峯風型 · 4番艦(初代島風) · 第3駆逐隊→第一哨戒艇隊
SHIMAKAZE 島風(初代)
日本駆逐艦初の40ノット記録、そして名を後継艦に託した艦
舞鶴海軍工廠が建造した峯風型駆逐艦4番艦。公試で40.698ノットという日本駆逐艦初の記録を樹立し、1940年に哨戒艇へ改装後、太平洋戦争開戦直前には強襲揚陸艦へと改造された。1943年1月、カビエン沖で米潜水艦ガードフィッシュの雷撃を受け戦没。その名と記録は、同年竣工の丙型駆逐艦「島風」(2代)に継承された艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
峯風型 4番艦
DISPLACEMENT
1,215 t(竣工時)
MAX SPEED
40.698 kt(公試記録)
MAIN GUN
12cm単装 × 4(哨戒艇時2門)
SPECIAL
強襲揚陸艦(大発2隻搭載)
FATE
1943.1.12 カビエン沖で戦没
| 艦名 | 島風(しまかぜ)※「島に吹く風」「島より吹き来る風」に由来 |
| 艦型・番艦 | 峯風型駆逐艦 4番艦 |
| 建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
| 命名 | 1920年(大正9年)8月24日(『官報』第2419号) |
| 竣工日 | 1920年(大正9年)11月15日 |
| 類別 | 一等駆逐艦→哨戒艇(1940年4月改装) |
| 改名 | 1940年4月、「第一号哨戒艇」に改名・艦種変更 |
| 籍 | 横須賀鎮守府籍 |
| 全長 | 102.6m |
| 基準排水量 | 1,215t(竣工時)/哨戒艇時1,270t(公試1,700t) |
| 速力 | 40.698ノット(竣工時公試、日本駆逐艦初記録)/哨戒艇時20.0ノット |
| 機関(哨戒艇時) | ロ号艦本式缶2基、19,250馬力 |
| 主砲 | 竣工時:12cm単装砲4門/哨戒艇時:45口径三年式12cm砲2門 |
| 魚雷発射管 | 53.3cm連装(魚雷8本)※強襲揚陸艦化で撤去 |
| 特殊装備 | 太平洋戦争開戦直前、後甲板・艦尾を改造し大発動艇2隻搭載可能に。陸戦隊約250名収容可能な居住区を新設 |
| 初代艦長 | (心得)岩城茂身少佐(1920年9月17日〜) |
| 最終艦長(駆逐艦時代) | 有馬時吉少佐兼務(1939.1.15〜1939.3.10、以後駆逐艦長の発令なし) |
| 所属部隊 | 第3駆逐隊→第一哨戒艇隊 |
| 特記事項 | 1937年9月25日、第二次上海事変・黄浦江での作戦中に中国軍の射撃を受け、乗艦していた第三駆逐隊司令・博義王中佐(皇族)と皇族付武官・早川幹夫中佐が戦傷 |
| 最期 | 1943年1月12日、給油船「あけぼの丸」護衛中、米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃によりビスマルク諸島カビエン沖で沈没 |
| 後継 | 艦名・速力記録は1943年5月竣工の丙型駆逐艦「島風」(2代、40.9ノット)に継承 |
TIMELINE
HISTORY
島風(初代) 全戦歴タイムライン
1920年11月15日 — 竣工
40.698ノットの公試記録を樹立
- 舞鶴海軍工廠で竣工、横須賀鎮守府籍の一等駆逐艦に類別。竣工後直ちに第3駆逐隊に編入。
- 公試運転で40.698ノットを記録、日本駆逐艦として初めて40ノットの壁を突破。峯風型の計画速力39ノットを上回る、偶然による記録だった。
1928年10月11日 — 衝突事故
浦賀水道、僚艦「夕風」との衝突
- 午後9時20分、小演習に参加中の「島風」に「夕風」が衝突。右舷艦首に大破口が生じ、横須賀で修理。
1937年9月25日
第二次上海事変、皇族の戦傷
- 黄浦江で作戦中、中国軍の射撃を受ける。乗艦していた第三駆逐隊司令・博義王中佐(皇族)と皇族付武官・早川幹夫中佐が戦傷を負う。
1938年12月 — 予備艦に
第三駆逐隊解隊
- 第三駆逐隊が解隊され、「島風」は予備艦となる。
1940年4月
「第一号哨戒艇」への改装
- 老朽化に伴い駆逐艦籍を離れ哨戒艇へ改装、「第一号哨戒艇」と改名。ボイラーを半減、武装の一部を撤去する「格下げ」改造だったが、船体は健在だった。
1941年末 — 強襲揚陸艦への改造
大発2隻搭載可能な艦へ
- 太平洋戦争開戦直前、後甲板・艦尾を改造し大発動艇2隻を搭載・発進可能に。12cm単装砲1門と魚雷兵装を撤去し、陸戦隊約250名収容可能な居住区を新設。
- 後年の一等輸送艦・高速輸送艦の先駆けとなる改造だった。
1941年12月-1942年4月 — 緒戦の上陸作戦
フィリピン・蘭印・西部ニューギニア
- フィリピン攻略作戦、蘭印攻略作戦に参加。1942年3月から4月、西部ニューギニア戡定作戦に参加し上陸作戦を支援。
1942年後半 — ソロモン諸島方面
最前線での活動を継続
- 西部ニューギニア戡定作戦の後、ソロモン諸島方面で活動を続ける。
1943年1月12日
カビエン沖、給油船護衛中に戦没
- 給油船「あけぼの丸」を護衛中、米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃を受け、ビスマルク諸島カビエン沖で沈没。竣工から22年の艦歴に幕を閉じる。
1943年5月 — 名と記録の継承
丙型駆逐艦「島風」(2代)竣工
- 初代の沈没から約4ヶ月後、新型の丙型駆逐艦「島風」が竣工。40.9ノットを記録し初代の記録をわずかに更新。だが厳密な公式速力記録は初代「島風」が保持していたとの見方もある。
- 2代目の起工は1941年8月、進水は1942年7月であり、約1年半、初代と2代目の「島風」が同時に存在していた。
SUMMARY
RECORD
島風(初代) 全艦歴まとめ
島風は1920年に舞鶴海軍工廠で竣工した峯風型駆逐艦4番艦。竣工時の公試運転で40.698ノットという、日本駆逐艦として初めて40ノットの壁を破る記録を樹立した。この記録は精度の高い機関がたまたま搭載されたことによる偶然の産物だった。1937年の第二次上海事変では、乗艦していた皇族・博義王中佐が戦傷を負う出来事もあった。1940年、老朽化に伴い哨戒艇「第一号哨戒艇」へ改装され、太平洋戦争開戦直前には大発動艇を搭載する強襲揚陸艦へとさらに改造された。この姿でフィリピン・蘭印・西部ニューギニアの各攻略作戦に参加し緒戦の上陸作戦を支えたが、1943年1月12日、給油船護衛中にカビエン沖で米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃を受け戦没した。その名と速力記録は、同年竣工の丙型駆逐艦「島風」(2代)に受け継がれている。
偶然が生んだ日本駆逐艦最速の記録——40.698ノットという記録は、狙って手にしたものではなかった。それでもこの記録は20年以上を経て、後継艦の性能目標そのものとなった。
「格下げ」から生まれた新しい役割——駆逐艦としての第一線を退いた後、強襲揚陸艦としての新たな役割を得たことは、艦の価値が速力や兵装だけで測れないことを物語る。
RELATED
ARTICLES
関連記事
■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第一哨戒艇隊第一号哨戒艇事変日誌各号・海軍辞令公報(部内限)各号
- ・『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻・第9巻、第一法規出版、1995年
- ・浅井将秀編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
- ・Wikipedia「島風 (峯風型駆逐艦)」「島風 (島風型駆逐艦)」「峯風型駆逐艦」