日本海軍白露型駆逐艦「夕立」——日本初の4連装魚雷発射管と九三式酸素魚雷を武器に、 開戦から鉄底海峡まで最前線を駆け続けた水雷戦隊の牙。 第三次ソロモン海戦での単艦突入32分間は、帝国海軍戦闘詳報に個別項目が設けられた 異例の「抜群ノ功績」として刻まれた。全諸元・全戦歴の完全収録。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 艦名 | 夕立(ゆうだち) |
| 艦型 | 白露型駆逐艦 4番艦 |
| 建造所 | 佐世保海軍工廠 |
| 起工 | 1934年(昭和9年)10月16日 |
| 進水 | 1936年(昭和11年)6月21日 |
| 就役 | 1937年(昭和12年)1月7日 |
| 初代艤装員長 | 中原義一郎 少佐(1936年7月15日任命) |
| 最終艦長 | 吉川潔 中佐(1942年5月25日着任〜12月1日) |
| 全長 | 111.0 メートル |
| 全幅 | 9.9 メートル |
| 吃水 | 3.5 m(平均) |
| 基準排水量 | 1,685 トン |
| 機関 | 艦本式オール・ギアードタービン 2基2軸 |
| ボイラー | ロ号艦本式重油専焼水管缶 3基 |
| 出力 | 42,000 馬力 |
| 速力 | 最大 34.0 ノット |
| 航続距離 | 18ノットで4,000海里(約7,400km) |
| 主砲(竣工時) | 50口径12.7cm B型改二平射砲 連装2基・単装1基(計5門) |
| 魚雷発射管 | 61cm 4連装魚雷発射管 2基8門(★日本初・次発装填装置付) |
| 搭載魚雷 | 九三式1型改二酸素魚雷 14本(発射管内8本+次発6本) |
| 対空機銃(竣工時) | 13mm連装機銃 2基 |
| 爆雷 | 九四式爆雷投射機 2基・九五式爆雷 16個 |
| 乗員 | 226名 |
| 所属駆逐隊 | 第2駆逐隊(村雨・夕立・春雨・五月雨) |
| 所属戦隊 | 第四水雷戦隊(第二艦隊) |
| 公式評価 | 帝国海軍戦闘詳報——駆逐艦として異例の個別項目が設けられ「抜群ノ功績」と記録 |
| 戦没 | 1942年11月13日、鉄底海峡——米重巡「ポートランド」の砲撃により沈没 |
「夕立」は1937年(昭和12年)1月7日の竣工から1942年(昭和17年)11月13日の戦没まで、支那事変・太平洋戦争を通じて最前線で戦い続けた。帝国海軍が「抜群ノ功績」と記録した駆逐艦の全軌跡を時系列でたどる。
- 1937年1月7日:佐世保海軍工廠で竣工。横須賀鎮守府籍。白露型3番艦「村雨」と同日に竣工し、両艦で第2駆逐隊が編制される。初代司令は田中頼三大佐。田中大佐は第2駆逐隊司令駆逐艦を「夕立」に指定した。
- その後「春雨」「五月雨」が加わり、第2駆逐隊の定数4隻(村雨・夕立・春雨・五月雨)が揃う。
- 1937年8月10日:大山事件を受け、第一水雷戦隊(夕立含む第2駆逐隊等)が上海方面へ出撃。翌日到着し第三艦隊と合流。
- 1937年8月13日〜:第二次上海事変。川内・第2駆逐隊等が艦砲射撃で陸戦隊の戦闘を支援。
- 1937年8月22〜25日:川沙口上陸作戦。歩兵第22連隊を乗艦させ揚陸を実施。
- 1937年11月:杭州湾上陸作戦(H作戦)に参加。この時期、フランス極東艦隊「プリモゲ」から「夕立」の姿が撮影されている。
- 1937年12月〜1938年:長江遡上作戦・M作戦(長江河岸掃蕩)に第2駆逐隊として参加。
- 1940年10月11日:紀元二千六百年特別観艦式に参加。第二列に配置。
開戦時の所属:第二艦隊 第四水雷戦隊(司令官:西村祥治少将)第2駆逐隊
- 1941年12月10〜11日:フィリピン・ビガン上陸支援。「夕立」の太平洋戦争の初陣。
- 1941年12月22日:リンガエン湾上陸作戦支援。
- 1942年1月11日〜:タラカン島攻略作戦(ボルネオ島・蘭印)に参加。
- 1942年1月26日:バリクパパン沖海戦。大破行動不能となった37号哨戒艇を曳航する任務を命じられるが、途中で曳航不能となり任務解除。
- 1942年2月27日〜3月1日:スラバヤ沖海戦。連合国ABDA艦隊との砲雷撃戦に第四水雷戦隊の一員として参加。7,500mの距離から魚雷を発射。
- 1942年3〜4月:フィリピン掃討(パナイ島・セブ島攻略支援)。マニラ湾封鎖作戦に参加。
- 1942年5月25日:吉川潔中佐が夕立艦長に着任。
- 1942年6月4〜5日:ミッドウェー海戦。第二艦隊(攻略部隊)護衛として参加。主力空母4隻が沈む大敗北ののち撤退。
- 1942年8月30日〜:ガダルカナル島増援輸送(鼠輸送)開始。
- 1942年8月30日:磯風の発電機故障により一木支隊130名が夕立に移乗。夕立は単艦で午前10時に出撃し22時30分にタイボ岬で揚陸成功。
- 1942年9月4〜5日:夕立・初雪・叢雲、ガ島タイボ岬への揚陸任務を完遂。その後吉川艦長指揮のもとルンガ泊地に突入。米輸送駆逐艦「グレゴリー」「リトル」を相次いで撃沈。
- 1942年10月26日:南太平洋海戦。機動部隊前衛直衛として参加。
- 1942年11月11日:ショートランド泊地を出撃。戦艦「比叡」「霧島」中核の挺身攻撃隊と合流(12日13時30分)。
11月12日夕刻、激しいスコールで艦隊の隊列が乱れる。「夕立」「春雨」は前路掃蕩部隊として先行。
- 11月13日 0時24分頃:「夕立」「春雨」がわずか2,700mの至近距離で米駆逐艦「カッシング」と遭遇。「カッシング」が急旋回したことで米艦隊第67任務部隊第4群の隊列が崩壊。日米両軍が入り乱れる大混戦が始まった。
- 0時26分頃:「春雨」を見失い、単艦で敵艦隊中央に突入した「夕立」は、右舷・左舷両方の敵艦へ魚雷を発射し、手当たり次第に猛烈な12.7cm砲撃を開始。米重巡「ポートランド」に魚雷が命中し、右舷艦首に大穴を開け舵を損傷させた。
- 乱戦の極:「夕立」の乱入により米艦隊が崩壊。米司令官キャラハン少将は「射撃中止」命令を艦隊全体に誤送信。米艦「アトランタ」「サンフランシスコ」が味方からの誤射を受ける。ニミッツ司令長官が後に著書で「海戦史上その類例を見ないもの」と評した大混乱に陥った。
- 0時26分以降:集中砲火を浴びながら砲撃を継続。機関室が破壊されて航行不能——しかし沈まない。
- 32分後:航行不能・操舵不能。乗員はハンモックをマストに掲げて帆走を試みた。「五月雨」が接近して生存者を救助。吉川艦長は五月雨艦長に「まことにすまないが、もう一度引き返して夕立を処分してくれないか」と頼んだが、「五月雨」の魚雷でも夕立を沈めることができなかった。
- 翌11月13日 午後:舵を損傷した米重巡「ポートランド」が漂流する「夕立」を発見し砲撃。その砲弾による爆発で「夕立」はついに沈没。鉄底海峡の底へ。
- 生存者:艦長准士官以上13名・下士官兵192名が「五月雨」に移乗して生還。15時にショートランド泊地に到着。
- 吉川艦長の錯乱と冷静:救助直後、夕立が米軍に鹵獲されたと思い込んで錯乱した吉川艦長は「自決する」と暴れた。しかし夕立撃沈の報を聞いて大喜びし、翌夜の第二夜戦では打って変わって完全に冷静だった。
- 12月1日:吉川艦長が夕立駆逐艦長の職務を解かれる(のち夕雲型「大波」初代艦長へ)。
- 12月15日:重巡「衣笠」、駆逐艦「暁」「綾波」と共に夕立の除籍決定。帝国駆逐艦籍・第2駆逐隊・白露型駆逐艦の各籍から削除。
- 帝国海軍戦闘詳報において、「夕立」の奮戦には個別項目が設けられるという、駆逐艦としては異例の高評価が与えられた。「夕立ハ緒戦ニ於テ大胆沈着、能ク大敵ノ側背ニ肉薄強襲シ……其ノ功績ハ抜群ナルモノト認ム」
1992年(平成4年)夏、海洋考古学者ロバート・バラードがアイアンボトム・サウンドの海底探査を実施。サヴォ島付近の海底で「夕立」を発見。
- 「夕立」は海底に対し水平に着底。艦後部はひどく破損。艦首先端はちぎれかけて横倒しとなっているが、艦橋の伝声管などの諸設備は残っている。
- 「夕立」は今もなお、自分が散った鉄底海峡の底で静かに眠っている。
「夕立ハ緒戦ニ於テ大胆沈着、能ク大敵ノ側背ニ肉薄強襲シ
夜戦部隊ノ真面目ヲ発揮シテ大ナル戦果ヲ収ムルト共ニ……
其ノ功績ハ抜群ナルモノト認ム」
「夕立」は白露型駆逐艦の4番艦として、支那事変から太平洋戦争まで最前線で戦い続けた。日本初の4連装魚雷発射管・九三式酸素魚雷を武器に、開戦から鼠輸送・ルンガ奇襲・そして第三次ソロモン海戦の単艦突入まで——起工からわずか8年で鉄底海峡に散った。艦名は後に海上自衛隊のむらさめ型護衛艦(初代)2番艦「ゆうだち」(1958年就役、3代目)として継承された。
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・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
・チェスター・ニミッツ著『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社
・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
・正田真五「第二駆逐隊「夕立」悲しき退艦命令」(操舵員による手記)
・『艦長たちの軍艦史』光人社
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