陽炎型 · 12番艦 · 第十七駆逐隊
ISOKAZE 磯風
巨艦の最期を幾度も見届け、自らも雪風に見送られた艦
陽炎型駆逐艦12番艦。佐世保海軍工廠で建造され、1939年11月竣工。第十七駆逐隊の一員として真珠湾攻撃から坊ノ岬沖海戦まで戦い抜いた。蒼龍・大鳳・武蔵・信濃・金剛の生存者救助や最期の目撃に立ち会い続けた末、1945年4月7日、被弾・航行不能となり僚艦「雪風」により処分された。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 12番艦
DISPLACEMENT
2,033 t
MAX SPEED
34.58 kt(公試)
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1945.4.7 戦没
| 艦名 | 磯風(いそかぜ) |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 12番艦(仮称第28号艦) |
| 建造所 | 佐世保海軍工廠 |
| 起工日 | 1938年11月25日 |
| 命名 | 1939年5月1日 |
| 進水日 | 1939年6月19日 |
| 竣工日 | 1939年11月30日 |
| 基準排水量(新造時) | 2,530トン(公試) |
| 出力(公試) | 52,390shp |
| 速力(公試) | 34.58ノット |
| 主砲 | 三年式50口径12.7cmC型連装砲 3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装発射管 2基 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷16本 |
| 爆雷 | 16個 |
| 所属駆逐隊 | 第十七駆逐隊(浦風・谷風・浜風→のち雪風編入で5隻編成) |
| 特記事項 | 1944年3月〜第17駆逐隊司令艦。蒼龍・大鳳・武蔵・信濃・金剛の生存者救助・最期の目撃に立ち会う |
| 戦没 | 1945年4月7日 坊ノ岬沖(天一号作戦) |
| 戦没原因 | 米軍機の至近弾で機械室浸水・航行不能。僚艦「雪風」による砲雷撃処分 |
| 戦死者 | 20名、負傷54名、生存326名 |
| 沈没地点 | 北緯30度46分05秒 東経128度09分02秒 |
| 除籍 | 1945年5月25日 |
| その後 | 2016年に沈没船体が水中調査で撮影され、2018年に磯風と確認された |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1938年11月25日 — 起工
佐世保海軍工廠で起工(仮称第28号艦)
- 1940年12月15日、浦風・谷風と第十七駆逐隊を編成した。
1941年12月8日 — 真珠湾攻撃
機動部隊警戒隊、空母「瑞鶴」後方を航行
- 第一水雷戦隊所属、司令杉浦嘉十大佐(司令艦谷風)指揮下。
1942年3-4月 — セイロン沖海戦
英空母「ハーミーズ」撃沈に参加、捕虜6名を救助
- 4月4日、撃墜された飛行艇搭乗員6名を捕虜として救助・厚遇。4月7日クリスマス島艦砲射撃護衛(金剛・榛名)、守備隊はこの砲撃だけで降伏した。
1942年6月5日 — ミッドウェー海戦
被弾からの復旧、空母「蒼龍」生存者を救助
- SBDの至近弾で一時航行不能となるも復旧。速力低下のため蒼龍救援を命じられ、浜風と共に生存者を救助した。
1942年8-9月 — ガダルカナル戦
鼠輸送、第二次ソロモン海戦、僚艦「弥生」捜索救助
- 8月25日、田中頼三少将の輸送船団護衛中に空襲を受け神通中破。9月11日、弥生が空襲で沈没、磯風は回避のため直接救助できず、後日83名を救出した。
1942年10月 — 南太平洋海戦
前進部隊として参加、内地帰投護衛
- 11月、信濃護衛の前身となる各種輸送任務に従事した。
1942年12月18日〜1943年1月 — ウェワク輸送、アルゴノート撃沈
ニューギニア輸送強化、米潜水艦を撃沈
- 12月18日ウェワク輸送成功。1月5日、17駆+舞風で5隻の輸送船を護衛しラエへ(第十八号作戦)。空襲で日龍丸沈没・妙高丸擱座も輸送は概ね成功。帰路、艦爆が発見した米潜水艦アルゴノートを磯風・舞風の砲撃で撃沈。
1943年2月7日 — ケ号作戦で被弾
爆弾2発が1番砲塔前後に命中、艦首大破
- ガダルカナル撤収作戦(3次にわたり全て投入、17駆合計5,876名救出。磯風は第1・2次で計2,249名)中、大火災・舵故障。曳航を断り17ノットで離脱。戦死24名、負傷7名。7月まで呉工廠で修理。
1943年8-10月 — ソロモン方面転戦
日進沈没時の救助、ベララベラ・コロンバンガラ撤収作戦
- 8月22日、水上機母艦日進が空襲で沈没(約1100名戦死)、磯風は生存者救助にあたるも再空襲で中断。9-10月、セ号作戦(コロンバンガラ撤収)に従事。
1943年11月4日 — カビエンで触雷
左舷後部小破、陸軍兵含む63名負傷
- トラック工作艦明石で応急修理後、12月28日まで呉で修理。
1944年3月31日 — 雪風編入
第17駆逐隊が不知火型5隻(磯風司令艦)に
- 磯風・浦風・谷風・浜風・雪風の5隻編成。同日、海軍乙事件(古賀峯一長官殉職)発生。
1944年6月9日 — 谷風戦没
タウイタウイで僚艦「谷風」が目前で撃沈
- 米潜水艦ハーダーの雷撃による。
1944年6月19-20日 — マリアナ沖海戦
空母「大鳳」轟沈を目撃、生存者救助
- 大鳳直衛として参加。米潜アルバコアの雷撃・爆発・沈没を目撃。同日、翔鶴も撃沈された。
1944年10月8日 — 司令艦変更
第17駆逐隊司令艦、磯風から浦風に
- 捷一号作戦(レイテ沖海戦)出撃直前だった。
1944年10月24日 — シブヤン海空襲
戦艦「武蔵」の最期を目撃
- 磯風水雷長・白石東平大尉が沈みゆく武蔵を撮影。僚艦浜風・清霜が武蔵護衛のため分離した。
1944年10月25日 — サマール沖海戦
酸素魚雷8本発射(参加艦中最多)
- 米護衛空母群に肉薄するも遠距離のため命中せず。27日、榛名から燃料曳航補給を受けた。
1944年11月21日 — 金剛・浦風喪失
米潜シーライオンの雷撃、金剛沈没・浦風全滅
- 磯風は金剛の生存者を救助。浦風は全乗組員が戦死し、以後司令艦は浜風に変更された。
1944年11月29日 — 信濃沈没
空母「信濃」生存者を救助
- 米潜アーチャーフィッシュの雷撃による。磯風・浜風・雪風が救助にあたった。
1945年1月8日 — 司令艦変更
浜風座礁により磯風が第17駆逐隊司令艦に
- ヒ87船団護衛中の出来事。1月18日、呉帰還。
1945年4月7日 — 坊ノ岬沖海戦
被弾・航行不能、雪風により処分
- 矢矧への横付け直後、至近弾で機械室浸水。漂流後、雪風の雷撃・砲撃で22時40分沈没。戦死20名、負傷54名。
1945年5月25日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・不知火型から除籍
- 2016年の水中調査で沈没船体が撮影され、2018年に磯風と確認された。
SUMMARY
RECORD
磯風 全艦歴まとめ
陽炎型12番艦「磯風」は、第十七駆逐隊の一員として真珠湾攻撃から太平洋戦争のほぼ全期間を戦い抜いた艦である。ミッドウェーでの空母「蒼龍」救助を皮切りに、マリアナ沖での「大鳳」轟沈目撃、レイテ沖での「武蔵」最期の目撃とサマール沖での8本発射、「金剛」「信濃」の生存者救助と、日本海軍の主力艦の終焉に幾度も立ち会い続けた。1943年2月のケ号作戦では自らも大破しながら生還している。しかし1945年4月7日、坊ノ岬沖海戦で「大和」を護衛中に被弾・航行不能となり、僚艦「雪風」の砲雷撃処分によって戦没した。
見届け続けた艦の最期——蒼龍、大鳳、武蔵、金剛、信濃。日本海軍の主力を代表する艦艇の終焉に、磯風はその都度立ち会い、生存者を救い続けてきた。最後には自らが「見届けられる側」となったという事実は、太平洋戦争終盤の帝国海軍の姿を静かに映し出している。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26・49・62・83『蘭印・ベンガル湾方面/南東方面海軍作戦/中部太平洋方面海軍作戦<2>』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)磯風関連公文書・第十七駆逐隊戦時日誌戦闘詳報
- ・井上理二『駆逐艦磯風と三人の特年兵』光人社、1999年
- ・阿部三郎『特攻大和艦隊』光人社NF文庫、2005年
- ・志摩達雄「『大和特攻』に殉じた駆逐艦「磯風」の奮闘」『丸』1997年5月号
- ・福田幸弘『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』時事通信社、1981年
- ・Wikipedia「磯風 (陽炎型駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「雪風 (駆逐艦)」