陽炎型15番艦「野分」——諸元と全戦歴・真珠湾からレイテ沖まで

陽炎型 · 15番艦(③計画最終艦) · 第四駆逐隊
NOWAKI 野分
筑摩の乗員を救い、共に海に消えた艦

陽炎型駆逐艦15番艦。舞鶴海軍工廠で建造。チラチャップ沖海戦での大戦果、ミッドウェーでの空母「赤城」処分を経て、レイテ沖・サマール沖海戦では重巡「筑摩」の生存者約100名を救助。しかし1944年10月26日、ウィリアム・ハルゼー提督の高速戦艦部隊に発見され、レイテ沖で全乗員と共に戦没した。

SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
陽炎型 15番艦
DISPLACEMENT
2,033 t
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.10.26 戦没
艦名野分(のわき) ※初代・神風型「野分」に続く2代目
艦型・番艦陽炎型駆逐艦 15番艦(③計画最終艦、仮称第31号艦)
建造所舞鶴海軍工廠
起工日1939年11月8日
命名1940年8月30日(谷風と同日)
主砲三年式50口径12.7cmC型連装砲 3基6門
魚雷発射管61cm4連装水上発射管 2基
搭載魚雷九三式酸素魚雷
所属駆逐隊第四駆逐隊(嵐・萩風・舞風、後に山雲)
特記事項米海軍二大提督(スプルーアンス・ハルゼー)と交戦した唯一の日本駆逐艦とされる。ミッドウェーで空母赤城を雷撃処分
戦没1944年10月26日 レイテ沖(サンベルナルディノ海峡付近)
戦没原因ハルゼー提督指揮下の高速戦艦部隊による集中砲火・魚雷
戦死者約272名(佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語』推定)、生存者なし
備考戦没直前のサマール沖海戦で重巡筑摩の乗員約100名を救助しており、この272名にはその救助者も含まれるとみられる
TIMELINE
竣工から戦没まで
1939年11月8日 — 起工
舞鶴海軍工廠で起工(仮称第31号艦)
  • ③計画で建造された陽炎型15隻の最終艦。横須賀鎮守府籍、第四駆逐隊(嵐・萩風・舞風)編入。
1942年3月 — チラチャップ沖海戦
商船4隻拿捕、多数撃沈の大戦果
  • 商船3隻・油槽船4隻・駆逐艦1隻・砲艦1隻・護衛艦1隻を撃沈。嵐・愛宕等と共同。
1942年6月 — ミッドウェー海戦
空母「赤城」を護衛、雷撃処分を担当
  • 海戦大敗北の中、舞風らと共に赤城の処分を実行した。
1942年8月 — ガダルカナル輸送
一木支隊の輸送作戦に参加
  • 太平洋戦争最大級の消耗戦の最前線に投入された。
1943年8月6日 — ベラ湾夜戦
僚艦「嵐」「萩風」戦没、野分は生還
  • コロンバンガラ輸送任務中の戦闘。代わって山雲が第四駆逐隊に転入。
1943年後半 — 東松2号船団
龍田沈没時、野分が乗員・司令部を引き継ぐ
  • 混成部隊の混乱の中、旗艦龍田と輸送艦が潜水艦に沈められる事故が発生した。
1944年7月30日〜8月21日 — 硫黄島輸送・部隊再編
瑞鳳護衛、司令艦変更、リンガ泊地へ
  • 護衛完了後、輸送船団はアメリカ軍機動部隊に捕捉され「松」以下大損害。第四駆逐隊はシンガポール経由でリンガ泊地訓練。
1944年10月 — レイテ沖海戦、栗田艦隊へ
航続力の都合で時雨と入れ替わり、栗田艦隊に
  • ・朝雲・山雲は西村艦隊(スリガオ海峡)へ。野分のみ第十戦隊(旗艦矢矧)所属で栗田艦隊第二部隊に参加。
1944年10月23-24日 — パラワン水道・空襲
愛宕・摩耶沈没、武蔵沈没を目撃
  • 野分は輪形陣先頭に配置。清霜・浜風が武蔵生存者救助で分離、野分が浜風の代艦に。
1944年10月25日 — スリガオ海峡・サマール沖海戦
西村艦隊壊滅、第四駆逐隊3隻も戦没
  • 野分は第十戦隊として米護衛空母群に酸素魚雷発射も命中せず。矢矧に「収容セズ」と返答。
1944年10月25日 11:20 — 筑摩救援
単艦で引き返し、筑摩乗員約100名を救助・処分
  • 当初予定の雪風に代わり野分が救援。生存者見守る中で筑摩を雷撃処分した。
1944年10月26日 — 戦没
ハルゼー艦隊に発見され、レイテ沖で爆沈
  • 本隊合流を急ぐ最中、高速戦艦部隊の集中砲火・魚雷を受け沈没。乗員約272名、生存者なし。
RECORD
野分 全艦歴まとめ
陽炎型15番艦「野分」は、開戦劈頭のチラチャップ沖海戦での大戦果、ミッドウェー海戦での空母「赤城」処分と、太平洋戦争を通じて重要な任務を担い続けた艦である。ベラ湾夜戦で僚艦を失いながらも生還し、レイテ沖海戦では航続力の都合で栗田艦隊に組み込まれた。サマール沖海戦で重巡「筑摩」が航行不能になると、単艦で救援に引き返し、約100名の乗員を救助・処分を実行。しかし本隊への帰還を急ぐ中、1944年10月26日、ウィリアム・ハルゼー提督の高速戦艦部隊に発見され、集中砲火の末に爆沈した。乗員約272名、生存者はいなかった。
救った命と共に——野分が沈んだ乗員272名の中には、直前に自らが救い出した筑摩の乗員約100名も含まれていたとみられる。危険を顧みず僚艦を救った行動と、その直後に訪れた自らの喪失は、この艦の献身の重さを物語っている。

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筑摩の乗員を救い、共に海に消えた艦——「野分」の意志を、その身に纏え

「赤城を弔い、ハルゼー艦隊に散った陽炎型15番艦」

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■ 参考文献・資料

  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26・46・62『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦/海上護衛戦/中部太平洋方面海軍作戦(2)』朝雲新聞社
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)野分関連公文書・第十戦隊戦時日誌戦闘詳報
  • ・佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』光人社、1997年(光人社NF文庫版2004年)
  • ・重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦』潮書房光人社、2014年
  • ・戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ』
  • ・Wikipedia「野分 (陽炎型駆逐艦)」「陽炎型駆逐艦」「レイテ沖海戦」「筑摩 (重巡洋艦)」
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