夕雲型 · 8番艦 · 第三十一駆逐隊
KIYONAMI 清波
僚艦「夕暮」を救おうとして、共に沈んだ艦——チョイセル島沖の記録
浦賀船渠が建造した夕雲型駆逐艦8番艦。コロンバンガラ島沖海戦を戦い抜くも、1943年7月20日、夜間空襲で沈没した僚艦「夕暮」の救援中に自らも撃沈されるまでの諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 8番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35 kt
MAIN GUN
12.7cm D型 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1943.7.20 戦没
| 艦名 | 清波(きよなみ) |
| 艦型・番艦 | 夕雲型駆逐艦 8番艦 |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 仮称艦名 | 第123号艦(④計画) |
| 命名 | 1942年(昭和17年)6月20日 |
| 進水日 | 1942年(昭和17年)8月17日 |
| 竣工日 | 1943年(昭和18年)1月25日 |
| 除籍日 | 1943年(昭和18年)9月15日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 基本計画番号 | F50(陽炎型はF49) |
| 全長 | 119.3m |
| 全幅 | 10.8m |
| 基準排水量 | 2,077t |
| 満載排水量 | 約2,772〜2,940t |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 最大速力 | 35ノット |
| 航続距離 | 約9,260km(18ノット時) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲D型 3基6門(最大仰角75度) |
| 機銃 | 九六式25mm連装機銃 2基(就役時) |
| 魚雷発射管 | 九二式2型61cm4連装発射管 2基8射線 |
| 搭載魚雷 | 九三式1型改II魚雷 16本 |
| 爆雷兵装 | 九四式爆雷投射機 1基(九五式改I爆雷36個) |
| 竣工時定員 | 225〜228名前後 |
| 初代艤装員長/駆逐艦長 | 畑野健二少佐(前歴:萩風艦長) |
| 特記事項 | 竣工から約半年での戦没。夜間空襲で沈没した僚艦「夕暮」の救援に向かい自らも撃沈された |
| 最終所属 | 第三十一駆逐隊 |
| 最期 | 1943年7月20日、チョイセル島沖で「夕暮」救援中に夜間空襲を受け撃沈。両艦ともほぼ総員戦死 |
TIMELINE
HISTORY
清波 全戦歴タイムライン
1942年6月20日 — 命名
浦賀船渠にて建造中、艦名「清波」と命名
- ④計画による駆逐艦(甲)として建造。夕雲型8番艦として夕雲型に類別される。
1942年8月17日 — 進水
進水。同年12月28日、畑野健二少佐が艤装員長として着任
- 畑野少佐は駆逐艦「萩風」艦長からの異動だった。
1943年1月25日 — 竣工
竣工。畑野艤装員長がそのまま初代駆逐艦長に
- 2月25日、第二水雷戦隊隷下の第三十一駆逐隊に編入。長波・巻波・大波と共に定数4隻を回復した。
1943年2月下旬〜5月 — 中部太平洋方面任務
護衛・対潜掃討任務に従事
- 4月中旬〜5月中旬、「大波」と共に臨時で海上護衛隊の指揮下に入った。
1943年6月中旬 — トラック進出
第三戦隊(金剛・榛名)・空母3隻(龍鳳・雲鷹・冲鷹)を護衛
- 横須賀からトラック泊地へ進出。続いてソロモン諸島へ進出した。
1943年7月2日 — ラバウル進出
「夕暮」と共に油槽船「玄洋丸」を護衛してラバウルへ
- 外南洋部隊増援部隊としてニュージョージア島攻防戦に投入される。
1943年7月12日 — コロンバンガラ島沖海戦
第三水雷戦隊(軽巡「神通」旗艦)の一員として参加
- 増援部隊/警戒隊は清波・雪風・浜風・夕暮・三日月で編成。「神通」を失いながらも優勢な米艦隊に損害を与えた。
1943年7月20日 — 戦没
チョイセル島沖で「夕暮」救援中に夜間空襲を受け撃沈
- 第七戦隊司令官西村祥治少将(旗艦「熊野」)の指揮下、夜間空襲で沈没した「夕暮」の救援に向かうも、清波自身も空襲を受け撃沈。両艦ともほぼ総員が戦死した。
1943年9月15日 — 除籍
夕雲型駆逐艦・帝国駆逐艦籍から除籍
- 竣工からわずか約半年での戦没・除籍だった。
SUMMARY
RECORD
清波 全艦歴まとめ
清波は1943年1月に浦賀船渠で竣工した夕雲型駆逐艦8番艦。第三十一駆逐隊に編入され、中部太平洋方面での護衛・対潜掃討任務を経て、ニュージョージア島攻防戦の最前線であるコロンバンガラ島沖海戦(1943年7月12日)に参加した。しかしその8日後の7月20日、夜間空襲を受け沈没した僚艦「夕暮」の救援に向かった際、清波自身もまだ上空に留まっていた敵機の攻撃を受けて撃沈された。夕暮・清波の両艦は、ほぼ総員が戦死するという痛ましい結末を迎えた。竣工からわずか約半年での戦没であり、夕雲型19隻の中でも特に短い艦歴だった。
僚艦救援中の共倒れという記録——清波の最期は、戦闘そのものではなく、沈みゆく僚艦を救おうとした献身の結果だった。この構図は朝潮型「夏雲」のサボ島沖での最期とも重なる、太平洋戦争の駆逐艦史に繰り返し現れる悲劇的パターンである。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第31駆逐隊戦時日誌・横須賀鎮守府戦時日誌
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『ニュージョージア島の戦い』『コロンバンガラ島沖海戦』関連巻
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
- ・Wikipedia「清波 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「コロンバンガラ島沖海戦」「夕暮 (初春型駆逐艦)」