峯風型 · 9番艦 · 第30駆逐隊
AKIKAZE 秋風
太平洋戦争の光と影を刻んだ駆逐艦
三菱長崎造船所が建造した峯風型駆逐艦9番艦。竣工から23年、太平洋戦争のほぼ全期間を戦い抜き、睦月型の第30駆逐隊に編入され、1944年11月、空母「隼鷹」護衛中に米潜水艦「ピンタド」の雷撃を受け戦没した。艦歴には1943年3月の「駆逐艦秋風虐殺事件」という重大な戦争犯罪の記録も含まれる、正確な史実の記録。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
峯風型 9番艦
DISPLACEMENT
1,215 t
MAX SPEED
39.0 kt(計画)
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
53.3cm連装(魚雷8本)
FATE
1944.11.3 南シナ海で戦没
| 艦名 | 秋風(あきかぜ) |
| 艦型・番艦 | 峯風型駆逐艦 9番艦 |
| 計画 | 1917年度計画(八四艦隊案) |
| 建造所 | 三菱造船(株)長崎造船所 |
| 進水 | 1920年(大正9年) |
| 竣工日 | 1921年(大正10年)4月1日 |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)1月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 横須賀鎮守府籍 |
| 全長 | 102.6m |
| 基準排水量 | 1,215t(竣工時)/公試1,345t |
| 出力 | 38,500馬力(計画) |
| 速力 | 39.0ノット(計画) |
| 主砲 | 12cm単装砲 4門 |
| 魚雷発射管 | 53.3cm連装発射管、魚雷8本搭載 |
| 最終艦長 | 山崎某艦長(戦没時、乗組員全員と共に行方不明・戦死認定) |
| 所属部隊 | 横須賀鎮守府部隊→第34駆逐隊(羽風・秋風・太刀風)→睦月型第30駆逐隊(松風・卯月・夕月)/第三水雷戦隊他 |
| 特記事項 | 1943年3月18日、「駆逐艦秋風虐殺事件」——カビエンからラバウルへの移送中、艦上でカイリル島・マヌス島等の民間人約70名(ドイツ人を中心とする多国籍)が死亡。戦後、連合国により戦争犯罪として調査された |
| 最期 | 1944年11月3日午後10時53分、空母「隼鷹」護衛中、米潜水艦「ピンタド」の魚雷が命中し大爆発。午後10時58分沈没。乗組員全員行方不明 |
| 戦後 | 1991年、呉海軍墓地に慰霊碑建立(1983年建立の「隼鷹」慰霊碑の傍ら) |
TIMELINE
HISTORY
秋風 全戦歴タイムライン
1920年 — 進水
三菱長崎造船所にて進水
- 1917年度計画(八四艦隊案)による建造。
1921年4月1日 — 竣工
竣工。横須賀鎮守府に所属
- 一等駆逐艦に類別、横須賀鎮守府籍に編入。日本近海での任務に従事。
1933年3月 — 昭和三陸地震
被災地への救援任務
- 三陸沖地震・津波の被災地救援にあたる。
1937-1940年 — 日中戦争、第34駆逐隊編入
華中沿岸作戦から南方戦線へ
- 日中戦争で華中沿岸の諸作戦に参加。1940年末、「羽風」「太刀風」と第34駆逐隊を編成。
1943年3月18日
駆逐艦秋風虐殺事件
- カビエンを出港しラバウルへ向かう途上、艦上のカイリル島・マヌス島等の民間人(ドイツ人を中心に多国籍、約70名)が死亡。
- 戦後、連合国の戦争犯罪調査対象に。第八艦隊(三川軍一中将・大西新蔵少将)と南東方面艦隊(草鹿任一中将)の間で指揮責任の所在が争われる。
- 1948年10月、旧「秋風」機関長・小口茂ら乗組員が裁判の証人に。同月、南東方面艦隊戦時日誌の提出により指揮系統が明らかにされた。
1943年後半-1944年前半 — ラバウル方面での任務
船団護衛・輸送任務を継続
- ラバウル方面を中心に、南西太平洋での海上護衛戦に従事し続ける。
1944年5月1日 — 第30駆逐隊編入
睦月型の艦隊へ、峯風型のまま加わる
- 「松風」「卯月」「夕月」と共に第三水雷戦隊隷下の第30駆逐隊を編成。竣工23年の艦体で最前線任務を続ける。
1944年6-9月 — 相次ぐ僚艦の喪失
第30駆逐隊、次々と艦を失う
- 6月、「松風」が米潜水艦「ソードフィッシュ」の雷撃で沈没。部隊は「皐月」「夕凪」を加え5隻編成に。
- 8月、「夕凪」が「ピクーダ」に撃沈。9月、「皐月」も空襲で戦没。部隊は「秋風」「卯月」「夕月」の3隻に。
1944年10月 — 捷一号作戦
小沢艦隊給油タンカーの護衛
- 小沢治三郎中将率いる機動部隊の給油タンカー「仁栄丸」を護衛する任務にあたる。
1944年10月30日-11月3日
隼鷹隊合流、南シナ海での最期
- 10月30日、隼鷹隊が佐世保出発。「秋風」は31日に合流。台湾・馬公に立ち寄った後、ブルネイへ向け航行。
- 11月3日午後10時53分、米潜水艦「ピンタド」が「隼鷹」に向け発射した魚雷6本のうち1本が「秋風」に命中、大爆発。
- 午後10時58分、艦尾部分沈没。「夕月」が救援にあたるも、山崎艦長以下乗組員全員行方不明。「卯月」「夕月」の爆雷攻撃でピンタドは離脱、「隼鷹」は無事だった。
- 沈没地点:ルソン島サンフェルナンド西方(北緯16度50分・東経117度11.9分)。
1945年1月10日 — 除籍
峯風型・帝国駆逐艦籍より除籍
- 同日、多号作戦で残存していた「夕月」「卯月」も戦没しており、第30駆逐隊も同日付で解隊された。
1991年 — 慰霊碑建立
呉海軍墓地に「秋風」の慰霊碑
- 1983年に建立された空母「隼鷹」の慰霊碑の傍らに、8年後、「秋風」の慰霊碑が建立された。
SUMMARY
RECORD
秋風 全艦歴まとめ
秋風は1921年に三菱長崎造船所で竣工した峯風型駆逐艦9番艦。竣工後は横須賀鎮守府に所属し、昭和三陸地震での救援任務、日中戦争での華中沿岸作戦などに従事した。艦歴の中には、1943年3月18日の「駆逐艦秋風虐殺事件」という重大な戦争犯罪の記録が含まれ、戦後、連合国による戦争犯罪調査と裁判の対象となった。1944年5月、竣工から23年を経て睦月型の第30駆逐隊に編入され、相次ぐ僚艦の喪失を経験しながらも最前線任務を続けた。同年11月3日、空母「隼鷹」護衛中に米潜水艦「ピンタド」の雷撃を受け、大爆発とともに戦没。乗組員全員が行方不明となった。1945年1月10日除籍。1991年、呉海軍墓地に慰霊碑が建立されている。
史実として正確に記録すべき出来事——1943年3月の事件は、戦後に連合国の戦争犯罪調査対象となった重大な史実である。指揮命令系統の所在は当時の関係者の間で争われ、南東方面艦隊の戦時日誌によって明らかにされた。
盾となったのか、偶然だったのか——「隼鷹」を狙った魚雷が「秋風」に命中したことで空母は難を逃れた。この最期の真相は、今も定かではない。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛庁防衛研修所戦史部『中部太平洋方面海軍作戦〈2〉昭和十七年六月以降』戦史叢書第62巻、朝雲新聞社、1973年
- ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年
- ・木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年
- ・塚田享「ラバウル海域の雄『峯風型』の三十四駆逐隊」(戦史研究論考)
- ・『丸』編集部編『写真 日本の軍艦 駆逐艦I 睦月型・神風型・峯風型』第10巻、光人社、1990年
- ・BC級戦犯裁判関連記録(連合国戦争犯罪調査記録)
- ・Wikipedia「秋風 (駆逐艦)」「峯風型駆逐艦」
- → 【諸元と全戦歴】松風——竣工から父島沖での最期まで