日本海軍 白露型駆逐艦一番艦「白露」―進化する駆逐艦の先駆け


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ロンドン海軍軍縮条約の制約下で建造された「条約型駆逐艦」の一つで初春型を改善した新型艦を世に送り出しました。その第一歩が、白露型駆逐艦の一番艦「白露」です。今回は、進化を遂げた新型駆逐艦「白露」の諸元と戦歴を中心に解説します。


白露型駆逐艦「白露」の諸元

諸元:コンパクトで高性能な船体

項目内容
艦名白露(しらつゆ)
艦型白露型駆逐艦 1番艦
起工1933年12月14日(佐世保海軍工廠)
進水1935年6月5日
就役1936年8月20日
全長約111.0 m
全幅約10.4 m
吃水約3.5 m
基準排水量約1,685 トン
満載排水量約2,077 トン
主機艦本式タービン2基2軸、50,000馬力
最大速力34ノット以上
航続距離18ノットで4,000海里
武装(竣工時)・12.7cm連装砲C型×2基(計4門)・61cm三連装魚雷発射管×2基(計6門)・機銃・爆雷装備
乗員約226名

白露は、初春型の改良版として設計され、ロンドン海軍軍縮条約の制約下で建造。復元性能の改良と軽量化が図られた白露型は、夜戦や高速輸送に最適な駆逐艦でした。

  • 基本スペック:
    • 基準排水量:1,685トン
    • 全長:107.5m
    • 全幅:10.0m
    • 吃水:3.2m
    • 速力:34ノット(約63km/h)
    • 航続距離:4,000海里(18ノット時)
    • 乗員:約230名
    • 機関:ギアードタービン2基、3缶、42,000馬力
    • 建造:佐世保工廠、1933年11月14日起工、1935年4月5日進水、1936年8月20日竣工

白露型の船体は、初春型の「トップヘビー」問題を解消し、電気溶接を活用した軽量化が特徴。ただし、第四艦隊事件(1935年)の影響で溶接範囲は見直されました。

兵装:魚雷戦のエース

白露の兵装は、魚雷と砲撃のバランスが取れた構成で、特に酸素魚雷による夜戦能力が際立ちました。

  • 主砲:
    • 12.7cm連装砲C型×2基(4門)+12.7cm単装砲×1基(計5門)
    • 射程:約18km
    • C型連装砲塔を採用し、重量軽減。単装砲は友鶴事件で改装された千鳥型水雷艇からの転用(A型改1)。
  • 魚雷:
    • 61cm四連装魚雷発射管×2基(8門)
    • 九三式酸素魚雷搭載(射程約20~40km、速力48ノット、弾頭490kg)
    • 予備魚雷8本で再装填可能。航跡の少ない酸素魚雷は夜戦での奇襲に最適。
    • 白露型は日本海軍初の四連装発射管を採用し、射線数を確保。
  • 対空兵装:
    • 13mm連装機銃×2基
    • 後期改装で25mm機銃増設予定だったが、白露の沈没により未実施。
  • その他:
    • 爆雷投射機(対潜用)
    • 機雷敷設装備

魚雷発射管には悪天候や破片対策の防楯が装備され、運用性が向上。酸素魚雷の無航跡性は、敵艦への発見リスクを劇的に下げました。


白露の戦歴 ― 南方海域を駆け抜けた短くも激しい航跡

白露は1936年の竣工後、第一艦隊・第一水雷戦隊(第27駆逐隊)に配属。太平洋戦争開戦から1944年の沈没まで、多様な任務で活躍しました。以下は主要な戦歴です。

  • 戦前の任務(1936年):
    • 竣工直後、昭和天皇の北海道行幸で戦艦「比叡」の供奉艦として「時雨」と共に行動(9月24日~10月12日)。
    • 10月29日、特別大演習観艦式(神戸沖)に参加。「比叡」や「愛宕」の供奉艦を務めた。
  • 太平洋戦争開戦(1941年12月):
    • 第27駆逐隊(白露、時雨、有明、夕暮)は第一水雷戦隊(旗艦「阿武隈」)に所属。柱島泊地から連合艦隊主力(戦艦「長門」「陸奥」など)の護衛で小笠原近海へ進出。
    • 真珠湾攻撃には参加せず、内地で待機。
  • 輸送護衛任務(1942年1月~4月):
    • 1月中旬、第27駆逐隊(白露、時雨)は第九戦隊(軽巡「大井」「北上」)の指揮下で台湾方面の陸軍輸送船団を護衛。
    • 2月、空母「瑞鳳」を横須賀からダバオへ護衛。
    • 4月、空母「祥鶴」「瑞鶴」を馬公からトラックへ護衛。
  • 珊瑚海海戦(1942年5月):
    • 第27駆逐隊は空母機動部隊の護衛として参加。直接交戦は少なかったが、作戦支援に貢献。
  • ミッドウェー海戦(1942年6月):
    • アリューシャン方面の護衛部隊(高須四郎中将指揮)に参加。主力部隊護衛で中途まで出撃。
  • ガダルカナル島の戦い(1942年8月~11月):
    • 8月、マキン環礁への増援輸送(「時雨」と共同)。
    • 10月、「東京急行」輸送任務でガダルカナル島へ。10月24~25日、ルンガ泊地突入作戦に参加。突撃隊(第6駆逐隊「暁」「雷」と白露)は駆逐艦「ゼイン」に損傷を与え、曳船「セミノール」と哨戒艇「YP-284」を撃沈。空襲を受けたが損傷なし。
    • 11月12~13日、第三次ソロモン海戦に参加。第27駆逐隊は警戒任務で直接交戦せず。13日、損傷した戦艦「比叡」の護衛中、米軍機の機銃掃射で軽微な損傷。
  • 1943年の活動:
    • 1月~4月、戦艦「武蔵」や空母「冲鷹」の護衛任務。
    • 4月末から「竹一船団」護衛で中国からフィリピン、東南アジアへ。
  • 沈没(1944年6月):
    • 6月8日、ビアク島沖で米軍機の攻撃を受け、4名戦死、5名負傷。
    • 6月14日夜、スリガオ海峡南東90マイル(北緯09度09分 東経126度51分)で日本タンカー「清洋丸」と衝突。白露の爆雷が誘爆し、104名(艦長・松田九郎中佐含む)が戦死、艦は爆沈。

白露の魅力:史実と艦娘の二面性

白露は、魚雷戦のエースとしてガダルカナルやソロモン海戦で活躍し、護衛任務でも堅実な働きを見せました。しかし、戦争後期の消耗戦と不運な衝突事故でその生涯を終えた悲劇の艦でもあります。

白露の意義 ― 「特型」から「陽炎型」への架け橋

白露は、日本海軍の駆逐艦設計の過渡期を象徴する艦です。特型の欠点を改善しつつ、新世代艦(朝潮型・陽炎型)への技術的礎を築きました。

  • 艦橋の構造や砲塔の配置など、後の艦に受け継がれる要素多数。
  • 小型・高速・強武装という駆逐艦らしい理想像を追求。

終わりに ― 栄光と沈黙の狭間に

白露の短くも密度の濃い戦歴は、駆逐艦という艦種の激務と悲壮を如実に物語っています。艦名は後の海上自衛隊護衛艦にも受け継がれ、その名は今も海の守りとして息づいています。

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