陽炎型 · 19番艦(最終艦) · 第十駆逐隊
AKIGUMO 秋雲
「秋雲型」になるはずだった、陽炎型最後の1隻
陽炎型駆逐艦19番艦(最終艦)。浦賀船渠で建造され、1941年9月竣工。当初「秋雲型」1番艦として計画されたが陽炎型図面を流用、1994年まで夕雲型と誤認されていた特異な艦。真珠湾攻撃、ホーネット最期の目撃、山本長官遺骨護送、キスカ撤退作戦を経て、1944年4月11日、ザンボアンガ近海で米潜水艦レッドフィンに撃沈された。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 19番艦
DISPLACEMENT
2,033 t
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.4.11 戦没
| 艦名 | 秋雲(あきぐも) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 19番艦・最終艦(仮称第115号艦) |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1940年7月2日 |
| 進水日 | 1941年4月11日 |
| 竣工日 | 1941年9月27日 |
| 垂線間長 | 111.00m |
| 全幅 | 10.80m |
| 主砲 | 三年式50口径12.7cmC型連装砲 3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装水上発射管 2基 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 |
| 歴代艦長 | 横井稔中佐(開戦時、脳溢血で解任) → 有本輝美智中佐(1941.12.22〜) → 相馬正平中佐 → 入戸野某(戦没時) |
| 所属駆逐隊 | 第十駆逐隊(夕雲・巻雲・風雲、夕雲型3隻との混成。秋雲のみ陽炎型) |
| 特記事項 | 当初「秋雲型」1番艦として計画も陽炎型図面流用で建造。1994年、田村俊夫氏の調査で陽炎型と判明するまで夕雲型2番艦と誤認され続けた |
| 戦没 | 1944年4月11日 ミンダナオ島ザンボアンガ近海(モロ湾) |
| 戦没原因 | 米潜水艦レッドフィンの雷撃。被雷後わずか3分で轟沈 |
| 戦死者 | 137名(艦長入戸野某以下) |
| 除籍 | 1944年6月10日。これにより陽炎型19隻中18隻が戦没(唯一「雪風」のみ終戦まで生存) |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没まで
1940年7月2日 — 起工
浦賀船渠で起工(仮称第115号艦)
- 当初は「秋雲型」1番艦の予定だったが陽炎型図面を流用して建造された。
1941年9月27日 — 竣工
竣工。朧と共に五航戦(翔鶴・瑞鶴)護衛担当に
- 「トンボ釣り」と呼ばれた空母護衛任務。
1941年12月8日 — 真珠湾攻撃
五航戦護衛の中で唯一参加
- 航続力の高さから選抜。帰投後、横井稔艦長が脳溢血で倒れ12月22日有本輝美智中佐に交代。
1942年1-4月 — ラバウル・セイロン沖海戦
ラバウル攻撃、ポートダーウィン護衛、セイロン沖海戦
- 4月15日、第十駆逐隊(夕雲・巻雲・風雲)に編入。以後、秋雲以外全て夕雲型という混成部隊に。
1942年8-10月 — ガダルカナル戦
第二次ソロモン海戦、鼠輸送3回
- 9月29日、第三水雷戦隊(橋本信太郎中将)指揮下でショートランド進出。
1942年10月26日 — 南太平洋海戦
米空母「ホーネット」の最期を目撃
- 相馬正平艦長がサーチライト照射という危険を冒し、信号員にホーネットの最期をスケッチさせた。22:34、ホーネット沈没。
1942年10月30日〜11月7日 — 内地帰投
推進器損傷、巻雲へ魚雷・弾薬供与し帰投
- 損傷空母・重巡を護衛。この帰投により第三次ソロモン海戦は不参加。
1943年2月〜3月 — ケ号作戦・ハンサ輸送
ガダルカナル撤退3回、桃山丸を撃沈処分
- 3月14日、ハンサ湾で放棄船桃山丸を処分。コロンバンガラ輸送にも3回従事。
1943年5月23日 — 山本長官遺骨護送
戦艦「武蔵」から遺骨を引き取り横須賀へ
- 海軍甲事件で戦死した山本五十六元帥の遺骨を、木更津沖の武蔵から引き取り上陸させた。
1943年6月10日〜7月29日 — キスカ島撤退作戦
死者ゼロの「奇跡」の撤退に立ち会う
- 電探装備後、北方部隊に編入。阿武隈率いる第二次作戦で463名を収容、戦死者なしで幌筵島帰投。
1943年8月16日〜9月5日 — 三水戦編入
古賀峯一大将直率主力部隊でトラック進出、三水戦旗艦に
- 「セ号作戦」旗艦として二度のコロンバンガラ島撤退作戦を成功させた。
1943年10月26日 — 第二次ベララベラ海戦
僚艦「夕雲」戦没も、撤退作戦は成功
- 敵駆逐艦3隻を大破させ、ベララベラ島からの撤退目的を達成した。
1943年12月17-20日 — 大和護衛(戌一号作戦)
被雷損傷した大和をトラックへ送り届ける
- 横須賀へ引き返した後、1944年もガダルカナル戦後処理・輸送任務を継続。
1944年4月11日 — ザンボアンガ近海で戦没
米潜水艦レッドフィンの雷撃で轟沈
- バリクパパン発ダバオ行き航空燃料輸送船団護衛中に被雷、わずか3分で沈没。戦死137名。奇しくも進水からちょうど3年後の同日だった。
1944年6月10日 — 除籍
帝国駆逐艦籍から除籍。陽炎型19隻中18隻が戦没(雪風のみ生存)
- 唯一の例外は生き残った「雪風」のみ。
SUMMARY
RECORD
秋雲 全艦歴まとめ
陽炎型19番艦(最終艦)「秋雲」は、当初「秋雲型」1番艦として計画されながら陽炎型として建造され、戦後長らく夕雲型と誤認されるという複雑な出自を持つ艦である。真珠湾攻撃への唯一の護衛参加に始まり、南太平洋海戦での空母「ホーネット」最期の目撃、山本五十六元帥の遺骨護送、キスカ島撤退作戦という「死者ゼロの奇跡」への立ち会い、そして第三水雷戦隊旗艦としてのコロンバンガラ・ベララベラ両島撤退作戦の成功と、太平洋戦争の重要な節目に幾度も立ち会い続けた。しかし1944年4月11日、ミンダナオ島ザンボアンガ近海で米潜水艦レッドフィンの雷撃を受け、わずか3分で轟沈。戦死137名。この戦没により、陽炎型駆逐艦19隻のうち18隻が姿を消したことになる(唯一「雪風」だけが終戦まで生き延びた)。
歴史の立会人としての艦歴——秋雲は単独の大戦果よりも、太平洋戦争の重要な瞬間に幾度も居合わせ続けた艦だった。その出自の複雑さ(秋雲型→陽炎型→誤って夕雲型)自体が、この艦の数奇な運命を象徴している。
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秋雲型になるはずだった艦——「秋雲」の意志を、その身に纏え
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26・49・83・96『蘭印・ベンガル湾方面/南東方面海軍作戦各巻』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)秋雲関連公文書・第十駆逐隊戦時日誌戦闘詳報
- ・田村俊夫「新事実発掘! 駆逐艦秋雲は陽炎型だった」『世界の艦船』1994年4月号、海人社
- ・三神國隆『海軍病院船はなぜ沈められたか 第二氷川丸の航跡』光人社NF文庫、2005年(原著2001年)
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
- ・Wikipedia「秋雲 (駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「コロンバンガラ島沖海戦」「南太平洋海戦」