「つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」——白露型ネームシップ「白露」の非運と誇り

「妹艦「夕立」がソロモンの悪夢で伝説を刻んだ夜、「白露」は戦艦「比叡」の護衛に奔走していた——白露型ネームシップが地道に背負い続けた戦争の全記録。B-17大破・五月雨衝突・タンカー爆沈まで。

1936年(昭和11年)8月20日、竣工したばかりの「白露」は、昭和天皇を乗せた御召艦「比叡」の供奉艦に選ばれた。白き露の名を持つ一番艦が、帝国海軍の最高の栄誉を担って北海道へ向かった——それが白露型ネームシップとしての最初の仕事だった。そして8年後の1944年(昭和19年)6月15日、「白露」は同じその命を、マリアナ沖海戦を目前に、暗夜の海峡で味方タンカーと衝突し、自艦の爆雷の誘爆によって喪った。

「白露」は白露型駆逐艦の1番艦(ネームシップ)だ。現在ゲームや戦史人気により、妹艦「夕立」が「ソロモンの悪夢」と謳われ、「時雨」が「呉の雪風、佐世保の時雨」と称えられたことを知る。——その影で「白露」は地味ながら過酷な護衛・輸送任務を黙々と果たし続けた。B-17爆撃機の直撃弾でも「船体切断の危機」を乗り越え、「五月雨」との同士討ち衝突でも再び戦場に戻った。それでも最期に「白露」を沈めたのは敵弾でも魚雷でもなかった。

「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」——百人一首第37番に収められたこの歌が「白露」の艦名の由来だ。細い草の葉に宿る露のように、美しく、儚く、しかし確かに存在した——その航跡を、猫工艦は記録する。

IJN DESTROYER · SHIRATSUYU CLASS No.1 · 白露型ネームシップ · 第27駆逐隊 · 1936竣工 白露型駆逐艦「白露(しらつゆ)」
建造所
佐世保海軍工廠
起工 1933.11.14
進水 / 竣工
1935.4.5 / 1936.8.20
初代艤装員長:天谷嘉重 少佐
基準排水量
1,685 t
全長 111.0 m
最大速力
34.0 ノット
出力 42,000 馬力
魚雷兵装
61cm 4連装 ×2基
九三式酸素魚雷・次発装填装置付
主砲
12.7cm砲 5門
連装2基+単装1基
所属
第27駆逐隊
白露・時雨・有明・夕暮
大破回数
2度(B-17直撃・五月雨衝突)
いずれも修理・復帰
戦没
1944.6.15
味方タンカー衝突・自艦爆雷誘爆による爆沈
ネームシップの誕生——友鶴事件の教訓と「白き露」の命名

「白露」の誕生には、一つの事故が深く関わっている。1934年(昭和9年)3月の「友鶴事件」——水雷艇「友鶴」が重心過多で転覆した悲劇だ。初春型の設計欠陥が露呈し、帝国海軍は次世代駆逐艦の設計を抜本的に見直した。その結果として生まれた「白露型」の1番艦が「白露」であり、「有明型」として建造中だった3番艦から「白露型」のネームシップに格上げされたという経緯を持つ。

1936年(昭和11年)8月20日の竣工直後、「白露」と妹艦「時雨」は昭和天皇の御召艦「比叡」の供奉艦に指定された。9月24日から10月12日まで北海道行幸に同行し、さらに10月29日の神戸沖昭和11年特別大演習観艦式にも参加——竣工から2か月で、一番艦は帝国海軍の最高の舞台に立った。

■ 艦名「白露」の由来——百人一首の歌
「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康・百人一首第37番)。秋の野で風に吹かれ、糸でも通したかのように草葉から散り落ちていく露の玉——この美しくも儚い意象が「白露」の名の由来だ。8年の艦歴の末に、その「散りける」という言葉が、あまりにも文字通りの結末を迎えることになるとは、命名者も想わなかっただろう。
■ 白露(しらつゆ)の全戦歴ハイライト ■
1936年8月:佐世保海軍工廠で竣工。翌月より昭和天皇御召艦「比叡」の供奉艦として北海道行幸に同行。帝国海軍最高の栄誉から艦歴が始まる。
1938年:「時雨」「有明」「夕暮」とともに第27駆逐隊を編成。
1941年12月:開戦。長門・陸奥等と共に小笠原近海まで進出し帰投。以降は船団護衛・対潜哨戒任務に従事。
1942年5月:珊瑚海海戦(MO作戦)に攻略部隊護衛として参加。
1942年6月:ミッドウェー海戦(中途まで出撃、大敗北を護衛しつつ撤退)。
1942年8〜10月:ガダルカナル島輸送作戦(鼠輸送)に「時雨」と共に7回従事。マキン・アパママ増援輸送も実施。
1942年10月25日:ルンガ泊地突入作戦。「暁」「雷」とともに突撃隊3隻でルンガ泊地に突入、艦隊曳船「セミノール」等を撃沈。
1942年11月13日:第三次ソロモン海戦。「比叡」護衛・乗組員救出に奔走。機銃掃射で若干の損傷を受けるも生還。
1942年11月29日【第一の大破】:ブナ輸送作戦中、B-17爆撃機の直撃弾と至近弾で前部大破・船体切断の危機。戦死者6名。修理のため帰投。
1942年12月〜1943年7月:ラバウル応急修理→トラック→佐世保→長崎で前部船体切断・修理。7か月の長期修理。
1943年11月2日【第二の大破】:ブーゲンビル島沖海戦。暗夜の混戦中に妹艦「五月雨」と衝突・大破。再び修理へ。
1944年2〜5月:修理完了後、船団護衛任務(松輸送など)に従事。
1944年6月15日渾作戦。タンカー「清洋丸」と衝突・自艦爆雷誘爆により爆沈。艦長以下104名戦死。
B-17の直撃——「船体切断の危機」、一番艦の意地

1942年(昭和17年)11月29日——「白露」はブナ輸送作戦の真っ只中にいた。「夕雲」「巻雲」「風雲」と共に4隻でラバウルを出撃し、ニューギニアのブナへ向かって進撃していた。そのとき、頭上から米軍B-17爆撃機の波状攻撃が降ってきた。

■ ブナ輸送中のB-17空爆(1942年11月29日)■
11月29日昼
「白露」以下4隻、進撃中に米軍B-17型爆撃機の空襲を受ける。
直撃弾
「白露」に直撃弾と至近弾が命中。前部が大破し、船体切断の危機に瀕した。戦死者6名。「巻雲」も至近弾で損傷。輸送作戦は中止。
瀕死の状態
「巻雲」が「白露」に接舷して便乗陸軍兵を受け取り先行帰投。「白露」は「春雨」「夕雲」に護衛されてラバウル着。投錨できないため軽巡「天龍」に接舷停泊。
長崎へ
ラバウルで応急修理→12月19日発→22日トラック着→工作艦「明石」で修理→1943年2月16日、「野分」とトラックを出港→悪天候で電気溶接部分に亀裂→サイパン緊急退避→単艦で3月2日佐世保帰投→長崎で前部船体切断を含む大修理(7月まで)
■ 「船体切断の危機」——それでも「白露」は戦場に戻った
B-17の直撃弾により前部が大破、船体切断まで追い込まれた「白露」は、約7か月にわたる大修理の末に1943年7月に前線復帰を果たした。その間、妹艦の「村雨」「春雨」「夕立」が次々と戦没した。ネームシップとして、一番艦として、「白露」はそれでも戦場に戻り続けた。
妹艦との衝突——ブーゲンビル島沖の暗夜と「痛恨の同士討ち」

1943年(昭和18年)11月2日——ブーゲンビル島沖海戦。米軍のブーゲンビル島上陸を阻止すべく、日本艦隊が夜間突入を敢行した。「白露」も第二水雷戦隊の一員として参加していた。深夜の暗闇の中、砲弾が飛び交い、煙幕が漂い、隊形が乱れていた。

そのとき「白露」は回避行動をとった。しかしその航路上に、白露型の妹艦——「五月雨(さみだれ)」がいた。暗夜の混戦の中、両艦は衝突した。

■ ブーゲンビル島沖海戦(1943年11月2日)——白露と五月雨の衝突 ■
11月2日夜
日本艦隊、ブーゲンビル島沖で米艦隊と夜戦。第二水雷戦隊(司令官:小柳富次少将)が突撃。暗夜・煙幕・乱戦の中で艦隊の隊形が崩れていく。
衝突
「白露」、回避行動中に妹艦「五月雨」と衝突。両艦ともに船体を大きく損傷し、戦線を離脱。「白露」は再び修理のため後送となる。
皮肉な運命
この衝突で損傷した「五月雨」は、1944年8月にパラオ近海で座礁・放棄されることになる。暗夜の同士衝突が、両艦の運命を変えた。
復帰
「白露」は修理を経て1944年2〜3月頃に前線復帰。以降は船団護衛(松輸送等)に従事した。
■ 「夕立」とは対照的な「白露」の戦歴
妹艦「夕立」が32分間の単艦突入で伝説を刻んだ同じ1942年11月13日、「白露」は「比叡」の護衛・救助に奔走していた。ともに同じ白露型でありながら、片や派手な突入戦で戦史に名を刻み、片や地味な護衛・救助任務を続けた。「白露」の戦歴に「栄光の一撃」はない。しかしB-17の直撃弾にも、妹艦との衝突にも、それでも生き残って任務に戻った——その繰り返しこそが「白露」という艦の本質だった。
「清洋丸」との衝突——最期の皮肉、敵弾ではなく爆雷に散った一番艦

1944年(昭和19年)6月15日——マリアナ沖海戦(あ号作戦)の発令直前、「白露」はフィリピン・ミンダナオ島沖での護衛任務についていた。第一機動艦隊への燃料補給を担う重要なタンカー船団の護衛だ。日付が変わった深夜、米潜水艦の脅威が周囲に漂う中、船団全体が回避行動に入った。

■ 1944年6月15日 深夜——「白露」最期の経緯 ■
6月15日
「白露」、渾作戦(ビアク島輸送支援)に関連したタンカー船団護衛任務中。フィリピン・ミンダナオ島北東沖(北緯09度09分・東経126度51分)を航行。
深夜
米潜水艦の雷撃(またはその誤認)に対して船団全体が緊急回避行動。暗闇の中で「白露」の航路上に巨大な特設給油船「清洋丸」(10,500トン)が立ちはだかった。
衝突・誘爆
「白露」、「清洋丸」の艦首に激突。駆逐艦の薄い装甲は巨大タンカーの質量の前に引き裂かれた。さらに衝突の衝撃で「白露」自身の爆雷が誘爆——深夜の海に巨大な爆炎と水柱が立ち昇った。
数分後
「白露」、衝突からわずか数分でミンダナオ島北東沖の深海へ沈没。艦長以下104名の乗組員が艦と共に海に散った。
翌日
6月19〜20日、マリアナ沖海戦が始まる。「白露」が護衛しようとしていた機動艦隊の燃料補給は叶わなかった——とはいえ、このマリアナ沖海戦でも日本機動部隊は大敗北を喫することになる。
7月15日
帝国駆逐艦籍から「白露」の除籍決定。白露型のネームシップとして8年の生涯に幕を閉じた。

「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」

小倉百人一首 第37番(文屋朝康)——「白露」の艦名の由来

——「白露」はその名の通り、暗夜の海に散った。敵弾でも魚雷でもなく、自らの爆雷によって。

猫工艦の考察:「非運」ではなく「宿命」——ネームシップとして背負ったもの

「白露」の本質は——「ネームシップとして、型を背負って最後まで戦い続けた」という一点にある。妹艦「夕立」の32分間の突入伝説、「時雨」のスリガオ海峡奇跡の生還——それらと比べれば「白露」の艦歴は地味に映る。しかし「白露」が遂行し続けた護衛・輸送任務がなければ、「夕立」も「時雨」も戦場へ辿り着けなかった。

「白露」は2度の甚大な大破からいずれも復帰した。B-17の直撃弾が前部を吹き飛ばしても、妹艦「五月雨」との衝突で船体を裂かれても——それでも戦場に戻った。しかし最期は、敵ではなく味方のタンカーとの衝突だった。自らの爆雷が「白露」を沈めた。「非運」という言葉では表しきれない、戦争という理不尽そのものだ。

「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」——命名者がこの歌に込めた意味は、艦の誕生を祝う言葉だったはずだ。しかし1944年6月15日の深夜、暗夜の海峡でその「玉」は本当に散った。猫工艦は「白露」の8年間の地道な航跡を、妹艦たちの輝かしい伝説と同じ重さで、戦史に刻む。

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■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『南東方面海軍作戦(1)〜(3)』朝雲新聞社
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考
  • ・Wikipedia「白露 (白露型駆逐艦)」
  • ・片桐大自『帝国海軍全艦艇史』ベストセラーズ
  • ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫
  • ・『艦長たちの軍艦史』光人社

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