睦月型 · 9番艦 · 第23駆逐隊
KIKUZUKI 菊月
80年を経てなお海面にその姿をとどめる、唯一現存する駆逐艦
舞鶴工作部が建造した睦月型駆逐艦9番艦。グアム島攻略戦、ツラギ島攻略戦を経て、1942年5月4日、珊瑚海海戦の前哨戦となったツラギ空襲で被雷、ガブツ島に擱座した。船体は今もソロモン諸島フロリダ諸島の海岸に現存し、2017年には第四砲身が竣工の地・舞鶴へ里帰りした艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
睦月型 9番艦
DISPLACEMENT
1,315 t
MAX SPEED
37.25 kt
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
61cm × 6射線
FATE
1942.5.4 ツラギで被雷戦没
| 艦名 | 菊月(きくづき) |
| 艦型・番艦 | 睦月型駆逐艦 9番艦 |
| 計画名称 | 第31号駆逐艦 |
| 建造所 | 舞鶴工作部 |
| 起工日 | 1925年(大正14年)6月15日 |
| 進水日 | 1926年(大正15年)5月15日 |
| 竣工日 | 1926年(大正15年)11月20日 |
| 改名 | 1928年(昭和3年)8月1日、「第31号駆逐艦」より「菊月」に改称 |
| 除籍日 | 1942年(昭和17年)5月25日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 籍 | 佐世保鎮守府籍 |
| 全長 | 102.72m |
| 基準排水量 | 1,315t(竣工時)/改修後1,445t |
| 出力 | 38,500馬力 |
| 速力 | 公試37.25ノット(竣工時) |
| 主砲 | 45口径三年式12cm単装砲 4門 |
| 魚雷発射管 | 一二年式61cm3連装発射管 2基(6射線)——日本駆逐艦初の61cm雷装 |
| 爆雷兵装 | 八年式爆雷投射機、八一式爆雷12個、掃海具一式 |
| 初代艦長 | 斎藤二朗中佐(1926.9.1〜) |
| 最終艦長 | 森幸吉少佐(1941.9.12〜戦没時) |
| 所属部隊 | 第23駆逐隊(夕月・卯月)/第1航空艦隊第2航空戦隊→南洋部隊 |
| 特記事項 | 珊瑚海海戦の前哨戦、ツラギ空襲で戦没した艦。現在も水上にある数少ない旧日本海軍艦艇として、80年以上を経た現在もソロモン諸島の海岸にその姿をとどめている |
| 最期 | 1942年5月4日、敷設艦「沖島」への横付け給油中に米空母「ヨークタウン」機の雷撃を受け右舷機関室に被雷、翌5日、放棄された艦がカブツ島ハラボで沈没 |
| 現況 | ソロモン諸島フロリダ諸島ンゲラスレ島の「トウキョウ・ベイ」海岸に座礁状態で現存。2017年、第四砲身が引き揚げられ舞鶴へ里帰り |
TIMELINE
HISTORY
菊月 全戦歴タイムライン
1925年6月15日 — 起工
舞鶴工作部にて起工(第31号駆逐艦)
- 1923年度計画艦。1928年8月1日、「菊月」と正式に改称され睦月型駆逐艦に登録された。
1926年11月20日 — 竣工
竣工。佐世保鎮守府に所属
- 初代艦長・斎藤二朗中佐が着任。1937年からの支那事変で中支・南支方面に進出、仏印進駐作戦にも参加。
1941年12月8日 — グアム島攻略作戦
開戦時、第23駆逐隊で南洋部隊に所属
- 第1航空艦隊・第2航空戦隊隷下の第23駆逐隊(菊月・夕月・卯月)に所属も、南雲機動部隊直衛には航続距離の長い朝潮型・陽炎型が投入されたため、井上成美中将率いる南洋部隊に編入。
- 敷設艦「津軽」、吹雪型「朧」等とグアム島攻略部隊を編成、第六戦隊重巡4隻の支援を受け、大きな被害なく作戦成功。
1942年1-4月 — ラバウル方面作戦
ラエ・サラモア攻略戦、アドミラルティ支援
- 第六水雷戦隊・第十八戦隊等とラバウル方面、ラエ・サラモア各攻略作戦に参加。アドミラルティ諸島攻略作戦を支援。
- 4月下旬、ポートモレスビー作戦実施のため「沖島」を護衛してトラック泊地出撃、ラバウルへ進出。
1942年4月29日-5月3日 — ツラギ島占領
無血占領、だが米軍に察知される
- ツラギ攻略部隊(指揮官・志摩清英少将)と第23駆逐隊がラバウルを出撃。MO攻略部隊主隊・特務隊も続いて出撃。
- 5月3日、ツラギ島(フロリダ諸島)を占領。豪軍守備隊は既に撤退していた。
- この動きは米軍に暗号解読で察知され、フレッチャー提督率いる第17任務部隊が攻撃に向かう。
1942年5月4日 6:20
ツラギ空襲、右舷機関室に被雷
- 午前5時30分、「沖島」に横付けし燃料補給開始。輸送船「高栄丸」「吾妻丸」は荷役継続。
- 6時20分、「ヨークタウン」攻撃隊(F4F6・SBD28・TBD12)がツラギ泊地を奇襲。
- TBD8機が「沖島」を包囲雷撃、うち1本が「沖島」から離れたばかりの「菊月」右舷機関室に命中(爆弾命中との証言も)。戦死12名・負傷22名。
- 特設駆潜艇「第三利丸」に曳航されガブツ島海岸に擱座。「玉丸」「掃海特務艇」2隻沈没、「沖島」「夕月」も損傷。
1942年5月5日 22:25
乗員救出後、放棄された艦が沈没
- 午前1時、「沖島」反転。午後3時ツラギ到着、「菊月」乗組員と重要書類を収容しラバウルへ撤退。
- 午後10時25分、放棄された「菊月」がカブツ島ハラボで沈没。重巡「加古」艦長・高橋雄次大佐が和歌でこれを悼んだ。
1942年5月7日 — 生存者、夕月へ
最後の艦長・森幸吉少佐が僚艦を率いる
- 「沖島」ラバウル到着。先着していた「夕月」も5月4日の空襲で艦長・橘広太少佐が戦死するなど多数の死傷者。
- 「菊月」生存者は「夕月」に移乗。「菊月」最後の艦長・森幸吉少佐が後任到着まで「夕月」艦長として指揮を執る。
1942年5月25日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・睦月型駆逐艦より除籍
- 同日、「沖島」も除籍。第23駆逐隊も解隊され、「夕月」は第29駆逐隊、「卯月」は第30駆逐隊へ編入された。
1943年 — 米軍による調査
ツラギ・ガダルカナル奪還後、船体調査
- 1942年8月7日以降のフロリダ諸島の戦い・ガダルカナル島の戦いで米軍が両島を奪還。
- 1943年、米軍が「菊月」の船体を引き上げ徹底調査、その後海岸へ沈座放置。
現在 — トウキョウ・ベイに現存
水上にある数少ない旧日本海軍艦艇
- ソロモン諸島フロリダ諸島のンゲラスレ島「トウキョウ・ベイ」海岸に座礁状態。長年の風化で水上部分の多くが崩壊。
- 地球温暖化による海面上昇で少しずつ海面下に没しつつある。
2016-2017年 — 砲身の里帰り
菊月保存会の活動、第四砲身が舞鶴へ
- 2016年、有志による「菊月保存会」結成。ソロモン諸島政府と現所有者の許可を得て第四砲身のサルベージを準備。
- 2017年6月18日、砲身引き揚げ完了。洗浄・錆止め処理後、ホニアラ港経由で神戸港へ。
- 9月5日、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所(かつての舞鶴海軍工作部)へ移送、竣工の地へ帰還。
SUMMARY
RECORD
菊月 全艦歴まとめ
菊月は1926年に舞鶴工作部で竣工した睦月型駆逐艦9番艦。グアム島攻略作戦、ラバウル・ラエ・サラモア方面の作戦を経て、1942年5月3日にツラギ島を無血占領したが、この動きを察知した米軍の反撃を受けることになる。5月4日、敷設艦「沖島」への横付け給油中に空母「ヨークタウン」機の空襲を受け、右舷機関室に被雷。ガブツ島に擱座した後、翌5日、乗員救出を経て放棄された艦は沈没した。5月25日に除籍。船体はその後も現地に残り続け、1943年に米軍の調査を受けた後、海岸に沈座放置された。現在もソロモン諸島フロリダ諸島の「トウキョウ・ベイ」海岸に、水上にある数少ない旧日本海軍艦艇として座礁状態でその姿をとどめており、2017年には第四砲身が竣工の地・舞鶴へ里帰りしている。
80年を経て残る唯一の記憶——多くの艦が完全に沈没した中で、菊月は座礁という形で戦争を終え、現在まで「見える存在」であり続けている稀有な艦である。
消えゆく記憶と、それを守る意志——地球温暖化で船体が少しずつ沈みゆく中、菊月保存会の活動によって第四砲身が舞鶴へ里帰りした。記憶を未来へ手渡そうとする人々の営みがそこにある。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第19戦隊戦時日誌戦闘詳報・軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書38『中部太平洋方面海軍作戦(1)』、戦史叢書『南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』関連巻
- ・高橋雄次『鉄底海峡 重巡「加古」艦長回想記』光人社NF文庫、1994年
- ・イアン・トール(村上和久訳)『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 下』文藝春秋、2013年
- ・原勝洋「史上初の空母対決・珊瑚海海戦と日米の戦訓」『猛き艨艟 太平洋戦争日本軍艦戦史』文春文庫、2000年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・京都新聞「駆逐艦『菊月』の砲身が京都・舞鶴に帰郷」2020年6月29日
- ・Wikipedia「菊月 (睦月型駆逐艦)」「睦月型駆逐艦」「珊瑚海海戦」
- → 【諸元と全戦歴】三日月——コロンバンガラ島沖海戦からグロスター岬での座礁まで