1943年8月2日午前2時過ぎ、ニュージョージア島西方のブラケット海峡。輸送任務を終えて帰航中の駆逐艦「天霧」は、1キロ先に「黒いモノ」を発見した。第五戦速で航行する天霧と、それは瞬く間に接近する。正体が判明したときには、もう艦砲の俯角が足らないほど近接していた。天霧は体当たりする格好となり、38トンの木製魚雷艇は真っ二つに折れて沈んだ。この魚雷艇の艇長の名は、ジョン・F・ケネディ——後にアメリカ第35代大統領となる人物だった。
吹雪型駆逐艦13番艦・天霧は、霧級4隻(天霧・朝霧・夕霧・狭霧)の中で、最も長く戦い続けた艦である。1942年8月の空襲では姉妹艦「朝霧」が轟沈し、「夕霧」「白雲」が大破した中、天霧だけが無傷だった。1943年11月のセント・ジョージ岬沖海戦では「夕霧」が沈没した中、天霧はまたしても生還した。狭霧、朝霧、夕霧——3隻の姉妹艦が次々と海に消えていく中、天霧だけが戦い続けた。
そして——その天霧の艦歴に、歴史的な一夜が刻まれることになる。後にアメリカ大統領となる青年の生死を分けた衝突、そしてその10年以上後に育まれた、かつての敵同士の不思議な交流。霧の中を生き抜いた天霧の物語は、単なる戦闘記録を超えたところへ続いていく。
1928年11月28日
1930年11月10日 竣工
34.0kt
(特II型・霧級2番艦)
3基6門
9射線
(1944年3月〜戦没時生存)
最後まで戦った艦
マカッサル海峡で触雷沈没
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。天霧は石川島造船所で建造され、朝霧・夕霧・狭霧と共に「霧級」を構成した。資料によっては15番艦と記載されることもある。
天霧は1928年11月28日、東京石川島造船所で起工した。1930年2月27日に進水し、11月10日に竣工。12月1日、姉妹艦「朝霧」と共に第8駆逐隊(横須賀鎮守府籍)が編成された。同年12月3日に「夕霧」、翌1931年1月31日に「狭霧」が編入され、霧級4隻が揃う。1935年9月、第四艦隊事件では天霧は小破にとどまったが、損傷した夕霧が一時駆逐隊から外れるという出来事もあった。1937年からは日中戦争・仏印進駐に参加し、1939年11月、第8駆逐隊は「第20駆逐隊」に改称される。
5月、ミッドウェー作戦ではアリューシャン方面支援の警戒部隊に所属。海戦後は奄美大島周辺で対潜掃討に従事した。7月、インド洋方面通商破壊「B作戦」のためメルギーに進出するが、8月7日のガダルカナル島の戦い開始により中止。第三水雷戦隊は外南洋部隊に編入され、川口支隊(陸軍第18師団の一部)の輸送を命じられる。
8月24日、輸送船2隻を護衛してトラック泊地を出撃したが、第二次ソロモン海戦の敗北により輸送計画は二度変更された。8月26日夜、第20駆逐隊4隻(天霧・夕霧・朝霧・白雲)は歩兵第124連隊第2大隊600名を分乗させガダルカナル島へ向かう。だが上級部隊からの相反する命令により行動が遅延し、28日朝に南進を再開。夕刻、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場発のSBD急降下爆撃機11機の空襲を受けた。「朝霧」轟沈。「白雲」と「夕霧」が大破し、第20駆逐隊司令・山田雄二大佐が戦死。無傷だったのは天霧だけだった。
第20駆逐隊の全僚艦が戦線を離脱した中、天霧だけがショートランドを拠点に輸送作戦を続けた。9月にはガダルカナル島への輸送と飛行場砲撃、ルンガ泊地への突入作戦に従事。10月のサボ島沖海戦後も護衛・輸送を継続し、11月の第三次ソロモン海戦に伴う輸送作戦では550名を救助している。10月1日、第20駆逐隊は解隊され、天霧は第八艦隊に編入された。霧級の生き残りは、もはや天霧1隻だけになっていた。
1943年7月、ニュージョージア島の戦いが始まると、天霧は第二次輸送隊として僚艦と共にコロンバンガラ島への鼠輸送に従事。だが米軍の軽巡3隻・駆逐艦4隻に迎撃され、クラ湾夜戦が勃発する。天霧と初雪は雷撃・砲撃を行ったが命中しなかった。日本側は米軽巡「ヘレナ」を撃沈したものの、「新月」「長月」を失い、秋山輝男少将ら第三水雷戦隊司令部が全滅した。天霧は揚陸作業を成功させて帰投する途中、ヘレナの生存者を捜索中の米駆逐艦と遭遇し、電信室への直撃弾で10名が戦死している。
クラ湾夜戦からわずか3週間後、天霧は歴史に名を残す一夜を迎える。8月1日、天霧は駆逐艦3隻(萩風・嵐・時雨)と合流し、コロンバンガラ島への輸送任務に向かっていた。
「天霧が魚雷艇を踏み潰した」
第三水雷戦隊司令官・伊集院松治大佐は、この衝突をこう評して天霧を賞賛した。日本の新聞にも掲載された。
——1943年8月2日深夜、ブラケット海峡でのPT-109衝突事件後。
8月2日午前2時過ぎ、ブラケット海峡で天霧は「黒いモノ」を発見、瞬く間に接近した。正体が魚雷艇PT-109と判明したときには、艦砲の俯角が追いつかないほど近接していた。第11駆逐隊司令・山代勝守大佐は危険と判断し取舵を指令したが、艦長・花見弘平少佐の操舵判断とのずれもあり、衝突は避けられなかった——衝突が事故か意図的なものかは、艦橋にいた関係者の証言が今も食い違っている。木製38トンの魚雷艇は真っ二つに折れて沈没。天霧の損傷は艦首の軽い亀裂のみで、航海に支障はなかった。
PT-109の艇長だったジョン・F・ケネディ中尉は、乗員2名を失いながらも、生存者を励まし5時間にわたって泳ぎ続けて陸地に到達。最終的に残り11名全員が救助された。当時のケネディはハーバード大学時代のフットボールで負った背中の負傷があり、この夜の衝突と長時間の遠泳によって、生涯にわたって背中の激痛を抱えることになったという。
1951年秋、下院議員として来日したケネディは、花見との面会を希望したが、日程が合わず実現しなかった。これ以降、花見とケネディは文通で交流するようになる。1952年の上院選、1960年の大統領選では、天霧の元乗員一同からケネディに激励の色紙が贈られた。大統領選で応援を求められた花見は都合がつかず、代わりに天霧の元乗組員らを派遣したところ、現地で大歓迎を受けたという。かつて死闘した敵国の軍人たちが、恩讐を超えて選挙応援に駆けつけたという逸話は、史上稀に見る大接戦となったこの選挙でのケネディ勝利に、多くのアメリカ人の心を動かす一因になったとも言われている。
8月6日のベラ湾夜戦では、同行していた「萩風」「嵐」「江風」がレーダー誘導の米艦隊に撃沈される中、天霧は結果的に難を逃れた。11月のセント・ジョージ岬沖海戦では、共に行動していた「大波」「巻波」「夕霧」が次々と沈没する中、天霧は司令駆逐艦として「卯月」と共にラバウルへ帰投した。霧級で最後まで残った天霧は、もはや「生き残る艦」として知られるようになっていく。
1944年1月、輸送船「にぎつ丸」が米潜水艦の雷撃で沈没した際には、天霧は他艦と協力して約9時間にわたり800名余を救助した。3月、第19駆逐隊(浦波・敷波)に編入され、南西方面の輸送任務に従事。だが、この任務が天霧にとって最後の任務になる。
4月20日、天霧は重巡「青葉」、軽巡「大井」とシンガポールを出発し、ダバオへの輸送作戦に参加した。23日午後、マカッサル海峡で触雷。復旧の見込みがなく、魚雷を投棄し「君が代」吹奏の後、総員退去が宣言された。乗員は艦後方から海に飛び込んで脱出。前艦長・花見弘平の教え子であった機関長・西之園茂は退艦せず、艦と運命を共にした。午後2時53分、天霧は南緯2度12分・東経116度45分の海域で沈没した。幸い昼間で海上も穏やかであったため、生存者180名は青葉と大井に収容された。6月10日、駆逐艦籍から除籍。艦名は戦後、海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」に引き継がれた。
しかし、その生命力は単なる幸運ではなかった。エンダウ夜戦、クラ湾夜戦、ベラ湾夜戦、セント・ジョージ岬沖海戦——天霧は常に最前線にいた。そしてその過程で、後にアメリカ大統領となる青年の運命を変える一夜があった。敵として殺し合った関係が、戦後には文通と選挙応援という形に変わったという事実は、戦争というものの記録の中でも特異な余白を残している。
天霧が残したものは、勝利の記録だけではない。最後は機雷という、敵兵の意志とは無関係な脅威によって沈んだという結末も含め、この艦の物語は、戦争の中の生と死、そして敵対した者同士がその後に築いた関係という、複雑な現実をそのまま今に伝えている。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書49『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1971年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(2)』朝雲新聞社、1975年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3)』朝雲新聞社、1976年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・佐藤和正「命令誤認」『艦長たちの太平洋戦争 続篇』光人社、1984年
- ・志賀博『海軍兵科将校』光人社、1985年
- ・志賀博ほか『駆逐艦物語』潮書房光人社、2016年
- ・星亮一『ケネデイを沈めた男』潮書房光人社、2014年
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・Wikipedia「天霧 (駆逐艦)」