夕雲型 · 13番艦 · 第三十二駆逐隊
HAMANAMI 浜波
救い、そして救われた艦——オルモック湾、74年後に発見された記録
舞鶴海軍工廠が建造した夕雲型駆逐艦13番艦。マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦を生き延びるも、1944年11月11日、オルモック湾で被弾・航行不能となり放棄されるまでの諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 13番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35 kt
MAIN GUN
12.7cm 連装 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.11.11 放棄
| 艦名 | 浜波(はまなみ) |
| 艦型・番艦 | 夕雲型駆逐艦 13番艦 |
| 建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
| 仮称艦名 | 第341号艦(マル急計画) |
| 起工日 | 1942年(昭和17年)4月28日 |
| 命名 | 1942年(昭和17年)9月25日 |
| 進水日 | 1943年(昭和18年)4月18日 |
| 竣工日 | 1943年(昭和18年)10月15日 |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)1月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 基本計画番号 | F50(陽炎型はF49) |
| 全長 | 119.3m |
| 基準排水量 | 2,077t |
| 満載排水量 | 約2,772〜2,940t |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 最大速力 | 35ノット |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲 3基6門(最大仰角75度) |
| 機銃 | 九六式25mm連装機銃 2基(就役時。後年増備) |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装発射管 2基8射線 |
| 搭載魚雷 | 九三式魚雷 16本 |
| 爆雷兵装 | 九四式爆雷投射機 1基 |
| 竣工時定員 | 約225名 |
| 32駆司令 | 大島一太郎大佐(生還・朝霜へ収容) |
| 特記事項 | 1944年11月11日、僚艦「長波」の生存者を一時収容した直後、自らも被弾・放棄。撃沈が確認されないまま、残骸は2018年1月26日に発見された(同時に長波・若月の残骸も発見) |
| 最終所属 | 第三十二駆逐隊 |
| 最期 | 1944年11月11日、オルモック湾(多号作戦第三次輸送部隊)で米軍機動部隊艦載機の空襲を受け航行不能。乗員は「朝霜」に収容され艦は放棄された |
TIMELINE
HISTORY
浜波 全戦歴タイムライン
1942年4月28日 — 起工
舞鶴海軍工廠にて起工(仮称第341号艦)
- マル急計画による駆逐艦(甲)として建造開始。夕雲型13番艦として建造される。
1943年10月15日 — 竣工
竣工。早波・涼波・藤波・玉波を失いつつあった第三十二駆逐隊に編入
- 創設メンバーが次々と失われる中、浜波は隊の戦力維持を担うことになった。
1944年6月19日 — マリアナ沖海戦
第三十二駆逐隊として前衛部隊に参加
- 海戦は大敗に終わるが、浜波は生き延びた。
1944年10月18日 — 捷一号作戦発動
栗田健男中将率いる第一遊撃部隊に第三十二駆逐隊(浜波・藤波)として所属
- 第三十一駆逐隊(岸波・沖波・朝霜・長波)等と共にリンガ泊地からブルネイ湾へ進出。
1944年10月25日 — サマール沖海戦
サマール島沖で米護衛空母部隊を追撃
- 二水戦全体としては大きな戦果はなかったが、レイテ沖海戦全体は日本側の大敗に終わり、二水戦は「能代」「藤波」「早霜」を喪失した。
1944年10月末 — コロン島で燃料補給
燃料不足の駆逐艦5隻(岸波・島風・浦風・浜波・秋霜)がコロン島で補給
- タンカー「日栄丸」・重巡「那智」から補給を受け、11月3日にはブルネイに帰投した。
1944年11月11日 — 長波の生存者を収容
多号作戦第三次輸送部隊、オルモック湾での空襲下、被弾した「長波」の生存者を一時収容
- 護衛部隊(島風・浜波・若月・長波・朝霜・掃海艇30号)は輸送船4隻を護衛していた。
1944年11月11日 — 被弾・放棄
浜波自身も米軍機動部隊艦載機多数の空襲を受け航行不能に
- 第三十二駆逐隊司令・大島一太郎大佐以下の乗組員は姉妹艦「朝霜」に収容され、浜波は海上に放棄された。第三次輸送部隊はこの日、朝霜1隻を残して壊滅。
1945年1月10日 — 除籍
夕雲型駆逐艦・帝国駆逐艦籍から除籍
- 正確な沈没の瞬間は記録されないまま、艦は行方不明として扱われた。
2018年1月26日 — 残骸発見
ポール・アレン氏の沈船捜索チームがオルモック湾海底で浜波の残骸を発見。同時に「長波」「若月」の残骸も発見
- 74年の時を経て、艦の最期の姿が現代の技術によって明らかになった。
SUMMARY
RECORD
浜波 全艦歴まとめ
浜波は1943年10月に舞鶴海軍工廠で竣工した夕雲型駆逐艦13番艦。早波・涼波・藤波・玉波という創設メンバーを相次いで失っていた第三十二駆逐隊に編入され、マリアナ沖海戦、そしてレイテ沖海戦のサマール沖追撃戦を生き延びた。しかし1944年11月11日、多号作戦第三次輸送部隊としてオルモック湾へ向かう途中、僚艦「長波」の生存者を一時収容した直後、浜波自身も米軍機動部隊艦載機多数の空襲を受け航行不能に陥る。第三十二駆逐隊司令・大島一太郎大佐以下の乗組員は姉妹艦「朝霜」に収容され、浜波は海上に放棄された。撃沈の瞬間は正確に記録されないまま艦は行方不明として扱われたが、2018年1月、ポール・アレン氏率いる沈船捜索チームが2018年1月26日、オルモック湾の海底に眠るその残骸を発見した(同じ調査で「長波」「若月」の残骸も発見)。
74年後に発見された艦という記録——浜波は「撃沈」ではなく「放棄」という形で記録に残り、正確な最期は長らく謎だった。2018年の残骸発見は、その空白を埋める貴重な出来事となった。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第32駆逐隊戦時日誌・第一遊撃部隊戦時日誌・南西方面部隊戦時日誌
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『捷号作戦』『レイテ沖海戦』『多号作戦』関連巻
- ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・Wikipedia「浜波 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「長波 (駆逐艦)」「レイテ沖海戦」
- ・RV Petrel(ポール・G・アレン氏率いる海洋調査チーム)オルモック湾残骸発見報告、2018年1月26日