陽炎型 · 11番艦 · 第十七駆逐隊(司令艦)
URAKAZE 浦風
長門を狙った魚雷に散った司令駆逐艦
陽炎型駆逐艦11番艦。藤永田造船所で建造され、1940年12月竣工。第十七駆逐隊の司令駆逐艦として真珠湾攻撃からレイテ沖海戦まで戦い抜き、空母冲鷹・翔鶴の生存者救助でも活躍した。1944年11月21日、台湾海峡で戦艦「長門」を狙った米潜水艦シーライオンの魚雷が誤って命中し、轟沈した。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 11番艦
DISPLACEMENT
2,033 t
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.11.21 戦没
| 艦名 | 浦風(うらかぜ) ※初代・浦風型「浦風」に続く2代目 |
| 艦型・番艦 | 陽炎型駆逐艦 11番艦(仮称第27号艦) |
| 建造所 | 藤永田造船所 |
| 起工日 | 1939年4月11日 |
| 命名 | 1939年11月6日 |
| 進水日 | 1940年4月10日 |
| 竣工日 | 1940年12月15日(時津風と同日竣工) |
| 主砲 | 三年式50口径12.7cmC型連装砲 3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装水上発射管 2基 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷16本 |
| 爆雷 | 16個 |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 所属駆逐隊 | 第十七駆逐隊(磯風・谷風・浜風、1944年3月から雪風も) |
| 特記事項 | 1944年10月8日、第十七駆逐隊司令艦に就任。1943年12月、空母「冲鷹」沈没時に単艦で急行し約160名を救助 |
| 戦没 | 1944年11月21日 台湾海峡 |
| 戦没原因 | 米潜水艦シーライオンが戦艦「長門」に発射した魚雷が外れて命中、轟沈 |
| 戦死者 | 228名(艦長・第十七駆逐隊司令谷井保大佐以下、生存者なし) |
| 除籍 | 1945年1月10日(帝国駆逐艦籍・第十七駆逐隊・不知火型駆逐艦から除籍) |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1940年12月15日 — 竣工
竣工。磯風と第十七駆逐隊を編成
- 1941年5月1日第一航空戦隊編入、7月18日第一艦隊・第一水雷戦隊編入。
1941年12月8日 — 真珠湾攻撃
第一水雷戦隊所属、機動部隊を護衛
- 司令官大森仙太郎少将、旗艦「阿武隈」。12月下旬ウェーク島攻略で第二航空戦隊(蒼龍・飛龍)を護衛。
1942年3月1-9日 — インド洋作戦
エンガノ号撃沈、クリスマス島砲撃
- 筑摩と共同でオランダ貨物船エンガノを撃沈。クリスマス島砲撃(12発)で守備隊降伏も占領せず離脱。
1942年4月10日〜6月 — 第十戦隊編入、ミッドウェー作戦
空母飛龍の救援、瑞鶴護衛でアリューシャンへ
- 7月14日、第十六駆逐隊(雪風・時津風・初風・天津風)が編入。
1942年8月18-21日 — 一木支隊輸送
陸軍900名輸送、翌週イル川で全滅
- 陽炎型6隻(嵐・萩風・陽炎・浦風・谷風・浜風)でガ島輸送。
1942年8月24-30日 — ラビの戦い
海図の誤りで上陸失敗、監視艇を撃沈
- ミルン湾で誤揚陸、大発全損。浦風は脱出する敵監視艇を発見・撃沈した。
1942年9-12月 — ガ島輸送(鼠輸送)反復
9月24日小破、12月11日「照月」沈没に遭遇
- 9月24日、至近弾で前部小破・死傷者6名。12月11日、田中頼三少将座乗の照月が魚雷艇に撃沈される。
1942年12月25-26日 — 卯月曳航
南海丸と衝突した卯月を曳航しラバウルへ
- 有明が最初曳航するも空襲で中破、浦風が引き継ぎ長波護衛でラバウル帰投。
1943年1月4-10日 — 十八号作戦
ラエ輸送、日龍丸生存者を救助
- 日龍丸沈没現場で舞風・伊25潜水艦と共に生存者救助。
1943年2月15-23日 — ウェワク輸送・春雨曳航
瑞鳳基地員180名輸送、被雷した春雨を曳航
- 天津風の曳索切断後、浦風が曳航を引き継ぎトラックへ帰投。
1943年4-7月 — ウェワク・ハンサ輸送反復
天津風と共に6回以上の輸送作戦
- 歩兵連隊・野戦高射砲大隊等を輸送。7月17日、外南洋部隊を離れ内地帰投。
1943年11月5-15日 — ラバウル空襲
魚雷が煙突を飛び越え辛くも回避、阿賀野を曳航
- 11日の空襲でTBFの魚雷が至近で回避。阿賀野が被雷・再被雷し、浦風は後曳で6ノットにてトラックへ護送。
1943年12月3-14日 — 冲鷹沈没
単艦で急行、漣と共に約160名救助
- セイルフィッシュの雷撃で冲鷹沈没。乗組員・便乗者約1250名戦死。スカルピン捕虜21名中生存1名。
1944年3月29日 — 武蔵護衛
米潜タニーの雷撃、武蔵小破
- 浦風・磯風が爆雷攻撃するもタニーを取り逃がす。3月31日、雪風編入で17駆は5隻編成に。
1944年6月18-20日 — マリアナ沖海戦
空母「翔鶴」生存者を救助
- 米潜カヴァラの雷撃で翔鶴沈没。矢矧・61駆と共に救助。6月9日、谷風がハーダーに撃沈された。
1944年10月8日 — 司令艦就任
第十七駆逐隊司令艦、磯風から浦風に
- 捷一号作戦・サマール沖海戦に栗田艦隊として参加。
1944年11月16-21日 — 台湾海峡で戦没
長門への誤射魚雷が命中、轟沈
- 金剛・長門・大和護衛中、シーライオンの魚雷(長門標的)が外れて命中。艦長以下228名戦死、生存者なし。
1945年1月10日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・第十七駆逐隊・不知火型から除籍
- 司令艦・駆逐隊司令の同時喪失は17駆の指揮系統を混乱させ、その後の信濃護衛任務にも影響したとされる。
SUMMARY
RECORD
浦風 全艦歴まとめ
陽炎型11番艦「浦風」は、真珠湾攻撃からレイテ沖海戦まで、機動部隊護衛・輸送・救助・曳航とあらゆる任務をこなし続けた第十七駆逐隊の中核艦だった。ラビの戦いでの孤立、卯月の曳航、空母冲鷹沈没時の単艦救助、阿賀野の後曳、翔鶴生存者救助——常に困難な現場の最前線に立ち続けた。1944年10月には第十七駆逐隊司令艦に就任するが、わずか1ヶ月半後の11月21日、台湾海峡で戦艦「長門」を狙った米潜水艦シーライオンの魚雷が外れて命中し、轟沈した。艦長・駆逐隊司令以下228名、生存者はいなかった。
戦術的必然性のない喪失——浦風を沈めたのは、自分自身に向けられた攻撃ではなく、僚艦「長門」を狙って外れた魚雷だった。この理不尽な最期は、太平洋戦争における駆逐艦の死が、しばしば偶然によってもたらされたことを物語っている。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書29・40・49・62・83・96各巻、朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)浦風関連公文書・第十七駆逐隊戦時日誌戦闘詳報
- ・伊藤正徳「第七章 世界一の好運艦「雪風」」『連合艦隊の栄光』角川書店、1974年
- ・井上理二『駆逐艦磯風と三人の特年兵』光人社、1999年
- ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争』光人社NF文庫、1993年
- ・チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年
- ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
- ・Wikipedia「浦風 (陽炎型駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「磯風 (陽炎型駆逐艦)」「浜風 (陽炎型駆逐艦)」