昭和16年12月8日から始まった太平洋戦争を開戦時から追いかけてみる第一話
その海戦当初からミッドウェー海戦あたりまでをじっくり多方面から、陸軍、海軍の編成・作戦内容をじっくり見ていきたいと思います。
注意事項ですが、時系列的に前後することがあります。また調査中内容もあり後日加筆していまいります。あわせて備忘録記事的なこともあり、参照するリンク・URLを掲載したり脈略がなくなるケースもあると思いますが、ご了承ください。
最初に日本陸軍の「軍単位」の資料をWikipedia記事より引用します。
Category:大日本帝国陸軍の軍 – Wikipedia
ほかにも
大日本帝国陸軍 | 全師団編成・一覧 – Japan Papers| 古書・公文書テキスト化サイト (papers-jp.org)
太平洋戦争の主要海戦の資料をWikipedia記事より引用します。
太平洋戦争の概要がまとまったWikipedia記事より引用します。
12月8日に始まった太平洋戦争ですが、同時に下記方面で作戦行動に打って出た日本軍でした。
南方作戦 – Wikipedia 開戦時当初第一段階作戦として実行された、マレー作戦、フィリッピン作戦、香港作戦、グアム作戦、ビスマルク作戦、英領ボルネオ作戦、蘭印印度作戦をまとめて南方作戦と呼ばれています。以下Wikipedia記事より引用します。
南方作戦(なんぽうさくせん)は、太平洋戦争/大東亜戦争の開戦時における大日本帝国軍の進攻作戦[1]。
南方作戦陸海軍中央協定で定められた作戦名称は「あ号作戦」。日本海軍では南方作戦間の作戦を「第一段作戦(だいいちだんさくせん)」と呼称した。
諸計画書類のうち、南方作戦計画の全貌を明らかに示しているのが「南方作戦陸海軍中央協定」である。中央協定によって各方面の作戦名称は、
「E作戦」:マレー作戦
マレー作戦(マレーさくせん、馬来作戦)は、1941年12月8日 に太平洋戦争/大東亜戦争で日本軍が実施した南方作戦内のイギリス領マレー方面の作戦。マレー作戦は本戦争において全ての他の作戦に先行して攻撃を開始した、俗にいうシンガポール侵攻作戦です。
日本軍戦力 6万人
年月日:1941年12月8日 ~ 1942年2月15日
「M作戦」:フィリピン作戦 フィリピンの戦い (1941年-1942年) – Wikipedia
日本軍戦力 第14軍開戦時、陸軍主力3万4856人、船舶部隊4633人、第5飛行集団3621人
年月日:1941年12月8日 – 1942年5月7日
「C作戦」:香港作戦
「G作戦」:グアム作戦
「R作戦」:ビスマルク作戦
「B作戦」:英領ボルネオ作戦
「H作戦」:蘭領印度作戦
南方作戦 – Wikipedia より引用しました。
以下随時更新・加筆していきます。


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