睦月型 · 8番艦 · 第22駆逐隊
NAGATSUKI 長月
クラ湾に散り、時鐘だけが海を越えて帰ってきた駆逐艦
石川島造船所が建造した睦月型駆逐艦8番艦。同型で唯一、石川島式タービンを搭載。ケ号作戦での僚艦曳航、クラ湾での夜間雷撃を経て、1943年7月6日、揚陸地へ向かう途上で座礁し放棄された。船体は戦後風化したが、時鐘は海上自衛隊護衛艦「ながつき」に受け継がれた艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
睦月型 8番艦
DISPLACEMENT
1,315 t
MAX SPEED
36.3 kt
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
61cm × 6射線
FATE
1943.7.6 クラ湾で座礁・放棄
| 艦名 | 長月(ながつき) |
| 艦型・番艦 | 睦月型駆逐艦 8番艦 |
| 計画名称 | 第30号駆逐艦 |
| 建造所 | 石川島造船所(東京) |
| 起工日 | 1925年(大正14年)4月16日 |
| 進水日 | 1926年(大正15年)10月6日 |
| 竣工日 | 1927年(昭和2年)4月30日 |
| 改名 | 1928年(昭和3年)8月1日、「第30号駆逐艦」より「長月」に改称 |
| 除籍日 | 1943年(昭和18年)11月1日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 佐世保鎮守府籍 |
| 全長 | 102.72m |
| 基準排水量 | 1,315t(竣工時)/改修後1,445t |
| 機関 | 石川島ツェリー式タービン——同型で唯一(弥生と共通) |
| 出力 | 40,787馬力(公試実績) |
| 速力 | 公試実績36.3ノット |
| 主砲 | 45口径三年式12cm単装砲 4門 |
| 魚雷発射管 | 一二年式61cm3連装発射管 2基(6射線)——日本駆逐艦初の61cm雷装 |
| 爆雷兵装 | 八年式爆雷投射機 |
| 初代艦長 | 高山忠三中佐(1926.12.1〜) |
| 最終艦長 | 古川為夫少佐(1943.6.1〜座礁・放棄時) |
| 所属部隊 | 第22駆逐隊(皐月・水無月・文月)/第五水雷戦隊→第三水雷戦隊他 |
| 特記事項 | ケ号作戦で「舞風」を曳航しショートランドへ退避させる。1943年7月4日、クラ湾で夜間雷撃を実施し米駆逐艦「ストロング」撃沈に貢献 |
| 最期 | 1943年7月6日午前0時46分、クラ湾夜戦の最中に揚陸地へ向かう途上で座礁。「皐月」の曳航失敗、昼間の空襲でさらに損傷し放棄 |
| 戦後 | 船体は座礁地点で風化・崩落。時鐘は現地人により保管され後に日本へ、海上自衛隊護衛艦「ながつき」に装備された |
TIMELINE
HISTORY
長月 全戦歴タイムライン
1925年4月16日 — 起工
石川島造船所にて起工(第30号駆逐艦)
- 1923年度計画艦。1928年8月1日、「長月」と正式に改称され睦月型駆逐艦に登録された。
1927年4月30日 — 竣工
竣工。第22駆逐隊を編成
- 初代艦長・高山忠三中佐が着任。「皐月」「水無月」「文月」とともに第22駆逐隊を編成。
1937-1941年 — 支那事変・南方作戦
中支・南支方面、仏印進駐からフィリピン・ジャワ攻略戦へ
- 支那事変で中支・南支方面に進出、仏印進駐作戦にも参加。開戦後はフィリピン・ジャワ島攻略戦、バタビア沖海戦に参加。
1942年3月31日 — 那珂救援
クリスマス島攻略作戦、被雷大破した「那珂」を護衛
- 軽巡「那珂」が米潜水艦の雷撃で大破。「水無月」とともに退避する同艦の護衛に駆けつける。
1943年2月4-7日 — ケ号作戦
「舞風」曳航、「磯風」救援へ
- 2月4日、米軍機の攻撃で航行不能になった「舞風」を、艦首破損のため後ろ向きに曳航しショートランド泊地へ退避させる。
- 2月7日、爆撃で中破した「磯風」の救援に向かうが、自力航行可能となったため不要に。第三次撤収作戦では輸送隊として陸兵を収容し帰投。
1943年2-3月 — 丙三号輸送、コロンバンガラ輸送
ウェワク・コロンバンガラ島への輸送任務
- 丙三号輸送でウェワクへの陸軍輸送に従事、揚陸成功。第22駆逐隊が皐月・水無月・文月・長月で再編成。
- 3月7-9日、13-14日にコロンバンガラ島輸送、横七特銃隊や本部を揚陸。15日、スルミへの輸送も実施。
1943年3-5月 — ニューギニア方面輸送
フィンシュハーフェン、ツルブ、スルミへの輸送
- 3月中旬、長月・文月・皐月を機雷敷設艦に改造する提案がなされる(詳細不明)。
- 3月30日、フィンシュハーフェンへ陸兵約800名・物資80トンを輸送。4月8日、ツルブへ揚陸。5月、ツルブ・スルミへの輸送を複数回実施。
1943年5月28-29日 — 座礁と離礁
ブーゲンビル島南東沖で座礁も救出される
- コロンバンガラ島輸送のためブイン出撃中、「長月」と「皐月」が暗礁で座礁。「皐月」は自力脱出、「長月」は「水無月」の救援で29日離礁。
- 損傷は軽微で、その後もコロンバンガラ島への輸送を継続。6月2日には人員479名を揚陸。
1943年7月2-4日 — クラ湾への突入
米魚雷艇との遭遇、そして夜間雷撃
- 7月2日夜、直率隊としてレンドバ島沖合に突入するも米艦隊は出現せず、米軍魚雷艇3隻の攻撃を受けるも被害なし。
- 7月4日夕刻、第一回輸送部隊としてブイン出撃。22時15分、クラ湾で交戦中の米艦隊を発見、夜間雷撃を実施(長月6本・新月4本・夕凪4本)。
- 魚雷1本が命中し米駆逐艦「ストロング」撃沈。だが揚陸作戦は断念。
1943年7月5-6日
クラ湾夜戦、座礁・放棄
- 7月5日夕刻、増強された第三水雷戦隊がショートランド泊地を出撃。23時48分、米艦隊(巡洋艦3・駆逐艦4)と交戦しクラ湾夜戦勃発。
- 「新月」「涼風」「谷風」「天霧」「初雪」が砲雷戦を展開する中、「長月」「皐月」は揚陸地へ向かう。
- 7月6日午前0時46分、「長月」が暗礁に座礁。物資・兵員を急ぎ揚陸するも、「皐月」の曳航は失敗。4時、「皐月」は作業を断念し撤退。
- 昼間の空襲でさらに損傷を受け、放棄される。同夜戦で「新月」沈没、秋山輝男少将以下三水戦司令部が全滅。米軽巡「ヘレナ」も沈没。
1943年7月7-8日 — 除籍への道
防備部隊編入、司令駆逐艦交代
- 7月7日、座礁中の「長月」はニュージョージア方面防備部隊に編入。翌8日、第22駆逐隊司令駆逐艦が「皐月」に変更された。
戦後 — 船体の風化と時鐘の帰還
残骸は崩落、時鐘だけが日本へ
- 座礁地点に残された船体は長く放置され、塗料が焼けたこともあり風化が早く、現在は崩落して沈んでいる。
- ソロモン内戦時、現地人が鉄目的で船体を爆破したとの証言も残る。
- 時鐘は現地人により保管され、日本へ持ち帰られた。呉地方総監・筑土龍男海将の尽力で海上自衛隊に引き渡され、護衛艦「ながつき」に装備された。
SUMMARY
RECORD
長月 全艦歴まとめ
長月は1927年に石川島造船所で竣工した睦月型駆逐艦8番艦。同型で唯一、石川島式タービンを搭載していた。クリスマス島攻略作戦での「那珂」護衛、ケ号作戦での「舞風」曳航など、繰り返し僚艦の救援役を務めた。1943年7月4日のクラ湾では夜間雷撃で米駆逐艦「ストロング」撃沈に貢献したが、翌5-6日のクラ湾夜戦では揚陸地へ向かう途上で座礁。僚艦「皐月」の曳航は失敗し、昼間の空襲でさらに損傷を受けて放棄された。同年11月1日に除籍。船体は座礁地点で長く風化・崩落したが、時鐘は現地人により保管され、後に日本へ持ち帰られて海上自衛隊護衛艦「ながつき」に装備され、今もその音を伝えている。
繰り返された救援役——「那珂」の護衛、「舞風」の曳航——長月は自らが座礁するまで、常に僚艦を助ける側に立ち続けた。
船体は朽ちても、鐘は帰ってきた——座礁地点で風化した船体とは対照的に、時鐘だけは海を越えて日本へ帰り、護衛艦「ながつき」の上で今も鳴り続けている。
RELATED
ARTICLES
関連記事
■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第八艦隊戦時日誌・第三水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』関連巻
- ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社NF文庫、1995年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・『雑誌「丸」874号』潮書房、2019年
- ・『世界の艦船 第164集』海人社、1971年
- ・Wikipedia「長月 (睦月型駆逐艦)」「睦月型駆逐艦」「クラ湾夜戦」
- → 【諸元と全戦歴】菊月——グアム島攻略戦からツラギでの被雷まで