白露型駆逐艦「白露」——諸元・全戦歴・タンカー衝突爆沈までの完全記録

1936年竣工・白露型1番艦「白露」の全諸元と戦歴を時系列で完全収録。御召艦供奉から始まり、B-17直撃・妹艦「五月雨」との衝突2度の大破、タンカー「清洋丸」との衝突爆沈まで全記録。

白露型駆逐艦 1番艦(ネームシップ) · 第27駆逐隊 · 第一水雷戦隊
SHIRATSUYU 白露
白き露の宿命——ネームシップが背負った戦争の全記録

白露型駆逐艦のネームシップ「白露」——御召艦「比叡」の供奉艦として艦歴を飾り、 妹艦「夕立」「時雨」の影でひたむきに護衛・輸送を続けた一番艦。 B-17の直撃弾にも、「五月雨」との同士衝突にも生き残った艦が、 最期に散ったのは敵弾でも魚雷でもなかった。

SHIP DATA
SPEC
基本諸元(白露型駆逐艦 1番艦)
SHIP CLASS
白露型 1番艦(ネームシップ)
元・有明型3番艦から格上げ
BUILT AT
佐世保海軍工廠
起工 1933.11.14 / 竣工 1936.8.20
DISPLACEMENT
1,685 t
基準 / 全長 111.0 m
MAX SPEED
34.0 kts
出力 42,000 hp
TORPEDOES
61cm 4連装 ×2基
九三式酸素魚雷・次発装填装置付
MAIN GUN
12.7cm砲 5門
連装2基+単装1基
項目内容
艦名白露(しらつゆ)
艦型白露型駆逐艦 1番艦(ネームシップ)/元・有明型3番艦
建造所佐世保海軍工廠
起工1933年(昭和8年)11月14日
進水1935年(昭和10年)4月5日
就役1936年(昭和11年)8月20日
初代艤装員長天谷嘉重 少佐(1935年8月15日任命・そのまま初代駆逐艦長へ)
全長111.0 メートル
全幅9.9 メートル
吃水3.5 m(平均)
基準排水量1,685 トン
機関艦本式オール・ギアードタービン 2基2軸
ボイラーロ号艦本式重油専焼水管缶 3基
出力42,000 馬力
速力最大 34.0 ノット
航続距離18ノットで4,000海里
主砲(竣工時)50口径12.7cm連装砲 2基・単装砲 1基(計5門)
魚雷発射管61cm 4連装魚雷発射管 2基8門(次発装填装置付)
搭載魚雷九三式酸素魚雷(開戦直前に換装)
対空機銃13mm連装機銃 2基(竣工時)
爆雷爆雷投射機 2基・爆雷 16個
乗員約226名
所属駆逐隊第27駆逐隊(白露・時雨・有明・夕暮)
開戦時所属第一艦隊 第一水雷戦隊(司令官:大森仙太郎少将 旗艦:阿武隈)
艦名の由来百人一首第37番「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康)より
戦没日時・場所1944年6月15日、ミンダナオ島北東沖(北緯09度09分・東経126度51分)——タンカー「清洋丸」と衝突・自艦爆雷誘爆により爆沈
■ 「白露型」ネームシップとしての特殊な経緯
「白露」はもともと「有明型3番艦」として建造中だった。1934年11月19日に有明型が廃止され「白露型」が新設されたことで、「白露」は自動的にそのネームシップ(1番艦)となった。つまり「白露型」という艦型名は、「白露」が建造されたから生まれたのではなく、「白露」が1番艦に繰り上がったことで後付けで決まったという珍しい経緯を持つ。
BATTLE RECORD
HISTORY
戦歴——竣工から爆沈まで

「白露」は1936年(昭和11年)8月20日の竣工から1944年(昭和19年)6月15日の戦没まで、御召艦供奉・珊瑚海・ミッドウェー・ガ島輸送・ルンガ泊地奇襲・第三次ソロモン海戦・2度の大破修理を経て、8年間の艦歴を閉じた。その全記録を時系列でたどる。

1936年8月〜10月 — 竣工・御召艦供奉
最高の栄誉から始まった艦歴——「比叡」供奉艦として北海道へ
  • 1936年8月20日:佐世保海軍工廠で竣工。横須賀鎮守府籍。
  • 9月24日〜10月12日:昭和天皇の御召艦「比叡」の供奉艦に指定。妹艦「時雨」とともに北海道行幸に同行。竣工からわずか1か月で帝国海軍最高の任務。
  • 10月29日:神戸沖、昭和11年特別大演習観艦式(御召艦「比叡」)に参加。再び御召艦「比叡」または「愛宕」の供奉艦として10月30日の「比叡」横須賀着まで特別任務を遂行。
1938年 — 第27駆逐隊編成
四隻の駆逐隊——白露型と初春型の混成部隊
  • 1938年:第27駆逐隊が編成される。白露型「白露」「時雨」と初春型「有明」「夕暮」の混成部隊。
  • 太平洋戦争開戦時:第一艦隊 第一水雷戦隊(司令官:大森仙太郎少将 旗艦:阿武隈)に所属。柱島泊地に在泊。山本五十六連合艦隊司令長官座乗の「長門」「陸奥」等と共に小笠原近海まで進出。
1941〜1942年前半 — 開戦・各地護衛任務
台湾・珊瑚海・ミッドウェー——泥臭い護衛の日々
  • 1941年12月:開戦。小笠原近海進出後、台湾・フィリピン方面の船団護衛・対潜哨戒に従事。
  • 1942年1月中旬:「時雨」と共に第九戦隊(大井・北上)指揮下に入り、台湾方面への輸送船団を護衛。
  • 1942年5月7〜8日珊瑚海海戦(MO作戦)参加。攻略部隊護衛として参加。世界初の空母同士の海戦を直衛として経験。
  • 1942年6月4〜5日ミッドウェー海戦。中途まで出撃。主力空母4隻が沈む大敗北の中、護衛任務を継続しながら撤退。
  • 1942年7月中旬:第27駆逐隊は第四水雷戦隊に所属変更。
1942年8〜10月 — ガ島輸送・マキン・ルンガ突入
鼠輸送・マキン増援・そしてルンガ泊地突入
  • 8月8日〜:第27駆逐隊はマーシャル諸島で活動。
  • 8月17日:米軍マキン奇襲上陸を受け、「白露」「時雨」が第六根拠地隊連合陸戦隊をマキンへ増援輸送。8月18日トラック出港→21日マキン着。
  • 9月2日:アパママを占領。
  • 9月〜10月:「時雨」と共にガダルカナル島輸送作戦(鼠輸送)に7回従事。制空権なき海域を深夜に突破する過酷な任務を繰り返す。
  • 10月24日:ガ島ヘンダーソン飛行場への陸軍総攻撃に呼応。「白露」は第6駆逐隊司令山田勇助大佐指揮下で突撃隊に編入(暁・雷・白露の3隻)。
  • 10月25日早朝:突撃隊3隻(暁・雷・白露)、ルンガ泊地への突入に成功。艦隊曳船「セミノール」・沿岸哨戒艇「YP-284」を撃沈、米駆逐艦「ゼイン」に損傷を与える戦果。帰途空襲を受けるが3隻とも重大な損傷なく帰還。
1942年11月12〜13日 — 第三次ソロモン海戦
「比叡」護衛——夕立が散った夜に、白露は何をしていたか

第27駆逐隊(時雨・白露・夕暮)はガダルカナル島とラッセル諸島間の警戒任務が割り当てられていたため、第一夜戦の大混戦(夕立が単艦突入した戦闘)には直接参加していない。

  • 11月13日:第一夜戦で舵故障の損傷を受けた戦艦「比叡」を、「雪風」「照月」「時雨」「夕暮」と共同して護衛。「白露」は機銃掃射で若干の損傷を受けた。
  • 午後、第27駆逐隊は航行不能となった「比叡」の雷撃処分を命じられる。発射直前に「時雨」に中止命令が出される(実行されたかどうかは不明)。
  • 同夜戦で妹艦「夕立」が沈没——「白露」はその報を護衛任務の中で受け取った。
1942年11月23〜24日 — ラエ輸送作戦
「早」の処分——僚艦を海に沈めた一番艦の任務
  • 11月23日21時:「白露」以下輸送隊5隻(春雨・白露・電・磯波・早)、ラバウルを出港しラエへ向け進撃。
  • 11月24日18時以降:米軍機の夜間空襲を受け、「早」が大破・大火災。早潮乗組員を各艦で救助後、「白露」が「早」を砲撃により処分した。ラエ輸送作戦は失敗に終わる。
1942年11月29日 — 【第一の大破】B-17直撃
B-17の直撃弾——前部大破・船体切断の危機
  • 11月28日19時:「白露」以下4隻(夕雲・巻雲・風雲・白露)、ラバウルを出撃。ブナへの輸送作戦。
  • 11月29日昼間:進撃中にB-17型爆撃機の空襲を受ける。「白露」に直撃弾と至近弾が命中。前部が大破し、船体切断の危機に瀕した。戦死者6名。「巻雲」も至近弾で損傷。輸送作戦中止。
  • 帰途:「巻雲」が便乗陸軍兵を受け取り先行帰投。「白露」は「春雨」「夕雲」に護衛されラバウル着。軽巡「天龍」に接舷停泊。
  • 12月19日:ラバウル発→22日トラック着。工作艦「明石」で修理。
  • 1943年2月16日:「野分」と共にトラック出港→悪天候で電気溶接部に亀裂→2月19日サイパン緊急退避→「野分」先行帰投後、「白露」は単艦で2月25日サイパン発→3月2日佐世保帰投。
  • 3月〜7月長崎で前部船体切断を含む大規模修理。約7か月の長期修理。この間に妹艦「村雨」(1943年3月)・「春雨」も大破(1943年1月・潜水艦)。
1943年11月2日 — 【第二の大破】五月雨との衝突
ブーゲンビル島沖海戦——暗夜の混戦中に妹艦「五月雨」と激突
  • 1943年8月:修理完了後、前線復帰。
  • 1943年11月2日:ブーゲンビル島沖海戦参加。米軍上陸部隊を攻撃すべく日本艦隊が夜間突入。深夜の暗闇と混乱の中、回避行動をとった「白露」が妹艦「五月雨(さみだれ)」と衝突。両艦とも船体を大きく損傷し戦線離脱。
  • 「白露」は再び修理のため後送。1944年2〜3月頃に前線復帰。
1944年2〜6月 — 護衛任務と最期
沈黙の護衛——松輸送からミンダナオ沖の最期へ
  • 1944年2〜5月:修理完了後、松輸送(対潜護衛中心の輸送作戦)等の船団護衛任務に従事。かつての僚艦たちが次々と戦没していく中、「白露」は最前線を支え続けた。
  • 1944年6月15日深夜:渾作戦(ビアク島輸送支援)関連のタンカー船団護衛任務中。フィリピン・ミンダナオ島北東沖(北緯09度09分・東経126度51分)を航行。米潜水艦の脅威に対する緊急回避行動中、特設給油船「清洋丸」(10,500トン)と衝突。衝撃で自艦の爆雷が誘爆し爆沈。艦長以下104名戦死。
  • 1944年7月15日:帝国駆逐艦籍から除籍。白露型ネームシップ「白露」の8年の艦歴が終わった。

「白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」

百人一首 第37番・文屋朝康——「白露」艦名の由来 · 暗夜の海に散った一番艦へ
■ 「敵弾ではなく自艦の爆雷」——白露の最期が物語るもの
「白露」の最期は、B-17の直撃弾でも潜水艦の魚雷でも夜戦での砲撃でもなかった。暗夜の緊急回避中に味方タンカーと衝突し、自らの爆雷の誘爆によって沈んだ——これを「非運」と呼ぶ人は多い。しかし「白露」が護衛し続けた船団が太平洋の各戦域を支え、その任務を最期まで遂行しようとした結果が、この最期だった。「地味な一番艦」の戦歴の終わりは、戦争という理不尽そのものを体現している。
SUMMARY
LEGACY
まとめ——「白露」が刻んだもの

「白露」は白露型駆逐艦のネームシップとして、帝国海軍最高の栄誉(御召艦供奉)から始まり、珊瑚海・ミッドウェー・ガダルカナル輸送・ルンガ泊地突入・第三次ソロモン海戦・2度の甚大損傷からの復帰を経て、1944年6月にタンカーとの衝突・爆雷誘爆によって散った。妹艦たちの輝かしい伝説の陰で、「白露」は最後まで地道に任務を果たし続けた。

■ 白露型10隻の命運——ネームシップの役割
白露型10隻(白露・時雨・村雨・夕立・春雨・五月雨・海風・山風・江風・涼風)は全艦が太平洋戦争中に喪失した。「時雨」がスリガオ海峡を唯一生還する最長の戦歴を持ち、「夕立」が32分間の突入伝説を刻んだ。ネームシップ「白露」は——その両者の陰で、8年間最前線を支え続けた。型名を背負う一番艦としての宿命とは、そういうものかもしれない。
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■ 参考文献・資料
・Wikipedia「白露 (白露型駆逐艦)」
・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(1)〜(3)』朝雲新聞社
・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
・写真日本の軍艦 第11巻 光人社

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