夕雲型 · 6番艦 · 第三十一駆逐隊(司令艦)
TAKANAMI 高波
重巡4隻を屠った盾、米側呼称「高波級」の由来艦
夕雲型駆逐艦6番艦。浦賀船渠で建造され、1942年8月竣工。第三十一駆逐隊司令艦としてガダルカナル方面の輸送戦に投入され、11月30日のルンガ沖夜戦(タサファロンガ海戦)で米艦隊を単艦で発見・集中砲火を引き受け、僚艦の酸素魚雷斉射による大戦果を導いた末、竣工からわずか3ヶ月で戦没した。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 6番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35.0 kt
MAIN GUN
12.7cm D型 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1942.11.30 戦没
| 艦名 | 高波(たかなみ) |
| 艦型・番艦 | 夕雲型駆逐艦 6番艦(仮称第121号艦) |
| 建造所 | 浦賀船渠 |
| 命名 | 1942年1月20日 |
| 進水日 | 1942年3月16日(横須賀鎮守府長官平田昇中将立会) |
| 竣工日 | 1942年8月31日 |
| 主砲 | 50口径12.7cmD型連装砲 3基6門(最大仰角75度) |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装水上発射管 2基 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 |
| 初代艤装員長 | 小野四郎少佐(1942.7.25、当時朝潮型「山雲」艦長兼務) |
| 初代艦長 | 小倉正身中佐(1942.8.20〜、当時白露型「満潮」艦長より転任。戦没時艦長) |
| 所属駆逐隊 | 第三十一駆逐隊(司令艦、長波・巻波) |
| 戦没時司令 | 清水利夫大佐(第三十一駆逐隊司令、爆発後行方不明) |
| 特記事項 | 米海軍が夕雲型全体を「高波級(Takanami Class)」と呼称する由来となった艦 |
| 戦没 | 1942年11月30日 ガダルカナル島タサファロング沖(ルンガ沖夜戦) |
| 戦没原因 | 米巡洋艦部隊の集中砲火(50発以上)で航行不能・炎上後、残敵掃討中の米駆逐艦の魚雷が命中、搭載爆雷が誘爆 |
| 戦死者 | 約222名(乗員255名中、生存33名のみ) |
| 除籍 | 1942年12月24日(帝国駆逐艦籍・第三十一駆逐隊・夕雲型駆逐艦から除籍) |
| 戦後 | 1943年9月15日、連合艦隊司令長官より増援部隊(高波所属部隊)に感状 |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1942年1月20日 — 命名
夕雲型駆逐艦に類別、「高波」と命名
- 1941年段階では、開戦がなければ第六航空戦隊護衛(特設空母3隻)への配属が予定されていた。
1942年8月31日 — 竣工
竣工。舞鶴鎮守府籍、警備駆逐艦に指定
- 小倉正身中佐が正式艦長に。艤装員事務所撤去。
1942年10月7日 — 初陣
護衛の輸送船「波上丸」が被雷沈没
- 佐伯からラバウルへ向かう沖輸送第一船団の護衛中、米潜スカルピンの雷撃で波上丸沈没。爆雷投射も撃沈には至らず。
1942年10月1日 — 部隊編入
第二水雷戦隊麾下第三十一駆逐隊に編入
- 長波・巻波と合流、ただちにガダルカナル島の戦いに投入。
1942年10月13日 — ヘンダーソン基地砲撃護衛
金剛・榛名の918発の艦砲射撃を護衛、大成功
- 米魚雷艇の襲撃は長波が単独排除。挺身攻撃隊は無傷で帰投した。
1942年11月6日 — タサファロング輸送
甲増援隊としてB-17空襲下で輸送成功
- 高波軽傷者1名、長波負傷者16名。傷病兵・便乗者を収容し帰投。
1942年11月12日 — 輸送中止
第三次ソロモン海戦の影響で船団引き返し
- 比叡・暁・夕立の喪失によりヘンダーソン砲撃計画自体が中止された。
1942年11月29日夜〜30日 — ルンガ沖夜戦
単艦で米第67任務部隊を発見、全軍突撃の契機に
- 田中頼三少将率いる増援部隊8隻でショートランド出撃。20時、高波は前路警戒のため単艦先行。21時12分敵発見、21時16分「全軍突撃セヨ」下令。
1942年11月30日 — 集中砲火・戦没
米巡洋艦部隊の砲撃を一身に受け炎上、その後の魚雷で沈没
- 50発以上被弾、艦橋もろとも爆発。炎上する高波を目印に二水戦各艦が酸素魚雷斉射、米重巡1隻撃沈・3隻撃破。その後、残敵掃討の米駆逐艦の魚雷が命中し搭載爆雷が誘爆、乗員多数が圧死・重油火災で死亡。生存33名。
1942年12月24日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・第三十一駆逐隊・夕雲型から除籍
- 1943年9月15日、増援部隊全体に感状が贈られた。
SUMMARY
RECORD
高波 全艦歴まとめ
夕雲型6番艦「高波」は、第三十一駆逐隊司令艦として、竣工からわずか3ヶ月の艦歴を歩んだ艦である。輸送船護衛での苦い初陣、ヘンダーソン飛行場砲撃の護衛成功を経て、1942年11月30日、ルンガ沖夜戦(タサファロンガ海戦)で単艦、米第67任務部隊を発見。この報告が「全軍突撃セヨ」の号令につながる一方、高波自身は米巡洋艦部隊の集中砲火を一身に受けることになった。炎上する高波を目印に僚艦が酸素魚雷を斉射し、米重巡1隻撃沈・3隻撃破という大戦果を挙げたが、高波自身は残敵掃討中の魚雷命中と搭載爆雷の誘爆により沈没した。乗員255名中、生存者はわずか33名。米海軍はこの海戦の印象から、夕雲型全体を「高波級」と呼称するようになった。
盾となった代償——高波が引き受けた集中砲火は、僚艦たちに態勢を立て直す時間を与え、歴史的な戦果につながった。しかしその代償は222名の命という、あまりにも大きなものだった。艦隊戦の勝利と輸送作戦の失敗、戦果への貢献と乗員の壊滅——高波の艦歴はこの矛盾を一身に体現している。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦<2> ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)高波関連公文書・第二水雷戦隊戦闘詳報第14号
- ・半藤一利『ルンガ沖夜戦』朝日ソノラマ〈航空戦史シリーズ41〉、1984年
- ・江田高市「ルンガ沖夜戦」回想記録
- ・ラッセル・クレンショウ著、岡部いさく・岩重多四郎訳『ルンガ沖の閃光』
- ・『歴史群像』編集部『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦』学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ19〉、1998年
- ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型>』潮書房光人社、2015年
- ・Wikipedia「高波 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「ルンガ沖夜戦」「タサファロンガ岬」