1942年(昭和17年)11月13日、午前0時過ぎ——鉄底海峡。「五月雨」は燃え盛る夕立の近くにいた。砲弾を撃ち尽くし、機関を破壊され、航行不能になった姉妹艦から生存者を救助する——それが「五月雨」に与えられた任務だった。そして吉川艦長から「もう一度引き返して夕立を処分してくれないか」と頼まれた。「五月雨」は引き返した。魚雷を放った。しかし夕立は沈まなかった。
「五月雨」は白露型駆逐艦の6番艦。竣工から太平洋戦争の終わりまで、南方からソロモン・北方アリューシャンまで東奔西走した。夕立の生存者を救い、霧島の生存者を救い、ガ島撤退作戦を支え、キスカ島撤退作戦に参加した——「救助」と「輸送」の記録がどこまでも続く艦だ。しかしその艦歴には、二つの「衝突」という皮肉な影が落ちている。ブーゲンビル島沖で姉妹艦「白露」と激突し、そして7年の航跡の果てに「座礁」という予期せぬ形で戦場を去った。
1944年(昭和19年)8月26日——パラオ近海のガルワングル環礁に座礁した「五月雨」は、行動不能のまま米潜水艦「バットフィッシュ」の魚雷を受けて船体が断裂した。最期まで自ら沈むことを選ばなかった艦、それが「五月雨」だった。
「五月雨」は第2駆逐隊の6番艦として、「村雨」「夕立」「春雨」とともに開戦に臨んだ。同じ第2駆逐隊には「夕立」という強烈な個性を持つ姉妹艦がいた。「夕立」が単艦突入で帝国海軍戦闘詳報に「抜群ノ功績」と記録されるような艦歴を歩む一方、「五月雨」はその後始末を引き受ける艦だった。
夕立の生存者を救助し、霧島の生存者を救助し、由良の乗員を救助した。ガ島撤退作戦でケ号作戦を支え、キスカ島撤退作戦では5,183名の脱出を助けた。「五月雨」の戦歴には「救助」という言葉が繰り返し登場する。それは「五月雨」が消耗戦の時代に最も求められた艦だったことを意味する——戦うだけでなく、生かす艦として。
「五月雨」とは旧暦5月頃(現代の6月頃)に降る長雨——梅雨のことだ。「五月雨をあつめて早し最上川」(松尾芭蕉)の句でも知られる、一見地味だが力強く降り続ける雨。その名にふさわしく、「五月雨」は南方からソロモン・北方まで、休むことなく戦場を渡り続けた。艦名は後に海上自衛隊むらさめ型護衛艦6番艦「さみだれ」に引き継がれている。
1942年(昭和17年)11月13日深夜——第三次ソロモン海戦の乱戦が続く鉄底海峡で、「五月雨」は炎上する「夕立」に接近した。吉川艦長率いる「夕立」が単艦突入で大きな戦果を上げた後、集中砲火を浴びて航行不能に陥ったのだ。「五月雨」はその生存者を救助する任務を帯びていた。
「五月雨」が「夕立」に接近すると、吉川艦長がこう頼んだ——「まことにすまないが、もう一度引き返して夕立を処分してくれないか」。愛艦が敵に鹵獲されることを恐れた吉川艦長の言葉に、「五月雨」艦長は応じた。魚雷を放った。しかし「夕立」は沈まなかった。
「夕立」の乗員を救助し、その処分を試み、それでも沈まぬ「夕立」を見ながら「五月雨」は鉄底海峡を去った。「五月雨」の乗員たちは、姉妹艦の奮戦を誰よりも間近で目撃した証人だった。後に生還した五月雨の乗員が残した証言が、「夕立」の32分間の詳細を後世に伝える重要な一次資料となっている。
1943年(昭和18年)11月2日——ブーゲンビル島沖海戦。「五月雨」は第27駆逐隊(時雨・五月雨・白露)として軽巡「川内」と共に夜間突入を敢行していた。米軍のブーゲンビル島上陸を阻止するための決死の夜戦だ。しかし深夜の暗闇の中、砲弾が飛び交い煙幕が漂い、隊形が乱れた。
そのとき「五月雨」の艦影が「白露」の前に突然現れた——あるいは「白露」の艦影が「五月雨」の前に。暗夜の混乱の中、同じ第27駆逐隊の二艦が衝突した。旗艦「川内」は沈没し、「五月雨」と「白露」は共に損傷して戦線を離脱した。第三次ソロモン海戦で夕立の生存者を救い、姉妹艦を処分しようとした「五月雨」が、今度は別の姉妹艦と衝突した——これが「五月雨」の艦歴に刻まれた「二つの衝突」の一つ目だ。
1944年(昭和19年)8月18日——「五月雨」は軽巡「鬼怒」「時雨」とともにパラオ近海を航行していた。フィリピン〜パラオ間の輸送任務の途上だ。そのとき「五月雨」の艦底が、パラオ近海のガルワングル環礁の珊瑚礁に乗り上げた。
座礁——自力では抜け出せない。「鬼怒」と「時雨」が「五月雨」の引き揚げを試みたが成功しなかった。「五月雨」はそのまま、丸8日間、行動不能の状態で珊瑚礁に乗り上げていた。戦争の海で、最も危険な状態だ。そして8月26日——米潜水艦「バットフィッシュ」の魚雷が「五月雨」を捉えた。
「五月雨」の艦歴には二つの「衝突」がある。1943年11月のブーゲンビル島沖での姉妹艦「白露」との激突と、1944年8月のガルワングル環礁への座礁だ。どちらも「敵の砲弾・魚雷」ではなく、自然・環境・偶然が「五月雨」を傷つけた。それでも「五月雨」は戦場に戻り続けた。南方からアリューシャンまで、7年間——降り続ける五月雨のように。
「五月雨」の本質は——「華やかな戦果よりも、救助と輸送と護衛を担い続けた艦」という点にある。姉妹艦「夕立」が一夜の突入で帝国海軍の歴史に名を刻んだ傍らで、「五月雨」はその夕立の生存者を救助し、雷撃処分まで試みた。霧島の乗員を救い、ガ島撤退を支え、キスカ島撤退に加わった。戦争の歴史は「戦果」で語られることが多いが、「五月雨」の記録は「生かした」という行為で満ちている。
しかし「五月雨」自身は「敵の砲弾でも魚雷でもなく」散った。ブーゲンビル島沖で姉妹艦と衝突し、最後はパラオ近海の珊瑚礁に乗り上げて、行動不能のまま魚雷を受けた。そこには「劇的な突入」も「奇跡的な生還」もない——ただ戦場で起こりうる偶然の連鎖があるだけだ。「五月雨」の最期は、戦争の「理不尽」そのものを静かに体現している。
「五月雨をあつめて早し最上川」——降り続ける雨が集まって大河を作る。「五月雨」の7年間の積み重ねも、そのようなものだったと猫工艦は思う。一つ一つの救助・輸送・護衛は地味で目立たない。しかしそれが積み重なって、帝国海軍の戦闘を支えた。珊瑚礁の底で今も眠る「五月雨」に——降り続けた雨への敬意を。
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「五月雨をあつめて早し——降り続けた艦の魂を、その身に纏え。」
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(1)〜(3)』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
- ・Wikipedia「五月雨 (駆逐艦)」「第三次ソロモン海戦」「ブーゲンビル島沖海戦」「キスカ島撤退作戦」
- ・重本俊一ほか『写真と図で見る日本の軍艦』2014年
- ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
- ・寺内正道ほか各証言(五月雨・白露・時雨乗員関連)
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