睦月型駆逐艦4番艦「卯月」——諸元と全戦歴、加古救助からオルモック湾での最期まで

睦月型 · 4番艦 · 第30駆逐隊
UZUKI 卯月
加古の650名を救い、睦月型を最後まで見届けた駆逐艦

石川島造船所が建造した睦月型駆逐艦4番艦。竣工から18年、太平洋戦争のほぼ全期間を生き延び、重巡「加古」の生存者650名を救助、僚艦「望月」「皐月」「秋風」の喪失を見届けた。1944年12月12日、オルモック湾で米魚雷艇の雷撃を受け戦没。この喪失をもって睦月型駆逐艦12隻は全艦戦没を完結させた艦の諸元と全戦歴。

SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
睦月型 4番艦
DISPLACEMENT
1,315 t
MAX SPEED
37.25 kt
MAIN GUN
12cm単装 × 2(末期)
TORPEDO
61cm3連装 × 1基(末期)
FATE
1944.12.12 オルモック湾で戦没
艦名卯月(うづき)
艦型・番艦睦月型駆逐艦 4番艦
計画名称第25駆逐艦→第25号駆逐艦
建造所石川島造船所(東京)
起工日1924年(大正13年)1月11日
進水日1925年(大正14年)10月15日
竣工日1926年(大正15年)9月14日
改名1928年(昭和3年)8月1日、「第25号駆逐艦」より「卯月」に改称
除籍日1945年(昭和20年)1月10日
類別一等駆逐艦(1942.10.1〜「卯月型」)
佐世保鎮守府籍
全長102.72m
基準排水量1,315t(竣工時)/改修後1,445t
出力38,500馬力
速力公試37.25ノット(竣工時)
主砲12cm単装砲(末期は2門に減、竣工時4門)
魚雷発射管61cm3連装発射管(末期は1基、竣工時2基)——日本駆逐艦初の61cm雷装
機銃25mm3連装2基・連装2基・単装6基、単装機銃座2基(1944.8.31時点)
電探13号電探1基
爆雷兵装八一式爆雷投射機2基、爆雷投下軌条2基
初代艦長郷田喜一郎中佐(1926.9.14〜)
最終艦長渡邊芳郎大尉/少佐(1943.5.25〜1944.12.12戦死、同日海軍中佐)
所属部隊第30駆逐隊(睦月・如月・弥生)→第23駆逐隊→第30駆逐隊
特記事項1942年8月、被雷沈没した重巡「加古」の生存者650名を救助。同年10月、睦月型の艦艇類別表上の表記が一時「卯月型」に改称された
最期1944年12月11日夜、単独でオルモック湾へ向かい消息不明。米側記録によれば翌12日、魚雷艇PT-490・PT-492の雷撃を受け轟沈。戦死170名、生還59名
戦後翌13日に僚艦「夕月」も戦没し、睦月型駆逐艦12隻は太平洋戦争で全て失われた
HISTORY
卯月 全戦歴タイムライン
1924年1月11日 — 起工
石川島造船所にて起工(第25号駆逐艦)
  • 1923年度計画艦。1928年8月1日、「卯月」と正式に改称され睦月型駆逐艦に登録された。
1926年9月14日 — 竣工
竣工。第30駆逐隊を編成
  • 初代艦長・郷田喜一郎中佐が着任。「睦月」「如月」「弥生」とともに第30駆逐隊を編成。
  • 1930年11月、昭和天皇の御召艦「霧島」の供奉艦を務める。
1937-1941年 — 支那事変・南方作戦
仏印進駐からグアム島攻略戦へ
  • 支那事変で中支・南支方面に進出、仏印進駐作戦にも参加。開戦時は第23駆逐隊(卯月・菊月・夕月)所属、南洋部隊指揮下でグアム島攻略作戦に参加。
  • 1942年、ラバウル・ラエ・サラモア・ブーゲンビル島の各攻略作戦に参加。
1942年5月4-25日 — 菊月喪失、第30駆逐隊へ
ツラギ空襲、ナウル・オーシャン作戦中止
  • ツラギ島攻略作戦で僚艦「菊月」が撃沈。「卯月」はナウル・オーシャン攻略部隊に編制替えとなるが、「沖島」喪失もあり作戦中止。
  • 5月25日、第23駆逐隊解隊、「睦月」「弥生」「望月」の第30駆逐隊に配属。
1942年8月10-11日
重巡「加古」生存者650名を救助
  • 8月10日、米潜水艦の雷撃で沈没した重巡「加古」の乗員救助に出動。
  • 11日早朝、シンベリ島に到着し乗員650名を救出。
1942年8-10月 — 睦月・弥生の喪失
睦月型が「卯月型」に改称される事態に
  • 8月25日、ガダルカナル島で空襲を受け損傷。同日「睦月」が第二次ソロモン海戦で沈没。佐世保海軍工廠で修理。
  • 9月、ラビの戦いで「弥生」も沈没。10月1日、艦艇類別表上の表記が「睦月型」から「卯月型」に変更。12月1日、第30駆逐隊解隊。
1942年12月13-24日 — トラック輸送
空母「冲鷹」護衛からムンダ輸送へ
  • 修理完成後、空母「冲鷹」護衛でトラック泊地へ。その後コロンバンガラ島・ムンダ飛行場への輸送作戦に参加。
1942年12月25-26日
南海丸と衝突、曳航リレー
  • 米潜水艦の雷撃で損傷した輸送船「南海丸」を護衛中に同船と衝突。左舷中部に直径5mの大破孔、缶室浸水・舵故障で航行不能。
  • 「長波」「有明」「谷風」「浦風」が救援出動。「有明」が曳航開始するも、翌朝B-24の空襲で被弾(戦死28・戦傷40)、曳航役を「浦風」に交代。「長波」の護衛でラバウル帰投。
1943年1-6月 — 修理、第30駆逐隊再編
明石の支援修理から佐世保本格修理へ
  • 1月5日、ラバウルで再度被爆・損傷、トラックで工作艦「明石」の支援を受け応急修理。
  • 3月31日、「望月」「三日月」と第30駆逐隊再編、第三水雷戦隊編入。6月、佐世保で本格修理。
1943年10月21日 — 木曾護衛、20時間近い連続空襲
被爆した軽巡「木曾」を護衛し抜く
  • 軽巡「木曾」「多摩」と合流しラバウルへ向かう途中、「木曾」が空襲で被弾。「卯月」が「木曾」を護衛し、複数回の空襲を零戦や「五月雨」の救援を受けつつ耐え抜き、正午前にラバウル到着。
1943年10月23-31日
望月の戦没、そしてブカ島での交戦
  • 10月23日、「望月」とジャキノットへ陸戦隊輸送中、揚陸中に「望月」が空襲で沈没。「卯月」は揚陸を断念し生存者を収容、ラバウルへ戻る。
  • 10月29-30日、「文月」とガロベへ輸送。10月31日、ブカ島輸送中にメリル少将率いる米艦隊(巡洋艦4・駆逐艦8)と遭遇、砲撃を受け小破孔3箇所。
1943年11月2-25日 — セント・ジョージ岬沖海戦
大波・巻波・夕霧沈没するも生還
  • 11月2日、ブーゲンビル島沖海戦の輸送隊として参加するも反転し交戦せず。11月5日以降のラバウル空襲でも損傷なし。
  • 11月21-22日、ブカ島輸送成功。24日再出撃、25日午前0時、バーク大佐率いる米第23駆逐部隊に奇襲され「大波」「巻波」「夕霧」沈没。「卯月」は避退中に砲撃され損傷するも「天霧」とともに早朝ラバウル到着。
1943年12月-1944年3月 — トラック・パラオでの整備
機関故障を経て内地帰投
  • パラオで検査中にタービン・舵取機械の重大故障の恐れを発見、内地回航。1944年1月、トラック経由で佐世保到着、3月に修理完了。
1944年3-8月 — 東松船団護衛
サイパン・グアム方面への船団護衛
  • 3月、東松二号船団護衛中に「龍田」が米潜水艦「サンドランス」の雷撃で沈没、卯月は爆雷攻撃を実施。4月、東松三号・六号船団護衛。
  • 6月18-20日、マリアナ沖海戦に護衛艦として参加。20日、被弾炎上したタンカー「玄洋丸」から燃料補給・乗員収容後、主砲でこれを処分。
1944年9月17-22日 — 西貢丸沈没、皐月戦没
相次ぐ僚艦・随伴艦の喪失
  • 9月18日、特設巡洋艦「西貢丸」が米潜水艦「フラッシャー」の雷撃で沈没、卯月・夕月・秋風が捜索・爆雷攻撃。
  • 9月21日、随伴予定だった「皐月」がマニラ湾で空襲を受け戦没。9月22日、輸送船「順源丸」が米潜水艦「レイポン」の雷撃で沈没。
1944年11月3日 — 秋風の喪失を目撃
隼鷹狙いの魚雷が秋風に命中
  • 空母「隼鷹」護衛中、米潜水艦「ピンタド」の魚雷が「秋風」に命中し轟沈。「卯月」は護衛続行、「夕月」が秋風生存者の捜索にあたるも発見できず。
1944年12月9-11日
第九次多号作戦、オルモック湾へ
  • 兵員4,400名を輸送する第九次多号作戦のため「桐」「夕月」等とマニラ出港。三十駆司令が輸送部隊の指揮を執る。
  • 12月11日、レイテ島北で空襲を受け輸送船「たすまにや丸」「美濃丸」沈没。「卯月」は駆潜艇2隻とともに救助・輸送船「空知丸」護衛。
  • 午後10時30分、単独でオルモック湾へ向かい、以後消息不明となる。
1944年12月12日
米魚雷艇の雷撃で轟沈
  • 米側記録によれば、魚雷艇PT-490(艇長ジョン・マッケルフレッシュ大尉)・PT-492(艇長メルビン・ヘイズ予備大尉)がレーダーで「卯月」を捕捉、魚雷2本を発射し命中、轟沈。
  • 艦長・渡邊芳郎少佐以下170名戦死(同日付で中佐昇進)、生還者59名。
1944年12月13日 — 夕月も戦没
睦月型駆逐艦12隻、全艦戦没が完結
  • 僚艦「夕月」もシブヤン海で沈没。この2隻の戦没により、睦月型駆逐艦12隻は太平洋戦争で全て失われた。
1945年1月10日 — 除籍
「夕月」と共に帝国駆逐艦籍より除籍
RECORD
卯月 全艦歴まとめ
卯月は1926年に石川島造船所で竣工した睦月型駆逐艦4番艦。竣工から18年、太平洋戦争のほぼ全期間を生き延びた「最後の生存者」だった。1942年8月には重巡「加古」の生存者650名を救助し、同年10月には睦月型の艦艇類別表上の表記が一時「卯月型」に変更されるほど、この艦型を代表する存在となった。1943年には「望月」の戦没を見届け、セント・ジョージ岬沖海戦では「大波」「巻波」「夕霧」の喪失を横目に生き延び、1944年には「皐月」「秋風」の喪失も目撃した。同年12月、第九次多号作戦でオルモック湾へ単独で向かった後、米魚雷艇2隻の雷撃を受けて轟沈。戦死170名、生還59名。翌13日には僚艦「夕月」も戦没し、この2隻の喪失をもって、睦月型駆逐艦12隻は太平洋戦争で全て失われることになった。
加古の650名を救った艦——卯月が果たした重巡「加古」生存者の救助は、この艦が「最後まで生き延びる艦」であることを予感させる、最初の大きな功績だった。
睦月型、最後の1隻の孤独な最期——単独でオルモック湾に向かい、日本側の記録には「爾後消息ナシ」とのみ残された卯月の最期は、皮肉にも撃沈した米軍の記録によってのみ詳細が伝わっている。

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■ 参考文献・資料

  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報・第三水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報・軍艦加古戦闘詳報
  • ・防衛省防衛研究所 戦史叢書46『海上護衛戦』、戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』関連巻
  • ・浅田博、高城直一『海防艦三宅戦記 輸送船団を護衛せよ』光人社NF文庫、2013年
  • ・ブライアン・クーパー(実松譲訳)『高速魚雷艇 PT Boat』サンケイ新聞社出版局、1972年
  • ・淵田美津雄、奥宮正武『機動部隊』朝日ソノラマ、1992年
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
  • ・Wikipedia「卯月 (睦月型駆逐艦)」「睦月型駆逐艦」「多号作戦」「セント・ジョージ岬沖海戦」
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