睦月型駆逐艦10番艦「三日月」——諸元と全戦歴、コロンバンガラ島沖海戦からグロスター岬での座礁まで

睦月型 · 10番艦 · 第30駆逐隊
MIKAZUKI 三日月
コロンバンガラ島沖を生き延び、グロスター岬に散った駆逐艦

佐世保海軍工廠が建造した睦月型駆逐艦10番艦。ミッドウェー海戦、コロンバンガラ島沖海戦を経て、1943年7月27日、僚艦「有明」とともにグロスター岬沖のリーフに座礁。翌日の空襲で放棄された艦の諸元と全戦歴。記録には「未収容者85名」という重い数字が刻まれている。

SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
睦月型 10番艦
DISPLACEMENT
1,315 t
MAX SPEED
37.25 kt
MAIN GUN
12cm単装 × 4
TORPEDO
61cm × 6射線
FATE
1943.7.28 グロスター岬沖で戦没
艦名三日月(みかづき)
艦型・番艦睦月型駆逐艦 10番艦
計画名称第32号駆逐艦
建造所佐世保海軍工廠
起工日1925年(大正14年)8月21日
進水日1926年(大正15年)7月12日
竣工日1927年(昭和2年)5月5日
改名1928年(昭和3年)8月1日、「第32号駆逐艦」より「三日月」に改称
除籍日1943年(昭和18年)10月15日
類別一等駆逐艦
佐世保鎮守府籍
全長102.72m
基準排水量1,315t(竣工時)/改修後1,445t
出力38,500馬力
速力公試37.25ノット(竣工時)
主砲45口径三年式12cm単装砲 4門
魚雷発射管一二年式61cm3連装発射管 2基(6射線)——次発装填装置なし
爆雷兵装八年式爆雷投射機、八一式爆雷12個
初代艦長一ノ瀬英太中佐(1927.3.1〜)
最終艦長山崎仁太郎少佐(1942.8.5〜座礁・放棄時)
所属部隊第23駆逐隊(菊月・望月・夕月)→第30駆逐隊(三日月・望月・卯月)
特記事項1943年7月12日、コロンバンガラ島沖海戦で警戒隊として参加。次発装填装置を持たないため最初の魚雷発射後に単艦で離脱、軽巡「神通」の沈没を目撃した
最期1943年7月27日23時、僚艦「有明」とともにグロスター岬49度5浬のリーフに座礁。翌28日、離礁失敗を重ねる中、米陸軍B-25爆撃機約20機の空襲を受け被弾、放棄
被害戦死7名(准士官以上2)、重傷12名、軽傷25名、未収容者85名。「秋風」に170名(有明分含む)が移乗
HISTORY
三日月 全戦歴タイムライン
1925年8月21日 — 起工
佐世保海軍工廠にて起工(第32号駆逐艦)
  • 1923年度計画艦。1928年8月1日、「三日月」と正式に改称され睦月型駆逐艦に登録された。
1927年5月5日 — 竣工
竣工。第23駆逐隊を編成
  • 初代艦長・一ノ瀬英太中佐が着任。「菊月」「望月」「夕月」とともに第23駆逐隊を編成。
  • 1937年からの支那事変で中支・南支方面に進出。1941年4月、第三航空戦隊付に転出。
1941年12月〜1942年6月 — 内海待機からミッドウェーへ
空母護衛任務、ミッドウェー海戦参加
  • 第1艦隊・第三航空戦隊所属として空母「鳳翔」「瑞鳳」の護衛任務。緒戦は内海で待機。
  • 6月、ミッドウェー海戦に近藤信竹中将(重巡「愛宕」)指揮下の攻略部隊本隊として参加するも、実戦は経験せず。
  • 7月以降、内地・台湾間の船団護衛に従事。
1943年3月31日 — 第30駆逐隊再編成
睦月・弥生喪失後の駆逐隊を再興
  • 「三日月」「望月」「卯月」の睦月型3隻で第30駆逐隊が再編成される。3月から6月、佐世保海軍工廠で修理。
  • その後ラバウル方面に進出、ソロモン諸島の強行輸送任務に従事。第三水雷戦隊(旗艦「川内」)指揮下に入る。
1943年7月2-6日 — クラ湾夜戦
陽動隊として参加
  • 7月2-3日、陽動隊(軽巡「夕張」、駆逐艦「夕凪」「三日月」)としてレンドバ島沖合に進出、米軍魚雷艇2隻を撃沈。
  • 7月5-6日、コロンバンガラ島輸送作戦中に米艦隊と交戦、クラ湾夜戦勃発。「新月」「長月」沈没、秋山司令官以下三水戦司令部全滅。
1943年7月12日
コロンバンガラ島沖海戦、単艦離脱
  • 第二水雷戦隊司令官・伊崎俊二少将(旗艦「神通」)率いる増援部隊のコロンバンガラ島輸送作戦に警戒隊として参加。
  • 単縦陣「三日月、神通、雪風、浜風、清波、夕暮」で航行中、午後11時に米艦隊(巡洋艦3・駆逐艦10)と遭遇。
  • 次発装填装置を持たない「三日月」は最初の魚雷発射後、警戒隊から分離し単艦で北上・離脱。
  • 「神通」沈没、伊崎司令官以下第二水雷戦隊司令部全滅。米側も巡洋艦3隻大破・駆逐艦1隻沈没の損害。
1943年7月9-25日 — 輸送任務の継続
コロンバンガラ島輸送、次期作戦準備
  • 7月9日、輸送隊(皐月・三日月・松風・夕凪)でコロンバンガラ島へ陸兵1200名の輸送に成功。
  • 7月10日、戦死した秋山少将の後任として伊集院松治大佐着任。7月25日、東部ニューギニア方面作戦輸送のためラバウルで待機。
1943年7月27日 23:00
グロスター岬沖、「有明」とともに座礁
  • 第30駆逐隊司令・折田常雄中佐座乗の「三日月」は「有明」とともにラバウル出撃、ツルブへの輸送任務へ。
  • ココボで陸軍兵・軍需物資を移載、速力26ノットで航行中、グロスター岬49度5浬のリーフに両艦とも座礁。
  • 「三日月」は兵員室下部倉庫に浸水、左舷推進軸屈曲で使用不能。「有明」は最大速力6ノットに低下。
1943年7月28日 未明-午前
離礁の試みと救援の失敗
  • 0時43分、「有明」離礁成功。「三日月」搭載の陸戦隊生存者・物資を移し替え、0時45分から「有明」はツルブへ向かい揚陸実施。
  • 「三日月」右舷推進器も脱落し完全に行動不能に。燃料・糧食を投棄し軽量化を試みるも成功せず。
  • 午前2時頃、救援に向かった「川内」「皐月」「望月」は途中で反転帰投。代わりに「秋風」が現場へ向かう。
1943年7月28日 午後
空襲、「有明」沈没・「三日月」放棄
  • 10時30分頃、「有明」が救援に戻り曳航を試みるも、速力6ノットでは成功せず。13時30分、折田司令は作業打ち切りを命令。
  • 直後、米陸軍B-25爆撃機約20機の空襲。「有明」は爆弾3発命中、14時40分沈没。
  • 「三日月」も右舷機械室水線近くに命中弾1発(破孔横4.5m・縦1.5m)、船体各部に被害。
  • 「秋風」到着をもって折田司令が艦の放棄を決定。「三日月」「有明」生存者は「秋風」に移乗。
  • 「三日月」被害:戦死7名、重傷12名、軽傷25名、未収容者85名
1943年8月2-3日 — 現地調査
駆逐艦2隻がツルブへ、座礁艦を調査
  • 「江風」「松風」がツルブに到着。三日月駆逐艦長を含む調査員4名が便乗し、座礁沈没した「三日月」を調査。
  • 「有明」生存者のうち56名が「江風」「松風」でラバウルへ帰投。
1943年10月15日 — 除籍
帝国駆逐艦籍より除籍
  • 睦月型駆逐艦・第30駆逐隊からも除かれる。10月24日、姉妹艦「望月」も撃沈された。
RECORD
三日月 全艦歴まとめ
三日月は1927年に佐世保海軍工廠で竣工した睦月型駆逐艦10番艦。ミッドウェー海戦では実戦を経験せず内海で待機したが、1943年のソロモン諸島戦線では次発装填装置を持たないという制約の中、コロンバンガラ島沖海戦で最初の魚雷発射後に単艦で離脱、軽巡「神通」の沈没を目撃した。同年7月27日、僚艦「有明」とともにニューブリテン島グロスター岬沖のリーフに座礁。離礁の試みが重ねられる中、翌28日、米陸軍B-25爆撃機の空襲を受け、「有明」は沈没、「三日月」も被弾して航行不能となり、駆逐艦「秋風」の到着をもって放棄が決定された。被害は戦死7名、重傷12名、軽傷25名、そして未収容者85名。10月15日に除籍された。
装備の制約が生んだ生還——次発装填装置を持たないという設計上の制約が、コロンバンガラ島沖海戦での早期離脱、そして生還につながった。艦の運命は、時に乗組員の意志を超えた要因で決まる。
未収容者85名という記録——戦死・重傷・軽傷の数字に続けて記された「未収容者85名」は、あの日グロスター岬沖で起きた混乱と喪失の大きさを、何よりも雄弁に物語っている。

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■ 参考文献・資料

  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)第三水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報・第二水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報・ミッドウエー海戦戦時日誌戦闘詳報
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』関連巻
  • ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
  • ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
  • ・Wikipedia「三日月 (睦月型駆逐艦)」「睦月型駆逐艦」「コロンバンガラ島沖海戦」「クラ湾夜戦」
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