睦月型 · 7番艦 · 第22駆逐隊
FUMIZUKI 文月
旗艦を曳き、僚艦の盾となり、今もトラックの海に眠る駆逐艦
藤永田造船所が建造した睦月型駆逐艦7番艦。ケ号作戦での旗艦曳航、カビエン沖での対空戦闘を経て、1944年2月のトラック島空襲で修理中に被弾、戦没した艦の諸元と全戦歴。船体は現在も月曜島(ウドット島)北方水深37mの海底に確認できる。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
睦月型 7番艦
DISPLACEMENT
1,315 t
MAX SPEED
37.25 kt
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
61cm × 6射線
FATE
1944.2.18 トラック島空襲で戦没
| 艦名 | 文月(ふみづき) |
| 艦型・番艦 | 睦月型駆逐艦 7番艦 |
| 計画名称 | 第29号駆逐艦 |
| 建造所 | 藤永田造船所 |
| 起工日 | 1924年(大正13年)10月20日 |
| 竣工日 | 1926年(大正15年)7月3日 |
| 改名 | 1928年(昭和3年)8月1日、「第29号駆逐艦」より「文月」に改称 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)3月31日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 佐世保鎮守府籍 |
| 全長 | 102.72m |
| 基準排水量 | 1,315t(竣工時)/改修後1,445t |
| 出力 | 38,500馬力 |
| 速力 | 公試37.25ノット(竣工時) |
| 主砲 | 45口径三年式12cm単装砲 4門 |
| 魚雷発射管 | 一二年式61cm3連装発射管 2基(6射線)——日本駆逐艦初の61cm雷装 |
| 爆雷兵装 | 八年式爆雷投射機 |
| 初代艦長 | 吉田健介中佐(1926.2.20〜) |
| 最終艦長 | 長倉義春少佐(1943.11.1〜沈没まで) |
| 所属部隊 | 第22駆逐隊(皐月・水無月・長月)/第五水雷戦隊→第三水雷戦隊他 |
| 特記事項 | 1943年2月1日、ケ号作戦中に被弾した第三水雷戦隊旗艦「巻波」を曳航しショートランド泊地へ退避させた。1944年1月4日、カビエン沖で「皐月」と共に米艦載機約80機の攻撃を受けながら輸送部隊本隊を守り抜いた |
| 最期 | 1944年2月17-18日、トラック島空襲で修理中に機械室へ直撃弾、航行不能となり僚艦「松風」の曳航擱座も空襲で中断、翌日沈没 |
| 現況 | トラック環礁・月曜島(ウドット島)北方水深37mに現存。一番煙突・艦橋倒壊、艦橋部分で船体分断、艦首左舷傾斜・艦尾正立 |
TIMELINE
HISTORY
文月 全戦歴タイムライン
1924年10月20日 — 起工
藤永田造船所にて起工(第29号駆逐艦)
- 1923年度計画艦。1928年8月1日、「文月」と正式に改称され睦月型駆逐艦に登録された。
1926年7月3日 — 竣工
竣工。第22駆逐隊を編成
- 初代艦長・吉田健介中佐が着任。「皐月」「水無月」「長月」とともに第22駆逐隊を編成。
1941年12月〜1942年 — 蘭印作戦・護衛任務
フィリピン・ジャワ攻略戦、バタビア沖海戦
- 開戦後、第22駆逐隊としてフィリピン・ジャワ島攻略戦、バタビア沖海戦に参加。その後ジャワ海方面で船団護衛。
1942年9月16日 — 客船との衝突
「勝鬨丸」と衝突し大破
- 内地・台湾間の船団護衛中、日本郵船の大型客船「勝鬨丸」と衝突。大破し12月まで長期修理。12月10日、第22駆逐隊は解隊された。
1943年1月20日〜 — ケ号作戦
外南洋部隊編入、ガダルカナル島撤収作戦へ
- 「長月」「皐月」とともに第八艦隊隷下の外南洋部隊に編入。第1回撤収作戦に参加。
- 2月1日、進撃中に空襲を受け三水戦旗艦「巻波」中破。「文月」が曳航しショートランド泊地へ退避させる。三水戦司令官は「白雪」へ座乗艦を変更。
- 同日、陸軍5,119名・海軍250名・船員14名の収容に成功。「巻雲」は触雷し味方処分。
1943年2-3月 — 中部ソロモン輸送
丙三号輸送、レカタ・スルミ・フィンシュハーフェンへ
- 2月12-14日、「皐月」と運送艦「野島」を護衛。2月中旬以降、丙三号輸送部隊としてウェワクへの陸軍輸送に従事。
- 2月25日、第22駆逐隊(皐月・水無月・文月・長月)再編成。3月、レカタ・スルミへの輸送、フィンシュハーフェンへの兵員輸送でB-17の攻撃を受け若干の損害。
1943年4月2-3日 — カビエン西方で被弾
B-17の爆撃で機関室浸水、内地修理へ
- い号作戦中、フィンシュハーフェン輸送を企図しカビエン出撃も米軍機に触接され中止。
- 4月3日早朝、カビエン西方でB-17の爆撃を受け至近弾により機関室浸水。同日の空襲で重巡「青葉」も大破擱座。
- 内地へ回航、佐世保海軍工廠で修理。
1943年8-10月 — セ号作戦・第二次ベララベラ海戦
修理を終えラバウルへ、輸送作戦を再開
- 8月21日佐世保出発、9月上旬ラバウル進出、第三水雷戦隊と合流。
- 9月28-30日、10月1日、セ号作戦(コロンバンガラ撤収)に輸送隊として参加、成功。
- 10月6-7日、第二次ベララベラ海戦(鶴屋部隊撤収)の輸送部隊として参加。8-9日にはブカ島輸送中に爆撃で至近弾、小破。
1943年10-11月 — ブーゲンビル島沖海戦、タロキナ逆上陸
度重なる輸送任務、ラバウル空襲を回避
- 10月21-30日、ダンピール・イボキへの輸送を繰り返す。10月31日、モノ島方面へ出撃するも会敵せず。
- 11月1-2日、タロキナ逆上陸輸送隊に編入。11月5日のラバウル空襲では湾外へ脱出し被害を免れる。
- 11月6-7日、挺身輸送隊としてタロキナへ兵員揚陸に成功。
1943年11月24日 — セント・ジョージ岬沖海戦
僚艦3隻喪失を免れる
- ブカ島輸送に向かった「大波」「巻波」「天霧」「夕霧」「卯月」が米駆逐艦5隻に襲撃され、「大波」「巻波」「夕霧」が沈没。「文月」はこの海戦には参加せず、被害を免れた。
1943年11-12月 — ラバウル方面輸送継続
ガロベ・イボキ・ガブブへの輸送を重ねる
- 11月25日以降、ダンピール岬・イボキへの輸送を繰り返す。12月前半はトラック泊地へ後退、19日ラバウル帰着。
- 12月下旬、ガロベ・ガブブ輸送に従事。電波探知機の活用で被害を最小限に抑えた記録も残る。
1944年1月4日
カビエン沖、皐月と共に20分間の対空戦闘
- 戊二号輸送部隊護衛任務を終えてカビエンを出港、友軍機援護なしで米艦載機約80機の攻撃を受ける。
- 索敵機が輸送部隊本隊を発見できず「文月」「皐月」の2隻に攻撃集中。直撃弾は免れるも死傷計40名以上、15機(不確実6)を撃墜。
- 結果、輸送部隊本隊は無傷。第八艦隊長官より表彰電を受ける。
1944年2月17-18日
トラック島空襲、修理中に被弾・戦没
- 1月30日のラバウル空襲による浸水修理のため主機分解状態でトラック泊地に停泊中、米軍空母機動部隊の奇襲を受ける。
- 主機を急遽復旧し片舷12ノットで回避運動も、機械室に直撃弾を受け航行不能。至近弾による損傷も重なる。
- 「松風」による曳航擱座を試みるも空襲で作業中断を繰り返す。18日、浸水が進行し沈没。
- 同空襲で軽巡「香取」「阿賀野」「那珂」、駆逐艦「舞風」等も撃沈された。
現在
月曜島(ウドット島)北方に船体が現存
- 水深37mの海底に、一番煙突・艦橋倒壊、艦橋部分で船体分断、艦首左舷傾斜・艦尾正立の姿で確認できる。
SUMMARY
RECORD
文月 全艦歴まとめ
文月は1926年に藤永田造船所で竣工した睦月型駆逐艦7番艦。フィリピン・ジャワ攻略戦を経て、1943年2月のケ号作戦では被弾した第三水雷戦隊旗艦「巻波」を曳航しショートランド泊地へ退避させた。以後もソロモン諸島・ニューブリテン島方面での輸送任務を重ね、1944年1月4日にはカビエン沖で「皐月」と共に米艦載機約80機の攻撃を引き受け、輸送部隊本隊を無傷で守り抜いた。だが同年2月17日、トラック島空襲時に修理のため主機を分解していたところを奇襲され、機械室に直撃弾を受けて航行不能に。僚艦「松風」の曳航擱座も空襲で阻まれ、翌18日に沈没した。船体は現在もトラック環礁・月曜島北方水深37mの海底に確認できる。
旗艦を守った曳航——ケ号作戦で被弾した「巻波」を曳航した文月の行動は、単なる僚艦救助を超え、作戦全体の指揮系統を維持する上で決定的な役割を果たした。
80年を経て今も残る船体——月曜島北方水深37mに横たわる文月の姿は、菊月と並び睦月型で数少ない、現存が確認されている船体の一つである。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第八艦隊戦時日誌・第三水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』、戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』関連巻
- ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社、1982年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
- ・Wikipedia「文月 (睦月型駆逐艦)」「睦月型駆逐艦」「トラック島空襲」「ケ号作戦」
- → 【諸元と全戦歴】長月——ケ号作戦からクラ湾夜戦での座礁まで
- → 【諸元と全戦歴】菊月——グアム島攻略戦からツラギでの被雷まで