陽炎型 · 8番艦 · 第16駆逐隊→第17駆逐隊
YUKIKAZE 雪風
「雪風に神宿る」——甲型駆逐艦38隻、唯一の生存艦
陽炎型駆逐艦8番艦。佐世保海軍工廠で建造され、1940年1月竣工。スラバヤ沖海戦、第三次ソロモン海戦、マリアナ沖、レイテ沖、坊ノ岬沖と主要海戦のほとんどに参加しながら、大きな損傷を一度も受けなかった。陽炎型19隻・夕雲型19隻の甲型駆逐艦38隻の中で唯一終戦まで生き残り、戦後は中華民国へ引き渡され「丹陽」として1965年まで現役を続けた。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 8番艦
DISPLACEMENT
2,033 t
MAX SPEED
35.5 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
生存・戦後賠償艦「丹陽」に
| 艦名 | 雪風(ゆきかぜ) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 8番艦 |
| 建造所 | 佐世保海軍工廠 |
| 起工日 | 1938年8月2日 |
| 進水日 | 1939年3月24日 |
| 竣工日 | 1940年1月20日(黒潮竣工の1週間前) |
| 全長 | 118.5m |
| 全幅 | 10.8m |
| 基準排水量 | 2,033トン |
| 機関 | ロ号艦本式缶3基/艦本式タービン2基2軸 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 速力(計画) | 35.5ノット |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cmC型連装砲 3基6門(最大仰角55度) |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm4連装発射管 2基8門 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 16本 |
| 対空機銃 | 九六式25mm連装機銃2基(竣工時) |
| 爆雷 | 九四式爆雷投射機1基・投下台6基・爆雷18〜36個 |
| 乗員 | 239名 |
| 歴代艦長 | 竣工から終戦まで6名。5代目・寺内正道中佐(1943年12月〜、マリアナ沖・レイテ沖・坊ノ岬沖を指揮) |
| 所属駆逐隊 | 第16駆逐隊(黒潮・初風)→ 第17駆逐隊(浦風・磯風・浜風・谷風、前例のない5隻編成) |
| 異名 | 強運艦、不死身の駆逐艦、超機敏艦、「呉の雪風、佐世保の時雨」 |
| 特記事項 | 甲型駆逐艦(陽炎型19隻+夕雲型19隻)38隻中、唯一の終戦生存艦 |
| 戦後 | 賠償艦として中華民国に引き渡され「丹陽」に改名。1965年12月16日退役、後に解体。1971年、錨と舵輪が日本へ返還され、江田島の海上自衛隊第一術科学校教育参考館に安置 |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から終戦、そして丹陽としての第二の人生まで
1941年12月11日 — 初陣
レガスピー攻略戦に参加
- 真珠湾攻撃には参加していない。以後、南方攻略作戦を転戦した。
1942年2月27日 — スラバヤ沖海戦
初の本格的海戦。敵兵約40名を救助
- 発射した魚雷は敵の転舵で命中しなかったが、海に投げ出された敵兵を救助した。
1942年10月26日 — 南太平洋海戦
空母「瑞鶴」護衛、不時着水機のパイロット救助
- 確実な戦果は撃墜1機。危険を冒し探照灯で味方機を空母まで誘導した。
1942年11月12-13日 — 第三次ソロモン海戦
米駆逐艦2隻撃沈に貢献、戦艦「比叡」を救援
- 春雨と共同でカッシング、比叡と共同でラフィーを撃沈。航行不能の比叡へ最も早く到着し、一時戦隊旗艦を務めた。至近弾で汽缶に亀裂・発電機故障。
1943年3月 — ダンピール海峡の悲劇
輸送船「旭盛丸」生存者を救助、任務完遂
- 朝雲と共に船団を離れ陸軍兵をラエへ送り届けた翌日、反跳爆撃により輸送船7隻・駆逐艦4隻が失われる惨事が発生。犠牲者3,600名以上。
1943年11月2-3日 — ラバウル空襲
空襲を予見し、いち早く湾外へ退避
- 「時雨」が驚くほどの早い判断だったという。この頃「呉の雪風、佐世保の時雨」の評判が定着した。
1944年2月〜3月31日 — 第16駆逐隊解隊
僚艦全滅、前例のない5隻編成に
- 時津風・初風戦没、天津風大破で事実上雪風1隻に。第17駆逐隊(浦風・磯風・谷風・浜風)の5番艦として編入され、5隻編成となった。
1944年6月19-20日 — マリアナ沖海戦
小沢機動部隊の護衛として参加
- 空母大鳳・翔鶴が相次いで撃沈される中、護衛任務にあたった。
1944年10月22-25日 — レイテ沖海戦
サマール沖海戦、米護衛空母群へ突撃
- 栗田艦隊第十戦隊として金剛・榛名を護衛。米護衛空母を正規空母と誤認し酸素魚雷4本を10km遠距離から発射するも命中せず。帰路、燃料不足のため長門から曳航給油を受けた。
1944年12月19-30日 — ヒ87船団護衛
台湾方面輸送作戦、機関故障で呉へ引き返す
- 新谷喜一大佐が第17駆逐隊司令として着任、司令艦は雪風に。30日、機関故障のため司令艦は浜風に変更された。
1945年4月6-7日 — 坊ノ岬沖海戦(天一号作戦)
大和沈没、雪風はほぼ無傷で生還
- 米軍機約400機の攻撃。大和・矢矧・浜風・朝霜・霞が沈没。寺内艦長の独自の操艦で回避に成功。魚雷1本が艦底通過、ロケット弾は食料庫命中も不発。戦死3名・負傷15名、戦闘力に影響なし。米軍機1機撃墜。
1945年4月7日 夜 — 「磯風」処分
大破した僚艦「磯風」を処分、第17駆逐隊司令艦を継承
- 雷撃は艦底通過、砲撃も命中せず、最終的に魚雷命中で磯風の搭載魚雷が誘爆、22時40分沈没。磯風乗員は事前に雪風へ移乗していた。
1945年 — 終戦
甲型駆逐艦38隻中、唯一生存して終戦を迎える
- 連合国軍に接収された。
戦後 — 「丹陽」として第二の人生
中華民国へ賠償艦として引き渡される
- 国共内戦に敗れた国民党勢力幹部が丹陽で台湾へ逃れた。1965年12月16日退役。
1970年代 — 解体、そして帰還
丹陽解体、1971年に錨と舵輪が日本へ
- 広島県江田島、海上自衛隊第一術科学校教育参考館に安置。艦名は海上自衛隊はるかぜ型護衛艦「ゆきかぜ」に継承された。
SUMMARY
RECORD
雪風 全艦歴まとめ
陽炎型8番艦「雪風」は、真珠湾攻撃こそ参加しなかったが、スラバヤ沖海戦、第三次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、坊ノ岬沖海戦と太平洋戦争の主要な激戦のほとんどに参加した。戦艦「比叡」の救援では最も早く現場に到着し一時旗艦を務め、坊ノ岬沖では独自の操艦法で米軍機の猛攻をほぼ無傷でかわし、さらに大破した僚艦「磯風」を自らの手で処分するという重い任務も果たした。甲型駆逐艦(陽炎型19隻・夕雲型19隻)38隻の中で唯一終戦まで生き残り、戦後は中華民国の「丹陽」として1965年まで現役を続けた。
「雪風に神宿る」——歴代艦長の一人が離任時に残したこの言葉は、単なる験担ぎではなく、艦長と乗員が一体となって積み重ねた「生き残る技術」への信頼の表れだった。運だけでなく、意志と技術が、この艦を戦争の終わりまで運び続けた。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書31ほか各巻、朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)雪風関連公文書・第十戦隊戦時日誌
- ・豊田穣『雪風ハ沈マズ』文春文庫、1981年
- ・吉田俊雄『戦艦比叡』学研M文庫、2001年
- ・相良俊輔『怒りの海』光人社NF文庫
- ・学習研究社『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.19 水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦』1998年
- ・Wikipedia「雪風 (駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「磯風 (陽炎型駆逐艦)」