1941年12月8日——開戦の日、睦月型駆逐艦たちはすでに「旧式艦」だった。1925年から1927年にかけて竣工した12隻は、最新鋭の吹雪型より3〜4年古く、速力も34ノット程度まで低下していた。しかし「日本駆逐艦として初めて61cm魚雷発射管を搭載した」という一点で、睦月型は「旧式ながら雷装で一線級」という独特の位置づけを持ち、峯風型・神風型が日本近海の船団護衛に回されたのとは対照的に、中部・南太平洋の最前線に投入され続けた。
睦月型の系譜は峯風型・神風型の直接の延長線上にある。その「神風型の61cm化」という設計思想は単純明快だったが、運用に際しては複雑な現実が待っていた。友鶴事件・第四艦隊事件による艦橋・復元性能改修、対空機銃の増備、戦争末期には主砲・魚雷発射管を撤去した「輸送駆逐艦」改造——それでも旧式の艦体は時代の変化に追いつけなかった。12隻全てが太平洋戦争で沈没し、そのうち10隻が航空攻撃で失われた。
そして——睦月型には、完全な「戦没」ではない独特の終わりを迎えた艦が2隻いる。菊月(1942年5月4日座礁・翌日空襲で沈没)と長月(1943年7月クラ湾夜戦で座礁・放棄されそのまま終戦)——長月は1975年から84年の間に自然風化で海没したが、菊月の残骸は今もソロモン諸島沖の水上に現存している、日本海軍最後の「眼で見える記憶」の一つだ。
→ 改修後 約32.5〜34kt
単装砲 ×4基(4門)
×2基(計6射線)
艦本式タービン2基
全艦戦没(10隻が空襲で喪失)
1922年のワシントン軍縮条約により、日本は八八艦隊計画を中止せざるを得なかった。しかし軍令部はより強力な水雷戦力を要求し続けた。従来の峯風型・神風型が搭載していた53cm魚雷では、水中防御が強化されつつあった米国戦艦を確実に撃沈できないという判断から、日本駆逐艦として初めて61cm三連装魚雷発射管を搭載したのが睦月型だった。設計コンセプトは単純明快——「神風型後期艦の61cm魚雷換装型」。それ以上でも以下でもない実用的な拡張だった。
① 日本駆逐艦初の61cm三連装魚雷発射管を採用(一二年式 61cm三連装発射管)
② 予備魚雷6本搭載(全発射管分)——神風型の予備2本から大幅増加
③ 艦本式タービンの本格採用(弥生・長月で外国式と比較試験)——以後の日本駆逐艦の標準となった
つまり睦月型は「峯風型の流れを汲む最後の艦型」でありながら、後の日本驅逐艦の根幹をなす3つの技術的起点を持つ。
| 艦名 | 建造所 | 起工日 | 竣工日 | 特記・最期 |
|---|---|---|---|---|
| 睦月(むつき)★型名艦 | 佐世保海軍工廠 | 1924年5月21日 | 1926年3月25日 | ガダルカナル輸送中の1942年8月25日、B-17爆撃機3機に爆弾1発を命中させられ火災・沈没。戦没後「卯月型」に改称。艦名は海自「むつき型護衛艦」1番艦に継承 |
| 如月(きさらぎ)★最初の戦没艦 | 浦賀船渠 | 1924年11月14日 | 1925年12月21日 | 睦月型最初の戦没艦。1941年12月11日、ウェーク島攻略戦で米軍陸上砲弾が艦尾に命中し弾薬庫爆発・瞬時に轟沈。艦名は海自「むつき型護衛艦」2番艦「きさらぎ」に継承 |
| 弥生(やよい) | 舞鶴海軍工廠 | 1924年6月1日 | 1926年8月28日 | MV式タービン搭載(艦本式タービンとの比較試験)。1942年9月11日、東部ニューギニア沖でSBDドーントレスの爆撃を受け沈没 |
| 卯月(うづき)★最後まで奮戦 | 浦賀船渠 | 1924年12月5日 | 1926年9月14日 | 「輸送駆逐艦」改装を実施。オルモック輸送作戦に参加し1944年12月12日、オルモック湾で米魚雷艇の雷撃を受け沈没 |
| 皐月(さつき) | 舞鶴海軍工廠 | 1924年1月27日 | 1925年11月15日 | 睦月型で最初に竣工した艦(1番手)。1944年9月21日、マニラ湾にて米軍機の空襲を受け沈没 |
| 水無月(みなづき) | 藤永田造船所 | 1924年8月16日 | 1927年3月22日 | 12隻中唯一、潜水艦の雷撃で沈没。1944年6月6日、タウィタウィ島沖シブツ海峡で米潜水艦スティングレイの雷撃を受け沈没 |
| 文月(ふみづき)★輸送駆逐艦 | 舞鶴海軍工廠 | 1924年9月8日 | 1926年7月3日 | 「輸送駆逐艦」改装を実施し甲板に大発動艇を搭載。1944年2月18日、トラック島空襲にて米軍機の爆撃を受け沈没 |
| 長月(ながつき)★座礁のまま終戦 | 佐世保海軍工廠 | 1925年3月7日 | 1927年4月30日 | 石川島・ツェリー式タービン搭載(比較試験)。1943年7月クラ湾夜戦でニュージョージア島沖に座礁・乗員退去。そのまま放棄され終戦を迎えた。1975〜84年の間に自然風化で海没。艦名は海自「たかつき型護衛艦」3番艦「ながつき」に継承 |
| 菊月(きくづき)★残骸が現存する唯一の艦 | 藤永田造船所 | 1924年12月1日 | 1926年11月20日 | 1942年5月4日、珊瑚海海戦直前のツラギ島空襲でSBDドーントレスの爆撃を受けて座礁。翌5日に米機の再空襲で沈没。残骸は現在もソロモン諸島ツラギ島沖の水上に現存。艦名は海自「たかつき型護衛艦」1番艦「きくづき」に継承 |
| 三日月(みかづき)★輸送駆逐艦 | 浦賀船渠 | 1926年3月8日 | 1927年5月7日 | 「輸送駆逐艦」改装(ボイラー1基・主砲2基撤去)を実施。対空機銃を大幅強化。1943年7月28日、グロスター岬近くのリーフに座礁した際に米軍機の激しい空襲を受け沈没 |
| 望月(もちづき) | 浦賀船渠 | 1926年3月8日 | 1927年7月25日 | 1943年10月7日、ニューブリテン島スルミ沖で米軍機の空襲を受け沈没。艦名は海自「たかつき型護衛艦」2番艦「もちづき」に継承 |
| 夕月(ゆうづき)★最後の睦月型 | 藤永田造船所 | 1925年11月27日 | 1927年7月25日 | 「輸送駆逐艦」改装を実施。睦月型最後の戦没艦。1944年12月12日、マニラへ帰投中にセブ島沖で米軍機の空襲を受け大破。駆逐艦「桐」により砲撃処分 |
1941年12月8日、真珠湾攻撃の同日、日本軍はウェーク島(グアムと並ぶ太平洋中部の要衝)への上陸作戦を開始した。しかし守備隊の抵抗は予想外に激しく、駆逐艦「疾風」が撃沈されるなど緒戦は失敗に終わった。12月11日、第二次上陸作戦——如月(第30駆逐隊)が島に接近した際、米軍陸上砲弾が艦尾に直撃し弾薬庫が誘爆、如月は瞬時に轟沈した。太平洋戦争開戦から3日目、日本海軍は最初の「1000トン以上の水上戦闘艦の喪失」という衝撃的な損害を受けた。
如月は砲撃(陸上砲)で撃沈されたが、ウェーク島攻略戦でより大きな問題として浮上したのは「陸上基地航空機による水上艦への攻撃」の脅威だった。この後、睦月型12隻中10隻が航空攻撃によって失われるという結末が示すように、ウェーク島の戦いは「航空兵力が水上艦艇にとって最大の脅威になる」という太平洋戦争全体を貫く構造を、開戦わずか3日で予告していた。
ガダルカナル島をめぐる攻防(1942年8月〜1943年2月)で、睦月型は最前線の「鼠輸送(駆逐艦による高速輸送)」に繰り返し投入された。峯風型・神風型が日本近海の護衛に回されたのに対し、旧式ながら航洋性能と雷装で優る睦月型は、ソロモン諸島の危険な輸送航路を何度も往復した。その結果、睦月(8月25日)・弥生(9月11日)・望月(1943年10月)・三日月(1943年7月)・長月(1943年7月、座礁放棄)と、次々と消耗していった。
1943年頃から、旧式化した睦月型の一部(卯月・文月・三日月・夕月)は、後部魚雷発射管・主砲2基・ボイラー1基を撤去し、空いたスペースに大発動艇(大型ダイハツ上陸用舟艇)2隻を搭載する「輸送駆逐艦」に改装された。これは「攻撃力を大幅に犠牲にしてでも輸送能力を優先する」という、制空権を失った時代の苦肉の策だった。つまり睦月型の末期は「駆逐艦」ではなく「高速輸送艦」として機能していた。
睦月型には、80年以上を経た現在もその存在を実証する2隻がいる。1942年5月4日に座礁・翌日沈没した菊月の残骸は、ソロモン諸島ツラギ島沖に今も水上に露出した形で現存している。現地では一種の観光スポットにもなっており、日本海軍の駆逐艦の中で「眼で見ることができる数少ない遺構」の一つだ。
一方、1943年7月のクラ湾夜戦でニュージョージア島沖に座礁・放棄された長月は、書類上は1943年11月に除籍されながら、物理的には島の浅瀬に残り続け、戦争が終わっても誰にも引き上げられることなく放置された。1975年から1984年の間に、長月の残骸は静かに自然風化によって海没した。座礁から約40年、それが長月の「最期の最期」だった。
| 項目 | 仕様値 |
|---|---|
| 艦型・系譜 | 峯風型・神風型の流れを汲む最後の艦型。竣工後「卯月型」に改称 |
| 起工日 | 1番艦皐月(竣工時1番):1924年1月27日起工 / ネームシップ睦月:1924年5月21日起工 |
| 竣工日 | 最初:皐月(1925年11月15日)/ 最後:夕月・望月(1927年7月25日) |
| 全長 / 全幅 | 102.72m / 9.16m(神風型とほぼ同一) |
| 基準排水量 | 竣工時:約1,315t / 改修後:1,445t(1938年時点) |
| 機関 | 過熱器付ロ号艦本式重油専焼缶4基 / 艦本式タービン2基 (弥生:MV式、長月:石川島ツェリー式——日本駆逐艦最後の外国製タービン採用例) |
| 速力 | 竣工時:37.25ノット / 改修後(1938年):約32.5ノット |
| 航続距離 | 14ノットで4,000海里(峯風型・神風型より大幅向上) |
| 主砲 | 45口径 三年式12cm単装砲 ×4基(4門) 戦争中後期に2基撤去・25mm機銃に換装 |
| 魚雷発射管 | 一二年式61cm三連装水上発射管 2基(6射線)——日本駆逐艦初採用 予備魚雷6本搭載(全発射管分——日本駆逐艦初) 戦争末期に1基撤去(輸送駆逐艦改装時) |
| 対空機銃 | 竣工時:7.7mm機銃2挺 / 戦争中期:13mm連装機銃1基追加(一部艦) 後期:25mm機銃増設(輸送駆逐艦改装艦は25mm三連装機銃を複数装備) |
| 乗員 | 約154名(定員) |
| 喪失状況 | 12隻全艦喪失(内訳:航空攻撃10隻 / 潜水艦雷撃1隻 / 魚雷艇雷撃1隻) |
峯風型・神風型・睦月型は「並型(なみがた)」と総称され、吹雪型以降の「特型」と区別される。並型は従来の設計を段階的に改良した保守的な艦型であり、特型は設計思想そのものを革新した。睦月型は「並型の頂点」として61cm魚雷と艦本式タービンという2つの重要な技術を確立し、それを土台に特型(吹雪型)という全く別の次元の艦が誕生した。つまり睦月型なくして吹雪型の革命はなかった。
睦月型の本質は「実用性の産物」にある。峯風型・神風型という確立された設計に、日本初の61cm魚雷という一点の革新を加えたシンプルな艦型だった。吹雪型のような設計上の革命はなく、初春型のような無謀な野心もない。しかし「艦本式タービンの確立」と「61cm魚雷の実用化」という2つの技術的起点を担ったことで、睦月型は後の日本駆逐艦設計の根幹を黙って支えた。
しかし、この「旧式ながら実用的」という特性が、皮肉にも睦月型を最前線に縛り付けた。峯風型・神風型が日本近海に回された一方、61cm魚雷の雷装と航洋性能に勝る睦月型は「旧式艦の中では最も戦力として使える」という理由でソロモン・ニューギニアの危険な海域に投入され続けた。そして12隻中10隻が航空攻撃で失われた——これは睦月型の対空能力の脆弱さと、制空権を失った海域での水上艦艇輸送の限界を同時に示している。
今もソロモン諸島の海に菊月の残骸が残り、長月がかつて座礁したニュージョージア島沖は静かな海だ。「並型」と呼ばれた12隻の月の名を持つ艦たちは、設計上の華やかさよりも「確実に機能する技術」を地道に積み上げ、最後は航空攻撃という新しい時代の波の中で消えていった。猫工艦は、静かに月の名を背負って太平洋を駆け抜けた12隻に、敬意を捧げたい。
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