白露型駆逐艦「夕立」——諸元・全戦歴・鉄底海峡への軌跡

1937年竣工・白露型駆逐艦「夕立」の全諸元と戦歴を時系列で完全収録。日本初の4連装魚雷発射管・ルンガ泊地奇襲での米艦2隻撃沈・第三次ソロモン海戦32分の単艦突入から、1992年の海底発見まで。

白露型駆逐艦 4番艦 · 第2駆逐隊 · 第四水雷戦隊
YUDACHI 夕立
鉄底海峡32分の獅子奮迅——帝国海軍が「抜群ノ功績」と記録した駆逐艦

日本海軍白露型駆逐艦「夕立」——日本初の4連装魚雷発射管と九三式酸素魚雷を武器に、 開戦から鉄底海峡まで最前線を駆け続けた水雷戦隊の牙。 第三次ソロモン海戦での単艦突入32分間は、帝国海軍戦闘詳報に個別項目が設けられた 異例の「抜群ノ功績」として刻まれた。全諸元・全戦歴の完全収録。

SHIP DATA
SPEC
基本諸元(白露型駆逐艦)
SHIP CLASS
白露型 4番艦
艦隊型駆逐艦
BUILT AT
佐世保海軍工廠
起工 1934.10.16 / 竣工 1937.1.7
DISPLACEMENT
1,685 t
基準 / 全長 111.0 m
MAX SPEED
34.0 kts
出力 42,000 hp
TORPEDOES
61cm 4連装 ×2基
★日本初・次発装填装置付
MAIN GUN
12.7cm砲 5門
連装2基+単装1基
項目内容
艦名夕立(ゆうだち)
艦型白露型駆逐艦 4番艦
建造所佐世保海軍工廠
起工1934年(昭和9年)10月16日
進水1936年(昭和11年)6月21日
就役1937年(昭和12年)1月7日
初代艤装員長中原義一郎 少佐(1936年7月15日任命)
最終艦長吉川潔 中佐(1942年5月25日着任〜12月1日)
全長111.0 メートル
全幅9.9 メートル
吃水3.5 m(平均)
基準排水量1,685 トン
機関艦本式オール・ギアードタービン 2基2軸
ボイラーロ号艦本式重油専焼水管缶 3基
出力42,000 馬力
速力最大 34.0 ノット
航続距離18ノットで4,000海里(約7,400km)
主砲(竣工時)50口径12.7cm B型改二平射砲 連装2基・単装1基(計5門)
魚雷発射管61cm 4連装魚雷発射管 2基8門(★日本初・次発装填装置付)
搭載魚雷九三式1型改二酸素魚雷 14本(発射管内8本+次発6本)
対空機銃(竣工時)13mm連装機銃 2基
爆雷九四式爆雷投射機 2基・九五式爆雷 16個
乗員226名
所属駆逐隊第2駆逐隊(村雨・夕立・春雨・五月雨)
所属戦隊第四水雷戦隊(第二艦隊)
公式評価帝国海軍戦闘詳報——駆逐艦として異例の個別項目が設けられ「抜群ノ功績」と記録
戦没1942年11月13日、鉄底海峡——米重巡「ポートランド」の砲撃により沈没
■ 白露型の革新——4連装魚雷と次発装填装置
日本駆逐艦として初めて4連装魚雷発射管(2基8射線)を搭載した白露型は、さらに次発装填装置により1戦闘で2回の魚雷斉射を可能にした。開戦直前の九三式酸素魚雷への換装により、「夕立」は射程40km超・無航跡・炸薬490kgという当時世界最強の魚雷を8本同時に放てる夜戦艦となった。これが鉄底海峡での32分間を可能にした武装だ。
BATTLE RECORD
HISTORY
戦歴——竣工から鉄底海峡まで

「夕立」は1937年(昭和12年)1月7日の竣工から1942年(昭和17年)11月13日の戦没まで、支那事変・太平洋戦争を通じて最前線で戦い続けた。帝国海軍が「抜群ノ功績」と記録した駆逐艦の全軌跡を時系列でたどる。

1937年1月7日 — 竣工・第2駆逐隊編成
佐世保より産声——田中頼三大佐が司令駆逐艦に指定
  • 1937年1月7日:佐世保海軍工廠で竣工。横須賀鎮守府籍。白露型3番艦「村雨」と同日に竣工し、両艦で第2駆逐隊が編制される。初代司令は田中頼三大佐。田中大佐は第2駆逐隊司令駆逐艦を「夕立」に指定した。
  • その後「春雨」「五月雨」が加わり、第2駆逐隊の定数4隻(村雨・夕立・春雨・五月雨)が揃う。
1937〜1940年 — 支那事変
大陸の戦場へ——上海・杭州湾・長江
  • 1937年8月10日:大山事件を受け、第一水雷戦隊(夕立含む第2駆逐隊等)が上海方面へ出撃。翌日到着し第三艦隊と合流。
  • 1937年8月13日〜:第二次上海事変。川内・第2駆逐隊等が艦砲射撃で陸戦隊の戦闘を支援。
  • 1937年8月22〜25日:川沙口上陸作戦。歩兵第22連隊を乗艦させ揚陸を実施。
  • 1937年11月:杭州湾上陸作戦(H作戦)に参加。この時期、フランス極東艦隊「プリモゲ」から「夕立」の姿が撮影されている。
  • 1937年12月〜1938年:長江遡上作戦・M作戦(長江河岸掃蕩)に第2駆逐隊として参加。
  • 1940年10月11日:紀元二千六百年特別観艦式に参加。第二列に配置。
1941年12月〜1942年5月 — 開戦・南方作戦
第四水雷戦隊の牙——フィリピン・蘭印・ミッドウェー

開戦時の所属:第二艦隊 第四水雷戦隊(司令官:西村祥治少将)第2駆逐隊

  • 1941年12月10〜11日:フィリピン・ビガン上陸支援。「夕立」の太平洋戦争の初陣。
  • 1941年12月22日:リンガエン湾上陸作戦支援。
  • 1942年1月11日〜:タラカン島攻略作戦(ボルネオ島・蘭印)に参加。
  • 1942年1月26日:バリクパパン沖海戦。大破行動不能となった37号哨戒艇を曳航する任務を命じられるが、途中で曳航不能となり任務解除。
  • 1942年2月27日〜3月1日スラバヤ沖海戦。連合国ABDA艦隊との砲雷撃戦に第四水雷戦隊の一員として参加。7,500mの距離から魚雷を発射。
  • 1942年3〜4月:フィリピン掃討(パナイ島・セブ島攻略支援)。マニラ湾封鎖作戦に参加。
  • 1942年5月25日吉川潔中佐が夕立艦長に着任。
  • 1942年6月4〜5日ミッドウェー海戦。第二艦隊(攻略部隊)護衛として参加。主力空母4隻が沈む大敗北ののち撤退。
1942年8月〜11月 — ガ島輸送・ルンガ奇襲
鼠輸送とルンガ泊地奇襲——吉川艦長の獅子奮迅
  • 1942年8月30日〜:ガダルカナル島増援輸送(鼠輸送)開始。
  • 1942年8月30日:磯風の発電機故障により一木支隊130名が夕立に移乗。夕立は単艦で午前10時に出撃し22時30分にタイボ岬で揚陸成功。
  • 1942年9月4〜5日:夕立・初雪・叢雲、ガ島タイボ岬への揚陸任務を完遂。その後吉川艦長指揮のもとルンガ泊地に突入。米輸送駆逐艦「グレゴリー」「リトル」を相次いで撃沈。
  • 1942年10月26日:南太平洋海戦。機動部隊前衛直衛として参加。
  • 1942年11月11日:ショートランド泊地を出撃。戦艦「比叡」「霧島」中核の挺身攻撃隊と合流(12日13時30分)。
1942年11月12〜13日 — 【最期の死闘】第三次ソロモン海戦 第一夜戦
単艦突入32分——帝国海軍が「抜群ノ功績」と記録した夜

11月12日夕刻、激しいスコールで艦隊の隊列が乱れる。「夕立」「春雨」は前路掃蕩部隊として先行。

  • 11月13日 0時24分頃:「夕立」「春雨」がわずか2,700mの至近距離で米駆逐艦「カッシング」と遭遇。「カッシング」が急旋回したことで米艦隊第67任務部隊第4群の隊列が崩壊。日米両軍が入り乱れる大混戦が始まった。
  • 0時26分頃:「春雨」を見失い、単艦で敵艦隊中央に突入した「夕立」は、右舷・左舷両方の敵艦へ魚雷を発射し、手当たり次第に猛烈な12.7cm砲撃を開始。米重巡「ポートランド」に魚雷が命中し、右舷艦首に大穴を開け舵を損傷させた。
  • 乱戦の極:「夕立」の乱入により米艦隊が崩壊。米司令官キャラハン少将は「射撃中止」命令を艦隊全体に誤送信。米艦「アトランタ」「サンフランシスコ」が味方からの誤射を受ける。ニミッツ司令長官が後に著書で「海戦史上その類例を見ないもの」と評した大混乱に陥った。
  • 0時26分以降:集中砲火を浴びながら砲撃を継続。機関室が破壊されて航行不能——しかし沈まない。
  • 32分後航行不能・操舵不能。乗員はハンモックをマストに掲げて帆走を試みた。「五月雨」が接近して生存者を救助。吉川艦長は五月雨艦長に「まことにすまないが、もう一度引き返して夕立を処分してくれないか」と頼んだが、「五月雨」の魚雷でも夕立を沈めることができなかった。
  • 翌11月13日 午後:舵を損傷した米重巡「ポートランド」が漂流する「夕立」を発見し砲撃。その砲弾による爆発で「夕立」はついに沈没。鉄底海峡の底へ。
  • 生存者:艦長准士官以上13名・下士官兵192名が「五月雨」に移乗して生還。15時にショートランド泊地に到着。
  • 吉川艦長の錯乱と冷静:救助直後、夕立が米軍に鹵獲されたと思い込んで錯乱した吉川艦長は「自決する」と暴れた。しかし夕立撃沈の報を聞いて大喜びし、翌夜の第二夜戦では打って変わって完全に冷静だった。
1942年12月15日 — 除籍
「抜群ノ功績」——帝国海軍戦闘詳報に刻まれた異例の賛辞
  • 12月1日:吉川艦長が夕立駆逐艦長の職務を解かれる(のち夕雲型「大波」初代艦長へ)。
  • 12月15日:重巡「衣笠」、駆逐艦「暁」「綾波」と共に夕立の除籍決定。帝国駆逐艦籍・第2駆逐隊・白露型駆逐艦の各籍から削除。
  • 帝国海軍戦闘詳報において、「夕立」の奮戦には個別項目が設けられるという、駆逐艦としては異例の高評価が与えられた。「夕立ハ緒戦ニ於テ大胆沈着、能ク大敵ノ側背ニ肉薄強襲シ……其ノ功績ハ抜群ナルモノト認ム」
1992年 — 海底での再会
バラードの調査——鉄底海峡の底で眠る「夕立」

1992年(平成4年)夏、海洋考古学者ロバート・バラードがアイアンボトム・サウンドの海底探査を実施。サヴォ島付近の海底で「夕立」を発見。

  • 「夕立」は海底に対し水平に着底。艦後部はひどく破損。艦首先端はちぎれかけて横倒しとなっているが、艦橋の伝声管などの諸設備は残っている。
  • 「夕立」は今もなお、自分が散った鉄底海峡の底で静かに眠っている。

「夕立ハ緒戦ニ於テ大胆沈着、能ク大敵ノ側背ニ肉薄強襲シ
夜戦部隊ノ真面目ヲ発揮シテ大ナル戦果ヲ収ムルト共ニ……
其ノ功績ハ抜群ナルモノト認ム」

帝国海軍 戦闘詳報——「夕立」への個別評価(原文)· 1942年11月
■ ニミッツが「類例なき混乱」と記した夜——戦果の正確な記録
「夕立」の戦果については日米間で記録に差異がある。米軍側で確認された直接戦果は「ポートランド」への魚雷命中(旋回不能の大破)のみ。しかし「夕立」の突入が引き起こした米艦隊指揮系統の崩壊・味方誤射の連鎖が「カッシング」「バートン」撃沈・「アトランタ」「ジュノー」大破という結果を間接的に生み出したことは論を俟たない。チェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官は著書で「次いで30分間にわたる乱戦が繰り広げられた。その混乱の激しさは海戦史上その類例を見ないものである」と評した。帝国海軍の戦闘詳報が駆逐艦に個別項目を設けた事実が、その評価の高さを物語る。
SUMMARY
LEGACY
まとめ——「夕立」が刻んだもの

「夕立」は白露型駆逐艦の4番艦として、支那事変から太平洋戦争まで最前線で戦い続けた。日本初の4連装魚雷発射管・九三式酸素魚雷を武器に、開戦から鼠輸送・ルンガ奇襲・そして第三次ソロモン海戦の単艦突入まで——起工からわずか8年で鉄底海峡に散った。艦名は後に海上自衛隊のむらさめ型護衛艦(初代)2番艦「ゆうだち」(1958年就役、3代目)として継承された。

■ 吉川潔艦長のその後
「夕立」最後の艦長・吉川潔中佐は、1942年12月1日に職務を解かれ、夕雲型駆逐艦7番艦「大波」の艤装員長・初代駆逐艦長となった。しかし1943年(昭和18年)11月24日、セント・ジョージ岬沖海戦において「大波」の沈没とともに戦死。死後、海軍少将に進級した。「夕立」と運命を共にするかのように、吉川艦長もまたソロモンの海に逝った。
⚓ NECOKOUCAN OFFICIAL SHOP

白露型駆逐艦・帝国海軍シリーズのTシャツ・ミリタリーグッズをT-TRINITYで販売中。

「鉄底海峡の32分——抜群の功績をその身に纏え。」

SHOP を見る →
■ 参考文献・資料
・Wikipedia「夕立 (白露型駆逐艦)」「第三次ソロモン海戦」
・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(1)〜(3)』朝雲新聞社
・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
・チェスター・ニミッツ著『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社
・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
・正田真五「第二駆逐隊「夕立」悲しき退艦命令」(操舵員による手記)
・『艦長たちの軍艦史』光人社

⚠️ 関連記事リンクの「【URLを後で設定】」は公開後に実際のURLへ差し替えてください。

— OFFICIAL STORE —
FIELD TO STREET // 着る、戦術。
NECOKOUCAN SHOP
ミリタリーグッズ・オリジナルTシャツ・全アイテムはこちら
T-TRINITY| PREMIUM TEE| ¥4,400〜
ENTER SHOP →
ttrinity.jp
NECOKOUCAN — EST. 2023 — FUKUOKA