僚艦を救おうとして、共に沈んだ艦——コロンバンガラ島沖海戦を生き延び、「夕暮」救援中に散った夕雲型8番艦「清波」の全記録

1943年7月20日夜、チョイセル島沖。夜間空襲によって撃沈された駆逐艦「夕暮」を救おうと、「清波」は現場へ急いだ。しかし敵機はまだ上空に留まっていた。救援に向かった清波もまた夜間空襲を受けて撃沈され、夕暮・清波の2隻はほぼ総員が戦死した。僚艦を救おうとした行為そのものが、もう一つの喪失を生んだ夜だった。

「清波」は夕雲型駆逐艦8番艦として、浦賀船渠で建造され、1943年1月25日に竣工した。第三十一駆逐隊に編入されて定数4隻(長波・巻波・大波・清波)を揃えると、中部太平洋方面での護衛・掃討任務を経て、ニュージョージア島攻防戦の最前線——コロンバンガラ島沖海戦へと投入される。

清波の艦歴は決して長くはない。竣工からわずか半年足らずで、その生涯を終えることになる。この記事では、僚艦を救おうとして自らも失われた清波の、短くも懸命な艦歴を辿る。

■ 夕雲型8番艦「清波」基本諸元 ■
建造所
浦賀船渠
仮称第123号艦
進水 / 竣工
1942年8月17日 / 1943年1月25日
初代艤装員長・畑野健二少佐
基準排水量
2,077t(基準)
約2,772〜2,940t(満載)
全長 119.3m
最大速力
35ノット
出力 52,000馬力
主砲
12.7cm連装D型砲 3基6門
最大仰角75度
魚雷兵装
61cm4連装発射管2基8門
九三式酸素魚雷
所属部隊
第三十一駆逐隊
長波・巻波・大波と編成
特筆データ
僚艦「夕暮」救援中に自らも戦没
竣工から約半年での戦没
最終艦名・結末
1943.7.20 戦没
チョイセル島沖、夕暮と共に
前史——第三十一駆逐隊、定数4隻を揃えた艦

「清波」は1939年度(④計画)仮称第123号艦として浦賀船渠で建造された。1942年6月20日に「清波」と命名され、夕雲型に類別。8月17日に進水した。同年12月1日、駆逐艦「萩風」艦長だった畑野健二少佐が艤装員長に任命され、12月28日に着任。1943年1月25日、竣工した。

2月25日、清波は第二水雷戦隊隷下の第三十一駆逐隊に編入される。これにより第三十一駆逐隊は長波・巻波・大波・清波の4隻編制となり、健在の第1小隊(大波・清波)と、修理・整備を要する第2小隊(長波・巻波)に分かれて運用された。中部太平洋方面での護衛・対潜掃討任務を経て、6月中旬には第三戦隊(金剛・榛名)や空母3隻(龍鳳・雲鷹・冲鷹)を護衛してトラック泊地へ進出。ソロモン諸島へと歩を進めることになる。

■ 「清波」の全戦歴ハイライト ■
【1943年1月25日】:竣工
【1943年2月25日】:第三十一駆逐隊編入、定数4隻を回復
【1943年4〜5月】:「大波」と共に臨時で海上護衛隊指揮下、対潜掃討
【1943年7月12日】:コロンバンガラ島沖海戦、外南洋部隊増援部隊として参加
【1943年7月20日】:夜間空襲で沈没した「夕暮」の救援に向かう
【同日】清波自身も夜間空襲を受け撃沈。両艦ともほぼ総員戦死
エピソード① コロンバンガラ島沖海戦——ニュージョージア攻防戦の最前線へ

1943年6月30日、連合軍がレンドバ島・ニュージョージア島に上陸し、ニュージョージア島の戦いが始まった。日本側はこれに対し、水雷戦隊主力による反撃を敢行する。7月7日、連合艦隊は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将)を外南洋部隊に編入し、増援輸送任務にあたらせた。清波はこの部隊の一員として、コロンバンガラ島への輸送作戦・迎撃作戦に加わっていく。

7月12日、コロンバンガラ島沖海戦。第三水雷戦隊(軽巡「神通」旗艦)を中核とする増援部隊/警戒隊は、清波・雪風・浜風・夕暮・三日月で編成されていた。この海戦で日本側は軽巡「神通」を失いながらも、優勢な米艦隊に対し夜戦で健闘し、複数の敵艦に損害を与えている。清波はこの激戦をくぐり抜けたが、8日後、思わぬ形でその生涯を終えることになる。

■ 生き延びた海戦、その先に待っていたもの
コロンバンガラ島沖海戦を清波は生き延びた。つまりどういうことか——激戦をくぐり抜けた艦が、その直後の任務で命を落とすという巡り合わせは、ソロモンの戦場がいかに一瞬の油断も許さない過酷な場所だったかを物語っている。
エピソード② 僚艦を救おうとして——「夕暮」への献身、そして共倒れ

1943年7月20日、第七戦隊司令官・西村祥治少将(旗艦「熊野」)の指揮下で行動していた清波は、チョイセル島沖で夜間空襲を受けて撃沈された初春型(改・有明型)駆逐艦「夕暮」の救援に向かった。夕暮は輸送任務や哨戒任務でソロモンの海を駆け回ってきた艦であり、清波にとっては見過ごせない僚艦の危機だった。

しかし、夕暮を沈めた米軍機はまだ上空に留まっていた。救援に駆けつけた清波もまた夜間空襲の的となり、そのまま撃沈されてしまう。結果として、夕暮・清波の2隻はほぼ総員が戦死するという、痛ましい共倒れの結末を迎えた。この構図は、同じ猫工艦が伝える朝潮型「夏雲」——僚艦を救おうとしてサボ島沖に散った艦——とも重なる、太平洋戦争の駆逐艦史に繰り返し現れる悲劇のパターンである。

■ 救おうとした意志は消えない
清波の救援は結果的に失敗し、自らも失われた。つまりどういうことか——結果だけを見れば「無駄死に」と切り捨てることもできるが、僚艦を見捨てずに向かったという事実そのものに、駆逐艦乗りたちの矜持が表れている。
猫工艦の考察:短い艦歴に凝縮された、駆逐艦乗りの覚悟

清波の本質は、竣工からわずか半年足らずという短い艦歴の中に、駆逐艦乗りとしての覚悟のすべてが凝縮されていたという点にある。第三十一駆逐隊の定数を揃える一員として編入され、中部太平洋の地味な護衛任務からコロンバンガラ島沖海戦の激闘まで、清波は与えられた任務を淡々とこなし続けた。

しかし、清波の最期は栄光ある戦闘での戦没ではなく、僚艦「夕暮」を救おうとした献身の結果だった。この行動が結果的に自らの喪失を招いたことは、皮肉であると同時に、駆逐艦という艦種が背負い続けた宿命でもある。味方が沈めば救援に向かう——それは規則である以上に、駆逐艦乗りたちの本能に近い行動原理だったのかもしれない。

清波が残したものは何か——それは、たとえ結果が伴わなくとも、僚艦を見捨てないという選択を最後まで貫いたという記録である。夕暮と共に沈んだこの艦の最期は、太平洋戦争という戦争の中で繰り返された「救おうとして失われる」という悲劇の、一つの実例として記憶されるべきだろう。猫工艦は、短い艦歴の中で覚悟を示し続けた清波の乗員たちに、静かな敬意を表したい。

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僚艦を救おうとして自らも散った——「清波」の短くも懸命な艦歴を、その身に纏え

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■ 参考文献・資料

  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)第31駆逐隊戦時日誌・横須賀鎮守府戦時日誌
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『ニュージョージア島の戦い』『コロンバンガラ島沖海戦』関連巻
  • ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
  • ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
  • ・Wikipedia「清波 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「コロンバンガラ島沖海戦」「夕暮 (初春型駆逐艦)」
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