峯風型 · 6番艦 · 標的艦(特務艦)
YAKAZE 矢風
撃たれることで味方を育て、終戦まで生き延びた駆逐艦
三菱長崎造船所が建造した峯風型駆逐艦6番艦。摂津の無線操縦艦、1940年の観艦式への参加を経て、1942年に爆撃標的艦へ改造され特務艦に編入。機動部隊の訓練協力、艦首喪失、ハダックの襲撃を乗り越え、1945年9月15日に除籍された艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
峯風型 6番艦
DISPLACEMENT
1,215 t(竣工時)
MAX SPEED
39.0 kt(計画)→24 kt(標的艦化後)
ARMAMENT
12cm単装 × 4(竣工時)→全廃(1942)
ROLE
無線操縦艦→爆撃標的艦
FATE
1945.9.15 除籍・戦後解体
| 艦名 | 矢風(やかぜ) |
| 艦型・番艦 | 峯風型駆逐艦 6番艦(標的艦化後は特務艦) |
| 建造所 | 三菱長崎造船所 |
| 竣工日 | 1920年(大正9年)7月19日(進水日は資料により異なる) |
| 類別 | 一等駆逐艦→1942年7月20日 特務艦(標的艦) |
| 籍 | 横須賀鎮守府籍 |
| 全長 | 102.6m |
| 基準排水量 | 1,215t(竣工時)/公試1,345t |
| 出力 | 38,500馬力 |
| 速力 | 39.0ノット(計画)/標的艦化後 24ノット |
| 竣工時の兵装 | 12cm単装砲 4門、53.3cm連装発射管 |
| 標的艦化後の兵装 | 1942年に兵装を全廃、上部構造物を金網で覆う(1kg演習弾に耐える程度の防御)。1945年5月に25mm単装機銃2挺を搭載、同年7月18日の戦闘詳報には25mm単装2基・13mm連装1基と記載 |
| 無線操縦装置 | 1937年以降、標的艦「摂津」の無線操縦艦として使用。改造後も残され、1944年10月に撤去 |
| 初代艦長 | (心得)山田松次郎少佐(1920年6月19日〜) |
| 特務艦長(歴代の例) | 青野重郎(1942年7月〜1943年6月)→櫻庭久右衛門(1943年6月7日〜)→自見仁一(1943年12月15日〜1944年7月15日)→石森重郎→丹羽正行大尉(1945年6月15日〜) |
| 所属部隊 | 第2駆逐隊→第一航空戦隊(1931)→特務艦(連合艦隊附属、機動部隊、第十一航空艦隊などの訓練部隊) |
| 乗員 | 1945年7月1日時点で155名(准士官以上17名・下士官兵138名) |
| 特記事項 | 摂津の無線操縦艦として1940年の観艦式に参加。1942年に爆撃標的艦へ改造。1943年3月に第34号哨戒艇との衝突で艦首を喪失、同年11月のハダック襲撃では玄洋丸と衝突しつつ寶洋丸乗員を救助 |
| 最期 | 1945年7月18日の横須賀空襲で損傷、修理されたまま終戦。9月15日除籍、戦後解体 |
TIMELINE
HISTORY
矢風 全戦歴タイムライン
1920年7月19日 — 竣工
三菱長崎造船所で竣工。横須賀鎮守府に所属
- 一等駆逐艦に類別、横須賀鎮守府籍。初代艦長は(心得)山田松次郎少佐。
1931-32年 — 第一航空戦隊
第2駆逐隊が第一航空戦隊に編入、第一次上海事変に参加
- 1931年、所属の第2駆逐隊が第一航空戦隊(鳳翔・加賀)に編入。翌1932年の第一次上海事変に参加。
1937年 — 無線操縦艦に
標的艦「摂津」の無線操縦艦として用いられる
- 駆逐艦籍のまま兵装の一部を撤去。無人の摂津を遠隔操作し、爆撃訓練の的とするための任務に就く。
- 1937年11月15日〜12月1日は摂津副長・海東啓六が艦長を兼務。
1940年10月11日 — 紀元二千六百年特別観艦式
横浜沖の観艦式に摂津とともに参加
- 矢風は第一列の末尾、摂津は第二列に配置された。
1942年3-5月 — 爆撃標的艦に改造
兵装全廃、金網で上部構造物を防護
- 摂津(18ノット)だけでは標的艦が足りず、運動能力も低かったため矢風も標的艦に改装。
- 24ノットを発揮できたが、防御は1kg演習弾に耐える程度。無線操縦装置は残された。
1942年7月20日 — 特務艦に編入
標的艦に類別
- 特務艦に編入、標的艦に類別(内令第1317号)。
1942年8-10月 — 訓練協力
ルオット・トラック・タロアで雷撃・爆撃訓練
- 8月31日〜9月27日、ルオットで第四空襲部隊の雷撃訓練に協力。
- 10月2日、トラック着。機動部隊の爆撃訓練に協力。10月9日トラック発、13日タロア着、14日から23日まで第一空の爆撃訓練に協力。
1943年3月6日 — 艦首喪失
カビエン南方で第34号哨戒艇と衝突
- 船団護衛中に衝突して艦首を失う。第34号哨戒艇は船体が分断され、前部が沈没、後部が大破して曳航されトラックに入港。
- 4月12日〜5月22日、呉海軍工廠で修理し簡易型艦首とした。
1943年6月 — 櫻庭艦長着任
木造の偽砲を設置
- 6月1日、古賀峯一連合艦隊司令長官より第十一航空艦隊への編入、7月マーシャル方面・8月ラバウル方面の訓練従事を下令。
- 6月7日、櫻庭久右衛門少佐が艦長に着任。潜水艦対策として木造の偽砲を作らせ甲板に配置。
- 6月10日、呉を出港し摩耶丸・あきつ丸・凌水丸を途中まで護衛、18日ルオット着。以後サイパン・ギルバート方面で訓練。
1943年8-9月 — 機動部隊の標的
サイパン〜トラック
- 8月13日サイパン入港(五洲丸護衛)。8月31日出港、富士山丸・東亜丸・鶴見・玉波と合流し9月2日トラック着。機動部隊の訓練標的を務める。
1943年9月12日 — 翔鶴機の衝突
訓練中の事故
- 翔鶴の戦闘機1機が前檣に衝突し、搭乗員が死亡。
1943年9-10月 — 機動部隊編入、エニウェトク往復
東亜丸を護衛
- 9月20日、機動部隊に編入。10月18日トラック発、21日エニウェトク着、30日トラックに帰着。
1943年11月6日 — ハダックの襲撃
玄洋丸と衝突、寶洋丸の乗員を救助
- 10月30日、連合艦隊附属となり寶洋丸・玄洋丸のシンガポールまでの護衛を命じられ、11月5日トラック出港。
- 襲撃を受けるなか12ノットで玄洋丸の右舷後部に衝突し艦首が折れ曲がる。続いて寶洋丸が被雷、雷跡が矢風の艦底を通過。爆雷攻撃を行い、寶洋丸の乗員を収容。
- 到着した軽巡「長良」へ乗員を移し、金城丸とともに11月7日トラックへ。同地で修理。※記録上は「1月6日」とあるが、出港・帰着日から11月6日と判断。
1944年2月7日 — 内地へ
トラック発、2月27日呉着
- トラック発の船団を護衛して内地へ。10日後の2月17〜18日にトラック島空襲が起きる(矢風は不在)。
1944年 — 内地での訓練
北海道方面などで爆撃訓練
- 3月以降、北海道方面など内地で爆撃訓練に従事。10月、無線操縦装置を撤去。
1945年5月 — 機銃搭載
25mm単装機銃2挺を装備
- 5月9日〜16日の工事で25mm単装機銃2挺を搭載(戦時日誌)。
1945年7月18日 — 横須賀空襲
小海係留中に被弾の余波
- 横須賀港小海に係留中、艦載機の攻撃を受ける。隣の艦が直撃弾を受けた際の爆風・破片で損傷、すぐに修理された。
1945年9月15日 — 除籍
終戦、のち解体
- 終戦を迎え、9月15日除籍。戦後、解体された。
SUMMARY
RECORD
矢風 全艦歴まとめ
矢風は1920年に三菱長崎造船所で竣工した峯風型駆逐艦6番艦。1931年に第一航空戦隊へ編入された第2駆逐隊に属し、翌年の第一次上海事変に参加した。1937年以降は標的艦「摂津」の無線操縦艦となり、1940年の特別観艦式にも摂津とともに参加する。太平洋戦争開戦後、標的艦の不足を補うため1942年に爆撃標的艦へ改造され、7月20日に特務艦へ編入された。ルオット、トラック、タロアで雷撃・爆撃訓練に協力する一方、1943年3月には船団護衛中に第34号哨戒艇と衝突して艦首を失い、11月にはハダックの襲撃のなかで玄洋丸と衝突しながら寶洋丸の乗員を救助した。1944年2月、トラック島空襲の10日前に同地を離れて内地へ戻り、1945年7月の横須賀空襲で損傷するも修理されて終戦を迎え、9月15日に除籍された。
戦わない艦が、戦争を支えた——矢風の仕事は敵を倒すことではなく、機動部隊などの搭乗員に「当てる」経験を積ませることだった。記録に残りにくい裏方の戦いである。
武器のない護衛艦——兵装を全廃した艦が船団護衛に出され、潜水艦に対抗するため木製の偽砲を並べた。衝突、雷跡、艦首喪失——それでも矢風は沈まなかった。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)「特務艦矢風戦時日誌戦闘詳報」(C08030636400)、昭和17年7月20日付内令第1317号・第1320号(C12070164200)
- ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦〈2〉昭和十七年六月以降』朝雲新聞社
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・『日本海軍特務艦船史』/丸スペシャル『特務艦』/『世界の艦船 日本軍艦史』/『終戦時の日本海軍艦艇』
- ・『紀元二千六百年祝典記録 第六冊』
- ・「標的艦「矢風」巨弾地獄に針路をとれ」(記録)
- ・Wikipedia「矢風 (標的艦)」「摂津 (標的艦)」「峯風型駆逐艦」「トラック島空襲」