日本海軍軽巡洋艦は、駆逐艦を率いる「水雷戦隊旗艦」として一貫した設計思想で発展した艦種だ。 天龍型・5,500トン型(球磨・長良・川内型)・試作艦「夕張」・阿賀野型・大淀型——全9クラスの 設計思想・基本諸元・系譜上の位置づけを、japanese-warship.com・Wikipedia等の検証資料に基づき完全解説する。
日本海軍軽巡洋艦は「艦隊決戦における水雷戦隊旗艦」という単一の戦術思想のもとに設計され続けた点で、駆逐艦よりも一貫性の強い系譜を持つ。下表は主要9クラスの基本データを竣工順に並べたものである。
| クラス | 竣工年 | 隻数 | 基準排水量 | 速力 | 主砲 | 魚雷発射管 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 天龍型 | 1919 | 2 | 3,230 t | 33.0 kt | 14cm単装×4 | 53cm連装×3(6射線) |
| ★球磨型 | 1920-21 | 5 | 5,500 t | 36.0 kt | 14cm単装×7 | 53cm連装×4(8射線) |
| 長良型 | 1922-25 | 6 | 5,570 t | 36.0 kt | 14cm単装×7 | 61cm連装×4(8射線) |
| 川内型 | 1924-25 | 3 | 5,595 t | 36.0 kt | 14cm単装×7 | 61cm連装×4(8射線) |
| ★夕張(試作) | 1923 | 1 | 2,890 t | 35.5 kt | 14cm単装×6 | 61cm連装×2(4射線) |
| 香取型(練習巡洋艦) | 1940-41 | 3 | 5,890 t | 18.0 kt | 14cm単装×4 | なし |
| ★阿賀野型 | 1942-44 | 4 | 6,652 t | 35.0 kt | 15.2cm連装×3(6門) | 61cm4連装×2(8射線) |
| ★大淀型 | 1943 | 1(仁淀は未完成) | 8,164 t | 35.0 kt | 15.5cm3連装×2(6門) | なし |
1915年の八四艦隊案に基づき設計された日本海軍最初の軽巡洋艦。基本計画番号C33・設計は河合定二。艦型は同時期の駆逐艦(江風型)を拡大した形で、「巡洋艦ではなく大型駆逐艦」として各部が計画された点が特徴的だ。基準排水量3,230t・速力33kt(夕張を除けば軽巡中最小)。日本海軍の巡洋艦として初めてオール・ギアード・タービンを搭載したが、頻発する故障に悩まされ、1番艦「天龍」の竣工は2番艦「龍田」より半年遅れた。艦型が小さく改装の余地がほとんどなかったため、ほぼ竣工時の姿のまま太平洋戦争に投入され、2隻とも戦没した。
天龍型が小型すぎたことの反省から、八八艦隊計画における水雷戦隊旗艦として大型化された艦型。水雷戦隊旗艦には「駆逐艦に劣らぬ高速力・長大な航続力・敵駆逐艦を撃破できる砲力と雷力・水上偵察機の搭載・補給能力」が求められ、これに応える形で誕生した。基準排水量5,500t・速力36kt・出力9万馬力。太平洋戦争開戦時にはすでに艦齢20年を超える老艦だったが、5隻のうち「北上」「大井」は1941年に61cm4連装発射管5基(片舷)・両舷40門という前代未聞の重雷装艦に改装された。5隻中4隻が戦没。
球磨型の改良型として「5,500トン型」第2グループを成す。最大の変更点は魚雷発射管の口径拡大——53cmから61cm連装4基8射線へ刷新された。この転換は睦月型駆逐艦と同時期であり、日本海軍の雷撃戦術が次の段階へ移行したことを示す。艦橋下の航空機格納庫は使い勝手が悪く、後の近代化改装で撤去されカタパルトに置き換えられた。1番艦「長良」は太平洋戦争で第十戦隊旗艦を務め、第二次・第三次ソロモン海戦で奮戦し米軽巡「アトランタ」に損傷を与え、米駆逐艦「プレストン」を撃沈する戦果を記録した。
長良型の艦型をほぼ踏襲した最終グループ。基準排水量5,595t・速力36ktは長良型と大差ないが、細部の改良が施されている。本来は4番艦「加古」が予定されていたが、ロンドン軍縮条約を見据えた重巡洋艦への方針転換により「加古」は古鷹型重巡として完成し、川内型は3隻のみとなった。これ以降、日本海軍は新型軽巡洋艦の建造を約20年近く行わず(次の新造軽巡は阿賀野型まで待つことになる)、5,500トン型は長く主力として運用され続けた。3隻全て戦没。
不況による予算削減の中、小さな艦体に5,500トン型相応の戦闘力を詰め込むことを目指した試作艦。基準排水量わずか2,890t(5,500トン型の半分強)でありながら14cm単装砲6門・61cm連装魚雷発射管2基4射線を搭載した、徹底した軽量化設計の極致だ。この設計思想——コンパクトな艦体への重武装という発想——は、後の特型駆逐艦、さらには重巡洋艦の武装強化設計の礎になったとされる。ただし艦体が小さすぎたため航空機(水上偵察機)の搭載が不可能で、これが後年の運用上の欠点となった。1944年、パラオ近海で米潜水艦の雷撃により戦没。
正式には軽巡洋艦ではなく「練習巡洋艦」に類別されるが、艦型としては軽巡洋艦に準じる。海軍兵学校卒業生の遠洋航海実習を主目的とし、速力18ktという低速・14cm単装砲4門という軽武装が特徴。3隻(香取・鹿島・香椎)が建造されたが、戦況悪化により実際には潜水艦隊旗艦・船団護衛など軍事任務に転用された。香取は1944年トラック空襲で戦没、鹿島は終戦まで生存した。
老朽化した5,500トン型に代わる新型旗艦として、マル4計画で6隻計画された軽巡のうち4隻を占めた艦型。速力は35〜36ktから32〜33ktへ低下し航続距離も新型駆逐艦に劣るという5,500トン型の問題点を解消すべく、重巡をベースにするか軽巡をベースに小型軽快性を追求するかの選択で、日本は後者を選んだ。基準排水量6,652tは米クリーブランド級(11,000t超)より遥かに小柄だが、61cm4連装魚雷発射管2基8射線という雷装は健在。「矢矧」は阿賀野型で最も戦闘参加が多く、1945年4月の坊ノ岬沖海戦で「大和」護衛として奮戦、魚雷7本・爆弾12発を受けてなお戦い続け、大和沈没の10分前に没した。
日本海軍が建造した最後の大型軽巡。当初は潜水艦隊2隻分を統率する「潜水戦隊旗艦」として企画され、水上偵察機「紫雲」6機運用を前提に設計された——軍令部の初期要求では基準排水量わずか5,000〜6,600t・主砲ゼロ・12.7cm高角砲8門のみという防空巡洋艦に近い構想だったが、最終的には基準排水量8,164t・15.5cm3連装砲2基(最上型重巡で余剰となった主砲を流用)・速力35.0ノットという独自性の強い艦に仕上がった。魚雷は搭載せず——日本軽巡として唯一、雷装を持たない艦型である。結局、潜水艦隊旗艦としての運用機会はほとんどなく、優秀な通信設備を活かして連合艦隊旗艦の任を担った。同型艦「仁淀」は戦局悪化により未完成のまま終戦を迎えた。
軽巡洋艦9クラスを通して見えるのは、駆逐艦と同じく「何を最優先するかの組み替え」の歴史だ。天龍型から5,500トン型まで、求められたのは一貫して「駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊旗艦」としての性能——高速力・長大な航続力・強力な雷装。これは日本海軍が戦艦保有数で劣勢だったがゆえの、夜戦魚雷攻撃という戦術思想と直結していた。
しかし阿賀野型・大淀型に至ると、その前提が揺らいでいることが分かる。阿賀野型は5,500トン型の正統な後継として作られたが、竣工がミッドウェー海戦後で、想定していた「艦隊決戦での雷撃戦」の機会はほとんど訪れなかった。大淀型はさらに象徴的だ——軽巡として唯一、魚雷を搭載しない艦として完成し、結局は通信能力を活かした「ただの旗艦」として運用された。水雷戦隊旗艦という役割そのものが、航空兵力とレーダーの時代に意味を失っていく過程が、この2クラスには刻まれている。
猫工艦はこの系譜を、「日本海軍が想定した戦争」と「実際に来た戦争」のずれの記録として読む。天龍型から大淀型まで、求め続けられた「旗艦」という役割の中身は変わらなかったが、その旗艦が実際に率いるべき戦闘そのものが、時代とともに姿を変えていったのだ。
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SHOP を見る →・japanese-warship.com「軽巡洋艦(二等巡洋艦)一覧」「天龍型軽巡洋艦」「阿賀野型軽巡洋艦」「大淀型軽巡洋艦」「長良」「矢矧」各記事
・日本海軍艦艇入門「球磨型、長良型、川内型」(nihonkaigun.ikaduchi.com)
・なみだれ日記「水雷戦隊の旗艦として活躍【軽巡洋艦】」(namidare777.com)
・大日本帝国海軍 連合艦隊ww2「軽巡洋艦一覧」
・『丸』編集部編「世界の艦船」傑作軍艦アーカイブ⑳ 軽巡「天龍」型/「球磨」型/「長良」型/「川内」型
・防衛省防衛研究所 戦史叢書 各巻 朝雲新聞社
・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
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