1944年9月18日、択捉島方面。小樽から択捉へ向かう船団を護衛していた駆逐艦「波風」は、米潜水艦「シール」の魚雷を受けた。爆発は艦尾を吹き飛ばし、推進軸が傷つき、舵も失って、「波風」は操艦の自由を奪われた。同じ第1駆逐隊の「神風」が索を取り、傷ついた艦を小樽まで曳いていった。
「波風」は峯風型の14番艦にあたり、「野風型」の2番艦である。舞鶴海軍工廠で1922年11月11日に竣工し、横須賀鎮守府籍の一等駆逐艦として、千島・北海道方面の交通保護に就いた。太平洋戦争が始まったときも大湊に所在し、北方の哨戒と船団護衛を重ねる。1943年にはキスカ島撤退作戦の予備として待機した。
そして、艦尾を失った「波風」は、特攻兵器「回天」を載せる母艦として生まれ変わる。一度も回天を発進させないまま終戦を迎え、戦後は復員輸送船、そして中華民国海軍の「瀋陽」として、1960年まで艦歴を重ねた。竣工から38年——峯風型でも屈指の長寿を全うした艦の航跡を、この記事は辿る。
→公試1,345t
回天母艦化後 25,000馬力・29.5ノット
1922年12月28日、「波風」は第1駆逐隊に編入され、神風、野風、沼風とともに千島・北海道方面の交通保護に従事した。野風型は、峯風型の砲と魚雷発射管の配置の弱点を改め、後檣を後部に移して3・4番砲を背中合わせに置いた改良型である。
1938年からの日中戦争では、華北・華中の沿岸作戦に参加している。歴代艦長のなかには、1931年12月から翌年4月まで在任した古村啓蔵少佐の名も見える。
1941年12月4日、「波風」は大湊を出て北海道・千島方面の哨戒と護衛に就いた。開戦の日もこの北の持ち場にいる。1942年5月25日にはアリューシャン作戦に関連して行動したが、予備として待機し、日本近海を出ることはなかった。その年の暮れには、哨戒・護衛の区域が南の伊勢湾まで広がった。
1943年5月17日から6月15日まで、「波風」は第五艦隊に一時編入される。7月1日には大湊を出て、キスカ島撤退作戦を支援した。実際には予備としての行動にとどまっている。11月6日、小樽港の入口で沿岸哨戒艇と衝突し、軽微な損傷を受けた。そして12月1日、「波風」は門司へ移り、仏印方面の船団護衛に就く。北の艦が、南の航路を守る役目を得た。
1944年に入ると、「波風」は再び北に戻り、3月ごろから北海道・千島方面の船団護衛を続けた。そして9月18日、択捉島方面で小樽から択捉へ向かう船団を護衛中、米潜水艦「シール」の魚雷を受ける。艦尾が切断され、推進軸が損傷し、舵を失った。
「波風」は動けなくなった。そこへ、同じ第1駆逐隊の「神風」が駆けつけ、索を取って小樽まで曳いて行く。小樽で応急の補強を受けたのち、特設砲艦「千歳丸」に曳かれて舞鶴に向かい、9月26日に到着した。
被雷日は、日本語版Wikipediaと詳しい行動記録で9月18日、combinedfleet.comのTable of Movementで9月8日、英語版Wikipediaで8月21日と記されている。本記事は、最も多くの資料が一致する9月18日を採用した。被害の人数は、確認できた資料に記載がない。
舞鶴海軍工廠で、「波風」は特攻兵器「回天」を搭載する母艦に改造された。1番主砲を残して他の主砲と魚雷兵装をすべて撤去し、1番缶も外されて、出力は25,000馬力、速力は29.5ノットに下がった。対空兵装として25mm連装機銃6基と単装(または13mm単装)機銃8挺を備え、艦尾にはスロープが設けられ、回天2〜4基を載せられるようになった。
改造は1945年2月1日に完了し、2日に舞鶴を出て内海で訓練を始めた。5日には連合艦隊に編入される。ただし、「波風」が回天を発進させた記録は見当たらない。6月には内海でB-29が投下した機雷の警戒と掃海にあたり、そのまま呉で終戦を迎えた。
終戦後の1945年10月5日、「波風」は除籍される。12月1日からは特別輸送艦として復員輸送に従事した。その後、特別保管艦(賠償艦)に指定され、1947年10月3日、中華民国へ引き渡されて「瀋陽」と改名された。
「瀋陽」は青島を拠点とし、同地が中国共産党軍に落ちたのちは台湾に移って中華民国海軍で使用され、1960年に退役した。1922年の竣工から38年。同じく終戦まで生き残った澤風・汐風・夕風・矢風のなかでも、最も長く艦として使われた一隻である。
「波風」の本質は、失った艦尾の代わりに、別の役割を与えられて生き延びた艦という一点にある。1944年9月の被雷は、通常なら艦の寿命を終わらせるほどの損傷だった。それが回天母艦への改造という形で、艦に新しい命を与えることになる。それは、戦局がそこまで追い詰められていたことの証でもある。
結局、「波風」が回天を発進させることはなかった。特攻兵器の母艦として整えられた艦が、出撃の機会のないまま終戦を迎えたことは、救いでもあり、皮肉でもある。ただし、同じ時期の回天作戦の全体像や、「波風」の乗組員の被害については、確認できた資料の範囲を超えるため、本記事では述べていない。
戦後、復員輸送で人々を祖国へ運び、さらに「瀋陽」として異国の海軍で生きたことは、艦という存在が国境を越えて使われ続けた事例のひとつである。猫工艦は、峯風型14番艦「波風」と、艦尾を失ってもなお走り続けた乗組員たちに、深い敬意を表したい。
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■ 参考文献・資料
- ・『丸スペシャル』第51号「日本の駆逐艦Ⅱ」潮書房、1981年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻・第9巻、第一法規出版、1995年
- ・浅井将秀編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)海軍辞令公報(部内限)各号
- ・Wikipedia「波風 (駆逐艦)」「神風 (2代神風型駆逐艦)」「峯風型駆逐艦」、English Wikipedia “Japanese destroyer Namikaze”、combinedfleet.com “IJN Namikaze: Tabular Record of Movement”、日本の軍艦(japanese-warship.com)「波風」