1943年(昭和18年)4月9日——セレベス海、南緯5度31分、東経123度09分。 ボストン島沖を航行する5隻編成の輸送船団の護衛艦として、「磯波」は輸送船「ペナン丸」(5,214総トン)を守っていた。 午前、海中から放たれた魚雷3本が「ペナン丸」を撃沈した。多数の陸軍兵士が海上に投げ出された——「磯波」は即座に停止し、救助作業に入った。
駆逐艦「磯波(いそなみ)」は、特型(吹雪型)の9番艦である。世界を震撼させた特型Ⅰ型グループの最終艦として1928年(昭和3年)6月30日に浦賀船渠で竣工し、第19駆逐隊(磯波・浦波・敷波・綾波)に編入された。 緒戦のマレー作戦・蘭印攻略・ミッドウェー・ガダルカナルとひたすら「護る」任務を担い続けた艦が、最後に挑んだのも溺れゆく友軍兵士の救助だった。 しかし、攻撃した米潜水艦「トートグ(USS Tautog SS-199)」はまだ現場を離れていなかった。
同じ第19駆逐隊の僚艦「綾波」が第三次ソロモン海戦で単艦突入という伝説的な最期を遂げた半年後——「磯波」は砲雷撃戦ではなく、海上に広がる味方の命を救おうとした無防備な瞬間に魚雷3本を受けた。 地味だが絶対に必要な「護りの任務」を最後まで全うしようとしたその献身が、命取りとなった。 特型駆逐艦9番艦・磯波の全記録を、今ここに語り起こす。
吹雪型(特型)のうち、1番艦「吹雪」から9番艦「磯波」までが特型Ⅰ型グループとされる。「磯波」はその最終艦——いわばⅠ型の集大成として浦賀船渠で建造され、1926年(大正15年)10月18日起工、1928年(昭和3年)6月30日に竣工した。 竣工後は「浦波」「敷波」「綾波」とともに第19駆逐隊を編成した。 注目すべきは同隊の構成だ。磯波はⅠ型だが、綾波・敷波はⅡ型(綾波型)、浦波は過渡期型という混成編制である。Ⅱ型の僚艦たちが対空射撃で優れたB型改一砲(仰角75°)を持つのに対し、「磯波」はA型砲(仰角40°)のまま——この技術差が、後の南方での対空戦闘においてわずかながら不利として働くことになる。
| 比較項目 | 磯波(特型Ⅰ型) | 綾波・敷波(特型Ⅱ型) |
|---|---|---|
| 主砲型式 | A型連装砲(仰角40°) | B型改一(仰角75°) |
| 対空能力 | 限定的 | 向上(高角砲対応) |
| 魚雷・速力 | 61cm三連装9門・38kt(同仕様) | 同仕様 |
| 竣工年 | 1928年6月(Ⅰ型最終) | 1930年前後(Ⅱ型) |
緒戦からガダルカナルまで、第19駆逐隊は帝国海軍南方作戦の最前線を走り続けた。しかしその存在感において、「綾波」の第三次ソロモン海戦の大戦果が圧倒的に知られるのに対し、「磯波」の名は歴史に埋もれがちである。それは「磯波」が華々しい砲雷撃戦よりも、護衛・哨戒・輸送という地味だが不可欠な任務に徹し続けたからだ。
太平洋戦争が始まった1941年12月8日、「磯波」は第三水雷戦隊の一艦としてマレー半島コタバル上陸作戦の護衛を担った。 翌12月19日には、「浦波」「綾波」「夕霧」と協同でオランダ海軍潜水艦O-20を撃沈。海中に投げ出された敵乗員の救助も行っている。
1942年2〜3月の蘭印作戦では、僚艦「綾波」「敷波」が重巡「ヒューストン」・軽巡「パース」撃沈という大戦果を挙げたバタビア沖海戦の最中、「磯波」は輸送船団の直接護衛を命じられていた。派手な砲雷撃戦に加わることなく、輸送船を守り抜くという重責を黙々と全うした。 これが「磯波」という艦の本質を象徴していた——同じ危険な海域にいながら、常に「攻める」ではなく「護る」側に回り続けた。
ミッドウェー海戦では山本長官直率主力部隊の護衛として後方に位置し、機動部隊壊滅という最悪の結末を見届けながら撤退艦隊を護衛した。 そして1942年11月の第三次ソロモン海戦——駆逐艦1隻で敵6隻に突入し伝説的な戦果を挙げた「綾波」の喪失を、「磯波」は見送ることとなった。第19駆逐隊は大きく損耗した。
1942年後半から1943年にかけて、南方海域は米潜水艦の活動が急増した。特に蘭印〜ラバウルを結ぶ航路は極めて危険な海域となっており、対潜装備が十分でない特型駆逐艦が護衛艦として投入され続けた。「磯波」が従事した船団護衛任務は戦史に個別の記録として残りにくいが、帝国陸軍の南方補給線を維持するために絶対に必要な任務だった。
1943年4月9日、「磯波」は5隻からなる輸送船団の護衛としてセレベス海のボストン島沖を航行していた。 その海中では、フレマントル基地を拠点に東インド海域を哨戒していた米潜水艦「トートグ(USS Tautog SS-199、艦長:W・B・ジーグラフ中佐)」が、この船団を補足していた。「トートグ」は同年2月24日に出港した哨戒行動の中ですでにマカッサル海峡周辺で数隻を撃沈しており、この日も静かに獲物を狙っていた。
「トートグ」はまず護送船団に向けて3本の魚雷を発射——いずれも輸送船「ペナン丸」(5,214総トン)に命中し、同船は沈没した。 多数の陸軍兵士が海中に投げ出された。 「磯波」は直ちに対潜哨戒を試みながらも、漂流する友軍兵士を救うために低速または停止状態で救助作業に入った。
しかし「トートグ」はまだ去っていなかった。 救助作業のため動きを大幅に制限された「磯波」——その無防備な艦影を潜望鏡越しに捉えたジーグラフ中佐は、さらに魚雷を発射した。米軍記録によれば魚雷6本を発射し、3本が「磯波」に命中(残り3本は外れ)した。 3本の魚雷が相次いで命中した「磯波」は致命的な損傷を受け、救助作業中の乗員・救助した兵士たちと共にセレベス海に沈んだ。
沈没座標:南緯5°31′ 東経123°09′
「磯波」が停止・低速状態になったのは、護衛艦として「ペナン丸」の乗員・陸兵を救助するという人道的行動に徹したからだ。しかし潜水艦戦においてその無防備状態は、攻撃側にとって絶好の標的となる。「磯波」の最期は戦場における人道的行動の代償を体現している。同日の米軍記録(uboat.net・USS Tautog Wikipedia)には「Penang Maruを撃沈後、その乗員救助中のIsonamiを3本の魚雷で撃沈した」と明確に記されている。
「磯波」を沈めた USS Tautog(SS-199)は、タンバー級潜水艦の2番艦として1940年に就役した米海軍の潜水艦だ。 真珠湾攻撃の際には真珠湾の潜水艦基地にいて甲板砲で応戦し、日本軍雷撃機の撃墜に一部貢献したという逸話を持つ。 その後の哨戒行動でロ号第30潜水艦・伊28を撃沈するなど目覚ましい実績を積み上げた「トートグ」は、太平洋戦争を通じて日本艦船26隻・72,606トンを撃沈——撃沈艦数で米潜水艦中第2位、「The Terrible T(恐怖のT)」と呼ばれた最強潜水艦の一隻だった。
「磯波」が沈んだ1943年4月9日は「トートグ」の第6次哨戒行動(1943年2月24日〜4月19日)の後半にあたる。「磯波」との交戦の前には3月17日に座礁した日本軍タンカーを魚雷1本で仕留めており、この哨戒行動で「磯波」と「ペナン丸」の撃沈を達成してフレマントルへ帰港した。
「磯波」の本質は、帝国海軍が「護衛任務」にどれだけ苦しんだかを体現した艦にある。同じ第19駆逐隊の「綾波」が単艦突入という伝説を作ったのとは対照的に、「磯波」はその生涯を通じて輸送船護衛・対潜哨戒・陣地護衛という地味で消耗する任務に徹した。歴史に個別の戦果として記録されることは少ないが、それなしには南方作戦そのものが成立しなかった。
しかし、「護る」という行為が命取りになりうるという戦場の残酷さを「磯波」の最期は示している。友軍兵士を救おうとして艦を止めた瞬間、「磯波」はすでに「The Terrible T」の照準に入っていた。人道的な選択と軍事的な生存本能が相克するこの状況——どちらが正しかったとも断言できない。ただ、「磯波」の乗員が救助作業を続けようとしたという事実は、残る。
特型Ⅰ型グループの最終艦として、同期の艦たちが次々と消えていく中を最後まで走り続け、最期も友軍の命を救おうとした姿——それは地味かもしれない。しかし帝国海軍が戦った南方の海において、「磯波」のような艦が存在し続けたことで、多くの輸送船と兵士たちが目的地に辿り着けた。その事実を猫工艦は忘れたくない。
⚓ 猫工艦ミリタリーグッズはこちら
特型駆逐艦・帝国海軍シリーズのTシャツ・ミリタリーグッズをT-TRINITYで販売中。
「地味だが絶対に必要な護りの任務——磯波は最後まで友軍を守ろうとした」
SHOP を見る →▼ 関連記事
■ 参考文献・資料
- ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第83巻 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収まで』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報各号
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年(ISBN 4-7698-1246-9)
- ・海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年
- ・Wikipedia「磯波(吹雪型駆逐艦)」「USS Tautog (SS-199)」
- ・uboat.net「Tautog (SS-199)」戦歴記録(南緯5°31′ 東経123°09′沈没座標含む)
- ・Naval History and Heritage Command「Tautog (SS-199)」
- ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
- ・雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年
⚠️ 関連記事リンクの「【URLを後で設定】」は公開後に実際のURLへ差し替えてください。