自らも傷つきながら誰かを救う——吹雪型「初雪」、513名救助の全記録

1942年10月11日深夜、サボ島沖。重巡「青葉」の被弾により五藤司令官が致命傷を負い、僚艦「吹雪」が轟沈、「古鷹」が航行不能となる中、駆逐艦「初雪」は重巡「衣笠」と行動を共にして米艦隊に砲撃を加えていた。前部水線上に被弾し、最大速力は24ノットに低下する。だが初雪はそこで戦場を離れなかった。航行不能の「古鷹」の救援に向かい、沈没後の海上から生存者513名を救助した

吹雪型駆逐艦3番艦・初雪は、「吹雪」「白雪」「深雪」と共に第11駆逐隊を編制し、太平洋戦争のほぼ全期間にわたって最前線で戦い続けた艦である。エンドウ沖海戦、蘭印作戦、バタビア沖海戦、そしてガダルカナル方面での輸送任務——その艦歴は、激しい戦闘と、地味だが命がけの救助活動の両方で構成されている。

そして——初雪のその救助の精神は、最後まで変わらなかった。1943年3月のビスマルク海海戦後には、輸送船団の生存者2700名のうちの多くを自艦に移乗させてラバウルへ送り届けている。だが、その4ヵ月後、初雪自身が空襲の前に力尽きる日が来る。

建造所 / 起工日
舞鶴工作部
1927年4月12日
進水 / 竣工
1928年9月29日 進水
1929年3月30日 竣工
基準排水量 / 速力
1,700t
34.0kt
艦型・番艦
吹雪型3番艦
(雪級3番艦・初雪型ネームシップ)
主砲型式・門数
12.7cm連装砲
3基6門
魚雷兵装
61cm3連装発射管
9射線
所属駆逐隊
第11駆逐隊
吹雪白雪・初雪・深雪)
特筆データ
古鷹生存者
513名を救助
最終的な結末
1943年7月17日
ブイン大空襲で被弾、浸水沈没
■ 吹雪型(特型)駆逐艦・雪級とは
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。初雪は舞鶴工作部で建造され、吹雪白雪・深雪と共に初期建造艦「雪級」を構成した。竣工当初は「第三十七号駆逐艦」と呼ばれていたが、1928年8月1日に「初雪」と改称された。日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦(初代)「初雪」に続いて2隻目にあたる。ネームシップ「吹雪」白雪」の沈没後は、『初雪型駆逐艦』の1番艦となった。

初雪は1927年4月12日、舞鶴工作部で起工した。1928年9月29日に進水し、1929年3月30日に竣工。呉鎮守府所属、第二艦隊・第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入された。1931年、吹雪が第11駆逐隊から除籍されて第20駆逐隊が新編されると、初雪は白雪・深雪と共に残留する。1934年、深雪が演習中の衝突事故で喪失し、第11駆逐隊は3隻編制となった。

■ 第四艦隊事件——夕霧の救援中に自らも艦首切断
1935年9月26日、三陸沖で演習中の連合艦隊が台風に遭遇した。荒天により駆逐艦「夕霧」が艦首切断(行方不明27名)。その救援に向かった初雪自身も艦首切断により行方不明者24名を出すことになった。夜が明けたのち、初雪は「薄雲」護衛の下で重巡「羽黒」に曳航され大湊へ向かった。前日には「初雪ノ溺者ニ鑑ミ人ヲ落サザル様一層厳重ナル注意ヲナセ」という戒めが旗艦から発せられていたが、その翌日に台風が艦そのものを傷つけることになった。

1936年末の編制変更で、第20駆逐隊が解隊され吹雪が第11駆逐隊に復帰。日中戦争では上海上陸、杭州湾上陸、北部仏印進駐作戦に参加した。1939年、有賀幸作中佐(後の戦艦大和最後の艦長)が第11駆逐隊司令に着任し、空母「蒼龍」「飛龍」と第二航空戦隊を編制している。

■ 開戦直後——エンドウ沖海戦からバタビア沖海戦まで ■
1942年1月27日
エンドウ沖海戦。第20駆逐隊・第11駆逐隊(初雪・白雪吹雪)が英駆逐艦サネットを撃沈。
捕虜の証言
初雪が乗員を救助し捕虜の英海軍少尉と会話したという証言があるが、戦闘詳報では捕虜の救助・尋問は「白雪」が担当したと記録されている。
3月
蘭印作戦、バタビア沖海戦に参加。第11駆逐隊は南方作戦の最前線で戦い続けた。

3月10日、東雲を喪失して2隻編制になっていた第12駆逐隊が廃止され、叢雲が第11駆逐隊に編入。開戦時以来3隻体制だった第11駆逐隊は4隻に増強された。その後もベンガル湾機動作戦、ミッドウェー海戦(連合艦隊主力部隊護衛)、インド洋方面通商破壊作戦に参加。8月7日のガダルカナル島の戦い開始によりインド洋作戦は中止され、第11駆逐隊もソロモン方面へ移動することになる。

■ ガダルカナル輸送——揚陸とルンガ泊地での撃沈
8月31日〜9月1日、第24駆逐隊・第11駆逐隊(初雪・白雪吹雪)は川口支隊1200名をガダルカナル島へ揚陸した。9月4日、夕立駆逐艦長・吉川潔中佐指揮のもと「夕立、初雪、叢雲」はルンガ泊地に突入し、米駆逐艦「グレゴリー」「リトル」を撃沈。宇垣纏連合艦隊参謀長は陣中日誌でこの行動を絶賛している。10月1日には陸軍青葉支隊司令部の輸送中、初雪は舵故障を起こし単艦でショートランド泊地へ戻った。「白雪吹雪、叢雲」による輸送は成功した。

その後、初雪は駆逐艦「綾波」と交代する形で挺身輸送隊(ショートランド〜ニュージョージア経由のガ島輸送、通称「蟻輸送」)に編入され、ニュージョージア島周辺の基地調査も担った。また駆逐艦「天霧」と共に大発動艇の曳航や物資輸送に従事している。

■ サボ島沖海戦——513名の救助 ■
【10月11日出撃】:第六戦隊(青葉・古鷹・衣笠)と第11駆逐隊第2小隊(初雪・吹雪)がヘンダーソン飛行場砲撃に向かう
【交戦】:米艦隊の奇襲を受け、五藤司令官戦死、吹雪轟沈、古鷹航行不能、青葉大破
【初雪の行動】:衣笠と行動を共にして砲撃、前部水線上に被弾し最大速力24ノットに低下
【救援】:衣笠の下令で航行不能の古鷹救援に向かい、傾斜のため横付けできず沈没後に救助作業を開始
【結果】:古鷹生存者513名(准士官以上33名、下士官兵傭人480名)を救助、短艇・円材を残し離脱

この戦闘で日本側は重巡2隻・駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦1隻大破と報告したが、実際の米側損害は駆逐艦「ダンカン」沈没、軽巡「ボイシ」大破、重巡「ソルトレイクシティー」小破などだった。ネームシップ「吹雪」の喪失により、『吹雪型駆逐艦』は同日付で『白雪型駆逐艦』に改定される。11月2日には旗艦変更後の第三水雷戦隊(衣笠・川内・天霧・初雪)として輸送作戦を支援。11月5日には初雪・望月によるガ島基地撤収作戦を完了させている。

■ 初雪の全戦歴ハイライト ■
【1929年3月】:吹雪型・雪級として竣工。第11駆逐隊(吹雪白雪・初雪・深雪)編成
【1935年9月】:第四艦隊事件。夕霧救援中に自らも艦首切断
【1942年1月27日】:エンドウ沖海戦。英駆逐艦サネット撃沈に貢献
【1942年3月1日】:バタビア沖海戦に参加
【1942年9月4日】:ルンガ泊地突入、米駆逐艦2隻撃沈に貢献
【1942年10月11日】:サボ島沖海戦。被弾しながらも古鷹生存者513名を救助
【1942年11月14日】:第三次ソロモン海戦第二夜戦。直衛隊として米戦艦と交戦
【1943年3月】:ビスマルク海海戦後、輸送船団生存者2700名のうち多数を救助・送還
【1943年7月5日】:クラ湾夜戦。不発弾2発被弾、第三水雷戦隊司令部全滅を目撃
【1943年7月17日】:ブイン大空襲。至近弾多数・艦橋後部被弾、浸水沈没

11月中旬、初雪は近藤信竹第二艦隊司令長官の指揮下、第三次ソロモン海戦第二夜戦に参加する。直衛隊(長良・五月雨・電・白雪・初雪)の一艦として米戦艦ワシントン・サウスダコタ、駆逐艦4隻と交戦。日本側は戦艦霧島・駆逐艦綾波を喪失したが、米駆逐艦3隻(ウォーク・ベンハム・プレストン)を沈没させている。12月上旬、初雪は雪風と共に空母「飛鷹」を護衛して内地へ帰投した。

■ ビスマルク海海戦——2700名の生存者を運んだ駆逐艦
1943年2月25日、第11駆逐隊は天霧・夕霧の編入で4隻(初雪・白雪・天霧・夕霧)となるが、3月3日のビスマルク海海戦で白雪・朝・荒・時津風と輸送船8隻がダンピール海峡で沈没する。この惨敗を受け、初雪は救援に赴き「敷波、浦波、雪風、朝雲」と合流。各艦に燃料を補給し、生存者2700名のうち初雪・浦波に移乗させた者をラバウルへ送り届けた(3日16時50分現場発、4日10時15分着)。「敷波、雪風、朝雲」は再び戦闘海域に戻って遭難者を救助し、3月5日朝にラバウルへ戻っている。4月1日、白雪喪失により『白雪型駆逐艦』は『初雪型駆逐艦』に改定され、初雪はそのネームシップとなった。

6月30日、米軍がニュージョージア島ムンダ飛行場対岸のレンドバ島に上陸し、ニュージョージア島の戦いが始まる。第三水雷戦隊(秋山輝男少将)はレンドバ島突入を命じられ、初雪も先行隊として進出するが会敵せず。7月2日、突撃隊として米軍上陸部隊砲撃に向かうが米軍魚雷艇と交戦、2隻を撃沈してブインへ引き揚げた。

■ クラ湾夜戦——司令部全滅の中、初雪は生還
7月5日夕刻、コロンバンガラ島への全力輸送作戦のため、秋山少将率いる支援隊・第一次輸送隊・第二次輸送隊(初雪・天霧ら)がそれぞれ出撃。米艦隊(軽巡3・駆逐艦4)と交戦し、「新月」「長月」が沈没、新月と共に秋山少将以下第三水雷戦隊司令部が全滅した。初雪も砲撃戦を行い、不発弾2発を受けたが沈没を免れた。輸送物件の約半分(陸兵1,600名・物資90トン)は揚陸に成功した。損傷した初雪・望月はラバウルへ後退し応急修理を実施。新司令官着任までの数日間、有賀幸作大佐(かつての第11駆逐隊司令)が増援部隊指揮官を代行した。

新司令官・伊集院松治大佐が着任すると、第七戦隊司令官・西村祥治少将を指揮官とする部隊が編成され、初雪・望月は先行してブインへ入港。重油・物件の移載作業中の7月17日朝、ブインは大型爆撃機19機・戦爆約150機の大空襲を受ける。

浅い水深のためマストは海面上に出ていた

至近弾多数と艦橋後部への被弾を受けた初雪は、浸水によって水平状態のまま沈没した。

——1943年7月17日、ブイン大空襲にて。第11駆逐隊司令・山代大佐の回想として伝わる。

■ 最期——ブイン大空襲
「初雪《第11駆逐隊司令山代大佐座乗》、望月」は西村艦隊に先行して16日夕刻にラバウルを出撃、17日午前5時にブインへ入港し、初雪は「水無月」に横付けして物件・重油の移載をおこなっていた。その最中、ブインは大型爆撃機19機・戦爆約150機の波状空襲を受ける。至近弾多数と艦橋後部附近への被弾を受けた初雪は、浸水により水平状態で沈没した。僚艦「皐月」「水無月」も小破、翌日には「望月」も小破している。

10月15日、初雪は初雪型駆逐艦・第11駆逐隊・帝国駆逐艦籍のそれぞれから除籍された。ネームシップである初雪自身の沈没後も、『初雪型駆逐艦』という名称は改定されずにそのまま用いられ続けた。

■ 猫工艦の考察 初雪という艦の本質は、「自らも被弾しながら誰かを救う」という姿勢の一貫性にある。サボ島沖海戦では前部水線上に被弾しながら古鷹生存者513名を救助し、ビスマルク海海戦の後には輸送船団の生存者2700名のうちの多くを自艦に乗せてラバウルへ送り届けた。地味な救助活動の積み重ねが、この艦の艦歴の本質的な部分を占めている。

しかし、その救助の精神も、艦自身の安全を保証するものではなかった。第四艦隊事件では僚艦救援中に自らも艦首切断という被害を受け、最後はブインでの大規模な空襲を前に、浸水によって静かに沈んでいった。クラ湾夜戦という激戦をくぐり抜けた直後の最期は、決して劇的な撃沈劇ではなく、停泊中の艦が制空権を失った戦場で力尽きていく現実を映している。

初雪が残したものは、戦果の記録だけではない。513名、2700名のうちの多くという、この艦が救った命の総数こそが、戦争という記録の中で見過ごされがちな価値を物語っている。

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■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1975年
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『中部太平洋方面海軍作戦(2)昭和十七年六月以降』
  • ・宇垣纏『戦藻録』原書房、1968年
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
  • ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • ・深井俊之助『私はその場に居た 戦艦「大和」副砲長が語る真実』宝島社、2016年
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
  • ・Wikipedia「初雪 (吹雪型駆逐艦)」

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