陽炎型駆逐艦 雪風 ー 不沈艦と謳われた奇跡の駆逐艦


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日本海軍が誇る陽炎型駆逐艦「雪風」は、第二次世界大戦を通じて数々の苛烈な戦場を生き抜き、「奇跡の駆逐艦」として伝説的な存在となりました。本記事では、その諸元、建造、兵装、装備、そして輝かしい戦歴を時系列で詳述します。

諸元と建造

  • 艦名: 雪風(ゆきかぜ、Yukikaze、「雪風」)
  • 艦種: 陽炎型(かげろうがた)駆逐艦(甲型駆逐艦)
  • 所属: 大日本帝国海軍
  • 建造: 佐世保海軍工廠
  • 起工: 1938年8月2日
  • 進水: 1939年3月24日
  • 竣工: 1940年1月20日
  • 除籍: 1945年10月5日(戦後、賠償艦として中華民国へ引き渡し)
  • 最終処分: 中華民国海軍「丹陽」として1965年退役、1970年解体
  • 愛称: 「不沈艦」「強運艦」「超機敏艦」

駆逐艦雪風 図面(側面図・12.7センチ連装砲C型俯瞰図)

基本性能(諸元)

項目数値
全長約118.5メートル
全幅約10.8メートル
吃水約3.76メートル
基準排水量2,065トン
満載排水量2,529トン
主機艦本式ギヤードタービン2基、艦本式ロ号ボイラー3基、2軸推進
出力約52,000馬力
最大速力約35ノット(約65 km/h)
航続距離18ノットで約5,000海里
乗員約240名

兵装・装備

兵装

陽炎型駆逐艦は、当時の世界最強クラスの駆逐艦として設計され、特に「長槍(ロングランス)」酸素魚雷の搭載で知られています。雪風の兵装は以下の通り(竣工時および改装による変化を反映):

  • 主砲: 50口径12.7cm連装砲C型3基(計6門)射撃指揮装置により集中運用可能。
  • 対空兵装:
    • 竣工時:25mm連装機銃2基(計4門)
    • 戦中期以降:25mm三連装機銃および単装機銃を増設(最大28門以上)
  • 魚雷: 61cm四連装魚雷発射管2基(計8門)、予備魚雷8本(九三式酸素魚雷)
  • 爆雷: 爆雷投射機2基、爆雷36個
  • その他: 機雷敷設装置(戦時中、一部で使用)

電探・電子装備

雪風は戦争後半にレーダー(電探)を装備し、夜戦能力が向上しました:

  • 1942年末以降: 22号電探(対水上捜索用)を搭載(陽炎型では「浜風」が最初)
  • 1944年中盤以降: 13号電探(対空捜索用)を追加搭載
  • 逆探: 夜間戦闘での敵レーダー波探知に使用(特にコロンバンガラ島沖海戦で有効)
  • 九三式水中聴音機(ソナー)
  • 九三式水中探信儀(アクティブソナー)

雪風の戦歴:不沈艦と呼ばれた奇跡の航跡

戦歴概要

雪風は太平洋戦争を通じて16以上の主要作戦に参加し、驚異的な生存力で「不沈艦」として名を馳せました。以下に主要な戦歴を時系列でまとめます。

1938年8月2日~1940年1月20日:建造と竣工

  • 1938年8月2日: 雪風(陽炎型8番艦、③計画の仮称艦名第24号艦)が佐世保海軍工廠で起工。陽炎型で佐世保建造は雪風と磯風(12番艦)のみ。
  • 1939年1月24日: 「雪風(ユキカゼ)」と命名。
  • 1939年3月24日: 進水。進水式は一般公開され、約1万人が参列。佐世保鎮守府司令長官中村亀三郎中将が「雪風の夜こそねらはん時なれや いさを立てよと船おろしする」の和歌を贈る。建造は事故・遅延なく順調。
  • 1940年1月20日: 竣工。呉鎮守府に所属。

1940年1月~1941年11月:第16駆逐隊編成と訓練

  • 1940年1月: 雪風は陽炎型3番艦黒潮、7番艦初風と第16駆逐隊を編成。
  • 10月11日: 第16駆逐隊(雪風、初風、黒潮)が紀元二千六百年記念行事の特別観艦式に参加。
  • 10月26日: 陽炎型9番艦天津風が第16駆逐隊に編入。
  • 11月15日: 黒潮が第15駆逐隊に転出。代替として陽炎型10番艦時津風が12月15日に加入。
  • 開戦直前: 第16駆逐隊は雪風、時津風、初風、天津風の4隻で構成。第一小隊(雪風、時津風)、第二小隊(天津風、初風)。司令駆逐艦は雪風。第16駆逐隊は第二水雷戦隊(旗艦:軽巡神通、第8・15・18駆逐隊)に所属し、軽巡長良を旗艦とする第四急襲隊(第16・24駆逐隊)を形成。

1941年12月12日~29日:太平洋戦争緒戦(フィリピン攻略)

  • 12月12日: 雪風(駆逐艦長:飛田健二郎中佐)の初陣。フィリピン・レガスピ上陸支援。第16駆逐隊第二小隊(天津風、初風)は神通と空母龍驤航空隊支援で別行動。
  • 12月24日: ラモン湾上陸支援。P-40ウォーホークの機銃掃射で重油タンク損傷、軽傷者6名。魚雷発射管被弾も爆発せず。
  • 12月27日: ミンダナオ島ダバオで工作艦明石により修理。
  • 12月29日: パラオ帰投。

1942年1月4日~2月20日:フィリピン・蘭印攻略

  • 1月4日: 第16駆逐隊第一小隊(雪風、時津風)がダバオに進出し、第二小隊(天津風、初風)と合流。B-17爆撃機の空襲で重巡妙高が損傷するが、飛田艦長の操艦で雪風は爆撃回避。
  • 1月9日: 第五戦隊司令官高木武雄少将の東方攻略部隊(第二護衛隊:第二水雷戦隊)としてダバオ湾出撃。
  • 1月11日: メナド攻略(ケマ上陸支援)。
  • 1月24日: ケンダリー攻略。
  • 1月31日: アンボン攻略。
  • 2月20日: チモール島攻略。

1942年2月27日~3月3日:スラバヤ沖海戦

  • 2月27日: スラバヤ沖海戦に参加(初の海戦)。戦後、漂流中の連合軍艦艇(蘭軽巡デ・ロイテル等)の乗員約40名を救助。
  • 3月3日: スラバヤ北方海域で米潜水艦パーチへの共同攻撃に参加、パーチを自沈させる。

1942年3月15日~4月20日:西部ニューギニア戡定作戦

  • 3月15日: 雪風、水上機母艦千歳、軽巡鬼怒、駆逐艦時津風等でN攻略部隊を編成、西部ニューギニア戡定作戦に従事。
  • 3月29日~31日: 第2号哨戒艇(旧灘風)、第39号哨戒艇(旧蓼)とセラム島北岸ブラ攻略。
  • 4月1日: ニューギニア島ファクファク攻略(千歳、鬼怒と)。
  • 4月4日: ソロン攻略。
  • 4月6日~8日: 時津風、第1号哨戒艇(旧島風)等と合流。ハルマヘラ島テルナテ(7日)、ジャイロロ(8日)攻略。
  • 4月10日~12日: ニューギニア島マノクワリ攻略。陸軍上陸部隊の遅延で、雪風・時津風乗員が上陸部隊を結成し占領。
  • 4月17日~18日: セルイ島掃討。
  • 4月19日~20日: サルミ掃討。
  • 4月20日: N作戦成功終了、連合軍を降伏させる。

1942年4月23日~5月26日:本土帰還とサイパン護衛

  • 4月23日: 工作艦明石を護衛しアンボン出港。
  • 4月30日: 呉軍港帰還。
  • 5月22日~26日: 輸送船日栄丸、あけぼの丸を護衛し日本出発、サイパンへ。潜水艦被害増の情報で雪風・時津風が護衛担当に変更。初風も加わり、5月26日サイパン到着、任務成功。

1942年6月:ミッドウェー海戦

  • 6月上旬: 第二艦隊司令長官近藤信竹中将の第二艦隊攻略部隊(第二水雷戦隊:神通、第16・18駆逐隊)としてミッドウェー海戦に参加。輸送船団護衛で防空戦に従事。南雲機動部隊の空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)喪失で撤退。雪風乗員は炎上する赤城を視認。
  • 6月13日~15日: トラック泊地滞在。
  • 6月20日~21日: 横須賀到着、修理整備に従事。

1942年7月~8月:艦隊再編と南方進出

  • 7月上旬: 駆逐艦長が飛田健二郎中佐から菅間良吉中佐に交代。
  • 7月14日: 艦隊再編で第16駆逐隊が第十戦隊に所属変更。
  • 7月中旬: 隼鷹型航空母艦飛鷹の訓練随伴とサイパン方面護衛任務1回。
  • 7月下旬: 雪風と時津風が輸送船南海丸を護衛し南方へ。途中、第八艦隊旗艦重巡鳥海(司令長官:三川軍一中将)と合同。第9駆逐隊(朝雲、峯雲)と護衛交替。
  • 7月30日(または7月26日): ラバウル到着。
  • 8月5日~12日: 重巡最上(ミッドウェー海戦で大破)と明石を護衛し、トラック泊地出発。8月11~12日、佐世保・呉到着。※同時期、米軍のウォッチタワー作戦でガダルカナル島上陸、第一次ソロモン海戦発生。雪風は参加できず。

1942年9月4日~10月:ソロモン海進出とヌデニ島偵察

  • 9月4日: 雪風は大鷹型航空母艦2番艦「雲鷹」を護衛し、横須賀を出港。トラック泊地に進出。ソロモン戦線の前線基地として準備を整える。
  • 10月12日: サボ島沖海戦(10月11日)の翌日、第16駆逐隊の僚艦「天津風」と共にヌデニ島(サンタクルーズ諸島)のグラシオサ湾を偵察・砲撃。ヌデニ島は米軍の飛行艇基地があり、日本軍は潜水艦や駆逐艦で繰り返し攻撃を実施(9月11日以来3度目)。雪風は砲撃任務を無傷で完遂。

1942年10月21日~26日:南太平洋海戦(サンタクルーズ海戦)

  • 10月21日: 雪風を含む第16駆逐隊(雪風、天津風、黒潮、初風)は、第三艦隊(南雲忠一中将の機動部隊)を護衛し、サンタクルーズ海域へ進出。参加艦艇には空母「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」、重巡「熊野」、第4駆逐隊(嵐、舞風)、第17駆逐隊(浜風)、第61駆逐隊(照月)等が含まれる。
  • 10月24日: 艦隊陣形変更により、雪風は当初の「翔鶴」直衛から「瑞鶴」護衛に変更。翔鶴の無線代理は第4駆逐隊「嵐」が担当。
  • 10月26日: 南太平洋海戦本戦。米空母「エンタープライズ」「ホーネット」の艦載機が来襲。雪風は当初、瑞鶴を護衛しつつスコールで敵機を回避。その後、翔鶴の危機に対応し対空戦闘に参加。翔鶴と瑞鳳が被弾・撤退後、瑞鶴を護衛しつつ米軍機と交戦。瑞鳳の収容搭乗員は「瑞鶴と雪風の見事な戦闘」と称賛。
  • 戦闘後: 日没後、雪風と瑞鶴は探照灯を点灯し、危険を冒して味方機を誘導。不時着機の搭乗員を救助。この功績により、連合艦隊司令長官・山本五十六大将から感状を授与される。
  • 戦後処理: 第16駆逐隊の僚艦や第17駆逐隊は損傷艦護衛で内地帰投。トラック泊地に残った第16駆逐隊は雪風と天津風のみとなる。

1942年11月12日~13日:第三次ソロモン海戦(第一次夜戦および比叡護衛)

  • 11月初旬: ガダルカナル島の戦局悪化を受け、日本海軍は第十一戦隊(金剛型戦艦「比叡」「霧島」、司令官:阿部弘毅中将)によるヘンダーソン飛行場砲撃を計画。雪風は第16駆逐隊(天津風)、第十戦隊旗艦「長良」、第61駆逐隊(照月)、第6駆逐隊(暁、雷、電)、第四水雷戦隊旗艦「朝雲」、第2駆逐隊(村雨、五月雨、夕立、春雨)、第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)と共に挺身艦隊に編入。第十戦隊の任務は戦艦直衛と敵警戒艦排除。
  • 11月12日深夜~13日未明: 第三次ソロモン海戦第一次夜戦。米軍の迎撃により大混戦に突入。雪風は激しい艦隊戦を経験し、斉藤通信士(艦橋勤務)によると「撃ち合いは一瞬で終わり、魚雷発射の記憶も不明」と記録。雪風は友軍の誤射で若干の浸水被害を受けるが、戦闘能力は維持。
    • 戦果報告: 雪風は00時15分に巡洋艦、00時25分にマハン型駆逐艦に対し照射攻撃を実施。「撃沈確実」と報告。公式記録では防空巡洋艦1隻(長良、春雨と共同)、駆逐艦1隻(長良と共同)の撃沈を認定。ただし、実際の米軍被害とは異なる。
    • 第16駆逐隊の被害: 僚艦「天津風」が大破(缶室浸水、戦死45名、負傷25名、速力16ノット)。
  • 11月13日早朝: 夜戦後、挺身攻撃隊旗艦「比叡」が操舵不能に陥り、雪風は第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)、照月と共に比叡護衛を命じられる。雪風は長良との遭遇時に比叡の状況(航行不能、火災)を確認し、単独で救援に向かう。途中、医務室の修理中に佐世保軍需部印の弾片を発見し、比叡副砲の誤射と推定。
  • 04時20分: 雪風が最初に比叡に到着。06時00分、照月、第27駆逐隊が合流し、護衛駆逐艦は5隻に。
  • 06時15分: 比叡が通信能力喪失のため、第十一戦隊司令部(阿部中将)が雪風に移乗。雪風は戦隊旗艦となり、中将旗を掲げる。米軍の空襲(約100機、雷爆撃・銃撃)が開始。雪風は至近弾で汽缶亀裂、発電機故障、最大速力喪失。白戸水雷長が爆弾破片で頭部重傷(戦後死去)。探照灯、2番砲塔左砲が使用不能、船体に小破口と浸水。
  • 戦闘中の被害と戦果:
    • 被害: 主砲374発消費(残526発)、機銃1150発消費(残5098発)。重傷1名、軽傷4名(准士官以上1名、兵3名)。比叡乗員312名救助(准士官以上29名、下士官兵283名、3名救助後死亡)。
    • 戦果: 協同で敵機3機以上撃墜。
  • 比叡の処分問題: 比叡は爆弾・魚雷命中で沈没寸前。阿部司令官は第27駆逐隊に雷撃処分を命じるが、山本司令長官の「処分中止」命令により実行せず。雪風は雷撃処分命令を受けていない(一部誤説で雪風の雷撃とされるが、戦闘詳報・乗員証言で否定)。比叡はキングストン弁開放による自沈と推定(比叡発令所所長・砲塔長の証言)。
  • 夜間: 雪風以下は同士討ち回避のため比叡を残し戦場離脱。連合艦隊の命令で比叡捜索に戻るが発見できず、「比叡沈没」と判断しソロモン海を離れる。

1942年11月18日~12月:トラック帰投と修理

  • 11月18日: 雪風は損傷艦として第三次ソロモン海戦第二夜戦に参加せず、トラック泊地に帰投。第十一戦隊司令部は雪風から戦艦「陸奥」に移乗し解隊手続き。雪風は工作艦「明石」で修理を受ける。
  • 12月9日~10日: 雪風は「初雪」と共に空母「飛鷹」を護衛し、内地(呉軍港)に帰還。僚艦「天津風」も12月20日に呉帰還。

1943年1月:ガダルカナル輸送と救助任務

  • 1月10日: 第16駆逐隊の「初風」がガダルカナル島輸送作戦で米魚雷艇と交戦し大破、長期修理に入る。第16駆逐隊は雪風と天津風が主力となる。
  • 1月19日~23日: 雪風は戦艦「武蔵」、空母「瑞鶴」「瑞鳳」、軽巡「神通」、第十駆逐隊(秋雲、夕雲、巻雲、風雲)と内地を出発、トラック泊地に到着。南東方面部隊および第八艦隊(外洋部隊)に編入され、ラバウルへ向かう。
  • 航海中: 米潜水艦に撃沈された徴傭船「平洋丸」の短火艇を発見、生存者50名を救助。救助者には南方慰問団が含まれる。
  • 2月20日: トラック泊地で慰問団が戦艦「大和」内で演芸会を開催。雪風乗員が招待される。

陽炎型駆逐艦「雪風」:第16駆逐隊のソロモン海戦時系列戦歴(1943年2月~5月)

雪風は、1943年初頭のソロモン海戦で第16駆逐隊(雪風、天津風、初風、時津風)の一員として、ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)やビスマルク海海戦、輸送任務に従事しました。駆逐艦の損耗が激しい中、雪風は無傷で任務を完遂し、「不沈艦」の名をさらに固めました。以下に、1943年2月から5月までの戦歴を時系列でまとめます。

1943年2月1日~7日:ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)

  • 背景: ガダルカナル島の戦局が日本軍に不利となり、連合艦隊は撤収作戦(ケ号作戦)を計画。雪風は第16駆逐隊として3回にわたる撤収作戦に参加。
  • 2月1日~7日: ケ号作戦(第一次~第三次)。雪風は駆逐艦20隻以上(巻雲、巻波、舞風、江風、黒潮、磯風等)と共に参加。米軍の空襲・魚雷艇攻撃で駆逐艦の損傷が続出:
    • 第一次(2月1日): 「巻雲」沈没、「巻波」大破。
    • 第二次(2月4日): 「舞風」大破、「江風」「黒潮」損傷。
    • 第三次(2月7日): 「磯風」大破。
  • 雪風の役割: 雪風は全3回を無傷で完遂。菅間良吉艦長の操艦と乗組員の整備徹底が貢献。
  • 第三次作戦の議論:
    • 第八艦隊司令部は、米軍に作戦が察知されたことと駆逐艦損耗を懸念し、駆逐艦の代わりに大発動艇による島伝い脱出を提案。
    • 陸軍(田沼参謀次長、宮崎参謀長)は舟艇案に反対し、駆逐艦出撃を要請。
    • 議論が平行線をたどる中、雪風の菅間艦長と「浜風」の上井艦長が「駆逐艦で実行すべき」と主張。全駆逐艦長が賛同し、第三次作戦も駆逐艦で実施決定。
  • 成果: 南東方面艦隊は駆逐艦の4分の1(5隻)沈没、4分の1損傷を予想したが、実際の損害は予想を下回り、約1万人の将兵撤収に成功。雪風の無傷完遂が作戦成功の象徴となる。

1943年2月末~3月3日:ビスマルク海海戦

  • 2月末: 雪風は第16駆逐隊の「時津風」と共に第三水雷戦隊(司令官:木村昌福少将、旗艦「白雪」)に編入。第11駆逐隊(白雪)、第8駆逐隊(朝、荒)、第9駆逐隊(朝雲)、第19駆逐隊(浦波、敷波)と輸送船団8隻を護衛し、ラエへ向かう。
  • 3月2日: ビスマルク海海戦。米・豪連合軍機の反跳爆撃により輸送船団が壊滅。輸送船「旭盛丸」沈没時、雪風と「朝雲」は第58師団兵918名を救助。雪風は第51師団司令部30名を乗せ、一時船団を離れラエに急行し揚陸成功。
  • 3月3日: 雪風と朝雲が船団に復帰するが、連合軍の空襲で輸送船団全滅、護衛駆逐艦8隻中4隻(白雪、朝、荒、時津風)が沈没。雪風は「時津風」乗員を救助後、朝雲、敷波、浦波と戦場を離脱。救助兵を「浦波」「初雪」に移乗。
  • 3月3日深夜: 雪風、朝雲、敷波が戦場に戻り、「荒」の生存者100名を救助。

1943年3月4日~13日:コロンバンガラ島輸送任務

  • 3月4日: 雪風はカビエンを経てラバウルに到着。救助兵を病院船に引き渡す。
  • 3月5日: 工作艦「山彦丸」で整備開始直後、ビラ・スタンモーア夜戦(3月5日、「村雨」「峯雲」沈没)の代替としてコロンバンガラ輸送任務を命じられ、整備中止。
  • 3月7日~8日: 雪風はラバウルを出発。「朝雲」「長月」「浦波」「敷波」とコロンバンガラ島輸送を実施。
  • 3月13日: 雪風、「朝雲」「長月」でコロンバンガラ輸送。ビラ・スタンモーア夜戦の「村雨」「峯雲」生存者(第2駆逐隊司令、村雨艦長・種子島洋二含む)を収容し、ショートランド泊地に送致。
  • 3月中旬~4月: 雪風は約2か月間、ソロモン海域で輸送任務に従事。第16駆逐隊は雪風のみが無傷で行動可能(天津風は南東方面編入、初風は7月まで修理、時津風は沈没)。

1943年4月2日~21日:ソロモンおよびニューギニア輸送任務

  • 4月2日~3日: 雪風は「天霧」「望月」とサンタイサベル島レカタ基地へ輸送。兵員300名、弾薬・糧食250トンを揚陸。3月29日の天霧輸送と合わせ、基地強化に貢献。
  • 4月3日: レカタ出発後、ブインで第38号哨戒艇と合流。輸送船「亜豊丸」「宝運丸」「厚丸」を護衛し、4月5日ラバウル着。
  • 4月10日: 雪風、「五月雨」「夕雲」「秋雲」でニューギニア島フィンシュハーフェン輸送。雪風と五月雨はニューブリテン島南側航路で進むが、偵察機に発見されラバウル帰投。夕雲と秋雲は北側航路でツルブに変更。
  • 4月12日~13日: 雪風と五月雨がニューブリテン島北側航路でフィンシュハーフェンへ再挑戦。ツルブに目的地変更し、兵員・物資を揚陸。
  • 4月18日~21日: 雪風は水上機母艦「神川丸」をトラックまで護衛。4月21日トラック到着。
  • 4月27日: 第16駆逐隊司令が荘司喜一郎大佐から島居昭雄大佐に交代。島居大佐が雪風に着任。

1943年5月3日~8日:内地帰投とアリューシャン方面準備

  • 5月3日: アリューシャン列島アッツ島の戦局悪化を受け、雪風は第十戦隊(阿賀野、夕雲、秋雲)と第一航空戦隊(瑞鶴、瑞鳳)を護衛し、トラックを出発。
  • 5月8日: 呉に到着。
  • 5月11日~12日: 大分沖で戦艦「大和」「榛名」、航空母艦「雲鷹」「沖鷹」を護衛後、大和、榛名を護衛して呉入港(雲鷹、沖鷹は長波等が横須賀へ護衛)。

1943年5月23日~6月1日:アリューシャン作戦中止と改装

  • 5月23日: アリューシャン方面の戦局悪化で第一航空戦隊護衛の出撃命令。雪風は木更津沖で北方作戦準備。
  • 5月29日: アッツ島陥落の報で出撃中止。横須賀に回航。
  • 6月1日: 呉に入港、改装開始。25mm機銃を増設、最新の逆探(敵レーダー波探知装置)を装備し、夜戦・対空戦能力を強化。

1943年6月15日~30日:前進部隊編入とナウル島輸送

  • 6月15日: 雪風は前進部隊に編入。
  • 6月16日: 第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下、第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷)、空母(龍鳳、大鷹、冲鷹)、軽巡五十鈴、第7駆逐隊(、曙、漣)、第27駆逐隊(時雨、夕暮、有明)、第17駆逐隊(浜風、谷風)、秋月型駆逐艦新月、夕雲型駆逐艦清波と共に横須賀を出港、南方へ進出。
  • 6月21日: トラック泊地到着。雪風と浜風は第四水雷戦隊(旗艦長良)の指揮下に入り、ナウル島輸送任務を命じられる。
  • 6月22日~26日:
    • 第一次輸送隊: 浜風、谷風、第十四戦隊(那珂、五十鈴)が22日トラック発、25日ナウル島着。浜風が同地に残留。
    • 第二次輸送隊: 雪風と長良が23日トラック発、26日04:30ナウル島着。輸送人員・物件を揚陸。08:46、浜風と合流しナウル島出発。10:20、敵大型飛行艇を発見するが接触回避。27日、トラック帰投。
  • 6月30日: 雪風は第四水雷戦隊を離れ、外南洋部隊に編入。重巡鳥海、駆逐艦(谷風、雪風、涼風、浜風、江風)を護衛しラバウルへ向かう(江風は故障で引き返す)。その後、ブインとラバウルを往復。

1943年7月5日~13日:ブイン輸送とコロンバンガラ島沖海戦

  • 7月5日: 雪風は給油艦鳴戸(浜風、谷風護衛)を迎えるため、02:00ラバウル出港。正午頃、鳴戸、浜風、谷風とラバウル帰投。同日夕刻、第十一戦隊航空司令部人員150名、物件、大発1隻を輸送するため、鳥海、夕暮とラバウル出港。
  • 7月6日: 正午頃、ブイン入泊。人員・物件を揚陸。
  • 7月6日~9日: クラ湾夜戦(7月5日)で第三水雷戦隊司令部(旗艦新月)が全滅。鳥海艦長有賀幸作大佐が増援部隊指揮官に任命され、雪風は第八艦隊旗艦を3日間務める(第八艦隊長官鮫島具重中将はブインの第一根拠地隊司令部に所在)。
  • 7月9日: 鮫島中将が鳥海に将旗を掲げ、鳥海、川内、警戒隊(雪風、夕暮、谷風、浜風)、輸送隊(皐月、三日月、松風、夕凪)でブインを出撃。コロンバンガラ島輸送に成功。雪風と夕暮はニュージョージア島ポリ岬の米軍に対し艦砲射撃を実施。米艦隊と遭遇せず戦闘なし。
  • 7月10日: 第三水雷戦隊司令官に伊集院松治少将が着任(旗艦川内)。
  • 7月12日~13日: コロンバンガラ島沖海戦。雪風は第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将(旗艦神通)の指揮下、コロンバンガラ島輸送に参加。警戒隊(三日月、神通、雪風、浜風、清波、夕暮)が単縦陣で進む。米・豪連合艦隊(第36.1任務群)と交戦:
    • 雪風の逆探が夜間戦闘で有効に機能。戦闘序盤、神通と敵軽巡1隻が大破(神通は沈没)。
    • 雪風が警戒隊指揮を執り、スコールを利用して敵駆逐艦の追跡を回避。魚雷次発装填後、6.5~7.4kmまで接近し魚雷攻撃。連合軍に軽巡2隻大破、駆逐艦1隻撃沈・2隻大破の損害を与え、輸送成功。
    • 雪風は巡洋艦3隻撃沈を主張。木俣滋郎は「神通喪失後の雪風らの反撃は水際立っていた」と評価。
    • 戦果により、連合軍第36.1任務群は中枢巡洋艦全損で戦線離脱。日本側は第四水雷戦隊を解隊し、第二水雷戦隊を再編。

1943年7月18日~29日:コロンバンガラ輸送と熊野護衛

  • 7月18日~19日: 雪風は第七戦隊司令官西村祥治少将の指揮下、重巡(熊野、鈴谷、鳥海)、水雷戦隊(川内、浜風、清波、夕暮)でラバウル出港。輸送隊(三日月、水無月、松風)と合流し、コロンバンガラ島輸送を護衛。
  • 7月20日: 索敵中、米軍機の夜間爆撃を受ける。夕暮が魚雷命中で轟沈、清波が消息不明(総員戦死)。熊野も魚雷1本命中。第七戦隊戦時日誌によると、右舷先頭は清波で、夕暮は後方(豊田穣の「雪風と夕暮の位置入れ替え」説は誤り)。大西喬兵曹の日記では、雪風乗員の「夕暮が身代わり」との噂はなく、「清波もいない」との声が記録。
  • 7月23日: 雪風、三日月、浜風でコロンバンガラ島輸送。ベララベラ島とガノンガ島間のウィルソン海峡を初通過。米魚雷艇12隻を撃退し揚陸成功。
  • 7月25日または26日~29日: 雪風と浜風は、20日の夜間空襲で損傷した熊野と給油艦風早を護衛しラバウル出発。7月27日01:00頃、雪風の見張り員が浮上中の米潜水艦を発見。熊野と風早に変針連絡し、浜風と爆雷攻撃。風早は無線電話未搭載で変針せず魚雷1本命中するが微損。7月29日、4隻ともトラック到着。雪風乗員は「特務艦艇の無線不足」を批判。

1943年8月28日~11月5日:内地帰還とシンガポール輸送

  • 8月28日~9月2日: 雪風は熊野の呉回航を護衛し、内地帰還。呉で25mm機銃を増設。
  • 10月6日~19日: 雪風は空母龍鳳を護衛し呉出港。往路で敵潜水艦2回と遭遇するが、雪風の迎撃で被害なし。10月19日シンガポール到着。
  • 10月25日~11月5日: コバルト、ニッケル、ゴム等を搭載した龍鳳を護衛し、シンガポール出発。海南島三亜市経由で11月5日呉帰還。
  • 注記: 11月2日~3日のラバウル空襲回避(港外仮泊)は、1943年3月または寺内艦長着任後(12月)の出来事との記録もあり、関係者の記憶に錯綜の可能性。

1943年11月15日~12月14日:海上護衛総司令部とトラック輸送

  • 11月15日: 雪風、第16駆逐隊の天津風、軽空母千歳が海上護衛総司令部(新設)の指揮下に入る。
  • 11月15日~12月14日: 雪風、千歳、天津風は輸送船(靖国丸、伊良湖)を護衛し、日本~トラック泊地を往復。
  • 12月5日: トラック島付近で米潜水艦1隻を撃沈と記録。
  • 12月7日: 第16駆逐隊の司令駆逐艦が天津風から雪風に変更。
  • 12月14日: 横須賀到着。

1943年12月17日:呉帰港と改装・人事異動

  • 12月17日:
    • 司令駆逐艦が雪風から天津風に復帰。
    • 呉に帰港。
    • 艦長が菅間良吉中佐から寺内正道少佐に交代。
    • 第16駆逐隊司令が島居昭雄大佐から吉川文二大佐に交代。
  • 改装: 3度目の改装を実施:
    • 2番主砲塔(艦尾側)を撤去し、九六式25mm高角機銃3連装2基を設置。3連装・単装機銃を大幅増設(ハリネズミ状)。
    • 電探装備:前部マストに22号電探(対水上)、後部マストに13号電探(対空)。
  • 改装の意義: 対空装備と電探強化により、米軍の航空優勢下での生存力と夜戦能力が向上。

1944年1月4日~2月5日:第一海上護衛隊とシンガポール輸送

  • 1月4日: 雪風は第16駆逐隊の天津風、空母千歳と共に第一海上護衛隊の指揮下に入る。
  • 1月10日~20日: 雪風と天津風は千歳、輸送船4隻のヒ31船団(指揮官:細谷資彦大佐)を護衛し、門司を出発、シンガポールへ向かう。
    • 1月16日: 雪風が浮上する米潜水艦を発見。天津風が攻撃に向かい、雪風は船団護衛を継続。天津風は米潜水艦レッドフィンの雷撃で艦橋を含む前部を喪失、漂流。古川駆逐隊司令戦死。
    • 1月20日: 船団は被害なくシンガポール到着。天津風は1月23日、船体後部が捜索機に発見され、駆逐艦朝顔の曳航でサイゴンへ回航。
  • 1月25日~2月3日: ヒ32船団(輸送船6隻:御室山丸、建川丸、北陸丸、玄洋丸、黒潮丸、鮫島丸)を護衛し、シンガポール出撃。途中、マニラから海防艦三宅(天津風の代艦)が合流。
    • 2月1日: 米潜水艦ホエールの雷撃で沈没した輸送船たるしま丸の生存者(漂流13日目)を発見。雪風が57名、三宅が54名を救助。
    • 2月3日(または4日): 千歳は佐世保入港、雪風と船団は門司到着。雪風は三宅からたるしま丸の生存者を受け入れる。
  • 2月5日: 雪風と千歳は原隊(第一海上護衛隊)に復帰。

1944年2月13日~3月11日:サイパン航空機輸送と救助任務

  • 2月13日: 雪風は空母千歳のサイパン島航空機輸送を護衛し、横須賀出発。鹿児島で千歳、駆逐艦初霜と合流。
  • 2月26日: サイパン到着。
  • 2月29日: 雪風と初霜は千歳を護衛し、日本へ向けサイパン出発。
  • 3月1日: 安藝丸船団(安藝丸、崎戸丸、東山丸、護衛:朝霜、岸波、沖波)が米潜水艦の雷撃を受けたとの連絡。雪風と初霜は千歳護衛を中断し、救助に向かう。
  • 3月4日: 雪風は東山丸をグアムまで護衛。さらに陸軍兵団を横須賀まで運ぶ命令を受領。
  • 3月4日~11日: 初霜、東山丸とサイパンで千歳と合流。陸軍兵団を乗せ、千歳、東山丸を護衛し、7日サイパン出発、11日横須賀到着。

1944年3月18日~4月7日:空母護衛と呉整備

  • 3月18日~21日: 雪風は横須賀から徳山沖へ回航。19日、空母瑞鳳と合流、21日、神戸沖で駆逐艦山雲と合流し、瑞鳳を横須賀まで護衛。横須賀到着後、館山へ移動。
  • 3月下旬: 雪風は千歳を護衛し西日本へ。伊良湖水道で空母龍鳳、軽巡能代、駆逐艦(山雲、初霜)と合流。瑞鳳、龍鳳のサイパン・グアム輸送を護衛。
    • 3月31日: 能代がパラオへ分離。
    • 4月1日: 龍鳳と初霜が分離。
    • 4月2日: サイパンで物資揚陸。米軍機空襲や大部隊接近の警報があったが被害なし、輸送成功。
  • 4月7日: 呉到着。入渠整備を行うが、新任務のため工期短縮して出渠。

1944年4月21日~5月1日:リンガ泊地進出

  • 4月21日: 雪風は駆逐艦(島風、早霜)と戦艦大和、重巡摩耶を護衛し、リンガ泊地へ向かう。
  • 5月1日: リンガ泊地到着。連合艦隊司令部が雪風の頻繁な任務を把握しきれず、新兵補充が遅れる珍事が発生。

1944年3月31日~6月1日:第16駆逐隊解隊と第17駆逐隊編入

  • 3月31日: 第16駆逐隊(開戦時:雪風、天津風、初風、時津風)が解隊。時津風・初風は沈没、天津風は大破修理中で雪風のみ稼働。雪風は第十戦隊(旗艦:軽巡矢矧)の第17駆逐隊(浦風、磯風、浜風、谷風)に5番艦として編入。
    • 第17駆逐隊は陽炎型駆逐艦4隻の歴戦部隊。雪風編入で異例の5隻編成に。5番艦の艦船記号がないため、雪風は煙突に五角の輪を記入。
    • 谷風乗員(山田看護兵曹)によると、雪風の編入は「16駆の僚艦を食い尽くした」と不歓迎ムードだった。
  • 6月1日: 第17駆逐隊は第一小隊(磯風/司令艦、浦風、谷風)、第二小隊(浜風、雪風)で編成。

1944年5月~6月14日:タウイタウイ泊地での対潜哨戒

  • 5月: 聯合艦隊主力がタウイタウイ泊地に進出。雪風ら第17駆逐隊は対潜哨戒任務に従事。
  • 5月14日: 駆逐艦電(元雪風艦長の艦)が米潜水艦ボーンフィッシュの雷撃で沈没。雪風は救助に向かうが電は既に沈没。
  • 5月16日~18日: 雪風と磯風は第五戦隊を護衛しタラカン島へ移動、18日タウイタウイ帰投。
  • 5月22日: 雪風、磯風、浦風は第三航空戦隊(千歳)の航空機訓練を護衛中、千歳を雷撃(命中せず)した敵潜水艦を掃討。帰路、泊地湾口で挂灯浮標が潮流で流出し、雪風は岩礁に触礁、スクリュー破損。最大速力28ノットに低下。
  • 5月24日: 第17駆逐隊司令駆逐艦が谷風から磯風に変更。
  • 5月24日~30日: 雪風は大和(または武蔵)に横付けし、応急修理。5月30日、哨戒任務に復帰。
  • 6月9日: 第17駆逐隊の谷風が米潜水艦ハーダーの雷撃で沈没(磯風、島風、早霜と対潜哨戒中)。

1944年6月15日~23日:マリアナ沖海戦(第二補給部隊護衛)

  • 6月15日: 雪風は浦風と第二補給部隊を護衛し、ギマラス泊地を出発。
  • 6月16日深夜: 米潜水艦カヴァラの追跡を受けるが、雪風と浦風の迎撃で撤退。
  • 6月17日: 駆逐艦卯月と合流(浦風、秋月は本隊復帰)。
  • 6月18日: 第一補給部隊(響、速吸等)と合流。
  • 6月19日~20日: マリアナ沖海戦開始。19日深夜、補給部隊に前線進出命令。20日正午、本隊・機動部隊と合流し洋上補給開始。13:20~14:15、敵空襲警報で本隊が撤退。低速の油槽船(速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、玄洋丸、あづさ丸)と護衛駆逐艦(雪風、響、初霜、夕凪、栂、卯月)が置き去りに。
    • 17時40分: 補給部隊は本隊から5万m後方で米軍艦載機の空襲を受ける。雪風は探照灯で敵機を幻惑し3機撃墜。速吸(火災、鎮火)、清洋丸(火災炎上)、玄洋丸(機関停止)の被害。
    • 清洋丸処分: 航行不能で救助見込みなし。雪風が雷撃処分。
    • 玄洋丸処分: 機関故障のみだが、敵追撃回避のため卯月が砲撃処分。
  • 6月21日: 雪風ら駆逐艦は残存油槽船6隻を護衛し本隊合流。瑞鳳搭乗員が「タンカーの待機に感謝」と記録(補給は断念)。
  • 6月23日: 補給部隊はギマラスに回航。海戦は日本軍の完敗。

1944年6月26日~7月3日:座礁と呉帰還

  • 6月26日: 給油艦部隊(速吸、日栄丸、梓丸等)護衛中、ペピタン礁で座礁。響、夕凪、速吸の支援で脱出。※戦時日誌等でこの座礁は5月22日の触礁と混同の可能性。
  • 6月28日~7月3日: 雪風はスクリュー修理のため単艦で日本へ出発。途中、台湾沖で陸軍軍人・軍属約90名(筏で漂流)を救助。一部記録で「たるしま丸」生存者とするが、たるしま丸は1月17日沈没(2月救助記録と混同の可能性)。7月3日、呉軍港到着。

1944年7月~9月:修理と対空兵装強化

  • 7月以降: 因島ドッグでスクリュー交換と各部修理。対空兵装強化:25mm単装機銃10挺、13mm単装機銃4挺を増設。
  • 9月22日~10月4日: 第二戦隊(扶桑、山城)が第二艦隊(司令長官:栗田健男中将)に編入。雪風、磯風、浜風、浦風は扶桑、山城を護衛し、9月22~23日日本出発、10月4日リンガ泊地到着。

1944年10月20日~27日:レイテ沖海戦(第17駆逐隊として)

  • 10月20日: 第17駆逐隊は第二艦隊第一遊撃部隊(栗田艦隊)第2部隊(第三戦隊:金剛、榛名、第七戦隊:熊野、鈴谷、利根、筑摩、第十戦隊:矢矧、浦風、雪風、浜風、磯風、野分、清霜)に所属。雪風は金剛、榛名の直衛。ターボ発電機の歯車欠損でディーゼル発電機のみで参加。司令駆逐艦は磯風から浦風に変更。
  • 10月22日~24日: 栗田艦隊はブルネイ出撃。米潜水艦と航空攻撃で重巡(愛宕、摩耶)沈没、(高雄、妙高)離脱、駆逐艦(長波、朝霜)離脱、戦艦武蔵沈没。浜風は被弾で清霜と武蔵護衛に分離。
  • 10月25日(サマール沖海戦):
    • 07:45: 栗田艦隊は米護衛空母部隊(タフィ3)と遭遇。護衛空母を正規空母と誤認。戦艦部隊(大和、長門、金剛、榛名)が砲撃中、第十戦隊(矢矧、雪風、浦風、磯風、野分)が突撃。
    • 戦果: 米駆逐艦ホーエルを戦艦部隊と挟撃で撃沈。矢矧と第17駆逐隊は駆逐艦ジョンストン、護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツを撃沈。雪風は魚雷4本(計20本以上、矢矧7本、磯風8本等)を発射したが、10kmの遠距離で命中せず。
    • 雪風の報告: 「正規空母1隻撃沈、新型空母1隻大火災、駆逐艦2隻撃破、主砲462発(残98発)、機銃1万発、魚雷4本(残12本)」。
    • ジョンストンへの敬礼: 雪風は沈没したジョンストンの救命ボートを通過。機銃手が2射したが、寺内艦長が「酷いことをするな」と中止命令。米側記録で、雪風の将校(寺内艦長)が敬礼し、エヴァンス艦長が答礼。
  • 筑摩と鈴谷の救援:
    • 雪風は航行不能の重巡筑摩救援に向かうが、大和から「原隊復帰、野分が筑摩救助」と命令。野分は筑摩乗員救助後、米艦隊に捕捉され沈没(生存者ほぼなし)。
    • 雪風と沖波は魚雷誘爆で航行不能の鈴谷救援に向かうが、鈴谷が大爆発。雪風は第十戦隊司令の原隊復帰命令で合流。鈴谷乗員は沖波が救助。
  • 燃料と発電機: 寺内艦長は「燃料のみ心配」と回想。敵機攻撃時のみ全速、通常は中速で節約。機関科員はディーゼル発電機(クランク・シャフト)の保守を戦場で実施。ターボ発電機は大和の金工場で修理失敗。10月27日、長門から燃料補給。
  • 戦後: 呉帰港後、司令部がディーゼル発電機のみでの戦闘を調査。

1944年11月1日~25日:ブルネイ護衛任務と金剛・浦風沈没

  • 11月1日: ブルネイにて、雪風は僚艦磯風へ25mm機銃弾1,500発を譲渡。
  • 11月5日~6日: 雪風と浦風は、空母隼鷹、重巡利根、軽巡木曾の嚮導任務を命じられ、ブルネイを出港。6日11:40、隼鷹らを護衛しブルネイ入港。
  • 11月8日~11日: 第一遊撃部隊(戦艦:大和、長門、金剛、榛名、重巡足柄、軽巡矢矧、第17駆逐隊:雪風、浦風、浜風、磯風、駆逐艦卯月、夕月)が隼鷹、利根、木曾をマニラへ護衛。
    • 11月8日03:00: ブルネイ出港。
    • 11月9日: 第一遊撃部隊は米軍の注意を引き付ける囮任務を遂行。隼鷹らと分離。9~10日、転進を繰り返し、米哨戒機と2度遭遇するが襲撃回避。
    • 11月10日: 隼鷹らがマニラ到着。
    • 11月11日: 第一遊撃部隊がブルネイ帰還。
  • 11月16日~24日: 第十戦隊解隊、第17駆逐隊は第二水雷戦隊所属に。雪風は一時司令駆逐艦となるが、空襲戦死者の水葬遅延で浦風が復帰。雪風は戦艦(大和、長門、金剛)、軽巡矢矧を護衛し、ブルネイを出港。
    • 11月16日: 出港直前、マニラ空襲を逃れた駆逐艦(初霜、霞、朝霜)がブルネイ入港。雪風は初霜へ12.7cm主砲弾200発、25mm機銃弾9,000発、13mm機銃弾3,000発を譲渡。
    • 11月21日: 台湾沖で金剛と浦風が米潜水艦シーライオンの雷撃で沈没。浦風は谷井保駆逐隊司令以下全員戦死。雪風は大和、長門を護衛し緊急退避。浜風、磯風が金剛生存者救助。
    • 11月24日: 呉到着。第17駆逐隊司令艦が浜風に変更。
  • 11月25日: 雪風、浜風、磯風は長門を護衛し横須賀入港。

1944年11月28日~29日:空母信濃護衛と沈没

  • 11月28日: 雪風、浜風、磯風(第17駆逐隊)は空母信濃(大和型戦艦改装、7万トン)を呉まで護衛。レイテ沖海戦以来の連戦で乗組員は疲労困憊、水中探査機も損傷。寺内艦長らは夜間航行の危険(米潜水艦待ち伏せ)を指摘し、昼間沿岸航行を主張するが、信濃艦長阿部俊雄大佐が昼間の米機動部隊空襲を優先し、薄暮出撃・外洋コースを決定。信濃主計長鳴戸少佐の回想では、寺内艦長が最も強硬に反対。
    • 18:30: 横須賀出港、外洋へ。
    • 21:00: 信濃のレーダーが後方追尾船を感知。雪風が捜索し、「乾舷高く漁船」と報告。豊田穣は米潜水艦アーチャーフィッシュの可能性を主張するが、エンライト艦長(アーチャーフィッシュ)の証言では前方占位で否定。
    • 22:45: 雪風と浜風が潜水艦を視認・砲撃態勢も、阿部艦長が所在暴露を恐れ発砲禁止。
  • 11月29日:
    • 02:00: 雪風の田口航海長が右前方に浮上潜水艦を発見。「駆逐艦1隻で制圧、船団は速力増で突破」を提案するが、阿部艦長は雪風を定位置に戻す。
    • 03:00過ぎ: 信濃がアーチャーフィッシュの魚雷4本を受け、11:00頃沈没。雪風は生存者約1,400名を救助。

1944年12月下旬:ヒ87船団護衛断念

  • 12月下旬: 雪風、浜風、磯風、時雨が台湾方面のヒ87船団および空母龍鳳護衛に指定。雪風は機関故障で参加できず、呉帰港。護衛中に時雨が米潜水艦の雷撃で沈没。

1945年1月~3月:訓練協力と呉空襲

  • 1月以降: 第17駆逐隊(雪風、浜風、磯風)は大津島周辺で特攻兵器(回天、震洋)の訓練に協力、標的艦を務める。
  • 3月19日: 呉軍港空襲。雪風は川原石の海岸でブイ繋留中、対空砲火で米軍機2~3機を撃墜。多くの艦が被害を受ける中、無傷。
  • 3月29日: 戦艦大和、軽巡矢矧、第二水雷戦隊(雪風、浜風、磯風、朝霜、霞、初霜、冬月、涼月)が周防灘へ移動。駆逐艦響が触雷で脱落。

1945年4月6日~8日:坊ノ岬沖海戦(沖縄特攻)

  • 4月6日: 雪風は第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将の指揮下、戦艦大和、軽巡矢矧、第17駆逐隊(雪風、浜風、磯風)、第21駆逐隊(朝霜、霞、初霜)、第41駆逐隊(冬月、涼月)で沖縄水上特攻に出撃。駆逐艦は第一煙突に菊水マークを描くが、雪風は寺内艦長の「いつも通りでいい」との命令で描かず。遺書や遺品も禁止。
  • 4月7日:
    • 12:00過ぎ: 米軍機約400機の猛攻。14:23、大和沈没。矢矧、浜風、朝霜、霞が沈没、冬月中破、涼月大破。
    • 雪風の戦闘: 寺内艦長は艦橋の椅子から航海長の肩を蹴る独特の操舵(右肩で面舵、左肩で取舵)で攻撃をほぼ回避。魚雷1本が艦底を通過、食料庫へのロケット弾は不発(宮津湾戦闘との混同可能性)。機銃掃射と至近弾で戦死3名、負傷15名。被害は機銃1基大破、主砲盤電路故障のみ。対空砲火で米攻撃機1機撃墜。
    • 沖縄突入の決意: 寺内艦長は大和沈没後も沖縄突入を主張。生存者救助を始めようとした先任将校に「決死の特攻作戦。救助者は沖縄で同じ運命」と制止。「戦闘力のある者だけ救助、負傷者は見ず」と厳命。第41駆逐隊司令吉田正義大佐に「速やかに行動を」と沖縄突入を具申。
    • 救助活動: 連合艦隊の「溺者救助後帰投」命令(16:39発、17:50受信)で方針転換。寺内艦長は「最後の一人まで救え」と救助に専念。
      • 14:50~16:37: 大和生存者105名(准士官以上12名、下士官兵93名)を救助。内火艇2隻を動員し、重傷者や体力尽きた兵を優先。能村副長(大和)は重油まみれで意識不明も、佛坂軍医長の治療で生還。佛坂は「負傷者数が軍医1人では対応不能」と回想。
      • 17:20~: 矢矧生存者156名(准士官以上13名、下士官兵143名)を救助。古村司令官は初霜に救助され、初霜が第二水雷戦隊旗艦に。
    • 磯風処分: 夕刻、雪風は矢矧接舷中に被弾した磯風(第17駆逐隊司令艦)の救援。曳航準備も、古村司令官(初霜)が自沈命令。雪風は磯風生存者326名(司令官前田実穂艦長含む)を救助。22:40、磯風を砲雷撃処分(砲撃不命中、魚雷1本も艦底通過、再砲撃で爆発・沈没)。
    • 米潜水艦の追跡: 救助終了後、雪風は米潜水艦の雷撃を受ける。機関停止、救助兵に「動かず音を立てず」と指示し、潜水艦を回避。
  • 4月8日: 雪風、初霜、冬月、涼月が佐世保入港。第17駆逐隊は雪風のみに(浜風、磯風沈没)。

1945年4月10日~20日:陽炎型駆逐艦の終焉と第二水雷戦隊解散

  • 4月10日: 姉妹艦天津風が中華民国廈門市で座礁・自沈。陽炎型駆逐艦19隻は雪風1隻に。
  • 4月20日: 初霜艦上で第二水雷戦隊解散式。第21駆逐隊の初霜が第17駆逐隊に編入。

1945年5月~8月:訓練艦と終戦

  • 5月15日: 雪風と初霜は第三十一戦隊(旗艦:花月)に編入。佐世保から舞鶴港へ回航。
  • 6月15日: 舞鶴空襲の危険を受け、宮津湾に移動。雪風と初霜は海軍砲術学校の練習艦となるが、艦長証言では「訓練業務はほぼ行わず」。

1945年7月30日:宮津湾空襲(最後の戦い)

  • 背景: 雪風と初霜(第17駆逐隊)は、舞鶴空襲の危険を受け、宮津湾に避難。B-29の機雷で湾口が封鎖され、狭い湾内に閉じ込められる。※食料庫へのロケット弾不発は坊ノ岬沖海戦との混同可能性。
  • 05:00: 米軍の舞鶴・宮津空襲で警報発令。上陸中の兵も06:30までに帰艦。2~3日前からの敵動向情報で、雪風は出動態勢と対空準備を完了。
  • 06:30~17:00過ぎ: 空襲が10時間以上断続。雪風は狭い湾内で低速・急舵による回避行動と対空戦闘。
    • 被害: ロケット弾1発が食糧庫に命中するが不発(坊ノ岬沖海戦との混同可能性)。機銃掃射で戦死1名、重軽傷20名。米軍機1機を撃墜。
    • 僚艦の状況: 初霜は湾口で機雷に触れ座礁・沈没。潜水母艦長鯨は艦橋に直撃弾で小破。
  • 夜間: 宮津湾の機雷封鎖が危険なため、雪風は初霜から発光信号機のメーターを譲り受け、湾口の水深深い場所を全速で突切り脱出。伊根漁港へ移動。
    • 擬装: 定置網と山の樹木で艦体を島に擬装。浸水した食糧庫の米・麦が発酵し、伊根町住民に家畜飼料として譲渡。
  • 意義: この戦闘が雪風の最後の戦闘となる。

1945年8月15日~18日:終戦と舞鶴回航

  • 8月15日: 玉音放送で終戦。第17駆逐隊解隊、雪風は第41駆逐隊に編入。
  • 8月18日: 雪風は宮津湾空襲で艦橋破壊の長鯨を牽引し、舞鶴へ回航。航海中、機雷に触れるが、長鯨との距離300mの中間で遅延爆発し、両艦無傷。
    • 誤説訂正: 伊藤正徳の「雪風無事、初霜轟沈」記述は誤り。初霜は7月30日に沈没、長鯨が後続艦。

1945年8月26日~1946年12月:復員輸送艦

  • 8月26日: 雪風は第一予備艦に指定。
  • 12月1日: 第二復員省の特別輸送艦に指定、復員輸送任務開始。
    • 改装: 電探・主砲身撤去、魚雷発射管跡に便乗者用仮設構造物増設。1945年末、旧舞鶴工廠で前後砲塔撤去、仮設ハウス増設。
    • 1946年2月10日: 改造完成。2月11日、舞鶴から佐世保経由で中国汕頭へ初の引揚任務出発。
  • 任務内容:
    • 1946年12月28日までに、汕頭1回、ラバウル2回、ポートモレスビー1回、サイゴン・バンコク2回、葫芦島5回、那覇4回の計15回、1.3万人以上を輸送。
    • 乗員:漫画家水木しげる、BC級戦犯(サイゴン・バンコク往路)、葫芦島の妊婦(艦内で「博雪」命名の男子出産)等。
    • 課題:戦勝国兵による物品盗難、乗員間の対立。台風直面も自船で気象予測。
    • 規律維持:「雪風新聞」発行(雪風賛歌、酒保苦情対応等)、雪風楽団結成(「復員者歓迎雪風の歌」演奏)。
    • 引揚者対応:無傷の雪風に「内地を出たのは初めてか」と難詰されたが、戦歴発表禁止で乗員は笑顔で対応。
  • 6月26日~28日: 横須賀で第六青函丸(銚子沖遭難)の救助要請を受け出動。一昼夜かけ浦賀まで曳航。
  • 7月~10月: 満州葫芦島からの大規模引揚輸送。「博雪」出産や戦犯輸送等、復員輸送の象徴的エピソード。

1946年12月30日~1947年7月6日:賠償艦引き渡し準備

  • 12月30日: 雪風は特別保管艦に指定、連合国への賠償艦引き渡し準備。仮設乗組施設撤去。
  • 1947年5月26日: 芝浦で連合国視察点検。乗員の徹底整備で艦状態が極めて良好。「敗戦国の軍艦でこれほど整備された艦は驚異」と高評価。雪風と海防艦四阪がモデルシップに指定。
  • 6月18日: 賠償艦艇配分会議で、雪風は駆逐艦6隻(楓、初梅、蔦、波風、宵月)、海防艦17隻等計34隻と共に中華民国へ引き渡し決定。
  • 7月1日~6日: 雪風(接一号)は賠償艦第一陣7隻(楓、初梅、四阪等)と佐世保出発、7月3日上海到着。7月6日、高昌廟で移行式。「煙草盆まで整備された」と中国将校を驚かせ、乗員は菓子・煙草を土産に帰国。

1948年5月1日~1949年:丹陽としての初期と国共内戦

  • 1948年5月1日: 雪風は中華民国海軍で「丹陽(タンヤンDD-12)」に改名、陽字号駆逐艦(旧日本艦)の一隻に。※「丹陽」は丹陽市由来、または赤い朝陽・夕陽の意との推測。
  • 1948年~1949年: 国共内戦中、造船所の人手不足や共産党の妨害で再武装化できず、就役せず。1949年5月、人民解放軍の上海解放作戦で、未武装の丹陽は台湾基隆に回航。
    • 役割: 蔣介石総統の乗艦(艦長数階級特進)、故宮博物院の財宝輸送(上海~台湾3往復、戦車揚陸艦説もあり)。
  • 国共内戦の状況: 中華民国海軍は第二艦隊反乱事件で旗艦重慶、恵安(旧四阪)等を喪失。残存艦(丹陽、信陽、太字号、逸仙等)は台湾へ撤退。

1951年10月~1953年:丹陽の再武装と旗艦就任

  • 1951年10月: 台湾左営で修理・再武装。旧日本海軍の接収兵装や中国・台湾の防空砲を再利用:
    • 主砲:前部1番砲塔に八九式12.7cm連装高角砲、後部2・3番砲塔に九八式10cm高角砲(独自箱型砲塔)。
    • 対空:九六式25mm高角機銃等。魚雷発射管なし。
    • レーダー:22号電探撤去、マストにSO対水上レーダーのレドーム設置。
    • 性能:試運転で27.5ノット。
  • 1953年: 丹陽は中華民国海軍第一艦隊に編入、軽巡重慶の後継として旗艦就任。最大最強の戦闘艦に。
  • 8月: 馬紀壯中将指揮下、太昭、太湖とフィリピンマニラ訪問。フィリピン政府、米軍、華僑の歓迎。マグサイサイ国防長官、スプルーアンス駐比米大使が訪問。

1953年10月~1954年:関閉政策と大陳列島救援

  • 1953年10月4日: 丹陽と太倉がポーランドタンカー「プラカ」(上海へ重油輸送)を拿捕。
  • 1954年4月: 丹陽と太平がチェコ貨物船「ユリウス・フチーク号」拿捕に出撃するが発見できず。
  • 5月12日: 丹陽、太倉、太湖がポーランドタンカー「グットワード」を拿捕。
  • 6月23日: 丹陽がソ連油槽船「トープス」を拿捕、乗組員拘束(1988年まで、一部外交問題化)。
  • 10月: 第一次台湾海峡危機で人民解放軍が大陳列島侵攻。丹陽は孤立した大陳守備隊救援のため、周辺島嶼に艦砲射撃(1955年2月、中華民国軍撤退)。
  • 性能: 艦齢20年超で最大28.8ノット。人民解放海軍のソ連製駆逐艦(鞍山級)や潜水艦配備に対抗し、米第7艦隊や新供与艦(洛陽、漢陽)の支援を受ける。

1955年~1958年:第二次改装と実戦参加

  • 1955年(または1956年): 弾薬補給問題で米海軍武装に換装:
    • 主砲:38口径5インチ単装両用砲3基。
    • 対空:50口径7.6cm単装両用砲2基、ボフォース40mm連装機銃4基8門(後に単装10基10門)。
    • その他:爆雷投下軌条、SC対空レーダー、探照灯設置。艦橋・船首楼延長、方位盤・測距儀撤去。
  • 1958年:
    • 8月~9月: 八二三金門砲戦に参加(詳細不明)。
    • 9月3日: 料羅湾海戦(九二海戦)。丹陽は人民解放軍魚雷艇で損傷した砲艦沱江を救援、基地帰着で表彰。
  • 後年: フィリピンやインドネシアの民族衝突時、華僑収容・保護のため現地派遣。

1959年~1965年:巡羅支隊と観艦式

  • 1959年:
    • 丹陽は第一艦隊から除かれ、台湾海峡北区巡羅支隊(馬祖列島、烏坵島)に配属。駐屯、防衛、演習に従事。
    • 8月3日: 章江、涪江、資江と人民解放軍コルベット2隻と交戦。1隻撃沈、1隻撃破。
  • 1960年: アイゼンハワー米大統領訪台時、歓迎艦隊旗艦として重巡セントポールを迎える。
  • 1964年:
    • 5月1日: 船団旗艦として人民解放軍巡視艇8隻、貨物船4隻と交戦。1隻大破、2隻小破。
    • 12月: 観艦式で旗艦として雄姿披露。
  • 1965年12月16日: 機関老朽化で退役。

1966年~1971年:練習艦と解体、返還運動

  • 1966年11月16日: 予備艦編入。高雄の海軍軍官学校に繋留、停泊練習艦に。
    • 背景: 米海軍フレッチャー級供与や人民解放海軍のミサイル艇・潜水艦配備で、丹陽は時代遅れに。
  • 1966年: 「雪風永久保存期成会」(会長:野村直邦)結成、返還運動開始。雪風返還運動議員連盟(会長:岸信介)も支援。
    • 1967年: 蒋経国国防部長に請願書提出。
    • 1968年: 志賀健次郎代議士が蒋経国に返還打診。
  • 1970年:
    • 6月20日: 中華民国が「1969年台風で浸水、1970年前半に解体完了、部品なし」と連絡。突然の発表で“生存説”が流れる。
    • 正式除籍、解体完了(台湾発表では1970年前半、文献では1971年12月31日)。
  • 1971年12月8日: 中華民国から舵輪と錨が返還。横浜港で引き渡し(日中国交正常化・日台断交の10ヶ月前)。舵輪は江田島旧海軍兵学校・教育参考館、錨は同庭に展示。スクリューは台湾左営海軍軍官学校に展示。

評価と特徴

雪風は陽炎型駆逐艦19隻中唯一終戦まで生き残り、ほとんど重大な損傷を受けなかった「強運艦」です。その要因として以下が挙げられます:

  1. 優れた操艦技術: 飛田健二郎、菅間良吉、寺内正道各艦長の卓越した指揮。特に寺内艦長は「私が乗っている限り沈まん」と豪語し、坊ノ岬沖海戦での操舵が伝説的。
  2. 乗組員の整備徹底: 魚雷の毎日整備など、細やかなメンテナンスが戦闘準備を完璧に保つ(田口艦長時代からの伝統)。
  3. 戦術的判断: ラバウル空襲時の湾外待機など、危機察知能力の高さ。
  4. 運: 魚雷や爆弾の不発、至近弾の回避など、常識外の幸運が随所で記録。

文化的影響

  • 1964年: 映画『駆逐艦雪風』(佐野芸術プロダクション、松竹配給)が公開。雪風の戦歴を水兵視点で描く。
  • 2025年8月15日予定: 新作映画『雪風 YUKIKAZE』(監督:山田敏久、主演:竹野内豊)が公開予定。史実に基づくフィクションとして注目。
  • その他: 漫画家・水木しげるが復員時に乗艦。アニメ『艦隊これくしょん』や『宇宙戦艦ヤマト』の「ゆきかぜ」に影響を与える。

結論

雪風は、太平洋戦争の苛烈な戦場を駆け抜け、技術、指揮、運の三位一体で生き残った伝説の駆逐艦です。その戦歴は、単なる幸運を超え、乗組員の努力と戦術的判断の結晶でした。戦後の中華民国海軍での活躍や返還運動も含め、雪風は日台の海軍史に深い足跡を残しています。

戦歴の特徴と評価

雪風の行動は、以下の点で際立っています:

  1. コロンバンガラ島沖海戦の戦果: 逆探を活用した夜戦で連合軍に大損害を与え、輸送成功。雪風の指揮引き継ぎとスコール利用の戦術が高評価。
  2. 過酷な輸送任務: ナウル島、コロンバンガラ島、シンガポールでの輸送・護衛を無傷で完遂。見張り員の敵潜水艦発見や迅速な対応が生存力の鍵。
  3. 夕暮沈没の議論: 豊田穣の「雪風身代わり」説は戦時日誌と矛盾。大西喬兵曹の回想では「強運」としつつ、一斉回頭の影響は不明と冷静に分析。
  4. 改装と適応: 対空機銃と電探の強化により、1944年以降のマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦への準備が整う。
  5. マリアナ沖海戦の奇策: 探照灯での敵機幻惑や清洋丸雷撃処分など、危機的状況での冷静な対応。補給部隊の孤立を生き延びた。
  6. レイテ沖海戦の英雄的行動: ディーゼル発電機のみで突撃、ジョンストンへの敬礼、筑摩・鈴谷救援の回避など、寺内艦長の判断と乗組員の技術が光る。
  7. 触礁と漂流者救助の議論: 5月と6月の座礁、たるしま丸生存者救助の時期は記録の錯綜あり。戦史研究の課題。
  8. 信濃護衛の悲劇: 寺内艦長の夜間航行反対が退けられ、米潜水艦の雷撃で信濃沈没。雪風の1,400名救助は人道的貢献。
  9. 坊ノ岬沖海戦の奇跡: 寺内艦長の独特操舵で魚雷・ロケット弾を回避。沖縄突入の決意と救助活動の両立は、雪風の不屈の精神を象徴。
  10. 救助活動の徹底: 大和105名、矢矧156名、磯風326名の救助。内火艇動員や重傷者優先の対応は、佛坂軍医長の回想で過酷さが伝わる。
  11. 陽炎型の終焉: 第17駆逐隊と陽炎型駆逐艦が雪風1隻に。宮津湾での機雷封鎖は、戦争末期の絶望的状況を反映。
  12. 寺内艦長のリーダーシップ: 「いつも通り」の菊水マーク拒否や「負傷者見ず」の厳命は、特攻作戦の決死性を示す。救助命令後の「最後の一人まで救え」は人間性を垣間見せる。
  13. 宮津湾空襲の生存力: 機雷封鎖の狭い湾内で10時間以上の空襲を低速回避。不発ロケット弾や機雷遅延爆発で「強運」を再証明。
  14. 復員輸送の人間ドラマ: 1.3万人の引揚、艦内出産(博雪、雪子、波子)、雪風新聞・楽団による規律維持。引揚者の難詰に戦歴を語れず耐えた乗員の姿勢。
  15. 丹陽の旗艦活躍: 中華民国海軍の最大戦闘艦として国共内戦、台湾海峡危機、拿捕任務で活躍。料羅湾海戦や観艦式で名声を維持。
  16. 返還運動の象徴性: 雪風の不沈伝説と復興日本の姿が重なり、岸信介らによる運動が展開。
  17. 寺内艦長の総括: 「優秀な乗員と運」が雪風の生還要因。時雨、瑞鶴等の幸運艦が沈没する中、雪風の唯一無二の生存。

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