戦艦榛名|高速戦艦の雄・その栄光と終焉・諸元と戦歴


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猫工艦オリジナル戦艦榛名デザイン

こんにちは、艦船ファンや歴史愛好家の皆さん!今回は、日本海軍の誇る金剛型戦艦の一隻、「榛名(はるな)」にスポットライトを当て、その諸元、戦歴、兵装を特I型駆逐艦の解説と同じ形式で詳しく紹介します。榛名の魅力と歴史的意義をお届けします。さあ、太平洋戦争の荒波を駆け抜けたこの名艦の物語に。


戦艦榛名の艦名は、群馬県の上毛三山の一つ、榛名山に由来します。金剛型戦艦は当初「装甲巡洋艦」として計画されたため、戦艦でありながら旧国名ではなく一等巡洋艦の慣例に従い山岳名が採用されました。艦内神社は榛名神社から分祀され、乗組員が参拝したり、神社側が神職を派遣するなど交流がありました。

1. 諸元:榛名の基本スペック

榛名は、金剛型戦艦の3番艦として1915年に竣工し、近代化改装を経て太平洋戦争で活躍した高速戦艦です。以下は、1941年時点(太平洋戦争開戦時)の主要諸元です:

以下は、戦艦榛名の諸元および兵装を、提供された情報と一般的な資料(主にWikipediaの戦艦榛名ページなど)を基に整理したリスト(表形式)です。諸元は竣工時(1915年)と近代化改装後(1944年頃)の代表的な状態を、兵装は新造時と改装による変化を反映してまとめました。明確な情報がない場合は注釈を付けて補足しています。

戦艦榛名 諸元・兵装リスト

項目竣工時 (1915年)近代化改装後 (1944年頃)
全長約215.8m約222m(延長改装後)
全幅約28.0m約33.1m(バルジ増設後)
喫水約8.7m約9.7m
基準排水量約27,500トン約32,156トン
満載排水量約31,900トン約36,600トン
主機ブラウン・カーチス式直結タービン(川崎造船所製)、石炭・重油混焼缶36基重油専焼缶10基(1924年改装で一部換装、1933年改装で完全換装)、ギヤード・タービン
出力約64,000馬力約136,000馬力(第二次近代化改装後)
速力約27.5ノット約30.5ノット(マリアナ沖海戦後は艦尾振動で26-27ノットに低下)
航続距離約8,000海里(14ノット時)約10,000海里(18ノット時)
乗員約1,200名約1,400名(対空火器増設に伴う増員)
装甲– 舷側:203mm(水線部) – 甲板:38-70mm – 主砲塔:229-279mm – 司令塔:254mm– 舷側:203mm(水線部) – 甲板:80-120mm(水平防御強化) – 主砲塔:229-279mm – 司令塔:254mm

兵装リスト

兵装カテゴリ竣工時 (1915年)近代化改装後 (1944年頃)
主砲四一式36cm(14インチ)連装砲 4基8門四一式36cm連装砲 4基8門(射程延長改修済)
副砲15.2cm単装砲 16門(両舷8門、砲郭配置)15.2cm単装砲 8門(1932年に最前方2門撤去、1944年にさらに6門撤去)
魚雷発射管53.3cm魚雷発射管 8門(喫水線下、左右非対称配置)不明(撤去説と残存説あり、記録不明)
対空火器7.6cm単装高角砲 4門– 12.7cm連装高角砲 4基8門 – 25mm三連装機銃 約30基(90門以上) – 25mm単装機銃 多数(マリアナ沖海戦後に増設)
その他– 方位盤射撃照準装置(1916年搭載、試作機) – 九五式水上偵察機(後年搭載)– 電探(対空・対水上、第二次改装後に搭載) – 対空指揮装置(1944年までに一部撤去)

注釈

  1. 諸元: 竣工時と1944年頃の数値は改装による変化を反映。排水量や装甲は近代化改装(1924年、1933年)で強化され、速力は第二次近代化改装で向上したが、マリアナ沖海戦の損傷で低下。
  2. 兵装:
    • 副砲は戦訓から段階的に削減(1932年:重量軽減、1944年:不沈対策)。
    • 魚雷発射管の撤去は資料が不明確で、第二次改装後も残存した可能性あり。
    • 対空火器は太平洋戦争中の航空戦対応で大幅増設されたが、1945年4月に陸上防衛用に一部撤去。
  3. 資料: 提供情報とWikipediaを基に作成。一部数値(例:対空機銃の正確な門数)は戦時中の増設で変動し、資料により異なる場合あり。
  • 基準排水量:約32,200トン(満載排水量:約36,600トン)
  • 全長:222.1m
  • 全幅:31.0m
  • 吃水:9.7m
  • 速力:最大30.5ノット(約56.5km/h)
  • 航続距離:14ノットで8,000海里
  • 乗員:約1,360名
  • 機関:艦本式タービンエンジン、4軸推進、出力136,000馬力
  • 装甲
    • 主装甲帯:203~76mm
    • 甲板:最大120mm
    • 主砲塔:最大254mm
    • 司令塔:305mm

特徴
金剛型は英国設計を基にした戦艦で、戦艦の重火力と巡洋戦艦の高速性を兼ね備えた「高速戦艦」として設計されました。1930年代の近代化改装で装甲強化、機関更新、対空兵装増強が行われ、太平洋戦争では主力艦として多様な任務に対応しました。


建造の経緯

戦艦榛名は当初「第二号装甲巡洋艦」として計画され、1911年4月に神戸川崎造船所(現・川崎重工業)に発注された。主力艦として民間造船所への発注は初で、三菱長崎造船所(現・三菱重工業)での「第三号装甲巡洋艦(霧島)」建造と競争意識が高まった。川崎造船所は大型ガントリークレーンやイギリス製クレーンを導入し、大型軍艦建造に備えた。1912年3月起工、1913年12月進水。1914年11月、機関試運転遅延の責任を感じた造機工作部長・篠田恒太郎が自刃する悲劇が起きたが、1915年、榛名は霧島と同時竣工し、横須賀鎮守府に引き渡された。この成功以降、民間造船所での主力艦建造が一般的となった。

新造時の特徴

  • 主機: 榛名のみ川崎造船所製のブラウン・カーチス式直結タービンを搭載。1基のタービンが2本の推進軸を駆動。
  • 主砲: 国産の四一式36センチ砲(14インチ)を初採用。
  • 副砲: 新造時、両舷8門ずつ計16門を砲郭に装備。射程・射界の制約から1932年に最前方2門、1944年2月前後にさらに6門撤去、終戦時は計8門に。
  • 魚雷発射管: 53.3cm魚雷発射管を喫水線下に左右非対称で計8門装備。砲戦距離延長で実戦使用記録なし。撤去の有無は不明。

戦前

建造・竣工: 榛名は1912年3月16日、川崎造船所で起工、1913年12月14日進水、1915年4月19日巡洋戦艦として竣工、横須賀鎮守府籍。同年6月5日、大正天皇が横須賀で榛名と霧島を親閲。12月、第二艦隊第三戦隊に編入。

新技術: 1916年、日本海軍初の方位盤射撃照準装置(試作機)を搭載し、全砲門の一括指向・発射が可能に。

活動: 第一次世界大戦中、中国北部やロシア方面で警備活動に従事。

事故と改装: 1920年9月12日、シベリア出兵支援を目的とした北海道後志支庁沖にて訓練中に、1番砲塔で榴弾爆発事故(15名死傷)。

※1番砲塔右砲内で榴弾が破裂する「膅中(とうない)爆発」と呼ばれる現象

修理と同時に、ユトランド沖海戦の教訓から水平防御強化と主砲射程延長を実施。1921年ワシントン軍縮条約で天城型建造中止に伴い、1924年から近代化改装(重油専焼缶換装、城郭型檣楼採用)。改装で重量増し、1931年6月1日巡洋戦艦から戦艦に変更。予算制約で混焼缶一部残存。

関東大震災: 1923年9月1日、横須賀停泊中に震災発生。重油流出火災を避け港外へ脱出。

御召艦: 1928年12月4日、昭和天皇即位記念観艦式で御召艦(186隻参加)。1931年11月、陸軍特別大演習で天皇の鹿児島-横須賀移動時に御召艦。

第二次近代化改装: 1933年9月から1年間、動力部刷新と船体・上部構造物近代化を実施。出力倍増で速力30ノット超の高速戦艦に。後部艦橋が煙突に近く、排熱影響が特徴。主砲塔側面の丸み、煙突間隔の広さも榛名の識別点。

中国方面: 満州事変・日中戦争(1937年以降)で中国方面警備活動。1937年8月21-23日、長江河口で作戦行動。

出師準備: 1941年10月、対米戦争準備として磁気誘導魚雷対策の舷外電路やバルジ水密鋼管充填を実施。

移籍: 1934年、佐世保鎮守府に移籍。

2. 戦歴:榛名の太平洋戦争での足跡

榛名は、太平洋戦争のほぼ全期間にわたり、日本海軍の主力艦として激戦を戦い抜きました。その戦歴を時系列で振り返ります。

緒戦(太平洋戦争開戦時)

1941年12月4日 榛名は高間完大佐を艦長とし、第一艦隊第三戦隊(三川軍一中将)に属し、金剛と第一小隊を組み、馬公から出撃。南方作戦支援開始(馬来上陸作戦、比島上陸作戦、蘭印攻略作戦)。


1941年12月 シンガポール出撃のイギリス東洋艦隊(戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルス)迎撃を試みるも邂逅せず、同艦隊は日本軍航空隊により壊滅(マレー沖海戦)。


1942年2月 南雲機動部隊と合流し、金剛型4隻でインド洋作戦に従事。
1942年3月6日 10:30 南雲忠一司令長官の残敵掃蕩命令を受け、榛名、金剛、谷風、浦風で別働隊編成。
1942年3月7日 早朝 クリスマス島に艦砲射撃。イギリス守備隊が白旗を掲げるが、占領せず撤退(同島は3月31日に第四水雷戦隊により占領)。


1942年6月5日 ミッドウェー海戦で霧島と南雲機動部隊護衛。早朝、九五式水上偵察機を発進させ索敵。
1942年6月5日 ミッドウェー島からのSB2Uビンディケーター11機(戦闘詳報では14機)の爆撃で至近弾を受ける。SB2Uは直撃弾2発を主張も、零戦迎撃で1機喪失、2機不時着。


1942年6月5日 空母赤城、加賀、蒼龍がSBDドーントレス急降下爆撃で炎上。榛名、霧島、利根、筑摩は飛龍を護衛。


1942年6月5日 飛龍炎上後、榛名はドーントレス急降下爆撃で至近弾を受けるも深刻な損害なし。さらにB-17爆撃機の空襲で左舷に至近弾。

ガダルカナル島の戦い

1942年6月22日 ミッドウェー作戦帰還後、高間完艦長(5月少将昇進)が第四水雷戦隊司令官に転属し、石井敬之大佐が艦長着任。


1942年7月14日 第二艦隊に移り、金剛と第三戦隊を再編成。比叡、霧島は第十一戦隊として第三艦隊に編入。


1942年9月 ガダルカナル戦闘参加のため前進部隊本隊に編入、トラック島に本拠移転。


1942年10月11日 サボ島沖海戦で第六戦隊が敗北(五藤司令官戦死、古鷹等沈没)。アメリカ艦隊撤退により、第三戦隊(金剛、榛名)はヘンダーソン飛行場を射程に収める。


1942年10月13日 第三戦隊(金剛、榛名)、第15駆逐隊、第24駆逐隊、第2水雷戦隊、第二航空戦隊で第二次挺身攻撃隊を編成し、ヘンダーソン飛行場を艦砲射撃。一時使用不能にするが、新設滑走路見落としでアメリカ軍航空隊の活動封殺に失敗。榛名は熱射病で弾薬庫員2名戦死。1942年10月15日 日本軍輸送船団が第二滑走路からのアメリカ軍機攻撃で大損害。


1942年10月26日 南太平洋海戦に参加するが、空母航空戦中心で主力空母部隊と別行動のため戦闘機会なし。


1942年11月中旬 第三次ソロモン海戦で比叡、霧島沈没。金剛型は金剛、榛名のみに。第三戦隊はトラック泊地からガダルカナル方面に出動するが、アメリカ艦隊と交戦せず。


1942年12月24日 第三戦隊が第三艦隊(空母機動艦隊)に編入。


1943年2月 ガダルカナル撤収作戦(ケ号作戦)を支援。


1943年2月中旬 整備補給のためトラックから内地帰還。


1943年4月6日 トラック島に復帰。


1943年5月 アッツ島玉砕で北方戦局悪化に伴い内地帰投待機。


1943年6月 トラック島に復帰。


1943年6月14日 艦長が森下信衛大佐に交代。


1943年7月 金剛、榛名の艦載水雷艇4隻が武装され、トラックからソロモン諸島に派遣。


1943年末まで トラック島やブラウン環礁で活動するが、戦闘なし。

昭和19年(1944年)

1944年1月25日 森下信衛大佐が戦艦大和艦長に転任し、重永主計大佐が榛名艦長に着任。


1944年6月 あ号作戦発動に伴いマリアナ沖海戦に参加。第三航空戦隊(空母千代田、千歳、瑞鳳)及び第二艦隊(旗艦愛宕、栗田健男中将)、第一戦隊(大和、武蔵)、第二水雷戦隊(能代、島風等)の前衛部隊に所属。
1944年6月19日 米潜水艦の雷撃で空母大鳳、翔鶴が沈没。
1944年6月20日 アメリカ軍機動部隊艦載機の攻撃で乙部隊の空母飛鷹沈没、隼鷹損傷、甲部隊の瑞鶴損傷、前衛部隊の千代田、龍鳳、摩耶損傷。榛名は後甲板に直撃弾を受け、火薬庫浸水の被害。修理後も艦尾振動が発生し、最大速力26-27ノットに低下。損傷修理と共に舷窓閉塞等の不沈工事と対空火器大幅増強を実施。


1944年10月 捷一号作戦発動。榛名は栗田健男中将の第一遊撃部隊の一艦としてレイテ島上陸のアメリカ陸軍部隊砲撃に向け進撃。
1944年10月25日 サマール島沖海戦でスプレイグ少将の第77任務部隊と交戦。艦尾振動の影響で金剛ほどの戦果を上げられず。栗田中将の撤退命令を受け帰途、スルー海でアメリカ軍の追撃により至近弾を受け損傷。

レイテ沖海戦後

1944年11月16日 レイテ沖海戦後、榛名は東南アジア方面に残置。大和、長門、金剛などがブルネイから日本本土へ向かう中、榛名は足柄、羽黒、大淀等とブルネイに留まり、リンガ泊地へ移動。


1944年11月21日 金剛と浦風が米潜水艦シーライオンIIの雷撃で沈没。金剛型戦艦は榛名のみに。
1944年11月22日 リンガ泊地着。第二遊撃部隊は榛名、足柄(第五艦隊旗艦)、日向、伊勢、羽黒、大淀、霞等で構成。移動中、榛名は座礁し艦底に大損傷。平穏時18ノット可能だが、荒天時の外洋航海は不安と判定。
1944年11月25日 戦艦伊勢もリンガ泊地への移動中に座礁するが、速やかに離礁し被害軽微。
1944年11月28日夕刻 第五艦隊司令官志摩清英中将の決定で、榛名は護衛の霞、初霜と共にリンガ泊地を出発し内地回航。
1944年11月29日午前10時 昭南(シンガポール)着。同日、空母隼鷹隊との合流のため台湾・馬公市へ向かう。


1944年12月5日 馬公市でマニラ輸送任務を終えた隼鷹、冬月、涼月、槇と合流。
1944年12月6日 初霜、霞と分離し、榛名は隼鷹等と日本本土へ出港。
1944年12月9日 男女群島と五島列島間で隼鷹が米潜水艦レッドフィッシュ、槇がシーデビルまたはプライスの雷撃で損傷。涼月の減速提案を榛名は無視。
1944年12月12日11時35分 榛名、涼月、冬月が呉に帰還。修理作業開始。
1944年12月20日 重永艦長(10月15日少将昇進)が高雄警備府参謀副長に転任。吉村真武大佐が艦長着任。以後、出撃機会なし。

最期

1945年3月19日 呉海軍工廠前で米第58任務部隊(ミッチャー中将)の艦載機爆撃を受け、軽微な被害。


1945年4月 予備艦籍入り。マリアナ沖海戦後の対空火器、副砲、対空指揮装置の大半を陸上防衛用に撤去。


1945年6月22日 B-29の爆撃で直撃弾1発を受け、江田島小用海岸に転錨し防空砲台に。
1945年7月24日・28日 呉軍港空襲で米第38任務部隊(マッケーン中将)の大規模攻撃を受け、伊勢、日向、天城等と共に20発以上の命中弾で大破浸水、着底。三式弾射撃で抵抗するも、ダズル迷彩や艦橋の網カモフラージュは効果薄。
1945年7月28日 B-24(タロア号、ロンサムレディー号)を撃墜。両機乗員は広島で捕虜となり、ロンサムレディー号機長以外は8月6日の広島原爆で被爆死。


1945年8月15日 終戦。榛名は戦闘不能のまま江田島小用海岸で終戦を迎える。
1945年11月20日 除籍。
1946年5月2日 浮揚解体作業開始。
1946年7月4日 解体完了。

補足

米戦略爆撃調査団によると、榛名の呉停泊中の命中弾は3月19日1発、6月22日7発、7月24日1発、7月28日7発、至近弾多数。写真では後部傾斜と艦首左舷の大破が確認され、左舷中心に攻撃を受けた。命中弾数の日米差は認識の違いによる。榛名は艦齢26年の老朽艦ながら主要海戦を生き延び、解体で戦後復興の資材に。「日本海軍の武勲艦」として雪風、瑞鶴と並び称される。

評価:戦艦榛名とマリアナ沖海戦:1944年の激闘を振り返る

日本海軍の名艦戦艦榛名が挑んだ1944年のあ号作戦、つまりマリアナ沖海戦の物語を時系列で紐解きます。太平洋戦争の転換点とも言えるこの戦いは日本海軍が真珠湾・ミッドウェー海戦につづく大規模かつ、最後の機動部隊戦といえる戦いでした。

1944年1月25日:新艦長、重永主計大佐の着任

新年早々、榛名に新たなリーダーがやってきます。前艦長の森下信衛大佐が戦艦大和に転任し、重永主計大佐が榛名の艦長に就任。重永大佐のもと、榛名はこれから迎える大規模な反攻作戦に向けて準備を整えます。この時点で、榛名は金剛型戦艦の高速戦艦として、連合艦隊の主力の一翼を担う存在であり戦艦部隊としての第二艦隊(第一艦隊は機動部隊として位置づけされていました)としての参加です。この戦術はミッドウェー海戦で機動部隊の後に戦艦部隊を配置したことで、敵航空戦力を機動部隊にそのままぶつけてしまったことへの反省により、戦艦部隊を敵航空戦力を引き付けることを目論んでいたことが伺える作戦でした。

1944年6月:あ号作戦発動!マリアナ沖へ

アメリカ軍がサイパン島に上陸を開始し、太平洋戦線は緊迫の度を増します。日本海軍はこれを撃滅すべく、あ号作戦を発動! 榛名は第二艦隊(司令長官:栗田健男中将、旗艦:愛宕)の前衛部隊に組み込まれ、第三航空戦隊(空母千代田、千歳、瑞鳳)や第一戦隊(戦艦大和、武蔵)、第二水雷戦隊(軽巡能代、駆逐艦島風など)とともに、マリアナ沖へ出撃します。榛名の36センチ主砲は、アメリカ艦隊を叩く準備万端! しかし、この戦いは空母と航空戦の舞台となり、戦艦の出番は限定的でした。

1944年6月19日:潜水艦の奇襲、空母2隻が沈没

戦闘初日、榛名を含む日本艦隊は大きな衝撃を受けます。アメリカ潜水艦の雷撃により、日本軍の新鋭空母大鳳と翔鶴が相次いで沈没。開戦早々に主力空母2隻を失い、連合艦隊の航空戦力は大打撃を受けます。榛名は戦艦として直接の攻撃を受けることはなかったものの、空母部隊の護衛がいかに困難かを知ることになります。

1944年6月20日:アメリカ軍の猛攻、榛名に直撃弾

翌日、戦局はさらに厳しさを増します。アメリカ軍機動部隊の艦載機が大規模な空襲を仕掛け、乙部隊の空母飛鷹が沈没、隼鷹が損傷。甲部隊の空母瑞鶴、前衛部隊の千代田、龍鳳、重巡摩耶も損傷を受ける中、榛名にも危機が訪れます。後甲板に直撃弾が命中し、火薬庫に浸水するほどの被害が発生! 幸い沈没は免れたものの、この損傷で艦尾に振動問題が生じ、最大速力が26~27ノットに低下という損害を受けます。

1944年6月後半:修理と再武装

マリアナ沖海戦の後、榛名は内地へ帰還し、損傷修理に着手。艦尾の振動問題は完全には解消されませんでしたが、舷窓閉塞などの不沈対策や対空火器の大幅増強が行われ、次の戦いに備えます。アメリカ軍の航空戦力の脅威が増す中、対空機銃の強化は榛名の生き残りに欠かせないアップグレードでした。

マリアナ沖海戦は、日本海軍にとって壊滅的な敗北でした。空母と航空戦力の喪失により、制空権は完全にアメリカ軍に握られ、サイパン島の陥落も時間の問題に。榛名は直撃弾を受けますが、これが1000ポンド(500Kg爆弾相当)か500ポンド(250Kg相当)なのか疑問ですが、爆撃機であればドーントレスとなります。そうねれば搭載された爆弾は1000ポンドと思われます。しかしそれだと損害率からみて軽症のようにも思えます。ここで金剛との運の差といいますか。金剛と榛名ではある決定的違いがあります。金剛の鋼板はイギリス製/榛名は日本国内製造の鋼板および装甲板です。じつはこの鋼板の材質/品質が違うのですが、これはいずれ戦艦金剛の時に記載します。


3. 兵装:榛名の火力と防御

榛名の兵装は、戦艦としての重火力と高速戦艦としての柔軟性を両立した構成で、近代化改装でさらに強化されました。以下は1941年時点の主要兵装です:

  • 主砲:36cm(14インチ)連装砲×4基(計8門)
    • 射程:約35km
    • 発射速度:約2発/分
    • 特徴:英国設計の強力な主砲で、対艦戦闘や艦砲射撃に威力を発揮。近代化改装で仰角向上(最大43度)し、射程が延伸。
  • 副砲:15.2cm単装砲×14門
    • 射程:約18km
    • 特徴:艦の両舷に配置され、駆逐艦や小型艦への対処に使用。近代化改装で一部撤去(6門に削減)。
  • 対空兵装
    • 12.7cm連装高角砲×8基(計16門)
    • 25mm連装/三連装機銃×多数(終戦時には約100門以上)
    • 特徴:戦争中に25mm機銃を増設し、対空能力を強化。しかし、米軍の大量空襲に対抗するには不足。
  • その他
    • 魚雷発射管:なし(近代化改装で撤去)
    • 航空機:水上偵察機×3機(射出カタパルト装備)
    • 特徴:偵察や砲撃観測に使用。艦載機は索敵能力を補強。

4. 建造所の割り当て

榛名は以下の建造所で建造されました:

  • 建造所:川崎造船所(神戸)
  • 竣工日:1915年4月19日
  • 改装歴
    • 1927~1928年:第一次近代化改装(装甲強化、機関更新)
    • 1933~1934年:第二次近代化改装(対空兵装増強、射撃指揮装置改良)

傾向
金剛型4隻(金剛、比叡、榛名、霧島)はそれぞれ異なる造船所で建造され、榛名は川崎造船所が担当。近代化改装は佐世保や呉の海軍工廠で行われ、技術集約による性能向上が図られた。


5. 戦没理由の傾向

榛名の戦没は以下の通り:

  • 戦没日:1945年7月28日
  • 戦没理由:米艦載機の空襲
  • 沈没地点:呉軍港 (34.23, 132.50)

榛名の戦没 金剛型4隻の戦没理由を比較すると:

  • 金剛:1944年、潜水艦雷撃(台湾近海)
  • 比叡:1942年、米艦艇砲撃+空襲(ガダルカナル)
  • 霧島:1942年、米戦艦砲撃(ガダルカナル)
  • 榛名:1945年、空襲(呉) 金剛型は戦争後半に空襲や潜水艦の脅威に晒され、榛名は最後まで生き残ったが、呉での集中空襲で沈没。

6. 沈没地点の分布

榛名の沈没地点

  • 呉軍港 (34.23, 132.50):1945年7月28日、米艦載機の空襲で大破着底。
  • 金剛型全体の分布
    • ガダルカナル島近海:比叡 (-9.0, 159.7)、霧島 (-9.1, 159.8)
    • 台湾近海:金剛 (25.0, 121.0)
    • 呉:榛名 (34.23, 132.50)

7. 総括:榛名の歴史的意義

戦艦榛名は、金剛型高速戦艦として日本海軍の戦略を体現し、太平洋戦争の全期間で多様な任務を果たしました。その36cm主砲と30ノット超の高速性は、開戦初期の南方作戦やガダルカナルでの艦砲射撃で威力を発揮。しかし、戦争後半の航空戦の時代には、対空兵装の不足が命運を決め、呉での空襲でその生涯を終えました。

榛名の物語は、戦艦の栄光と限界を象徴しています。特I型駆逐艦のような小型艦とは異なり、榛名は艦隊の中核として壮大な戦場を駆け抜け、その存在感は今なお語り継がれます。艦船ファンなら、呉の「大和ミュージアム」で金剛型の模型をチェックするのもおすすめ!


(弊工房榛名ドックタグ裏面刻印諸元を記載しておきます)


艦  名  金剛型戦艦 「榛名」(金剛型3番艦)
排 水 量 基準:32,156t  公試:36,259t
全  長  船体:222m 水線長:219.61m 全幅:31.02m 
機  関  ロ号艦本式大中小計11基/艦本式タービン4基4軸
最大速力  30.5ノット/出力:136,000馬力
兵  装  45口径41式36cm連装砲 4基 (口径35.6cm)
(開戦時) 50口径41式15cm単装砲14門(口径15.2cm)
      12.7cm連装高角砲 4基、25mm連装機銃 10基
造 船 所   神戸川崎造船所 竣工:大正4年4月19日(1915)
同 型 艦   金剛、比叡、霧島
主要戦歴  ヘンダーソン基地艦砲射撃、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦
喪  失  昭和20年7月28日  江田島沖にて米艦載機攻撃により大破着底

かつて販売していた戦艦榛名ドックタグ型アクセサリー(現在は生産中止品)

現在販売しているTシャツデザイン

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過去記事は下記を参照ください。2013年からミリタリー同人活動を行っています。

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