白露型 · 6番艦 · 第27駆逐隊
SAMIDARE 駆逐艦 五月雨
白露型最後の生存艦——時雨と共に歴史を生き抜いた一艦
1937年竣工、白露型駆逐艦6番艦。第三次ソロモン海戦、ブーゲンビル島沖海戦、数々の輸送・救助任務をくぐり抜け、白露型10隻のうち最後まで残った2隻の一艦となった。1944年8月、パラオ近海ガルワングル環礁での座礁の末、米潜水艦の雷撃により戦没。
SPECIFICATIONS
諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
白露型6番艦
建造所
浦賀船渠
基準排水量
1,685t
最大速力
34.0kt
魚雷兵装
4連装発射管×2基
主砲
12.7cm連装砲×2基
| 艦名 | 五月雨(さみだれ) |
| 艦型・番艦 | 白露型駆逐艦 6番艦(前期型最終艦) |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1934年(昭和9年)12月19日 |
| 進水日 | 1935年(昭和10年)7月6日 |
| 竣工日 | 1937年(昭和12年)1月29日 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)10月10日 |
| 籍 | 横須賀鎮守府籍 |
| 初代艤装員長 | 有近六次 少佐(1936年11月2日〜) |
| 全長 | 111.0m |
| 全幅 | 9.9m |
| 基準排水量 | 1,685t |
| 乗員 | 226名 |
| 機関 | 艦本式タービン2基(純国産)、軸数2 |
| 速力 | 34.0kt |
| 航続距離 | 7,408km(14kt巡航時) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cmC型連装砲:2基(全周囲シールド付、荒天時対応) |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm2型4連装水上発射管:2基(日本駆逐艦として初の4連装発射管採用、計8射線) |
| 搭載魚雷 | 竣工時:九〇式魚雷16本/戦時最終:九三式1型改Ⅱ魚雷14本(開戦直前に酸素魚雷へ更新) |
| 対空機銃(戦時最終) | 九六式25mm3連装機銃:3基/同連装機銃:1基/同単装機銃:10挺 |
| 爆雷兵装 | 九四式爆雷投射機:2基/九五式爆雷:18個(竣工時は爆雷×16) |
| 水測兵器 | 九三式水中探信儀、九三式水中聴音機 |
| レーダー | 仮称2号電波探信儀2型:1基/三式1号電波探信儀3型:1基(戦争中期以降に装備) |
| 所属部隊履歴 | 第2駆逐隊(村雨・夕立・春雨と編成)→ 第四水雷戦隊司令部附属 → 第27駆逐隊(時雨・白露、後に春雨も編入) |
| 特記事項 | 白露型10隻のうち、姉妹艦「時雨」と並んで最後まで残存した2隻の一艦。1944年7月時点では後部2番単装主砲が撤去され、機銃が大幅増備されていた。 |
■ 白露型駆逐艦という艦型について
白露型は、復元力不足で建造中止となった初春型の後継として計画された一等駆逐艦。日本海軍で初めて四連装魚雷発射管を採用し、用兵側が要望した八射線の重雷装を実現した。前期6隻(村雨型とも呼ばれる)は角張った艦橋、後期4隻は丸い艦橋という外見の違いがある。五月雨は前期型最終艦として竣工した。
白露型は、復元力不足で建造中止となった初春型の後継として計画された一等駆逐艦。日本海軍で初めて四連装魚雷発射管を採用し、用兵側が要望した八射線の重雷装を実現した。前期6隻(村雨型とも呼ばれる)は角張った艦橋、後期4隻は丸い艦橋という外見の違いがある。五月雨は前期型最終艦として竣工した。
FULL TIMELINE
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1934年12月19日 — 起工
浦賀船渠で起工
- 機関部は川崎造船所で製造され、海上輸送された。
- 隣のドックでは姉妹艦「時雨」が艤装工作中であった。
1937年1月29日 — 竣工
白露型前期型最終艦として竣工
- 横須賀鎮守府籍。第2駆逐隊(村雨・夕立・春雨・五月雨)に編成。
1941年12月8日〜 — 太平洋戦争開戦
南方作戦に従事
- 第四水雷戦隊(旗艦・那珂)所属としてフィリピン攻略戦、蘭印作戦に従事。
- 1942年1月下旬:バリクパパン沖海戦に参加。
- 1942年2月下旬:スラバヤ沖海戦に参加。
1942年1月20日
補給順序を巡る指揮系統論争
- ダラカン入泊時、四水戦旗艦からの信号と第2駆逐隊司令の命令が対立。五月雨駆逐艦長・松原瀧三郎中佐は指揮系統の順を優先し補給を実行。
1942年5〜6月
ミッドウェー作戦に参加
- 第二艦隊司令長官・近藤信竹中将(旗艦愛宕)指揮下の攻略部隊本隊に所属。
1942年7〜8月
インド洋B作戦、ガダルカナル島の戦い開始
- インド洋方面通商破壊作戦(B作戦)に参加。浮遊機雷を発見・処分(後に日本軍の九三式機雷と判明)。
- 8月7日、ガダルカナル島の戦い開始により作戦中止、トラック泊地へ移動。
1942年8月24-25日
第二次ソロモン海戦
- 戦艦陸奥の護衛部隊として参加。陸奥護衛のため本格交戦はなし。
1942年10月中旬
ガ島ルンガ泊地突入作戦・由良乗組員救助
- 南太平洋海戦で空襲を受けた軽巡「由良」が沈没、五月雨ら第2駆逐隊が乗組員を救助。
- 10月23日、第二攻撃隊としてショートランド泊地を出撃。SBD・B-17の波状攻撃を受け、至近弾で魚雷頭部に火災発生も消火に成功。負傷者6名。
1942年11月12日 — 第三次ソロモン海戦第一夜戦
戦艦「比叡」を誤射
- 悪天候による反転で艦隊陣形が混乱。味方識別灯を掲げていたにもかかわらず、混戦の中で旗艦・戦艦比叡を機銃で誤射。比叡の威嚇射撃でようやく停止した。
- 戦闘詳報にもこの経緯が記録されている。
1942年11月12-13日
夕立救援・霧島生存者救助
- 航行不能となった僚艦「夕立」を救援。吉川潔艦長以下乗組員多数を救助。砲雷撃処分を試みたが、米軍機・米重巡に追われ退避し沈没は未確認のまま離脱。
- 第二夜戦では米戦艦ワシントン・サウスダコタと交戦。戦艦「霧島」の生存者を朝雲・照月と共同で救助。
- 燃料不足と夕立生存者多数を抱え、承認を得てショートランド泊地へ向かう。
1943年2月〜7月
ケ号作戦・キスカ島撤退作戦
- ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)に撤収部隊として参加。
- 5月、北方部隊に編入。7月、キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)に従事し、作戦は成功。
1943年7月1日
第2駆逐隊解隊
- 姉妹艦・夕立・村雨の沈没、春雨の長期修理により第2駆逐隊解隊。五月雨は第四水雷戦隊司令部附属に。
1943年10月1日
第27駆逐隊編入
- 白露型3隻(時雨・五月雨・白露)で第27駆逐隊を編成。10月6日、第二次ベララベラ海戦に参加。
1943年11月1-2日 — ブーゲンビル島沖海戦
旗艦川内沈没、白露と衝突
- 軽巡「川内」(三水戦旗艦)と共に米艦隊と交戦。川内が炎上・航行不能となり、続行していた時雨・五月雨・白露が互いに衝突しかける中、五月雨は白露と実際に衝突。
- 米軍駆逐隊に追撃され被弾(戦死5名、負傷5名)。人力操舵での離脱に成功。
- 日本側は川内・初風を喪失。五月雨の発射魚雷が米駆逐艦フートを大破させたと推定される。
1943年12月〜1944年3月
横須賀での修理、松輸送
- 軽巡夕張と共に内地帰投、横須賀海軍工廠で修理。修理完了後、松輸送(サイパン島増援輸送作戦)に従事。
1944年4月27-28日
夕張生存者救助
- 米潜水艦ブルーギルの雷撃で航行不能となった軽巡夕張を、駆逐艦夕月と共に曳航を試みるが失敗。夕張は4月28日沈没。
1944年6月8日 — 第二次渾作戦
僚艦春雨沈没、五月雨も被弾
- ビアク島進撃中、B-25の空襲で第27駆逐隊司令艦「春雨」が沈没、駆逐隊司令・白濱政七大佐が戦死。
- 五月雨も魚雷発射管付近に命中弾を受け負傷者2名、不発弾のため轟沈を免れる。
- 米巡洋艦部隊のレーダー射撃を受けるが、避退に成功。春雨生存者を受け入れ後送した。
1944年6月15日
白露が衝突事故で沈没
- 船団内に迷い込んだ白露が給油船「清洋丸」と衝突し爆沈。第27駆逐隊は時雨・五月雨の2隻のみとなる。
1944年6月19-20日
マリアナ沖海戦
- 第二航空戦隊(隼鷹・飛鷹・龍鳳)を護衛。同隊から飛鷹が沈没、隼鷹・龍鳳が損傷。
1944年7月14日
戦艦武蔵直衛中に艦隊から落伍
- 強風・高波の中で行方不明となるが、重巡利根に発見され帰還。
- 第一戦隊司令官・宇垣纏中将が戦藻録に「五月雨にスコール続く輸送かな」と俳句を詠む。
1944年8月18日 午前1時15分
ガルワングル環礁で座礁
- 鬼怒・時雨と共に航海中、パラオ近海ガルワングル環礁で座礁。火災も発生し深刻な損傷。
- 同航2隻は一旦パラオへ向かうが、18時50分に戻り潜水用具を移積。
1944年8月26日 午後6時30分 — 戦没
米潜水艦バットフィッシュの雷撃で船体断裂
- 離礁作業が難航し、B-24爆撃機の空襲に晒される中、上層部は放棄を検討。
- 駆逐艦「竹」(艦長・田中弘国少佐)に救援が下令されるが、移動中に米潜水艦バットフィッシュが雷撃。右舷中部に命中、船体断裂。
- 艦長・大熊少佐は離礁を諦めず運命を共にする覚悟だったが、海兵同期の田中艦長の説得で艦を放棄。乗組員は竹に救助され、セブ島で下艦した。
1944年10月10日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・白露型駆逐艦籍から除籍
- 同日、時雨1隻のみとなった第27駆逐隊も解隊。全10隻建造された白露型駆逐艦は、五月雨の喪失をもって時雨1隻のみとなった。
2017年
沈没現場の潜水調査
- 水中写真家・戸村裕行がガルワングル環礁を潜水調査。船体の大部分は失われているが、主砲やシャフトなど全体の約2割が現場に残されていることを確認。
SUMMARY
まとめ
沈まぬ意志、最後まで残った白露型
白露型駆逐艦6番艦・五月雨は、決して単艦での決定的な戦果を誇る艦ではなかった。むしろ第三次ソロモン海戦では僚艦・戦艦を誤射し、ブーゲンビル島沖では僚艦と衝突するなど、混戦の中で何度も苦い経験を重ねている。
しかしその一方で、夕立・霧島・夕張・春雨——複数の僚艦の生存者を救い続け、人力操舵という原始的な手段で死地から生還し、白露型10隻のうち最後まで残った2隻の一艦となった。最期も敵の戦術的な一撃ではなく、座礁という地味な現実によってもたらされたものだった。
派手な武勲よりも、途切れない任務遂行と生還力——それが、五月雨という艦の本質である。
しかしその一方で、夕立・霧島・夕張・春雨——複数の僚艦の生存者を救い続け、人力操舵という原始的な手段で死地から生還し、白露型10隻のうち最後まで残った2隻の一艦となった。最期も敵の戦術的な一撃ではなく、座礁という地味な現実によってもたらされたものだった。
派手な武勲よりも、途切れない任務遂行と生還力——それが、五月雨という艦の本質である。
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混戦をくぐり抜け、僚艦を救い続けた白露型6番艦——五月雨の物語を、その身に纏う。
「沈まぬ意志は、誇張も装飾もいらない——五月雨、最後まで任務に生きた駆逐艦」
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』光人社、1984年
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・寺内正道ほか『海軍駆逐隊』潮書房光人社、2015年
- ・須藤幸助『駆逐艦「五月雨」出撃す』光人社
- ・宇垣纏『戦藻録 明治百年史叢書 第九版』原書房、1968年
- ・Wikipedia「五月雨 (駆逐艦)」