白露型駆逐艦 6番艦 · 第2駆逐隊→第27駆逐隊 · 第四水雷戦隊
SAMIDARE 五月雨
降り続ける雨——救助と輸送、二つの衝突と座礁の全記録
日本海軍白露型駆逐艦「五月雨」——夕立の生存者を救い、霧島の乗員を救い、 ガ島撤退・キスカ撤退を支えた「縁の下」の艦。 姉妹艦「白露」との衝突、そして座礁からの米潜水艦雷撃という 予期せぬ最期まで、全諸元・全戦歴を完全収録。
SHIP DATA
SPEC
基本諸元(白露型駆逐艦 6番艦)
SHIP CLASS
白露型 6番艦
艦隊型駆逐艦
BUILT AT
浦賀船渠
起工 1934.12.19 / 竣工 1937.1.29
DISPLACEMENT
1,685 t
基準 / 全長 111.0 m
MAX SPEED
34.0 kts
出力 42,000 hp
TORPEDOES
61cm 4連装 ×2基
九三式酸素魚雷・次発装填装置付
MAIN GUN
12.7cm砲 5門
連装2基+単装1基
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 艦名 | 五月雨(さみだれ) |
| 艦型 | 白露型駆逐艦 6番艦 |
| 建造所 | 浦賀船渠(機関部は川崎造船所製造後、海上輸送) |
| 起工 | 1934年(昭和9年)12月19日 |
| 進水 | 1935年(昭和10年)7月6日 |
| 就役 | 1937年(昭和12年)1月29日 |
| 初代艤装員長 | 有近六次 少佐 |
| 全長 | 111.0 メートル |
| 全幅 | 9.9 メートル |
| 吃水 | 3.5 m(平均) |
| 基準排水量 | 1,685 トン |
| 機関 | 艦本式オール・ギアードタービン 2基2軸 |
| ボイラー | ロ号艦本式重油専焼水管缶 3基 |
| 出力 | 42,000 馬力 |
| 速力 | 最大 34.0 ノット |
| 航続距離 | 18ノットで4,000海里 |
| 主砲(竣工時) | 50口径12.7cm砲 連装2基・単装1基(計5門) |
| 魚雷発射管 | 61cm 4連装魚雷発射管 2基8門(次発装填装置付) |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 16本(発射管内8本+次発8本) |
| 対空機銃 | 13mm連装機銃 2基(竣工時) |
| 爆雷 | 爆雷投射機 2基・爆雷 16個 |
| 乗員 | 約226名 |
| 所属(開戦時) | 第二艦隊 第四水雷戦隊 第2駆逐隊(村雨・夕立・春雨・五月雨) |
| 所属(1943年10月〜) | 第27駆逐隊(時雨・五月雨・白露 のち春雨追加) |
| 艦名継承 | 海上自衛隊むらさめ型護衛艦6番艦「さみだれ」(1999年就役)に艦名継承 |
| 戦没 | 1944年8月26日、パラオ近海ガルワングル環礁——座礁後に米潜水艦「バットフィッシュ」の雷撃で船体断裂・放棄・沈没 |
BATTLE RECORD
HISTORY
戦歴——竣工から座礁・沈没まで
「五月雨」は1937年(昭和12年)1月29日の竣工から1944年(昭和19年)8月26日の沈没まで、南方・ソロモン・北方と東奔西走した。その全軌跡を時系列でたどる。
1937年1月29日 — 竣工・第2駆逐隊編成
浦賀より産声——村雨・夕立・春雨と共に四隻が揃う
- 1937年1月29日:浦賀船渠で竣工。横須賀鎮守府籍。第2駆逐隊に編入。村雨・夕立・春雨と共に四隻の第2駆逐隊が完成。
1941年12月〜1942年3月 — 開戦・南方作戦
フィリピン・蘭印・スラバヤ——第四水雷戦隊の主力として
開戦時所属:第二艦隊 第四水雷戦隊(司令官:西村祥治少将 旗艦:那珂)第2駆逐隊
- 1941年12月〜:フィリピン・ビガン攻略作戦、リンガエン湾上陸作戦に参加。
- 1942年1月下旬:タラカン上陸作戦、バリクパパン沖海戦に参加。
- 1942年1月20日:ダラカン入泊時、西村少将より「五月雨の補給順序は哨戒艇のあと」との信号と第2駆逐隊司令の「先に補給せよ」という命令が矛盾。松原瀧三郎駆逐艦長は「命令は指揮系統の順による」として解決。
- 1942年2月27日〜3月1日:スラバヤ沖海戦に参加。その後比島保定作戦にも参加。
1942年6〜8月 — ミッドウェー・インド洋・ソロモン
通商破壊から二次ソロモンへ——広範な作戦域を駆ける
- 1942年6月:ミッドウェー海戦。第二艦隊(攻略部隊)に所属して出動。空母4隻喪失の大敗北の中、護衛任務を継続。
- 1942年7月17日:桂島泊地発。7月28日よりインド洋通商破壊作戦(B作戦)に参加。第七戦隊(熊野・鈴谷・三隈)と共に行動。
- 1942年8月:ガダルカナル島の戦い勃発に伴いトラック泊地へ移動。戦艦「陸奥」の護衛部隊として第二次ソロモン海戦に参加。
1942年9〜11月 — ガ島輸送・南太平洋海戦・第三次ソロモン海戦
鼠輸送・由良救助・夕立の生存者205名を救助
- 1942年9月中旬〜:ガダルカナル島輸送作戦(鼠輸送)に従事。制空権なき海域を深夜に突破する過酷な輸送任務を繰り返す。
- 1942年10月下旬(南太平洋海戦):ガ島突入作戦中、空襲を受け沈没した軽巡「由良」の乗員を第2駆逐隊で救助。
- 1942年11月13日(第三次ソロモン海戦 第一夜戦):姉妹艦「夕立」が単艦突入後に航行不能・大破。「五月雨」が夕立の生存者、艦長准士官以上13名・下士官兵192名の計205名を救助。吉川艦長の依頼で夕立への雷撃処分も試みるが夕立は沈まなかった。
- 1942年11月14〜15日(第三次ソロモン海戦 第二夜戦):戦艦「霧島」が沈没。「五月雨」は「朝雲」「照月」と共に霧島乗員を救助。
1943年2〜7月 — ガ島撤退・キスカ撤退
ケ号作戦・キスカ島撤退——二大撤退作戦を支えた「五月雨」
- 1943年2月上旬:ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)に「朝雲」と共に撤収部隊として参加。
- 1943年5月下旬:北方部隊に編入。
- 1943年7月:キスカ島撤退作戦に参加(第2次作戦)。霧を利用した奇跡の撤退作戦で孤立した守備隊5,183名の脱出を支援。
- 1943年7月1日:所属艦(夕立・村雨)の沈没と春雨の長期修理により第2駆逐隊が解隊。「五月雨」は第二水雷戦隊附属駆逐艦となる。
- 1943年9月〜:ラバウルに進出し、ニュージョージア島の戦いに参加。
- 1943年10月1日:第27駆逐隊(時雨・五月雨・白露)に編入。
1943年11月2日 — 【大破】ブーゲンビル島沖海戦・白露と衝突
暗夜の激闘——旗艦川内沈没・姉妹艦白露との激突
- 11月1〜2日:第27駆逐隊(時雨・五月雨・白露)+軽巡川内(第三水雷戦隊旗艦)、ブーゲンビル島沖海戦に参加。
- 夜戦中に旗艦「川内」が沈没。混乱した隊形の中で「五月雨」は姉妹艦「白露」と衝突し大破。両艦とも損傷して戦線を離脱。
- 12月中旬:「五月雨」は軽巡「夕張」と共に内地へ帰投。横須賀海軍工廠で修理(〜1944年3月10日)。
1944年3〜6月 — 松輸送・竹輸送・渾作戦・マリアナ
春雨沈没・白露爆沈——駆逐隊が消えていく中での奮戦
- 1944年3月10日:修理完成後、前線復帰。
- 1944年3〜4月:松輸送(サイパン島増援輸送作戦)に従事。4月下旬、パラオ方面輸送中に「夕張」が米潜水艦「ブルーギル」に撃沈され、「夕月」と共に夕張生存者を救助。
- 1944年5月上旬:竹輸送(豪北方面増援輸送作戦)に従事。
- 1944年6月8日(第二次渾作戦):駆逐艦6隻(敷波・浦波・春雨・五月雨・時雨・白露)でビアク島に進撃。空襲で「春雨」が沈没。続く米艦隊との夜戦で各艦は軽微な被害を受けた。
- 1944年6月15日:衝突事故で姉妹艦「白露」が爆沈。第27駆逐隊は時雨・五月雨の2隻となる。
- 1944年6月中旬:マリアナ沖海戦に時雨と共に参加。第二航空戦隊を護衛。
- 内地帰投後:戦艦「大和」等を護衛してリンガ泊地に進出。第27駆逐隊(時雨・五月雨)は第十六戦隊と共にフィリピン〜パラオ間輸送任務に従事。
1944年8月18〜26日 — 座礁・米潜水艦雷撃・沈没
ガルワングル環礁——行動不能のまま散った「五月雨」
「鬼怒」「時雨」「五月雨」の3隻でパラオ方面輸送任務中。
- 1944年8月18日:「五月雨」、パラオ近海のガルワングル環礁に座礁。行動不能となる。
- 「鬼怒」「時雨」が引き揚げを試みるが成功せず。「五月雨」は8日間、珊瑚礁に乗り上げたまま。
- 1944年8月26日:米潜水艦「バットフィッシュ」(SS-310)の魚雷攻撃を受け、「五月雨」の船体が断裂。放棄が決定され、生存者は駆逐艦「竹」に収容された。
- 1944年10月10日:帝国駆逐艦籍から除籍。白露型6番艦の艦歴が終わった。
「五月雨をあつめて早し最上川」
——松尾芭蕉『おくのほそ道』
「五月雨」艦名の由来となる長雨——降り続けた艦の7年半へ
■ 「座礁」という最期——沈まず、行動不能のまま散った艦
「五月雨」の最期は、敵の砲弾でも魚雷でもなく「座礁」から始まった。8日間、珊瑚礁に乗り上げた状態で漂い、行動不能のまま潜水艦の魚雷を受けた。夕立の生存者を救い、霧島の乗員を助け、ガ島・キスカの撤退を支えた艦が迎えた最期としては、あまりにも静かで理不尽だ。しかしそれが「五月雨」の7年半の戦争を締め括る、最後の「予期せぬ出来事」だった。
SUMMARY
LEGACY
まとめ——「五月雨」が刻んだもの
「五月雨」は白露型駆逐艦の6番艦として、竣工から7年半の間、南方からソロモン・北方アリューシャンまでを駆け続けた。夕立の生存者205名・霧島の乗員・由良の乗員を救助し、ガ島・キスカの撤退作戦を支えた。その艦歴を一言で言うならば「救助と輸送と護衛」——戦果よりも「生かす」ことに費やされた7年間だった。
艦名は海上自衛隊むらさめ型護衛艦6番艦「さみだれ(DD-106)」(1999年就役)に継承された。降り続ける五月雨のように、その名は今も海を渡っている。
■ 白露型10隻の中の「五月雨」の位置づけ
白露型10隻の中で「時雨」は幸運艦として最長の戦歴を持ち、「夕立」は32分間の突入で帝国海軍戦闘詳報に「抜群ノ功績」と記録され、「白露」はネームシップとして型を背負った。「五月雨」はその三艦と比較すれば「地味」な艦かもしれない。しかしその地味さの中に、太平洋戦争の実態がある。救助・輸送・護衛こそが戦争を動かした縁の下の力だった。
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「五月雨をあつめて早し——降り続けた艦の魂を、その身に纏え。」
SHOP を見る →■ 参考文献・資料
・Wikipedia「五月雨 (駆逐艦)」「第三次ソロモン海戦」「ブーゲンビル島沖海戦」「キスカ島撤退作戦」・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(1)〜(3)』朝雲新聞社
・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
・重本俊一ほか「写真と図で見る日本の軍艦」関連記述(2014年)
・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
・寺内正道ほか各証言(白露型乗員関連)
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