鉄底海峡に散った単艦の閃光——特型Ⅱ型「綾波」と32分間の死闘

「右砲戦、右魚雷戦」——戦艦2隻・駆逐艦4隻の米艦隊に単艦で挑んだ特型Ⅱ型「綾波」の全艦歴。作間英邇中佐の証言と共に詳細解説。

1942年(昭和17年)11月14日午後9時16分——ガダルカナル島北方、サボ島南水道。 月のない漆黒の夜、単艦でサボ島の西側を哨戒していた駆逐艦「綾波」の見張員が、艦首右方距離8,000に単縦陣で進む艦影を捉えた。
味方主隊「川内」以下はすでに後退し、友軍からの通報はサボ島に遮られて届かなかった。 作間英邇中佐の目の前に展開していたのは、ウィリス・A・リー少将が率いる新鋭戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」と駆逐艦4隻——計6隻の強力な米艦隊だった。
それでも作間中佐は即座に下令した。「右砲戦、右魚雷戦」。 30ノットに増速した「綾波」が闇の中へ突進した、その32分間が始まった。

駆逐艦「綾波(あやなみ)」は、特型駆逐艦(吹雪型)の11番艦にして、特型Ⅱ型(綾波型)のネームシップである。 Ⅰ型(吹雪型)から主砲をA型(仰角40°)からB型改一(仰角75°)へと換装し、対空戦闘能力を大幅に向上させた改良型の筆頭艦として、1928年(昭和3年)1月20日に大阪・藤永田造船所で起工。1930年(昭和5年)4月30日に竣工した。 第19駆逐隊(磯波・浦波・敷波・綾波)に編入され、日中戦争・マレー作戦・蘭印作戦・ミッドウェーと転戦し、ガダルカナルの鼠輸送に繰り返し従事した歴戦の艦が、最後に挑んだのが帝国海軍史上屈指の単艦格闘戦だった。

この記事には、三つの際立った場面がある——特型Ⅱ型への進化がもたらした技術的革命。サボ島の闇で繰り広げられた奇跡と地獄の32分間。そして沈みながらも軍歌を歌い続けた乗員たちの誇りと、艦長が後に語った「戦艦だと知っていたら俺も退いた」という率直な証言。 鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)に眠る「綾波」の全記録を、今ここに語り起こす。

IJN DESTROYER · 特型Ⅱ型(綾波型)· 吹雪型11番艦 · 第19駆逐隊 · 1930年竣工 特型駆逐艦「綾波(あやなみ)」
建造所・起工
藤永田造船所(大阪)
1928年1月20日起工
進水・竣工
1929.10.5 / 1930.4.30
初代艤装員長:後藤鉄五郎 中佐
基準排水量・全長
1,680t / 118.5m
全幅10.36m・吃水3.2m
最大速力・出力
38.0ノット
50,000馬力(タービン2基2軸)
主砲(特型Ⅱ型の要)
50口径12.7cm B型改一連装砲
3基6門(仰角75°・対空対応)
魚雷兵装
61cm三連装発射管
3基9門(九三式酸素魚雷)
所属駆逐隊
第19駆逐隊
第三水雷戦隊(橋本信太郎少将)
特筆データ
単艦で米艦隊6隻に突入
駆逐艦2隻撃沈・2隻大破損傷・戦艦砲戦不能
最終・戦没
1942.11.15 戦没
鉄底海峡(サボ島南方)・乗員8割以上生還
特型Ⅱ型(綾波型)——仰角75度の革命と、「綾波」が担った筆頭艦の重み

特型Ⅰ型(吹雪型)が世界に衝撃を与えてから数年後、帝国海軍は更なる改良に着手した。 最大の変更点は主砲である。Ⅰ型のA型連装砲(仰角40°)に代わり、Ⅱ型からはB型改一連装砲(仰角75°)を採用。仰角を大幅に引き上げることで、対空砲撃の射界が飛躍的に拡大した。加えて艦橋構造も大型化され、より近代的なシルエットを獲得している。 前部煙突の若干の細径化(Ⅲ型で顕著になる変更の先駆け)なども施され、「綾波」はこれら改良型特型の第1番艦として1930年に就役した。

比較項目 特型Ⅰ型(吹雪型) 特型Ⅱ型(綾波型)★
主砲型式 A型連装砲 B型改一連装砲
主砲仰角 40度 75度(対空射撃が可能)
艦橋構造 標準型 大型化・近代化
魚雷・速力 61cm三連装9門・38kt 同仕様を継承・維持
識別点 標準径の煙突 前部煙突が若干細径化
■ 仰角75度の意味
Ⅰ型の仰角40°では航空機への射撃角度に大きな制限があった。B型改一の75°は、高高度から急降下する航空機にも対応可能にした。太平洋戦争が航空時代へと移行する直前に施されたこの改良は、先見性という意味で評価に値する。ただし、後の戦訓から見ればより抜本的な対空強化が求められた。
■ 綾波(あやなみ)の全戦歴ハイライト ■
1928年1月:藤永田造船所(大阪)にて起工。1929年10月5日進水。
1930年4月30日:竣工。第19駆逐隊(磯波・浦波・敷波・綾波)に編入。第三水雷戦隊配属。
1937年以降:日中戦争に従事。上海・杭州湾上陸作戦に参加。
1941年12月8日:太平洋戦争開戦。マレー半島コタバル上陸作戦支援。作間艦長(着任同年9月12日)が大東亜戦争「艦砲射撃第一号」と主張する対空射撃を実施。
1941年12月19日:「浦波」「夕霧」と協同でオランダ海軍潜水艦O-20を撃沈。生存者救助。
1942年2〜4月:蘭印作戦・ベンガル湾機動作戦(小沢中将指揮)に参加。インド洋通商破壊戦。
1942年2月17日:海図未記載の暗礁でスクリューを損傷。蘭印部隊を離れ旗艦「鳥海」と行動。
1942年6月:ミッドウェー海戦。連合艦隊主力部隊(山本長官直率)護衛。敗戦後の撤退護衛。
1942年8月以降:ガダルカナル島の戦いに投入。鼠輸送(東京急行)に繰り返し従事。
1942年11月14〜15日第三次ソロモン海戦(第二夜戦)——単艦で米艦隊6隻に突入。駆逐艦2隻撃沈・2隻大破・戦艦サウスダコタを砲戦不能に追い込む大戦果。自艦は大破炎上・航行不能に。
1942年11月15日 00:06:2度目の大爆発ののち鉄底海峡に沈没。戦死42名・乗員8割以上が生還。
1942年12月15日:除籍。1992年、ロバート・バラード率いる調査チームがサボ島海面400m地点に「綾波」を発見(当初「暁」と誤認)。
エピソード①「右砲戦、右魚雷戦」——1対6の32分間、サボ島南水道、1942年11月14日夜

第三次ソロモン海戦の第二夜——前日の夜戦で戦艦「比叡」を失った帝国海軍は、再び戦艦「霧島」を中核とする艦隊でガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を目指した。 前進部隊の前路警戒を担う掃討隊(川内・綾波・敷波・浦波)はサボ島近海の哨戒にあたり、「川内」「綾波」が島の西側へ、「敷波」「浦波」が東側へと分離した。

東側の「浦波」が米艦隊を発見し報告。「川内」はその支援のため「綾波」から離れ、東側へ急速転進した。こうして「綾波」は予定の哨戒コース——サボ島南側を回って主隊と合同するルートを、単艦で進むことになった。 この時、「川内」が全艦隊へ向けて放った「敵艦隊発見」の通報は、サボ島の山体に電波を遮られ、「綾波」には届かなかった。

午後9時16分、サボ島南水道に進入した「綾波」の見張員が、艦首右方距離8,000mに単縦陣を発見した。 作間英邇中佐の判断は——「駆逐艦4隻と重巡1隻」。後方に控える巨大な影を戦艦と見抜けなかったのは、月のない暗夜のせいだった。作間中佐は後に「もし戦艦だと分かっていれば、私も退いていたかもしれない」と率直に証言している。 しかし知らぬが仏——「重巡なら戦える」と判断した作間中佐は、即座に「右砲戦、右魚雷戦」を下令した。

■ 第三次ソロモン海戦・綾波の32分間 詳細時系列 ■
21:16
「綾波」見張員が右方距離8,000mに米艦隊(単縦陣)を発見。「川内」からの通報は届いていない。
即座に
作間中佐「右砲戦、右魚雷戦」下令。「敵は駆逐艦4隻・重巡1隻」と主隊に通報。30ktに増速して突撃開始。
21:20
距離5,000mで米艦隊が「綾波」に気づき砲撃開始。ほぼ同時に作間中佐も砲撃開始を下令。
初弾が米駆逐艦「プレストン」(3番艦)と「ウォーク」(1番艦)に命中し、両艦が炎上。
21:22
米艦隊の集中砲撃で「綾波」の第1煙突に命中弾。1番魚雷発射管が旋回不能に故障。艦載内火艇のガソリンタンクへの延焼で装填魚雷3本が炙られ始める——爆発は時間の問題に。
21:30
作間中佐、残存する2番・3番連管からの雷撃を下令。
21:33
魚雷が「ウォーク」艦首に命中——前部主砲弾薬庫が誘爆し21:43に沈没。
「ベンハム」艦首にも命中し大破・航行不能・艦隊落伍(翌日自沈)。
「サウスダコタ」にも命中弾を与え、電気系統の故障(人的ミスと複合)により副砲とレーダーが沈黙。
以後
「ワシントン」がレーダーで「綾波」を捕捉し集中砲火。2番砲塔被弾・機関室に2発命中し航行不能・操舵不能に。「プレストン」は長良隊との交戦でも損傷し沈没。「グウィン」は機関部損傷で落伍。
戦闘終了
上甲板火災は消火不能。作間中佐「総員退艦」を下令。乗員全員が海中へ。「浦波」が全員を収容。
23:46
「綾波」にて魚雷が誘爆。
翌15日 00:06
2度目の大爆発ののち「綾波」は鉄底海峡に沈没。戦死27名(収容後死亡含め計42名)。乗員の8割以上が生還した。
■ 駆逐艦単艦としての史上的戦果
「綾波」が相手取ったのは戦艦2隻・駆逐艦4隻の計6隻。その中で達成した戦果——駆逐艦2隻撃沈・2隻大破損傷・新鋭戦艦砲戦不能——は、駆逐艦単艦の戦果として帝国海軍史上最大規模のものである。アメリカ側の記録と日本側の記録に一部相違があるものの(米側は魚雷命中なしとする)、米駆逐艦4隻中3隻が戦闘不能に陥った事実は両側の記録が認めている。
エピソード②「軍歌が海に響いた夜」——退艦から漂流、そして作間艦長の証言

上甲板が炎に包まれ、魚雷の誘爆が時間の問題となった「綾波」。作間中佐は最後の決断を下した——「総員退艦」。 乗員たちは沈没前に細心の注意を払った。爆雷に安全装置をつけて海底に沈め、浮遊物を海中に散らしてから飛び込んだのである。溺死・圧死を防ぐための、冷静な措置だった。

漂流する乗員たちに、恐怖はなかった。 その当時の誤認——「自艦が重巡を含む敵3隻を撃沈した」という大戦果の高揚感が、海面に広がっていた。自艦が沈んだというのに、漂流しながら軍歌を合唱する乗員たちがいたほどだったという。 駆けつけた「浦波」に生存者全員が収容された後、23:46に魚雷が誘爆。15日00:06、2度目の大爆発をもって「綾波」は鉄底海峡に消えた。

作間中佐はガダルカナル島に渡り、2週間後に潜水艦「伊17」に便乗してトラック経由で横須賀へ帰還した。そして後に、あの夜の真実を証言した。

「この夜、川内はずっと離れていたと見えて、姿を見ていません。
戦艦が2隻いることに最初から気づいていれば、綾波も撤退していたかもしれない」

——作間英邇 中佐(「綾波」最後の艦長)の証言

(各種戦史・証言録より)

■ 「知らなかった」から生まれた奇跡
作間艦長の率直な証言は、「綾波」の突入が英雄的な決死の覚悟からだけではなく、敵の正体を見誤った状況判断の結果でもあったことを示している。しかしそれは勇敢さを損なうものではない。「重巡なら戦える」と判断して即座に突撃した判断力と、艦が沈む中で乗員の生還を最大化するための冷静な行動——その両面が、「綾波」の戦いをより人間的で、より深い記録にしている。
エピソード③「50年後の再会」——1992年、海底400mに眠る「綾波」の発見

1992年(平成4年)夏、タイタニックと戦艦ビスマルクを発見したことで知られる海洋研究者ロバート・バラード率いる調査チームが、アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)の調査を実施した。 サボ島海面400mの海底に、特型駆逐艦の艦影が見つかった。当初は同海戦で沈没した「暁」と思われていたが、「暁」の元水雷長・新屋徳治がその艦容を分析し「綾波」であると指摘。50年の時を経て、あの夜の主役が海底で確認された。

一方、作間英邇中佐は「綾波」沈没後も生き続け、再び駆逐艦長の任に就いた。 就任先は竣工したばかりの秋月型防空駆逐艦「冬月」——帝国海軍の最新鋭艦である。 1944年10月、大和特攻では第43駆逐隊司令として「桐」に座乗し豊後水道まで同行したが、命令により引き返すことになり、再び生き延びた。終戦時の最終階級は大佐。

■ 作間英邇 中佐の「綾波」後 ■
1942年11月:「綾波」沈没。ガダルカナル島に渡り2週間後に伊17で帰還。
その後:秋月型防空駆逐艦「冬月」艦長に着任。新鋭防空艦の指揮官として再起。
1944年10月:大和特攻作戦・第43駆逐隊司令として「桐」に乗艦。豊後水道まで随行後、命令により引き返し生還。
終戦時:最終階級・大佐。「綾波」での戦果と証言は後世の戦史研究に貴重な一次資料を提供した。
猫工艦の考察——「綾波」が示す「見敵必戦」の本質

「綾波」の本質は、完全な情報なき状況下での即応判断にある。サボ島が電波を遮り、味方主隊はすでに後退し、眼前の艦影が戦艦2隻を含む強大な艦隊だとも知らぬまま——作間中佐は「重巡なら戦える」と判断し、0秒で突撃を命じた。その判断が歴史を作った。

しかし「綾波」の記録が示すのは、英雄譚の一面だけではない。艦長自身が「知っていれば退いた」と明言した事実、1番魚雷発射管が序盤で故障し残された2・3番管で戦い続けた現実、そして戦死42名の重み——大戦果の裏に、失われた命と機械の限界がある。漂流中に軍歌を歌った乗員たちの高揚は、誤認した戦果に基づいていた。その「知らなかった幸福」が退艦を穏やかにしたという事実も、戦史の皮肉として刻まれている。

1992年、バラード調査団が海底400mで「綾波」を見つけた時、艦はまだそこにあった。50年間、鉄底海峡の底で静かに眠り続けていた。太平洋戦争の最激戦区に沈む多くの艦の中で、特型駆逐艦の技術と、作間艦長の即断と、乗員たちの誇りが今もあの海底に宿っている——そう信じることが、猫工艦の「綾波」への最大の敬意である。

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■ 参考文献・資料

  • ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第83巻 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収まで』朝雲新聞社
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報各号
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年(ISBN 4-7698-1246-9)
  • ・NavSource Naval History USS Washington (BB-56) Photo Gallery(米側第三次ソロモン海戦記録)
  • ・NavSource Naval History USS South Dakota (BB-57) Photo Gallery(サウスダコタ損傷状況記録)
  • ・Wikipedia「綾波(吹雪型駆逐艦)」「第三次ソロモン海戦」
  • ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
  • ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
  • ・作間英邇中佐証言(各種戦史録・インタビュー記録より)
  • ・Hoji Shinbun Digital Collection 満州日日新聞1942年11月29日号(黒豹報道)

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