1941年12月10日午後、マレー半島東方の南シナ海。「不沈艦」と呼ばれたイギリス海軍の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が、海面すれすれを飛ぶ双発機から放たれた魚雷を受け、傾き始めた。この瞬間、「航行中の戦艦は航空機では沈められない」という第一次世界大戦以来の常識が覆された。北海道・北朝鮮・鹿児島——極端に出自の違う三つの航空隊が、赤道直下のサイゴンで密かに集結していた。
海軍と陸軍——二つの航空戦力の役割分担
マレー作戦における航空戦力は、まったく異なる任務を持つ二つの部隊で構成されていた。
基地:仏印サイゴン近郊
兵器:陸上攻撃機(陸攻)
成果:戦艦2隻撃沈(世界初)
基地:仏印→タイ→マレー前進
兵器:一式戦「隼」・爆撃機
成果:RAF壊滅・完全制空権確保
海軍・第22航空戦隊——北海道・朝鮮・鹿児島からサイゴンへ
マレー沖海戦で英艦隊を撃滅した第22航空戦隊は、三つの海軍航空隊で構成されていた。その出身地の組み合わせが、この作戦準備の秘密性を物語っている。
ツドゥム基地(サイゴン近郊)/ソクチャン基地(メコンデルタ方面)
司令官:松永貞市 少将(第22航空戦隊司令官)
① 元山海軍航空隊——朝鮮半島から来た歴戦の雷撃隊
| 編成地 | 朝鮮半島・元山(現在の北朝鮮) |
| 指揮官 | 前田孝成 大佐 |
| 装備機種 | 九六式陸上攻撃機 |
| 戦力 | 26機(雷撃機)+爆撃機・索敵機 |
| 特記事項 | 日中戦争から活躍する歴戦部隊。プリンス・オブ・ウェールズへの最初の魚雷命中(左舷後部・スクリュー付近)を奪い致命傷を与えた |
② 美幌海軍航空隊——北海道から赤道直下へ
| 編成地 | 北海道・網走郡美幌町 |
| 指揮官 | 近藤勝治 大佐 |
| 装備機種 | 九六式陸上攻撃機 |
| 戦力 | 33機(爆撃機・雷撃機) |
| 特記事項 | 北方防備のために創設された部隊が南方作戦のため急遽ベトナムへ進出。高高度水平爆撃とレパルスへの雷撃を担当 |
③ 鹿屋海軍航空隊——鹿児島の最新鋭機がトドメを刺す
| 編成地 | 鹿児島県・鹿屋(現・海上自衛隊鹿屋航空基地) |
| 指揮官 | 大橋富士郎 大佐 |
| 装備機種 | 一式陸上攻撃機(当時最新鋭) |
| 戦力 | 26機(雷撃機) |
| 特記事項 | 本来は第21航空戦隊(台湾)所属だが威力を買われ作戦直前にサイゴンへ派遣。航続距離と速度に優れる一式陸攻で両艦にトドメの猛烈な雷撃を浴びせた |
主力兵器——九一式航空魚雷と一式陸攻
| 兵器 | スペック | 特徴 |
|---|---|---|
| 九一式航空魚雷 | 重量:約800kg | 浅海でも海底に突き刺さらない木製安定尾翼を採用。低高度・低速投下で高精度を実現 |
| 航空爆弾 | 500kg徹甲弾・250kg爆弾 | 水平爆撃用・装甲貫通を目的とした徹甲弾 |
| 一式陸上攻撃機 | 最大速度:430km/h 航続距離:6,000km超 | 当時世界最高水準の航続距離。サイゴンから英艦隊まで往復可能。鹿屋空の主力機 |
マレー沖海戦——85機が「常識」を覆した12月10日
12月9日午後3時15分。潜水艦「伊65」が英艦隊(プリンス・オブ・ウェールズ・レパルス)を発見し第一報を打電。この情報がサイゴンの第22航空戦隊に届いた。
航行中の戦艦を航空機だけで撃沈——これは世界初だった。チャーチル英首相は議会でこう報告した:「イギリス海軍始まって以来の悲しむべき事件が起こった」。「戦艦の時代」の終焉を告げた瞬間でもあった。
陸軍・第3飛行集団——「隼」がマレー上空を制した
海軍が英艦隊を撃滅する一方、陸軍の第3飛行集団(菅原道大中将)は約350〜400機でマレー半島上空の制空権を握った。
飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)——マレーの空の主役
| 編成地 | 広東(のちに満州などで訓練) |
| 指揮官 | 加藤建夫 少佐(のちに中佐) |
| 装備機種 | 一式戦闘機「隼(はやぶさ)」 |
| 成果 | 英軍F2Aバッファロー戦闘機を次々撃墜・完全制空権確保。長大な航続距離で遠方前線まで爆撃機を護衛 |
爆撃機部隊——開戦劈頭に英軍飛行場を壊滅
九九式双発軽爆撃機・九七式重爆撃機が、アロルスター・クアンタンなどのイギリス軍飛行場を開戦直後に猛爆撃。地上で多数の敵機を破壊し、RAFの反撃能力を早期に奪った。その後、陸軍の進撃に伴い占領したばかりの敵飛行場へ次々と前進配備——進撃する地上部隊と航空部隊が車輪の両輪のように機能した。
出自の多様性——この集結が語ること
海軍だけを見ても、北海道(美幌)・朝鮮半島(元山)・鹿児島(鹿屋)という極端に気候も文化も異なる三つの基地から、精鋭の飛行機乗りたちが赤道直下のサイゴンへ密かに集結させられていた。
猫工艦の考察:空が変えた戦争の常識
マレー沖海戦が示したものは単なる「戦艦2隻の喪失」ではなかった。「航行中の戦艦は航空機では沈められない」という第一次世界大戦以来の常識の崩壊——これは全世界の海軍戦略を根底から覆した。
興味深いのは、この歴史的快挙を成し遂げたのが航空母艦の艦載機ではなく、陸上基地から発進した陸攻部隊だったことだ。北海道の雪原で訓練した搭乗員が、鹿児島の青空で腕を磨いた搭乗員と肩を並べ、赤道直下のサイゴンから出撃した——この人的集結もまた、「郷土部隊」という視点から見れば、日本全国を動員した総力戦の姿だった。
そして制空権を握った「隼」の活躍なくして、山下奉文の地上電撃戦も成立しなかった。海軍と陸軍、艦艇と航空機、海上と陸上——すべての要素が噛み合った時、70日でシンガポールは陥落した。
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参考:防衛省防衛研究所戦史叢書「マレー作戦」「マレー沖海戦」、JACAR(アジア歴史資料センター)、Wikipedia「第22航空戦隊」「元山海軍航空隊」「美幌海軍航空隊」「鹿屋海軍航空隊」「飛行第64戦隊」ほか