睦月型 · 6番艦 · 第22駆逐隊
MINAZUKI 水無月
メレヨン島へ3,200名を送り届け、敵潜水艦に挑んで散った駆逐艦
浦賀船渠が建造した睦月型駆逐艦6番艦。コロンバンガラ島沖海戦の輸送成功、後に「飢餓の島」となるメレヨン島への大規模輸送を成し遂げ、1944年6月6日、タウイタウイ出撃後に敵潜水艦を攻撃に向かった末、逆に米潜水艦ハーダーの雷撃で戦没した艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
睦月型 6番艦
DISPLACEMENT
1,315 t
MAX SPEED
37.25 kt
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
61cm × 6射線
FATE
1944.6.6 ダバオ沖で戦没
| 艦名 | 水無月(みなづき) |
| 艦型・番艦 | 睦月型駆逐艦 6番艦 |
| 計画名称 | 第28号駆逐艦 |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1925年(大正14年)3月24日 |
| 進水日 | 1926年(大正15年)5月25日 |
| 竣工日 | 1927年(昭和2年)3月22日 |
| 改名 | 1928年(昭和3年)8月1日、「第28号駆逐艦」より「水無月」に改称 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)8月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 佐世保鎮守府籍 |
| 全長 | 102.72m |
| 基準排水量 | 1,315t(竣工時)/改修後1,445t |
| 出力 | 38,500馬力 |
| 速力 | 公試37.25ノット(竣工時) |
| 主砲 | 45口径三年式12cm単装砲 4門 |
| 魚雷発射管 | 一二年式61cm3連装発射管 2基(6射線)——日本駆逐艦初の61cm雷装 |
| 爆雷兵装 | 八年式爆雷投射機 |
| 初代艦長 | 古賀七三郎中佐(1927.3.22〜) |
| 最終艦長 | 磯部慶二大尉/少佐(1943.10.25〜1944.6.6戦死、海軍中佐に昇進) |
| 所属部隊 | 第22駆逐隊(皐月・文月・長月)/第五水雷戦隊→第三水雷戦隊他 |
| 特記事項 | 1944年4月、後に「飢餓の島」となるメレヨン島へ南洋第五支隊兵員3,200名以上を輸送。竣工から17年余りを生き延びた睦月型でも長寿の艦 |
| 最期 | 1944年6月6日、タウイタウイ出撃後23時45分に敵浮上潜水艦を攻撃に向かい消息を絶つ。ダバオ南東海上で米潜水艦ハーダーの雷撃を受け沈没 |
| その他 | 1934年9月、演習中に僚艦「皐月」の魚雷が誤って命中しスクリュー損傷。同年10月、駆逐艦「夕風」と衝突(いずれも死傷者なし) |
TIMELINE
HISTORY
水無月 全戦歴タイムライン
1925年3月24日 — 起工
浦賀船渠にて起工(第28号駆逐艦)
- 1923年度計画艦。1928年8月1日、「水無月」と正式に改称され睦月型駆逐艦に登録された。
1927年3月22日 — 竣工
竣工。第22駆逐隊を編成
- 初代艦長・古賀七三郎中佐が着任。「皐月」「文月」とともに第22駆逐隊を編成、後に「長月」も編入。
1934年9-10月 — 平時の事故2件
演習中の魚雷誤命中、僚艦との衝突
- 9月27日、日向灘での応用教練中、僚艦「皐月」発射の演習魚雷が迷走し艦尾に命中、スクリュー損傷。
- 10月12日夜、沖縄東方沖の演習中に駆逐艦「夕風」と衝突。両事故とも死傷者なし。
1936-1941年 — 中国沿岸・蘭印作戦
第二航空戦隊編制から太平洋戦争開戦へ
- 1936年12月、空母「加賀」と第二航空戦隊を編制し支那事変で中国大陸沿岸部を行動。
- 1941年12月開戦時は第五水雷戦隊所属。フィリピン・ジャワ島攻略戦、蘭印作戦に参加。
1942年3月 — 那珂救援
被雷大破した軽巡「那珂」の護衛に
- クリスマス島攻略作戦中、米潜水艦の雷撃で大破した「那珂」の救援に「長月」とともに向かい護衛に加わる。
1943年2-3月 — 第22駆逐隊復活、ソロモン輸送
ラバウルを拠点に輸送任務に従事
- 2月25日、「皐月」「水無月」「文月」「長月」で第22駆逐隊が復活、第三水雷戦隊所属。
- 3月7日、ニューブリテン島スルミ輸送中に座礁、「文月」の曳航で離礁。以後レカタ・フィンシュハーフェンへの輸送を重ねる。
1943年7月12-20日 — コロンバンガラ島沖海戦
輸送成功も「神通」乗員の捜索失敗、度重なる空襲
- 「皐月」「夕凪」と輸送隊を編成、警戒隊の「神通」沈没の間に揚陸を成功させる。
- 「皐月」とともに「神通」生存者を捜索するも発見できず、7時35分に断念。
- 17-20日、ブイン泊地空襲やコロンバンガラ輸送で「初雪」「清波」「夕暮」沈没。「水無月」も度々被爆・損傷。
1943年9月-11月 — セ号作戦、ブーゲンビル島の戦い
コロンバンガラ撤収から逆上陸作戦支援まで
- 9月28日、セ号作戦(コロンバンガラ撤収)に「皐月」「文月」と輸送隊として参加、成功。
- 10月25日、磯部慶二大尉が艦長に就任。11月1日、ブーゲンビル島逆上陸作戦で単艦ブカ島輸送を担当。
1943年11-12月 — ラバウル方面での輸送継続
清澄丸救援、長波曳航、輸送任務を継続
- 空襲で航行不能になった「清澄丸」の護衛救援に出動。「長波」を曳航しトラック泊地へ回航。
- 12月23日、ガロベ島輸送中に空襲で小破、トラック泊地で修理。
1944年2-3月 — 南東方面最後の駆逐艦輸送
ラバウルからの撤退、中部太平洋部隊へ
- 2月、「夕月」と共にニューブリテン島カブブ輸送を実施。これが南東太平洋方面最後の駆逐艦輸送となる。
- 3月10日、第三水雷戦隊が中部太平洋部隊に編入。
1944年4月7-12日
メレヨン島輸送、3,200名を揚陸
- 輸送船3隻を護衛しサイパン出撃。8日未明、米潜水艦シーホースの攻撃で2隻が航行不能に。
- 「水無月」が「木津川丸」をグアム島まで曳航。12日、メレヨン島に到着し南洋第五支隊3,200名以上を揚陸。
- メレヨン島は後に補給途絶により、太平洋戦争でも屈指の飢餓による悲劇の地となる。
1944年5月 — 船団護衛任務
第3503船団、米潜水艦の脅威下での護衛
- 14隻からなる大規模船団を護衛しマリアナ諸島へ。米潜水艦2隻の襲撃で輸送船複数を喪失する中、対潜攻撃を実施。
1944年6月6日
タウイタウイ出撃、敵潜水艦攻撃の末に戦没
- 「若月」とともに給油船「興川丸」を護衛しバリクパパンへ向けタウイタウイを出撃。
- 23時45分、「敵浮上潜水艦」を発見、攻撃のため単艦で向かう。以後消息を絶つ。
- ダバオ南東海上で米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受け沈没。艦長・磯部慶二少佐戦死、同日付で海軍中佐に昇進。
1944年8月10日 — 除籍
帝国駆逐艦籍より除籍
- 竣工から17年余り、太平洋戦争のほぼ全期間を輸送・護衛任務に費やした艦の艦歴が幕を閉じる。
SUMMARY
RECORD
水無月 全艦歴まとめ
水無月は1927年に浦賀船渠で竣工した睦月型駆逐艦6番艦。竣工から17年余り、中国大陸沿岸の警備、蘭印作戦、そしてソロモン諸島での輸送任務と、太平洋戦争のほぼ全期間を通じて地道な護衛・輸送任務を担い続けた。1943年7月のコロンバンガラ島沖海戦では輸送を成功させたが「神通」生存者の捜索には失敗し、1944年4月には後に「飢餓の島」となるメレヨン島へ3,200名以上の兵員を輸送した。同年6月6日、タウイタウイ出撃後に敵浮上潜水艦を攻撃に向かった末、逆に米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受け、ダバオ南東海上で戦没。艦長・磯部慶二少佐も戦死し、同日付で中佐に昇進した。
メレヨン島への輸送——水無月が届けた3,200名以上の兵員は、その後の補給途絶により、太平洋戦争でも屈指の悲劇的な結末を迎えることになる。艦の任務は成功しても、その先の運命までは変えられなかった。
狩る側から狩られる側へ——最期の瞬間、水無月は敵潜水艦に対し受け身ではなく自ら攻撃に向かった。その能動的な姿勢こそが、この艦の最後の意志だった。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第三水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報・第八艦隊戦時日誌・あ号作戦戦時日誌戦闘詳報
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26『蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』、戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』関連巻
- ・朝日新聞社編『メレヨン島 生と死の記録』朝日新聞社、1966年
- ・大浦庸生『飢餓の島メレヨンからの生還』新風書房、1993年
- ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続編』光人社NF文庫、1995年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・Wikipedia「水無月 (睦月型駆逐艦)」「睦月型駆逐艦」「コロンバンガラ島沖海戦」
- → 【諸元と全戦歴】文月——ケ号作戦からトラック島空襲での最期まで