夕雲型11番艦「藤波」——諸元と全戦歴・竣工から消息を絶つまで

夕雲型 · 11番艦 · 第三十二駆逐隊
FUJINAMI 藤波
重巡「鳥海」を看取り、2日後に自らも消えた艦——両艦とも生存者ゼロの記録

藤永田造船所が建造した夕雲型駆逐艦11番艦。輸送・護衛任務を重ね、1944年10月25日のサマール沖海戦で重巡「鳥海」を処分・生存者救助後、2日後に消息を絶つまでの諸元と全戦歴。

SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 11番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35 kt
MAIN GUN
12.7cm 連装 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.10.27頃 戦没
艦名藤波(ふじなみ)
艦型・番艦夕雲型駆逐艦 11番艦
建造所藤永田造船所
仮称艦名第127号艦(④計画)
竣工日1943年(昭和18年)7月31日
除籍日1944年(昭和19年)12月10日
類別一等駆逐艦
基本計画番号F50(陽炎型はF49)
全長119.3m
基準排水量2,077t
満載排水量約2,772〜2,940t
出力52,000馬力
最大速力35ノット
主砲50口径三年式12.7cm連装砲 3基6門(最大仰角75度)
機銃九六式25mm連装機銃 2基(就役時。後年増備)
魚雷発射管61cm4連装発射管 2基8射線
搭載魚雷九三式魚雷 16本
爆雷兵装九四式爆雷投射機 1基
竣工時定員約225名
32駆司令(末期)大島一太郎大佐(第27駆逐隊司令より1944年8月着任)
特記事項サマール沖海戦で航行不能となった重巡「鳥海」の生存者を救助し自ら処分。乗員が敵漂流兵に敬礼した逸話も伝わる
最終所属第三十二駆逐隊
最期1944年10月26〜27日頃、フィリピン近海で米軍機の空襲を受け消息を絶つ。自艦乗員および救助した鳥海乗員、共に生存者なし
HISTORY
藤波 全戦歴タイムライン
1943年7月31日 — 竣工
藤永田造船所にて竣工(仮称第127号艦)
  • 訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属。8月20日、涼波・早波と共に第三十二駆逐隊に編入された。
1943年10月中旬 — ポナペ島輸送
龍田・山城・伊勢と共にトラック泊地へ進出、3回に分けポナペ島輸送を実施
  • 丁三号輸送部隊としての任務を完遂した。
1943年11月11日 — ラバウル空襲
魚雷1本が命中するも不発、九死に一生を得る
  • 同じ空襲で僚艦「涼波」は壮絶な戦没を遂げた。
1944年1月 — 戊二号輸送部隊代役
座礁事故で任務継続不能となった「時雨」の代役としてカビエンへ輸送
  • 2月中旬にはトラック島空襲に遭遇。4月下旬〜5月上旬、竹輸送に参加した。
1944年6月19日 — マリアナ沖海戦
第三十二駆逐隊(玉波・藤波・浜波)は前衛部隊として参加
  • 海戦は大敗。前後して僚艦「早波」が米潜水艦「ハーダー」に撃沈された。
1944年7月7日 — 玉波の喪失
僚艦「玉波」がマニラ湾口で米潜水艦「ミンゴ」に撃沈される
  • 藤波は反転し捜索・爆雷攻撃を行うも生存者は発見できず。「響」「夕凪」と共に「旭東丸」等を護衛し内地に帰投した。
1944年8月 — ヒ71船団護衛
米潜水艦の猛攻を受けたヒ71船団の護衛にあたる
  • 多数の僚船が撃沈される中を生き延び、マニラで船団を再構成、タンカー「旭邦丸」を護衛した。8月25〜26日、五月雨座礁の影響で32駆司令が大島一太郎大佐に交代。
1944年10月25日 — サマール沖海戦
航行不能となった重巡「鳥海」の生存者を救出、自ら処分
  • 炎上・停止した鳥海の周囲を旋回し再起を待つも、日没に至り修理不能と判断。生存者救出後、魚雷で処分した。漂流していた米護衛空母「ガンビア・ベイ」乗員に敬礼したとの逸話も伝わる。
1944年10月26〜27日頃 — 消息を絶つ
米軍機の空襲を受け撃沈されたとみられる
  • 10月26日昼過ぎ、「沖波」がセミララ島近海で藤波らしき駆逐艦が空襲で轟沈するのを目撃。米軍記録では10月27日撃沈とされる。藤波乗員、救助した鳥海乗員とも生存者はいなかった。
1944年12月10日 — 除籍
夕雲型駆逐艦・帝国駆逐艦籍から除籍
  • 生存者が一人もいなかったため、長らく単独の慰霊碑は無かった。現在は佐世保の旧海軍墓地東公園に鳥海と連名の慰霊碑が建立されている。
RECORD
藤波 全艦歴まとめ
藤波は1943年7月に藤永田造船所で竣工した夕雲型駆逐艦11番艦。涼波・早波と共に第三十二駆逐隊を編成し、ポナペ島輸送やカビエン輸送など、主に地道な輸送・護衛任務を重ねてきた。1944年6〜7月には僚艦「早波」「玉波」を相次いで失いながらも生き延び、8月にはヒ71船団の護衛という激しい潜水艦戦を切り抜けた。そして同年10月25日、サマール沖海戦で航行不能となった重巡「鳥海」のそばに留まり続け、日没を待って生存者を救出、自らの魚雷で処分するという重い任務を果たした。しかしその2日後、藤波自身も米軍機の空襲を受けて消息を絶つ。自艦の乗員、そして救助したばかりの鳥海乗員、共に生存者は一人もいなかった。
救った者と救われた者が共に消えたという記録——藤波は鳥海の生存者を救出したが、その2日後に自らも失われた。両艦とも生存者ゼロという結末は、佐世保の連名慰霊碑という形で今も記憶されている。

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僚艦を看取り、敵兵にも敬礼した艦——「藤波」の礼節と重い最期を、その身に纏え

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■ 参考文献・資料

  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)第32駆逐隊戦時日誌・第一遊撃部隊戦時日誌
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『捷号作戦』『レイテ沖海戦』『サマール沖海戦』関連巻
  • ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
  • ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
  • ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • ・Wikipedia「藤波 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「鳥海 (重巡洋艦)」「サマール沖海戦」
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