm三連装魚雷発射管×2基 他
乗員数約180名

諸元

  • 艦種: 白露型駆逐艦(2番艦)
  • 建造: 浦賀船渠
    • 起工: 1933年12月9日
    • 進水: 1935年5月18日
    • 竣工: 1936年9月7日
  • 所属: 横須賀鎮守府
  • 排水量: 基準 1,685トン、常備 1,980トン
  • 全長: 107.5m
  • 全幅: 9.9m
  • 吃水: 3.4m
  • 機関: 艦本式ギヤード・タービン2基2軸、出力42,000馬力
  • 速力: 34ノット
  • 航続距離: 14ノットで4,000海里
  • 乗員: 約226名

兵装

時雨の兵装は、竣工時から戦争中に改装が加えられ、対空能力が強化されました。

  • 竣工時(1936年)
    • 主砲: 50口径12.7cm単装砲5門(連装2基、単装1基)
    • 魚雷: 61cm四連装魚雷発射管2基(予備魚雷8本)
    • 対空兵装: 40mm単装機銃2挺または13mm連装機銃2基
    • 爆雷: 爆雷投射機2基(爆雷16個)
  • 改装後(1942年末~1944年)
    • 対空強化のため、九六式25mm機銃2基を追加(予備魚雷2本と格納庫を撤去)。
    • 1944年「あ号作戦」時:
      • 25mm三連装機銃3基、連装機銃1基を装備。
      • 主砲1基を撤去し、25mm三連装機銃1基を追加。
      • さらに単装機銃を追加(搭載艇の一部を降ろして対応)。
    • 最終的に、対空火力は25mm機銃を中心に大幅強化されたが、主砲火力は減少。

戦歴

白露型駆逐艦「時雨」の艦歴

建造と初期

白露型駆逐艦2番艦「時雨」は、旧式化した峯風型駆逐艦(羽風、島風)の代艦として計画され、1933年12月9日、浦賀船渠で起工。12月15日、白露、時雨、村雨の艦名が付与され、当初は「有明型駆逐艦」に類別されたが、後に白露型駆逐艦として新設された。1935年5月18日進水、1936年9月7日竣工、横須賀鎮守府に所属。

初期任務:天皇の護衛

1936年10月、陸軍特別大演習に伴う昭和天皇の北海道行幸で、竣工直後の時雨と白露は御召艦「比叡」の供奉艦に指定。9月24日から10月12日まで、横須賀から室蘭、小樽、函館を巡る警護任務を無事に遂行。同年10月25日、神戸沖の特別大演習観艦式でも比叡や重巡「愛宕」の供奉艦として参加。11月1日、第9駆逐隊に編入、12月1日には第一水雷戦隊に所属。

第二次上海事変(1937年)

1937年8月、大山事件による上海情勢緊迫を受け、第一水雷戦隊(川内、第2・9・21駆逐隊)の一員として出撃。8月13日、第二次上海事変勃発時に上海沖で中国軍機の爆撃を受けつつ、艦砲射撃で陸戦隊を支援。8月18日、黄浦江に突入し中国軍陣地を砲撃。8月22日、陸軍第11師団の長江上陸作戦を支援し、川沙口での揚陸を成功させる。10月、陽動作戦(A作戦)、11月には杭州湾上陸作戦(H作戦)に参加。

武漢作戦と損傷(1938年)

1938年8月、武漢作戦支援中、安徽省貴池で中国軍野砲の攻撃を受け被弾。8月15日からの長江掃討作戦(M作戦)には損傷のため不参加。同年12月1日、白露型各艦は横須賀鎮守府に在籍し、第9駆逐隊(有明、夕暮、白露、時雨)を編成。12月15日、佐世保鎮守府に転籍し、第9駆逐隊は第27駆逐隊に改称。

仏印進駐と太平洋戦争緒戦(1940-1941年)

1940年9月、第一水雷戦隊(阿武隈、第24・27駆逐隊)として北部仏印進駐(IC作戦)に参加。1941年1月、対仏印威力顕示作戦(S作戦)に参加。太平洋戦争開戦時、第一艦隊・第一水雷戦隊・第27駆逐隊(白露、時雨、有明、夕暮)に所属し、連合艦隊主力(長門など)の護衛として小笠原近海に出撃。1942年1月、陸軍第二師団輸送船団の護衛を担当。

珊瑚海海戦とミッドウェー(1942年)

1942年5月、第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)の護衛として珊瑚海海戦に参加。空母翔鶴の大破を防ぎつつ、米空母レキシントン撃沈に貢献。戦後、米潜水艦を撃沈確実と報告。6月、ミッドウェー海戦では主力部隊護衛として中途まで出撃。7月14日、第四水雷戦隊に編入。

ガダルカナル島の戦い(1942年8月~11月)

11月29日: 僚艦白露がブナ輸送で大破、時雨はトラックで待機。

8月11日: 呉を出港、マーシャル諸島で活動開始。

8月17日~21日: マキン島への第六根拠地隊連合陸戦隊輸送。時雨・白露がトラックから出撃、陸戦隊を上陸。

9月2日: 第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)が輸送船2隻を護衛し、ギルバート諸島・アパママ島を無血占領。

9月9日~15日: 時雨・白露がサンタクルーズ諸島・ヌデニ島の米飛行艇基地砲撃任務。湾内突入断念、湾外から砲撃(時雨53発、白露39発)。米軍不在が判明し、本隊に合流。

9月21日~22日: 由良、時雨、白露が前進部隊から分離、ショートランド泊地へ。以後、ガダルカナル島「東京急行」輸送作戦に10回従事。

10月4日: 時雨(司令艦)が白雪吹雪、叢雲を率いガ島輸送を実施。

10月7日: 日進・秋月による重火器輸送の護衛・輸送任務。悪天候で日進隊撤退、時雨ら5隻で輸送完遂。

10月10日: 時雨、白露、天霧でガ島輸送。装載艇2隻喪失。

10月12日: サボ島沖海戦後、増援部隊(川内、由良、時雨など)で損傷艦・日進隊救援。第六戦隊と合流、ショートランド帰投。

10月13日: 大規模輸送船団護衛(時雨、白露など)。ヘンダーソン飛行場砲撃失敗、輸送船3隻喪失。

10月17日: 軽巡・駆逐艦による輸送作戦(陸兵2159名など)。時雨・村雨が哨戒後、ヘンダーソン飛行場砲撃(時雨100発)。吹雪乗員231名救助、ショートランド帰投。

10月25日: 甲増援隊(時雨、有明)で輸送予定も、由良沈没で中止。

10月29日: 時雨・有明でガ島輸送。米軍機・魚雷艇と交戦(魚雷艇2隻撃沈報告)、少量物資揚陸。

11月1日~2日: 甲増援隊でガ島輸送。悪天候で装載艇喪失も作戦成功。

11月4日~5日: 甲増援隊でガ島輸送成功、被害なし。

11月7日~8日: 乙増援隊でガ島輸送成功。

11月11日~12日: 第三次ソロモン海戦。時雨ら第27駆逐隊が比叡・霧島護衛。比叡救援中、時雨は機銃掃射で軽微な損傷(戦死1名)。比叡処分命令後、連合艦隊の指示で中止。比叡放棄後、トラック帰投。

護衛任務(1942年12月~1943年7月)

1942年12月10日~26日: 第四水雷戦隊が空母龍鳳の護衛に時雨・朝雲を指定。12月13日、時雨・朝雲がトラック泊地から出撃、15日サイパン沖で空母冲鷹・駆逐艦卯月と合流、18日トラック帰投。21日、冲鷹を護衛し26日横須賀到着。22日、毘式40mm機銃を九六式25mm高角機銃に換装、予備魚雷2本撤去の通達。

1943年1月2日~8日: 冲鷹、朝雲、時雨が横須賀からトラックへ輸送任務。8日トラック到着後、各地へ輸送従事。

1月15日~24日: 六号輸送A船団(帝洋丸、妙法丸、第一眞盛丸)を護衛。1月19日、米潜水艦ソードフィッシュの攻撃で妙法丸喪失、20日エレベンダ着。21日よりD船団(6~7隻)を護衛、23日エレベンダまたは24日ラバウル到着。

1月下旬~2月9日: ガダルカナル撤退作戦(ケ号作戦)に警戒隊(重巡4隻、戦艦2隻、軽巡3隻、空母2隻、駆逐艦6隻)として参加。交戦なく2月9日トラック帰投。

2月15日~20日: 第三戦隊(金剛、榛名)を護衛し佐世保帰投、船体整備。3月8日、原為一大佐が第27駆逐隊司令に着任。

3月13日~4月30日: 佐世保からトラックへ移動。哨戒・輸送任務後、4月16日トラック発、21~25日横須賀滞在。大鷹型空母2隻(雲鷹、冲鷹)を護衛し30日トラック帰投。

5月6日~9日: 長良から第四水雷戦隊旗艦任務を一時引継ぎ。戦艦大和、第五戦隊、空母2隻(雲鷹、冲鷹)の対潜哨戒を担当、トラック帰投。

5月17日~6月2日: 戦艦武蔵(連合艦隊司令長官古賀峯一座乗、山本五十六元帥遺骨安置)、第三戦隊、第八戦隊、第二航空戦隊を護衛し横須賀到着。木更津経由、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)等を護衛し鹿児島へ。佐世保で機銃増備工事(未完)。

6月2日~10日: 佐世保から横須賀移動中、潮岬沖で米潜水艦に爆雷34個投射、撃沈報告。機関部修理のため第二航空戦隊護衛から外れる。

6月16日~7月3日: 第三戦隊、第七戦隊、第二航空戦隊等を護衛しトラック到着。ナウル島輸送任務(時雨、駆潜艇、秋葉山丸)を担当。6月29日ナウル着、帰途B-24爆撃受けるも被害なし、7月3日トラック帰投。

7月1日~19日: 第2駆逐隊解隊、第四水雷戦隊で第27駆逐隊が1番隊に。長良・時雨で第二航空戦隊(隼鷹、龍鳳)飛行隊要員のマーシャル諸島撤収・ラバウル輸送に従事。7月11日、ルオットから要員撤収、13日爆雷12個投下。長良触雷後、17日時雨単艦でブカ輸送。19日、ラバウルで長良、夕張、有明と合流、トラック帰投。第二水雷戦隊に編入。

ソロモン海の戦い(1943年)

1943年1月、ガダルカナル撤退作戦(ケ号作戦)に参加。7月、ベラ湾夜戦で僚艦3隻が沈没する中、単艦で生還。10月、第一次・第二次ベララベラ海戦で敵艦攻撃を報告(米側に損害なし)。11月、ブーゲンビル島沖海戦で川内沈没の中、単独行動で生還。ラバウル空襲やブカ島輸送でも奮戦。

マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦(1944年)

1944年2月、トラック島空襲で損傷し、佐世保で修理。6月、マリアナ沖海戦で補給部隊護衛に従事。10月、レイテ沖海戦のスリガオ海峡夜戦で西村艦隊(山城など)が全滅する中、唯一生還。被弾による操舵不能を克服し、ブルネイに帰投。

沈没(1945年)

1945年1月24日、ヒ87船団護衛中、マレー半島近海で米潜水艦ブラックフィンとベスゴの攻撃を受ける。電探と目視の潜水艦を混同し、転舵がブラックフィンに好機を与える。7時4分、魚雷を回避するも、7時5分に左舷後部に魚雷1本が命中。7時10分に総員退去、7時15分に艦体分断・沈没(北緯06度00分、東経103度45分)。戦死38名、重軽傷17名。

現在

時雨の残骸はマレー半島コタバル東方150km、水深55mに沈む。艦体は二分され、艦首は右舷に横転、艦尾は正立。ダイビングスポットや漁礁として利用される。

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