白露型 · 10番艦(改白露型・海風型4番艦・最終艦) · 第24駆逐隊
SUZUKAZE 駆逐艦 涼風
改白露型最後の1隻が見た終わりのない輸送任務
1937年竣工、白露型駆逐艦10番艦・改白露型(海風型)の最終艦。マカッサル沖で大破しながらも戦線に復帰し、ルンガ沖夜戦・クラ湾夜戦という激戦を生き延び、輸送・護衛・曳航という地味な任務を支え続けた。1944年1月、輸送船団護衛中に米潜水艦スキップジャックの雷撃を受け轟沈、改白露型4隻すべての喪失をもって系譜が閉じた。
SPECIFICATIONS
諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
白露型10番艦
建造所
浦賀船渠
基準排水量
1,685t
最大速力
34.0kt
主砲
12.7cm連装砲2基・
単装砲1基(計5門)
単装砲1基(計5門)
魚雷兵装
61cm4連装発射管2基
(計8射線・魚雷16本)
(計8射線・魚雷16本)
| 艦名 | 涼風(すずかぜ) |
| 艦型・番艦 | 白露型(一等駆逐艦)10番艦(改白露型・海風型4番艦・最終艦) |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1935年(昭和10年)7月9日 |
| 進水日 | 1937年(昭和12年)3月11日 |
| 竣工日 | 1937年(昭和12年)8月31日 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)3月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 111.0m(白露型標準値) |
| 全幅 | 9.9m(白露型標準値) |
| 機関 | 艦本式タービン2基2軸、艦本式重油専焼缶3基、出力42,000馬力 |
| 速力 | 34.0kt(計画値) |
| 航続距離 | 4,000海里/18kt(計画値) |
| 乗員 | 約219〜226名(白露型標準値) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲2基・単装砲1基:計5門 |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装水上発射管:2基(計8射線、魚雷16本搭載) |
| 対空機銃(竣工時) | 13mm連装機銃2基 |
| 爆雷 | 爆雷投射機2基、爆雷16個 |
| 所属駆逐隊履歴 | 第24駆逐隊(海風・山風・江風、1937年8月31日〜)→第一水雷戦隊編入(1942年4月10日)→第二水雷戦隊編入(1942年7月14日)→24駆司令駆逐艦に指定(1943年6月27日)→第四水雷戦隊解隊・新第二水雷戦隊統合(1943年7月13日) |
| 主要艦長履歴 | 井上良雄少佐(初代、1937年5月1日〜、後に吹雪型「朝霧」艦長)/田中正雄少佐(1938年12月15日〜)/守屋節司少佐(1939年11月15日〜、後に陽炎型「野分」艦長、野分沈没時に戦死)/神山昌雄少佐(1940年9月16日〜、後に春雨艦長・涼波艤装員長兼初代艦長、涼波戦没時に戦死)/柴山一雄少佐(1942年4月15日〜、後に駆逐艦「朝雲」艦長、レイテ沖海戦で同艦沈没も生還)/山下正男少佐(1943年5月23日〜戦没時、戦死後中佐昇進) |
| 特記事項① | 1941年2月3日、訓練中に僚艦「山風」と衝突。涼風の被害は軽微、山風は艦首下部を損傷 |
| 特記事項② | 1942年2月4日、マカッサル沖(スターリング湾外)で米潜水艦スカルピンの雷撃を受け大破。戦死9名、半年近い修理 |
| 特記事項③ | 1942年11月30日、ルンガ沖夜戦に参加。日本側「高波」喪失の代償に、米側重巡「ノーザンプトン」撃沈・3隻大破という戦術的勝利 |
| 特記事項④ | 1942年12月18日、被雷大破した軽巡「天龍」の曳航を試みるが力及ばず沈没 |
| 特記事項⑤ | 1943年7月5日、クラ湾夜戦で被弾、戦死2名。秋山輝男少将以下第三水雷戦隊司令部が新月と共に全滅する激戦を生き延びる |
| 特記事項⑥ | 改白露型(海風型)は当初14隻計画だったが、軍縮条約脱退の動きの中、涼風をもって建造打ち切り。残りは設計を改め朝潮型として完成 |
| 最終結末 | 1944年1月25日23時5分、ポナペ島北東で輸送船団護衛中、米潜水艦スキップジャックの雷撃(魚雷3本中1本命中)を受け轟沈。山下正男艦長以下231名戦死、生存者13名。7日後に僚艦「海風」も同様の運命をたどり、改白露型4隻すべてが米潜水艦により失われた |
■ 改白露型(海風型)駆逐艦・最終艦という宿命
第二次軍備補充計画(②計画)では、海風型(改白露型)を14隻建造する予定だった。だが軍縮条約脱退の動きの中、航続距離向上や特型駆逐艦の性能復活を実現できないという問題が浮かび、「涼風」をもって改白露型の建造は打ち切られた。残りの予定艦は設計を改め、より大型の「朝潮型」として完成している。涼風は、ある艦型の系譜が終わる、まさにその境界線に立つ艦だった。
第二次軍備補充計画(②計画)では、海風型(改白露型)を14隻建造する予定だった。だが軍縮条約脱退の動きの中、航続距離向上や特型駆逐艦の性能復活を実現できないという問題が浮かび、「涼風」をもって改白露型の建造は打ち切られた。残りの予定艦は設計を改め、より大型の「朝潮型」として完成している。涼風は、ある艦型の系譜が終わる、まさにその境界線に立つ艦だった。
FULL TIMELINE
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1935年6月20日 — 命名
浦賀船渠で建造予定の駆逐艦を「涼風」と命名
- 同年7月9日起工。当時の浦賀船渠では白露型2番艦「時雨」が艤装中(5月18日進水)、白露型6番艦「五月雨」が7月6日進水、白露型8番艦「山風」が5月25日起工していた。
1937年3月11日 — 進水
浦賀船渠で進水
- 5月1日、響艦長・井上良雄少佐を涼風艤装員長に任命。6月30日、山風が竣工。8月31日、山風から約2ヵ月遅れて涼風が竣工。主要幹部は井上良雄少佐(駆逐艦長)、浅井秋生大尉(砲術長)、藤田淳大尉(水雷長)等。
1937年8月31日 — 竣工
第24駆逐隊編入、第二次上海事変に投入
- 竣工と同時に姉妹艦3隻(海風・山風・江風)の第24駆逐隊(司令久宗米次郎大佐)に編入。定数4隻を揃えた第24駆逐隊は第二次上海事変に投入され、中国大陸に進出。
1938年12月〜1940年9月
艦長交代の繰り返し
- 1938年12月15日、艦長井上良雄中佐が朝霧艦長へ転任、後任田中正雄少佐。1939年11月15日、田中中佐が艦政本部部員へ転任、後任守屋節司少佐。1940年9月16日、守屋少佐が神山昌雄少佐に交代(守屋は後に野分艦長、野分沈没時に戦死)。
- 1940年10月11日、涼風・江風が紀元二千六百年特別観艦式に参加(第二列に配置)。11月、第24駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊(西村祥治少将、旗艦那珂)に編入。
1941年2月3日
山風との衝突事故
- 志布志湾での演習中、僚艦「山風」と触衝。涼風の被害は軽微だったが、山風は艦首下部を損傷。修理は開戦に間に合い、第24駆逐隊は欠番なしで太平洋戦争に参加した。7月25日、24駆司令は平井泰次大佐に交代。
1941年12月〜1942年1月
フィリピン・蘭印作戦
- 南方部隊に属しレガスピー上陸作戦、ラモン湾上陸作戦に従事。1942年1月から蘭印部隊に属し、タラカン攻略作戦、バリックパパン攻略作戦に参加。
1942年2月4日 — マカッサル沖被雷
米潜水艦スカルピンの雷撃で大破
- 2月3-5日、マカッサル攻略部隊(軽巡長良・水上機母艦瑞穂・第8駆逐隊・第15駆逐隊等)がセレベス島スターリング湾に集結。
- 2月4日夕刻、湾外で哨戒中に米潜水艦スカルピンの雷撃を受ける。右舷前部に魚雷1本命中、機関室浸水。戦死9名。
- 2月7日、駆逐艦「満潮」がスカルピンに爆雷攻撃を実施、効果確実と報告。スカルピンは退避。損傷した涼風は佐世保に帰投し7月まで修理。
- この間、4月10日に第24駆逐隊は第一水雷戦隊(大森仙太郎少将、旗艦阿武隈)に編入。4月15日、艦長神山昌雄少佐が第四水雷戦隊附となり、後任柴山一雄少佐が着任(神山は後に春雨艦長、続いて涼波艤装員長・初代艦長、ラバウル空襲での涼波沈没時に戦死)。
1942年6月23日
僚艦山風、ノーチラスに撃沈される
- 姉妹艦「山風」が米潜水艦ノーチラスの雷撃で撃沈。改白露型最初の喪失艦となる。第24駆逐隊は白露型3隻(海風・江風・涼風)体制に。7月14日、第二水雷戦隊(田中頼三少将、旗艦神通)に編入。7月30日、24駆司令が平井大佐から村上暢之助大佐に交代。
1942年8月7-25日
ガダルカナル輸送開始、第二次ソロモン海戦
- 8月7日、ガダルカナル島の戦い開始。8月11日、空母「千歳」をトラックまで護衛。続いて一木支隊第二梯団輸送船3隻の護衛を下令。
- 8月24日、第二次ソロモン海戦。8月25日午前6時、ガ島砲撃帰りの駆逐艦5隻が涼風以下輸送船団と合流直後、急降下爆撃機・B-17の空襲を受ける。「睦月」「金龍丸」沈没、旗艦「神通」炎上戦闘不能。田中司令官は旗艦を「陽炎」に変更、涼風を神通の護衛につけてトラックへ退避させた。輸送船団によるガ島揚陸作戦は中止。
1942年9月2日〜10月26日
司令交代、鼠輸送、南太平洋海戦
- 9月2日、村上大佐が24駆司令を解任。9月3日、中原義一郎中佐(白露型夕立初代艦長)が新司令に決定(着任まで村上大佐が暫定継続)。
- その後、駆逐艦による高速輸送作戦(鼠輸送)に従事。10月中旬、戦艦「金剛」「榛名」によるガダルカナル島砲撃に参加、10月26日の南太平洋海戦にも参加。
1942年11月18-30日
ルンガ沖夜戦
1942年12月11-18日
照月沈没との遭遇、天龍曳航の試み
- 12月11日、第24駆逐隊(涼風・江風)は秋月型「照月」(第二水雷戦隊旗艦)の沈没に遭遇。
- 12月18日、軽巡「天龍」(第十八戦隊旗艦)等護衛中、米潜水艦アルバコアの雷撃で天龍大破。涼風による曳航が試みられるも、天龍は力及ばず沈没。第十八戦隊旗艦は磯波に変更。12月29日、二水戦司令官が田中頼三少将から小柳冨次少将に交代。
1943年1月2日〜2月24日
ガ島輸送中の損傷、ケ号作戦、艦長交代
- 1月2日、小柳冨次司令官直率の駆逐艦10隻でガダルカナル島輸送実施中、空襲で涼風が至近弾損傷、ショートランド泊地へ引き返す。ラバウルで応急修理。
- 1月21日、小柳司令官が第十戦隊司令官へ転任、後任伊崎俊二少将。応急修理を終えた涼風はガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)の補給部隊護衛艦として参加。2月9日、江風が輸送船と衝突損傷、第24駆逐隊は全艦損傷状態に。
- 2月12日トラック出発、18日佐世保到着。2月24日、24駆司令駆逐艦が涼風から修理完了の「海風」に交代。涼風は佐世保で4月・5月と修理を継続。5月23日、艦長柴山一雄少佐が第一水雷戦隊附に転任(後に駆逐艦「朝雲」艦長、レイテ沖海戦で同艦沈没も生還)、後任山下正男少佐が着任。
1943年6月15-27日
主力部隊と共にトラック進出
- 栗田健男中将指揮下、第三戦隊・第七戦隊・空母3隻・軽巡五十鈴・多数の駆逐艦部隊(第24駆逐隊《涼風》含む)で横須賀出港、6月21日トラック到着。
- 6月23日、第七戦隊司令官西村祥治少将が5隻(熊野・鈴谷・新月・涼風・有明)でラバウル輸送任務、27日トラックへ帰還。「新月」は外南洋部隊増援部隊に編入されラバウルに残留。6月27日、24駆司令駆逐艦が涼風に変更。
1943年7月5日 — クラ湾夜戦
第三水雷戦隊司令部全滅の中で生き延びる
- 6月末、重巡「鳥海」と護衛駆逐艦(雪風・涼風・江風・谷風)でラバウルへ進出中、江風が軸受故障でトラックへ引き返す。
- 7月上旬、ニュージョージア島の戦いが勃発。コロンバンガラ島輸送の途中、クラ湾夜戦が生起。日本艦隊は支援隊(新月:秋山輝男少将座乗、第24駆逐隊《涼風》、第17駆逐隊《谷風》)、第一次輸送隊、第二次輸送隊という編制。
- 米軽巡「ヘレナ」撃沈に対し、日本側駆逐艦2隻(新月・長月《座礁放棄》)沈没。秋山三水戦司令官と三水戦司令部が総員戦死した。涼風も被弾損傷、戦死者2名。
- 7月8日、24駆司令が中原義一郎大佐から久保田智大佐に交代。7月13日のコロンバンガラ島沖海戦で二水戦旗艦「神通」沈没、伊崎俊二司令官以下司令部全滅。第四水雷戦隊が解隊され、その戦力(旗艦長良、第27駆逐隊《時雨・白露・有明・夕暮》、五月雨等)と二水戦残存艦艇を統合し新たな第二水雷戦隊を編成。
- 7月21日、涼風は軽巡「長良」、重巡「愛宕」「高雄」とトラックを出発、7月26日横須賀入港。同地で修理。
1943年8月15日〜10月末
主力部隊輸送、満潮編入
- 8月15日、海風の修理完了。同日、二水戦旗艦が長良から能代に変更。8月17日、主力部隊(戦艦大和・長門・扶桑、空母大鷹、巡洋艦愛宕・高雄・能代、駆逐艦部隊《涼風・海風・秋雲・夕雲・若月・天津風・初風》)で呉出撃、8月23日トラック進出。トラック到着後、24駆司令駆逐艦が涼風から海風に変更。
- 8月25日、第24駆逐隊(海風・涼風)が巡洋艦「那珂」「高雄」を護衛しラバウルへ輸送、27日陸兵揚陸、29日トラック帰還。9月16日、トラック泊地内で戦闘訓練中に涼風が魚雷1本喪失。
- 9月18日、第三戦隊をブラウン環礁方面へ護衛。10月、第五戦隊をラバウルまで、第三戦隊をブラウン方面へ護衛。月末、戦艦2隻(伊勢・山城)、空母2隻(隼鷹・雲鷹)、巡洋艦2隻(利根・龍田)、駆逐艦4隻(海風・涼風・谷風・曙)と共にトラックから内地帰投。10月31日、第24駆逐隊に朝潮型「満潮」が編入、3隻編制(海風・涼風・満潮)に。
1943年11月5日〜12月28日
隼鷹被雷、輸送任務継続
1944年1月18-24日
伊良湖救援、興津丸護衛
- 1月18日、ポナペ島方面輸送を担当していた涼風がトラック泊地帰投。1月19日、米潜水艦の雷撃を受けた空母「雲鷹」救援命令を受けるが、命令により引き返す。
- 1月20日、給糧艦「伊良湖」が米潜水艦シードラゴンに雷撃される。涼風は重巡「鳥海」等と共に伊良湖救援のため出動。1月24日、特設運送船「興津丸」「日豊丸」がトラックからブラウン環礁へ向け出発、涼風と第三十三号駆潜艇がこれを護衛。
1944年1月25日 23時5分 — 戦没
米潜水艦スキップジャックの雷撃で轟沈
- ポナペ島北東で米潜水艦スキップジャックが涼風を雷撃。魚雷3本のうち1本が命中、涼風は轟沈した。山下正男駆逐艦長以下231名が戦死、生存者は13名。
- スキップジャックは攻撃直後、後部発射管バルブの故障により浸水の危機に陥るも持ち直し、翌1月26日には特設運送船「興津丸」も撃沈。
1944年2月1日〜3月31日
海風も沈没、改白露型全滅
- 涼風沈没から7日後の2月1日、僚艦「海風」も米潜水艦ガードフィッシュの雷撃で沈没。改白露型(海風型)4隻——海風・山風・江風・涼風——のすべてが失われたことになる。第24駆逐隊は朝潮型「満潮」のみとなり、3月31日に解隊。
- 3月10日、涼風は白露型駆逐艦・第24駆逐隊・帝国駆逐艦籍のそれぞれから除籍された。
SUMMARY
まとめ
終わりのない輸送任務、そして最後の喪失
白露型10番艦・涼風は、改白露型(海風型)4隻の中で最後まで生き残った艦である。マカッサル沖での被雷大破、ルンガ沖夜戦、クラ湾夜戦という司令部が全滅する激戦をくぐり抜け、輸送・護衛・曳航という地味な任務を最後まで支え続けた。
しかし1944年1月、輸送船団護衛中に米潜水艦スキップジャックの雷撃を受け轟沈。その7日後には僚艦「海風」も同じ運命をたどり、改白露型4隻すべてが米潜水艦によって失われたことになる。涼風が残したものは、戦果として記録されにくい「支える仕事」こそが、駆逐艦という艦種の真の役割であったという事実である。
しかし1944年1月、輸送船団護衛中に米潜水艦スキップジャックの雷撃を受け轟沈。その7日後には僚艦「海風」も同じ運命をたどり、改白露型4隻すべてが米潜水艦によって失われたことになる。涼風が残したものは、戦果として記録されにくい「支える仕事」こそが、駆逐艦という艦種の真の役割であったという事実である。
COMPANION ARTICLE — PART 1
轟沈の夜、改白露型最後の1隻の物語
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書46『海上護衛戦』朝雲新聞社、1971年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書49『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1971年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書62『中部太平洋方面海軍作戦<2>』朝雲新聞社、1973年
- ・半藤一利『航空戦史シリーズ41 ルンガ沖夜戦』朝日ソノラマ、1984年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)涼風公文備考・海軍辞令公報
- ・Wikipedia「涼風 (駆逐艦)」「海風 (白露型駆逐艦)」「山風 (白露型駆逐艦)」