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基本諸元(特Ⅲ型・吹雪型駆逐艦)
日本海軍特Ⅲ型駆逐艦「響」:不沈艦の栄光と戦歴
日本海軍の特型駆逐艦(吹雪型)の一隻である「響(ひびき)」は、特Ⅲ型(暁型)の2番艦として知られ、太平洋戦争での驚異的な生存力から「不沈艦」「不死鳥」と称された名艦です。このブログ記事では、提供された情報(主に Wikipedia: 響 (吹雪型駆逐艦))を基に、「響」の諸元・性能・戦歴を時系列で詳しく解説します。
項目 | 内容 |
---|---|
艦名 | 響(ひびき) |
艦型 | 吹雪型駆逐艦(特型・特Ⅲ型) |
建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
起工 | 1930年2月21日 |
進水 | 1932年6月16日 |
就役 | 1933年3月31日 |
全長 | 約118.5メートル |
全幅 | 約10.4メートル |
基準排水量 | 約1,750トン |
機関 | 蒸気タービン2基、3軸推進 |
出力 | 50,000馬力 |
速力 | 35ノット以上 |
兵装(建造時) | ・12.7cm連装砲3基B型改2 or 3(6門) ・61cm魚雷発射管3基(9門) ・爆雷投射機等 |
特徴 | 高速・重武装の革新的設計、特Ⅲ型は艦橋形状などに改良あり |
諸元と性能
「響」は、吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)の22番艦であり、特Ⅲ型(暁型)の2番艦として建造されました。以下は主要な諸元と性能です:
- 建造:
- 起工:1930年2月21日(舞鶴工作部)
- 進水:1932年6月16日
- 竣工:1933年3月31日
- 排水量:
- 基準:1,980トン
- 公試:2,050トン
- 全長:118.5m
- 全幅:10.4m
- 吃水:3.2m
- 機関:
- カンペン式重油専焼水管ボイラー4基
- 艦本式ギアードタービン2基、2軸
- 出力:50,000馬力
- 速力:最大38ノット(約70.4km/h)
- 航続距離:5,000海里(14ノット時)
- 兵装(竣工時):
- 50口径12.7cm連装砲3基6門
- 13mm連装機銃2基
- 61cm3連装魚雷発射管3基9門
- 爆雷18個
- 乗員:約250名
「響」は、吹雪型駆逐艦の特徴である高性能な機関と強力な武装を備え、当時の世界の駆逐艦の中でもトップクラスの性能を持っていました。特に、特Ⅲ型(暁型)は、吹雪型の改良型として、砲塔の仰角を75度に向上させ、対空射撃能力を強化した点が特徴です。
戦歴:時系列での活躍
「響」は1933年の竣工から1945年の終戦まで、数々の戦場で活躍し、3度の甚大な損傷を受けながらも沈没せず、終戦まで生き残りました。以下に、その戦歴を時系列でまとめます。
1933年:竣工と第六駆逐隊編成
- 1933年3月31日:舞鶴工作部で竣工し、横須賀鎮守府籍の第六駆逐隊に編入。姉妹艦「暁」「雷」「電」と共に活動を開始。
- 1934年6月29日:第二水雷戦隊の演習中、済州島南方にて「電」と「深雪」(第11駆逐隊)が衝突。「深雪」が沈没する事故が発生。「響」はこの事故に直接関与しなかったが、第六駆逐隊の訓練環境に影響を与えた。
1939年:外交任務
- 1939年4月17日:ワシントンで客死した前駐米大使・斎藤博の遺骨を運ぶ米重巡洋艦「アストリア」を、「暁」「狭霧」と共に先導。横浜港での引渡し式に参加し、外交任務を遂行。
1941年:太平洋戦争開戦
- 1941年11月29日:第六駆逐隊第1小隊(「暁」「響」)が柱島泊地を出撃。馬公、三亜を経て12月11日にカムラン湾に入港。開戦前日の12月7日夕方、乗員が中国人で占められた英国船を拿捕し、カムラン湾に後送。
- 12月:フィリピン攻略作戦のリンガエン湾上陸作戦を支援。第六駆逐隊第2小隊(「雷」「電」)は香港攻略戦に参加したため、この時期は別行動。
1942年:南方作戦とアリューシャン作戦
- 1942年1月12日~2月2日:パラオ、ダバオ、マナド、ケンダリ方面で行動。2月5日にダバオを出港し、9日にカムラン湾に到着後、蘭印作戦に備える。
- 2月~3月:ジャワ作戦の船団護衛、バタビヤ沖海戦、フィリピン方面の哨戒任務に従事。3月19日にスービック湾を出発し、志布志湾経由で4月3日に横須賀に帰投。4月6日~11日は浦賀船渠で整備。
- 5月20日:北方部隊に編入され、アリューシャン方面へ。「暁」「響」は戦艦「武蔵」を護衛し、長崎から呉へ移動。
- 6月12日:キスカ島で米海軍のPBYカタリナ飛行艇の攻撃を受け損傷。月末に大湊へ帰投し、横須賀で10月まで修理。
- 11月~1943年4月:軽空母「大鷹」「雲鷹」の護衛として、横須賀とトラック間を複数往復。1943年1月の修理で艦橋前に13mm連装機銃を追加装備。
1943年:北方作戦とキスカ島撤退
- 5月12日:アッツ島の戦い開始に伴い、北方部隊に編入。千島方面の対潜掃蕩に従事。
- 6月29日~7月5日:電波探知機(逆探)と大発動艇搭載装置を装備。
- 7月7日:キスカ島撤退作戦(第1次)に参加するが、霧が晴れたため中止。7月18日に幌筵島に帰投。
- 7月22日~29日:第2次キスカ島撤退作戦に参加。燃料ドラム缶約100本を搭載し、偽装煙突を設置するなど突貫工事を施す。作戦は成功し、418名の兵士を収容して幌筵島に帰投。この作戦は「奇跡の撤退」と称された。
1944年:護衛任務と触雷事故
- 1944年:トラックやラバウルへの船団護衛、石油タンカー護衛任務に従事。12月21日には、魚雷攻撃を受けたタンカー「照川丸」の生存者を救助。
- 1944年4月:呉海軍工廠で修理。二番砲塔を撤去し、25mm連装機銃2基と単装機銃2基を増備。対空火力を強化。
- 1945年1月25日:第七駆逐隊に編入(「霞」「潮」「響」)。しかし、本土周辺での警備任務に留まる。
- 1945年4月6日:周防灘で触雷し、艦体に大きなゆがみと重油タンクの破損を負う。航行不能となり、僚艦「朝霜」に護衛され呉に帰投。この事故により、坊ノ岬沖海戦(菊水作戦)への参加を免れ、生存につながった。修理は呉海軍工廠の福井静夫が指揮。
1945年:終戦とその後
- 5月5日:第七駆逐隊解隊。「響」は警備駆逐艦に指定され、第一海上護衛艦隊第一〇五戦隊に編入。
- 5月16日~7月1日:呉から舞鶴、七尾湾を経て新潟港へ回航。防空砲台として使用され、機雷掃海訓練や疎開作業にも従事。
- 8月15日:終戦当日、米軍機との戦闘で25mm機銃を発射。終戦後、除籍され特別輸送艦(復員艦)として使用。
- 1947年4月5日:ソ連に賠償艦として引き渡され、ソ連海軍で「ヴェールヌイ(忠実)」と改名。武装をソ連製に換装(130mm砲6門、25mm砲7門、12.7mm機銃4~6挺、533mm魚雷発射管6門)。
- 1953年:除籍後、練習艦への改装計画もあったが、最終的に1970年代に標的艦として沈没。
まとめ
「響」は、日本海軍の特型駆逐艦として、技術的先進性と戦場での驚異的な生存力を体現した艦でした。竣工から終戦まで、南方から北方まで広範な戦域で活躍し、戦後はソ連海軍での第二の人生を歩んだその歴史は、まさに「不死鳥」の名にふさわしいものです。現代でも、ゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」などで愛され、進水日にはファンがその活躍を祝う投稿を行うなど、その名は語り継がれています。
今後も「響」の物語は、歴史愛好家や海軍史研究者の心を掴み続けるでしょう。
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