スラバヤ沖海戦1942——「我に続け!」ドールマン少将とABDA艦隊の落日

「Ik val aan, volg mij!——我、攻撃す。全艦我に続け!」1942年2月27日深夜、弾薬も燃料も尽きかけたドールマン少将は4隻の残存艦を率いて日本艦隊へ突入した。重巡「那智」「羽黒」の九三式酸素魚雷がABDA艦隊を壊滅させたH作戦の決戦を克明に記録。

1942年2月27日午後4時過ぎ、ジャワ海の水平線に敵艦隊のマストが現れた。カレル・ドールマン少将は旗艦「デ・ロイテル」の艦橋から双眼鏡を覗き、静かに命令を下した——攻撃前進。言語も戦術も異なる4カ国の寄せ集め艦隊を率いて、彼は圧倒的な日本艦隊へと向かった。その先に待つものを、おそらく知りながら。

IJN vs ABDA · JAVA SEA · 1942 スラバヤ沖海戦 Battle of the Java Sea
海戦日時
1942年2月27日
16時過ぎ〜28日未明
海戦場所
ジャワ海
スラバヤ北方沖
作戦名
H作戦(蘭印作戦)
Holland → 石油資源獲得
日本側指揮官
高木武雄 少将
第五戦隊司令官
連合軍指揮官
ドールマン 少将
ABDA打撃艦隊司令官(戦死)
結果
ABDA艦隊壊滅
日本側:損害軽微
南方作戦・蘭印作戦展開図
H作戦(蘭印作戦)の展開図。ジャワ島を目指す日本艦隊とABDA艦隊が激突した。©猫工艦

H作戦——南方作戦の本命・石油資源の獲得

E作戦(マレー)、M作戦(フィリピン)、C作戦(香港)——南方作戦の緒戦が次々と完遂されていく中、大日本帝国が最終目標として定めていたのはオランダ(Holland)の頭文字を冠したH作戦だった。

ボルネオ・スマトラ・ジャワの大油田地帯——米国の石油禁輸措置で枯渇しつつあった日本の戦争遂行能力を維持するために絶対に必要な資源がそこにあった。1942年2月、第三艦隊司令長官・高橋伊望中将率いる蘭印部隊は、今村均中将の第16軍(陸軍約4万名)を乗せた輸送船団約40隻を護衛し、ジャワ島へと向かっていた。

この輸送船団を守ることが海軍の至上命題だった
40隻の輸送船が沈めば、陸軍4万名がジャワ海に消える。H作戦の成否はこの船団を無傷でジャワ島へ届けられるかにかかっていた。

ABDA艦隊——4カ国の寄せ集め、最後の盾

これを阻もうとしたのが、アメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア4カ国による連合軍「ABDA(アブダ)司令部」が編成した打撃艦隊だった。

ABDA海軍最高司令官・コンラッド・ヘルフリッヒ大将(オランダ)のもと、現場指揮を執ったのはオランダ海軍のカレル・ドールマン少将だった。

ABDA打撃艦隊 全艦艇

国籍 艦種 艦名 備考
🇳🇱 オランダ軽巡洋艦(旗艦)デ・ロイテルドールマン少将座乗・海戦中に撃沈
🇳🇱 オランダ軽巡洋艦ジャワ海戦中に撃沈
🇺🇸 アメリカ重巡洋艦ヒューストン翌日バタビア沖海戦で撃沈
🇬🇧 イギリス重巡洋艦エクセター海戦中大破→翌々日撃沈
🇦🇺 オーストラリア軽巡洋艦パース翌日バタビア沖海戦で撃沈
🇬🇧 イギリス駆逐艦エレクトラ・エンカウンター・ジュピターエレクトラ・ジュピター撃沈
🇳🇱 オランダ駆逐艦コルテノール・ヴィッテ・デ・ヴィットコルテノール轟沈
🇺🇸 アメリカ駆逐艦ジョン・D・フォード、アルデン 他4隻魚雷撃ち尽くし撤退

日本艦隊——重巡2隻と九三式酸素魚雷

対する日本側の海戦指揮は第五戦隊司令官・高木武雄少将が執った。

日本艦隊 全艦艇

部隊 艦種 艦名 備考
第五戦隊
高木武雄少将
重巡洋艦(旗艦)那智20cm砲・九三式酸素魚雷搭載
重巡洋艦羽黒20cm砲・九三式酸素魚雷搭載
第二水雷戦隊
田中頼三少将
軽巡洋艦神通水雷戦隊旗艦
駆逐艦雪風・天津風・時津風・初風・山風・江風・海風7隻
第四水雷戦隊
西村祥治少将
軽巡洋艦那珂水雷戦隊旗艦
駆逐艦村雨・夕立・春雨・五月雨・朝雲・峯雲6隻
九三式酸素魚雷(ロング・ランス)とは
航跡を残さない酸素推進方式を採用した世界最高性能の魚雷。射程40km・速力48ノット・炸薬量490kg。連合軍はその存在すら知らず「見えない魚雷」として恐れた。この海戦でその真価が証明された。

2月27日——海戦の全経過

■ スラバヤ沖海戦 時系列 ■
16時過ぎ
ジャワ海上にて両艦隊が会敵。重巡「那智」「羽黒」が20cm砲で先制砲撃開始。ABDA艦隊も応戦。激しい砲撃戦へ。
16時30分頃
日本艦隊が九三式酸素魚雷を発射。オランダ駆逐艦「コルテノール」に命中、轟沈
17時頃
イギリス重巡「エクセター」が砲弾を受け機関室大破・落伍。ABDA艦隊の陣形が崩壊し始める。
17時30分頃
イギリス駆逐艦「エレクトラ」が日本駆逐艦と交戦し撃沈。アメリカ駆逐艦群が魚雷を撃ち尽くし撤退を余儀なくされる。
日没〜夜
イギリス駆逐艦「ジュピター」が機雷に触れ沈没。ABDA艦隊は弾薬・燃料が枯渇寸前。
深夜
「Ik val aan, volg mij!(我、攻撃す。全艦我に続け!)」
——ドールマン少将、輸送船団への最後の突撃を命令。残存巡洋艦4隻(デ・ロイテル・ジャワ・ヒューストン・パース)で夜闇に突入。
深夜
「那智」「羽黒」の酸素魚雷がオランダ軽巡「ジャワ」と旗艦「デ・ロイテル」に命中。両艦が爆発炎上し沈没。ドールマン少将、愛艦と運命を共にし戦死。

「我に続け!」——ドールマン少将の最期

2月27日深夜、弾薬も燃料も尽きかけ、疲労の極致にあったドールマン少将は選択を迫られた。撤退するか、それとも——。

彼は4隻の残存巡洋艦を率いて日本の輸送船団への強行突入を決断した。その最後の命令は信号として全艦に送られた。

「Ik val aan, volg mij!」

「我、攻撃す。全艦我に続け!」

——カレル・ドールマン少将、1942年2月27日深夜・最後の命令

しかし夜の海を引き裂く九三式酸素魚雷の前に、その突撃は粉砕された。「ジャワ」と「デ・ロイテル」が巨大な火柱を上げて爆発し、真っ二つに折れてジャワの暗い海底へ沈んでいった。ドールマン少将もまた、愛艦と運命を共にした。

生き残った「ヒューストン」と「パース」は撤退を試みたが、翌日のバタビア沖海戦で撃沈された。ABDA艦隊はここに完全に消滅した。

追撃戦——ABDA艦隊の完全壊滅

日時 海戦名 撃沈艦
2月27日スラバヤ沖海戦(第一次)コルテノール・エレクトラ・ジュピター・ジャワ・デ・ロイテル
2月28日〜3月1日バタビア沖海戦ヒューストン・パース
3月1日スラバヤ沖海戦(第二次)エクセター・エンカウンター・ポープ

H作戦の完遂——ジャワ島陥落

ABDA艦隊の壊滅により、日本陸軍の輸送船団は一隻も失うことなくジャワ島への上陸を完遂した。今村均中将率いる第16軍(約4万名)は3月1日にジャワ島へ上陸。わずか10日後、約8万名のオランダ・連合軍守備隊が降伏した。

H作戦は完璧な成功を収め、南方作戦の全目標が達成された。ボルネオ・スマトラ・ジャワの大油田地帯が日本の手に落ち、石油資源の獲得という最大の戦略目標が実現した。

猫工艦の考察:九三式酸素魚雷と「見えない恐怖」

スラバヤ沖海戦を技術的に分析すると、勝敗を決したのは火力の差ではなく「九三式酸素魚雷」の存在だったことがわかる。航跡を残さない酸素推進方式——連合軍はこの魚雷の存在すら把握していなかった。「どこから魚雷が来るのか分からない」という恐怖は、多国籍艦隊の連携をさらに混乱させた。

一方でドールマン少将の最後の突撃は、軍事的には無謀だった。しかし輸送船団を叩くという海軍軍人としての任務を最後まで全うしようとしたその姿勢は、敵国ながら深く評価されるべきだ。彼は「守るべきものがある者の戦い方」を体現し、ジャワの海に散った。

スラバヤ沖海戦は日本海軍の水上戦術——特に夜戦技術と酸素魚雷——が世界最高峰にあったことを証明した最後の輝きでもあった。この後、日本海軍は航空兵力の消耗と資源不足により、その「強さ」を維持できなくなっていく。

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▼ 関連記事

■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)蘭印作戦関連資料
  • ・Wikipedia「スラバヤ沖海戦」「那智(重巡洋艦)」「羽黒(重巡洋艦)」「カレル・ドールマン」
  • ・Wikipedia「九三式魚雷」「ABDA司令部」
  • ・奥宮正武『蘭印作戦』(学研M文庫)
  • ・豊田穣『南方海戦記』(講談社文庫)
  • ・D.A.トーマス著『ジャワ海海戦』(早川書房)

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