白露型駆逐艦 時雨——幸運艦・諸元と全戦歴

白露型 · 2番艦 · 第27駆逐隊
SHIGURE 駆逐艦 時雨
幸運艦、不滅艦——西村艦隊唯一の生還者

1936年竣工、白露型駆逐艦2番艦。珊瑚海海戦からマリアナ沖海戦まで太平洋戦争のほぼ全期間を生き抜き、ベラ湾夜戦・ブーゲンビル島沖海戦で度々唯一の生還艦となった。レイテ沖海戦のスリガオ海峡海戦では西村艦隊が壊滅する中でただ一隻生還。1945年1月、マレー半島近海で米潜水艦の雷撃を受け戦没した。

諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
白露型2番艦
建造所
浦賀船渠
基準排水量
1,685t
最大速力
34.0kt
主砲
12.7cm連装砲2基・
単装砲1基(計5門)
魚雷兵装
61cm4連装発射管2基
(計8射線)
艦名時雨(しぐれ)
艦型・番艦白露型(一等駆逐艦)2番艦
艦名の由来神風型駆逐艦(初代)「時雨」に続き2隻目
建造所浦賀船渠
起工日1933年(昭和8年)12月15日(有明型3番艦として命名時点)
竣工日1936年(昭和11年)9月7日
除籍日1945年(昭和20年)3月10日
類別一等駆逐艦
全長111.0m(白露型標準値)
全幅9.9m(白露型標準値)
機関艦本式タービン2基2軸、艦本式重油専焼缶3基、出力42,000馬力
速力34.0kt(公試では35kt前後を発揮)
航続距離4,000海里/18kt(計画値、実績は5,000海里前後)
乗員226名(白露型標準値)
主砲50口径三年式12.7cm連装砲2基・単装砲1基:計5門(初期。後にC型連装砲へ統一する艦も)
魚雷発射管61cm4連装水上発射管:2基(計8射線、日本初の四連装発射管採用)
搭載魚雷九〇式魚雷(開戦前に九三式酸素魚雷へ改造)、本数は時期により12〜14本
機銃(最終)九六式25mm機銃複数基(戦況悪化に伴い順次増設、搭載艇の一部を降ろして増設)
所属駆逐隊履歴第27駆逐隊(白露・時雨、1936年〜)→白露型4隻編制(白露・時雨・五月雨・春雨、1943年11月〜)→第27駆逐隊解隊(1944年10月10日)→西村艦隊配属(所属不明扱い)→第21駆逐隊(1944年11月15日〜)
主要艦長履歴西野繁中佐(レイテ沖海戦時の艦長)
特記事項①1942年8〜10月、ガダルカナル島輸送に10回従事。サボ島沖海戦戦没艦「吹雪」の生存者231名を救助
特記事項②1943年7月、ベラ湾夜戦で参加4隻中3隻(新月・萩風・江風)が沈没する中、単艦で生還
特記事項③1943年11月、ブーゲンビル島沖海戦で僚艦が次々と損傷・沈没する大混戦の中、唯一無傷で帰投
特記事項④1944年10月25日、レイテ沖海戦・スリガオ海峡海戦で西村艦隊(戦艦山城・扶桑、駆逐艦多数)が壊滅する中、時雨だけが生還
最終結末1945年1月24日午前7時5分、マレー半島東岸タイランド湾でヒ87A船団護衛中、米潜水艦ブラックフィンの雷撃を受ける。左舷後部に魚雷1本命中、7時15分に艦体分断・沈没。戦死38名、重軽傷17名
■ 白露型駆逐艦について
ロンドン海軍軍縮条約下に計画された初春型駆逐艦の後続艦として建造された一等駆逐艦。主要兵装と機関は初春型を踏襲したが、魚雷兵装は日本海軍初の四連装発射管を採用し、8射線を実現した。前期艦6隻(白露・時雨・村雨・夕立・春雨・五月雨)は完成後に船体を補強、後期艦4隻(海風・山風・江風・涼風)は建造時点で対策を施した「改白露型」(海風型)として区別される。時雨は前期艦の角張った艦橋を持つ2番艦として、浦賀船渠で建造された。
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1933年12月15日 — 命名
有明型3番艦として「時雨」命名
  • 初春型から外れた「有明」「夕暮」と共に建造中の有明型3隻に「白露」「時雨」「村雨」と命名。1934年11月19日、白露型として新設、白露がネームシップとなる。1936年9月7日竣工。
1936年〜1938年
御召艦供奉、第27駆逐隊編成
  • 竣工直後、昭和天皇御召艦「比叡」の供奉艦に指定(白露と共に)。1938年、第27駆逐隊(白露・時雨と初春型有明・夕暮の混成部隊)編成。
1941年12月8日 — 太平洋戦争開戦
第1艦隊第1水雷戦隊所属、柱島泊地
  • 第27駆逐隊は第1艦隊第1水雷戦隊(旗艦阿武隈)に所属。山本五十六長官座乗の戦艦長門・陸奥等と共に小笠原近海まで進出。
1942年1月〜6月
台湾方面輸送護衛、珊瑚海・ミッドウェー海戦
  • 1月中旬、白露と共に第九戦隊(軽巡大井・北上)の指揮下で台湾方面輸送船団を護衛。5月、珊瑚海海戦に参加。6月、ミッドウェー海戦に途中まで出撃。
1942年8月17-21日
マキン奇襲対応、アパママ占領
  • 米軍によるマキン奇襲上陸を受け、白露・時雨が陸戦隊増援としてトラックから出撃。8月21日マキン着、陸戦隊上陸。9月2日、アパママを占領。
1942年9月〜10月 — ガダルカナル輸送
輸送作戦10回、吹雪生存者231名救助
  • 白露と共にガダルカナル島輸送作戦に7〜10回従事。10月12日、サボ島沖海戦戦没艦「吹雪」の乗組員8名を含む231名を増援部隊で救助。
  • 10月17日、村雨と共に揚陸作戦中の哨戒を担当後、ヘンダーソン飛行場へ艦砲射撃(時雨の発射弾数100発)。
  • 10月25日、甲増援隊(時雨・有明)で輸送予定も由良沈没で中止。10月29日、時雨・有明でガ島輸送、米軍機・魚雷艇と交戦(魚雷艇2隻撃沈報告)。11月1-5日、甲増援隊でガ島輸送を継続、成功。
1942年11月11-12日 — 第三次ソロモン海戦
比叡護衛、処分命令の撤回
  • 時雨ら第27駆逐隊が比叡・霧島を護衛。比叡救援中、時雨は機銃掃射で軽微な損傷(戦死1名)。
  • 比叡の雷撃処分命令が出されるが、発射直前に連合艦隊の指示で中止。比叡は自沈し、第27駆逐隊はトラックへ帰投。
1942年12月〜1943年6月
空母護衛、輸送任務継続
  • 12月、空母龍鳳の護衛に時雨・朝雲が指定され輸送任務に従事。1943年1月、ガダルカナル撤退作戦(ケ号作戦)に参加。各地への輸送任務を継続。
1943年7月1-19日
マーシャル諸島撤収、ブカ輸送
  • 第二駆逐隊解隊、第四水雷戦隊で第27駆逐隊が1番隊に。長良・時雨で第二航空戦隊(隼鷹・龍鳳)飛行隊要員のマーシャル諸島撤収・ラバウル輸送に従事。長良触雷後、時雨単艦でブカ輸送を実施。
1943年7月(ベラ湾夜戦)
僚艦3隻沈没の中、単艦で生還
  • 参加した日本側駆逐艦4隻のうち「新月」「萩風」「江風」が相次いで撃沈される中、時雨だけが生還した。
1943年10月
第一次・第二次ベララベラ海戦
  • 第一次・第二次ベララベラ海戦に参加、敵艦攻撃を報告。新たに第27駆逐隊に編入された五月雨と共に、米ポーター級駆逐艦「セルフリッジ」を撃破する戦果を収める。
1943年11月2日 — ブーゲンビル島沖海戦
大混戦の中、唯一無傷で帰投
  • 三水戦旗艦「川内」沈没、僚艦「五月雨」「白露」が衝突、重巡「妙高」と駆逐艦「初風」も激突し初風沈没、「羽黒」も損傷。時雨はただ一隻、無傷でこの海戦を突破。
  • この頃、第二水雷戦隊司令部が「神通」沈没で全滅、第四水雷戦隊が解隊・第二水雷戦隊へ統合される中、「呉の雪風、佐世保の時雨」という評価が確立。天皇への報告もされたという。
1943年12月〜1944年5月
輸送任務継続、トラック空襲被弾
  • 12月10-26日、第四水雷戦隊が空母龍鳳の護衛に時雨・朝雲を指定。1944年1〜2月、輸送任務を継続。2月、トラック島空襲で損傷し佐世保で修理。
1944年6月〜7月 — マリアナ沖海戦
龍鳳護衛、魚雷2本回避
  • 補給部隊護衛に従事。6月20日の空襲では空母「龍鳳」の護衛に就き、龍鳳へ向かうTBFアベンジャーを砲撃して阻止、魚雷2本を艦尾至近距離で回避。空襲後、被害を受けた空母「飛鷹」の救援に向かうが飛鷹は沈没。7月16日、リンガ泊地入港。
1944年6月7-19日 — 渾作戦
ビアク島増援作戦
  • ビアク島増援のため陸軍部隊を載せた駆逐艦6隻とソロンを出発。8日、ビアク島北西で米艦隊と交戦し2隻が小破、増援作戦は中止。19日、マリアナ沖海戦に参加し佐世保へ帰投・修理。
1944年8月7日〜10月10日
パラオ輸送、第27駆逐隊解隊
  • パラオ輸送の第16戦隊を護衛。白露(6月15日戦没)・五月雨(8月26日戦没)・春雨(6月8日戦没)の相次ぐ喪失により、10月10日、第27駆逐隊は解隊。時雨は所属不明のまま西村艦隊に配備された。
1944年10月21-25日 — レイテ沖海戦
スリガオ海峡海戦、西村艦隊唯一の生還艦
  • 10月21日ブルネイ湾到着、西野繁艦長は戦艦山城で西村祥治中将から作戦説明を受ける。10月22日午後、艦隊出撃。
  • 10月24日の空襲で第一砲塔に直撃弾を受けるが不発で無傷。10月25日、スリガオ海峡海戦に突入。戦艦「扶桑」が魚雷4本を受け落伍、「山雲」轟沈、「朝雲」「満」が艦首損傷で大破。
  • 時雨は山城・最上と共に突撃するが、山城も大炎上、最上にも砲撃集中。時雨を除く僚艦はみな大損害。艦尾に砲弾1発命中・燃料タンク貫通も不発。第27駆逐隊の仲間がすべて沈み艦隊全滅の中、時雨は孤軍で戦場を脱した。
1944年11月12-20日
マニラ脱出、第21駆逐隊編入
  • 空母隼鷹・駆逐艦夕月・卯月、重巡利根を護衛しマニラ出港。翌13日、マニラが米機動部隊空襲で壊滅的被害(時雨は難を逃れる)。15日、米潜水艦バーブの雷撃(不命中)。同日、第1水雷戦隊・第21駆逐隊(初霜)に編入。16日佐世保入港、修理。20日、第一水雷戦隊解隊、第二水雷戦隊に編入。
1944年12月
グロウラー撃破、雲龍喪失
  • 米潜水艦グロウラーを撃破する一方、油槽船「萬栄丸」を喪失。空母「雲龍」が魚雷で沈没(桜花30機海没)。12月下旬から「ヒ87船団」の護衛を第17駆逐隊と共に担当。
1945年1月24日 午前7時 — 戦没
マレー半島近海、米潜水艦の雷撃
  • ヒ87A船団の輸送船「さらわく丸」を護衛中、タイランド湾のマレー半島東岸で米潜水艦「ブラックフィン」とベスゴの攻撃を受ける。電探と目視の潜水艦を混同し、転舵がブラックフィンに好機を与える。
  • 7時4分、魚雷を回避するも、7時5分に左舷後部に魚雷1本命中。7時10分に総員退去、7時15分に艦体分断・沈没。戦死38名(資料によっては37名)、重軽傷17名。沈没地点:北緯06度00分・東経103度45分。
1945年3月10日 — 除籍
白露型10隻すべて喪失
  • 時雨の戦没をもって、白露型駆逐艦10隻すべてが太平洋戦争中に戦没した。残骸はマレー半島コタバル東方150km、水深55mに沈み、艦体は二分(艦首は右舷に横転、艦尾は正立)した状態で発見されている。
まとめ
幸運艦、不滅艦——西村艦隊唯一の生還者
白露型2番艦・時雨は、太平洋戦争のほぼ全期間を生き抜いた艦である。ベラ湾夜戦で僚艦3隻が沈む中単艦で生還し、ブーゲンビル島沖海戦の大混戦では唯一無傷で帰投、レイテ沖海戦のスリガオ海峡海戦では西村艦隊が壊滅する中ただ一隻生き残った。米海軍史研究者サミュエル・モリソンはこの艦を「幸運艦」「不滅艦」と評している。

しかし、その幸運も無限ではなかった。最後は壮絶な海戦の中ではなく、輸送船団護衛という地味な任務の最中、潜水艦識別の混同という人間的な判断のずれが、致命的な結果につながった。時雨の戦没をもって、白露型駆逐艦10隻すべてが太平洋戦争中に姿を消したことになる。

時雨が残したものは、撃沈数ではなく、生き延びるということそのものの価値である。

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■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書62『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』朝雲新聞社
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年
  • ・サミュエル・E・モリソン著、大谷内一夫訳『モリソンの太平洋海戦史』光人社、2003年
  • ・宇垣纏『戦藻録 明治百年史叢書』原書房、1968年
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
  • ・遠藤昭・原進『駆逐艦戦隊』朝日ソノラマ、1994年
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
  • ・Wikipedia「時雨 (白露型駆逐艦)」「白露型駆逐艦」
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