陽炎型 · 13番艦 · 第十七駆逐隊
HAMAKAZE 浜風
5,000名を救い、大和と共に船体を折られた艦
陽炎型駆逐艦13番艦。浦賀船渠で建造され、1941年6月竣工。第十七駆逐隊の一員として真珠湾攻撃から坊ノ岬沖海戦まで戦い抜き、蒼龍・飛鷹・信濃・武蔵・金剛・白露の乗員救助やガダルカナル撤収作戦で、生涯推定約5,000名を救った。1945年4月7日、大和特攻(天一号作戦)で被弾、船体を折られて沈没した。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 13番艦
DISPLACEMENT
2,752 t(戦時最終)
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 4(戦時)
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1945.4.7 戦没
| 艦名 | 浜風(濱風/はまかぜ) ※初代・磯風型「浜風」に続く2代目 |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 13番艦(仮称第29号艦) |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 起工日 | 1939年11月20日 |
| 命名 | 1940年11月15日 |
| 進水日 | 1940年11月25日 |
| 竣工日 | 1941年6月30日 |
| 全長 | 118.5m |
| 全幅 | 10.8m |
| 乗員 | 239名 |
| 主砲 | 三年式50口径12.7cmC型連装砲(全周囲シールド)、戦時最終は2基4門 |
| 魚雷発射管 | 九二式61cm2型4連装水上発射管 2基 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷16本 |
| 対空機銃(戦時最終) | 25mm3連装4基・連装1基・単装若干 |
| 爆雷 | 九四式爆雷投射機1基・九一式爆雷36個 |
| ソナー | 九三式水中探信儀・九三式水中聴音機 |
| レーダー | 仮称2号電波探信儀2型・三式1号電波探信儀3型(戦争中期以降装備) |
| 所属駆逐隊 | 第十七駆逐隊(浦風・磯風・谷風) |
| 特記事項 | 竣工前に映画「八十八年目の太陽」に「ハヤカゼ」役で出演。生涯救助者数、浜風会試算で約5,000名(武蔵・金剛・信濃等判明分約1,500名+蒼龍・赤城・飛鷹・白露等推定約3,000名+ガ島撤収約2,000名) |
| 戦没 | 1945年4月7日 坊ノ岬沖(天一号作戦) |
| 戦没原因 | 爆弾命中で航行不能後、魚雷が右舷中央部に連続命中し船体切断 |
| 戦死者 | 約100名、生存256名 |
| 除籍 | 1945年6月10日(帝国駆逐艦籍・第十七駆逐隊・不知火型駆逐艦から除籍) |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1941年11月 — 映画出演
東宝映画「八十八年目の太陽」に「ハヤカゼ」役で出演
- 建造中の姿が滝沢英輔監督作品に使用された。
1941年6月30日 — 竣工
竣工。第十七駆逐隊(浦風・磯風・谷風)に編入
- 呉鎮守府籍。
1941年12月8日 — 真珠湾攻撃
第一水雷戦隊所属、機動部隊を護衛
- 司令官大森仙太郎少将、旗艦「阿武隈」。12月下旬、ウェーク島攻略で第二航空戦隊(蒼龍・飛龍)を護衛。
1942年1-4月 — 機動部隊護衛
ラバウル・ダーウィン・ジャワ・セイロン沖海戦
- 4月5日コロンボ、9日トリンコマリー空襲。英空母ハーミーズ・重巡2隻・駆逐艦2隻撃沈。
1942年6月5日 — ミッドウェー海戦
空母「蒼龍」の最期を見届け、生存者を救助
- 磯風と共に蒼龍生存者を救助。「蒼龍沈没セリ 一六一五」と打電。
1942年6月15日〜7月14日 — 護衛任務
空母「瑞鶴」護衛でアリューシャン方面へ
- 朧・秋月と共に護衛。7月14日、第十六駆逐隊(雪風・時津風・初風・天津風)が編入。
1942年8月18-21日 — 一木支隊輸送
陸軍900名を輸送、翌週イル川で全滅
- 有賀幸作大佐指揮の陽炎型6隻(嵐・萩風・陽炎・谷風・浦風・浜風)でトラックからガ島へ輸送。8月21日、送り届けた一木支隊先遣隊がイル川渡河戦でほぼ全滅した。
1942年8-9月 — ラビの戦い
海図の誤りによる上陸失敗、応答なき信号
- 磯風を除く17駆と天龍型軽巡2隻がラビへ向かうが誤った場所に揚陸。浜風は最後まで対地砲撃・信号連絡を試みるも応答得られずラバウルへ引き返した。
1943年1-2月 — ケ号作戦
ガダルカナル撤収作戦、約2,000名を救出
- 谷風・浦風・磯風と共に全3次の撤収作戦に投入。欺瞞工作と併せた夜間反復輸送で「奇跡の撤退」を成功させた。
1943年〜1944年 — ソロモン・ニューギニア方面転戦
輸送・護衛任務を継続
- 第十八号作戦などニューギニア方面輸送に従事。
1944年10月 — レイテ沖海戦
僚艦と共に武蔵の最期・サマール沖海戦を経験
- 詳細は僚艦「磯風」の記録に詳しい。
1944年11月21日 — 金剛・浦風喪失
米潜シーライオンの雷撃、17駆司令艦を継承
- 戦艦金剛と司令艦浦風が撃沈(浦風は全乗組員戦死)。浜風が司令艦の地位を継承(艦長代行)。
1944年11月29日 — 信濃沈没
空母「信濃」生存者を救助
- 磯風・雪風と共に救助にあたった。
1945年1月8日 — 座礁
ヒ87船団護衛中に座礁、司令艦を磯風に
- 軽空母「龍鳳」・駆逐艦「時雨」らと護衛任務。
1945年4月7日 12:46 — 坊ノ岬沖海戦
爆弾命中、航行不能。魚雷命中で船体切断
- 大和特攻(天一号作戦)護衛中、船体後部に爆弾命中し推進軸切損。直後、右舷中央部に魚雷が連続命中し船体が真っ二つに折れ、12:49沈没。
1945年6月10日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・第十七駆逐隊・不知火型から除籍
- 艦長以下生存者256名は駆逐艦「初霜」等に救助された。
SUMMARY
RECORD
浜風 全艦歴まとめ
陽炎型13番艦「浜風」は、第十七駆逐隊の一員として真珠湾攻撃から坊ノ岬沖海戦まで戦い抜いた艦である。ミッドウェーでの空母「蒼龍」救助と「蒼龍沈没セリ」の打電、ガダルカナル撤収作戦での約2,000名の救出、そして戦艦「金剛」「信濃」との関わりを経て、生涯で推定約5,000名を救った駆逐艦として、呉海軍墓地の慰霊碑にその功績が刻まれている。しかし1945年4月7日、大和特攻(天一号作戦)で爆弾と魚雷を同時に受け、船体を真っ二つに折られて沈没した。
救い続けた艦の、救われなかった最期——5,000名もの命を救い続けてきた浜風だったが、坊ノ岬沖では自らを救う手立てはなかった。爆弾と魚雷による一瞬の船体切断は、太平洋戦争終盤における制空権喪失の惨状を象徴している。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書49・96『南東方面海軍作戦/沖縄方面海軍作戦』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)浜風関連公文書・第十七駆逐隊戦時日誌戦闘詳報
- ・学習研究社『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.19 水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦』1998年
- ・雑誌「丸」編集部『ハンディ判日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 春雨型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年
- ・「第十七駆逐隊之碑」呉海軍墓地(長迫公園)碑文、浜風会
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・Wikipedia「浜風 (陽炎型駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「磯風 (陽炎型駆逐艦)」「浦風 (陽炎型駆逐艦)」