夕雲型 · 1番艦(型名艦) · 第十駆逐隊(司令駆逐艦)
YUGUMO 夕雲
夕雲型19隻の型名艦——僚艦「巻雲」を看取り、第二次ベララベラ海戦に散る
舞鶴海軍工廠が建造した夕雲型駆逐艦1番艦。夕雲型19隻の中で唯一、太平洋戦争開戦前に竣工。南雲機動部隊直衛からケ号作戦、キスカ撤退作戦を経て、1943年10月6日、第二次ベララベラ海戦で戦没した艦の諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 1番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35 kt
MAIN GUN
12.7cm D型 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1943.10.6 戦没
| 艦名 | 夕雲(ゆうぐも) |
| 艦型・番艦 | 夕雲型駆逐艦 1番艦(型名艦) |
| 建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
| 仮称艦名 | 第116号艦(④計画) |
| 起工日 | 1940年(昭和15年)6月12日 |
| 進水日 | 1941年(昭和16年)3月16日 |
| 竣工日 | 1941年(昭和16年)12月5日(夕雲型で唯一の戦前竣工) |
| 除籍日 | 1943年(昭和18年)12月1日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 基本計画番号 | F50(陽炎型はF49) |
| 全長 | 119.3m |
| 満載喫水 | 平均4.03m |
| 基準排水量 | 2,077t(公表値2,040英トン) |
| 満載排水量 | 約2,940t |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 最大速力 | 35ノット(陽炎型の速力不足を解消するため艦尾延長) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲D型 3基6門(最大仰角75度、陽炎型のC型は55度) |
| 機銃 | 九六式25mm連装機銃 2基(就役時。後年増備) |
| 魚雷発射管 | 九二式四型61cm4連装発射管 2基8射線 |
| 搭載魚雷 | 九三式酸素魚雷 16本 |
| 爆雷兵装 | 九四式爆雷投射機 1基(九五式爆雷18〜36個) |
| 竣工時定員 | 228名(士官7・特務士官2・准士官3・下士官兵216) |
| 初代艤装員長/駆逐艦長 | 仙波繁雄中佐(前歴:栂・磯波・浦波艦長) |
| 特記事項 | 艦橋構造物の壁面が末広がり形状で陽炎型と外観識別可能。ケ号作戦で触雷した僚艦「巻雲」の全乗員を収容の上、自ら雷撃処分 |
| 最終所属 | 第十駆逐隊(司令駆逐艦・巻雲/風雲/秋雲) |
| 最期 | 1943年10月6日、第二次ベララベラ海戦で被雷・沈没。艦長大迫東中佐以下241名戦死 |
TIMELINE
HISTORY
夕雲 全戦歴タイムライン
1940年6月12日 — 起工
舞鶴海軍工廠にて起工(仮称第116号艦)
- ④計画による駆逐艦(甲)として建造開始。陽炎型の速力不足を解消するため艦尾を延長した改良型として計画される。
1941年3月16日 — 進水
進水。同日付で横須賀鎮守府籍となる
- 7月1日、栂・磯波・浦波の駆逐艦長を歴任した仙波繁雄中佐が艤装員長に補職。10月16日、初代駆逐艦長に就任。
1941年12月5日 — 竣工
竣工。夕雲型19隻で唯一の戦前竣工艦
- 横須賀鎮守府部隊の警備駆逐艦として東京湾外・伊豆諸島方面で対潜哨戒に従事。2月21日にはソ連商船の臨検も実施。
1942年3月14日 — 第十駆逐隊編成
僚艦「巻雲」竣工と同日、第十駆逐隊を編成
- 3月28日に「風雲」、4月15日に「秋雲」が編入され定数4隻に。第十戦隊(旗艦「長良」)に所属し南雲機動部隊の直衛任務に就く。
1942年6月5日〜13日 — ミッドウェー海戦
空母「飛龍」の護衛・被弾後の救援活動に従事
- 第十戦隊にとって初陣となったが海戦は惨敗。第10駆逐隊は最後まで戦闘力を維持した「飛龍」の直衛と救援に努めた。
1942年8月〜11月 — ソロモン方面激戦
第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦・第三次ソロモン海戦支援
- 空母直衛や前衛部隊として連続出撃。11月には重巡「衣笠」沈没時に僚艦「巻雲」と共に生存者を救助した。
1943年2月1日 — ケ号作戦
触雷した「巻雲」の全乗員を収容し、自ら雷撃処分
- ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)第一次作戦中、エスペランス岬付近で触雷し航行不能となった僚艦「巻雲」に接近。全乗員を収容した上で処分した。
1943年7月 — キスカ島撤退作戦
北方部隊に編入され、収容駆逐隊として撤退作戦に成功
- 木村昌福少将指揮下、途中反転の第一次作戦、成功した第二次作戦の両方に参加。5,000名規模の守備隊を無傷で収容した「奇跡の撤退」に貢献した。
1943年9月〜10月初旬 — セ号作戦
コロンバンガラ島撤退作戦、2度にわたり成功
- 9月28日夜・10月2日夜の両作戦とも敵と遭遇することなくラバウルに帰投。続いてベララベラ島撤退作戦へ投入される。
1943年10月6日 — 第二次ベララベラ海戦
米第42駆逐群と交戦。20時56分、戦隊内最速で応戦するも集中砲火を浴びる
- 夜襲隊(秋雲・風雲・夕雲・磯風・時雨・五月雨)の四番艦として行動。発砲炎で位置を特定され、米艦隊の集中砲火を一身に受けた。
1943年10月6日 21時5分〜10分 — 戦没
被雷・沈没。艦長大迫東中佐以下241名戦死
- 隊列から脱落した夕雲に魚雷が命中、21時10分に沈没。生存者の一部は米魚雷艇に救助され、一部は敵の内火艇を奪って独力で漂流、1日半後にブーゲンビル島ブインへ生還した。
1943年12月1日 — 除籍
夕雲型駆逐艦・第十駆逐隊・帝国駆逐艦籍から除籍
- 夕雲の戦没を受け、第十駆逐隊は残る風雲・秋雲・(編入された)朝雲で維持されたが、後に風雲の戦没を機に解隊された。
SUMMARY
RECORD
夕雲 全艦歴まとめ
夕雲は1941年12月に舞鶴海軍工廠で竣工した夕雲型駆逐艦1番艦。夕雲型19隻の中で唯一、太平洋戦争開戦前に竣工した艦である。第十駆逐隊司令駆逐艦として南雲機動部隊の直衛を務め、ミッドウェー海戦・第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦を戦い抜いた。1943年2月のケ号作戦では触雷した僚艦「巻雲」の全乗員を収容した上で自ら雷撃処分するという重い決断を下し、7月のキスカ島撤退作戦では収容駆逐隊として「奇跡の撤退」に貢献した。しかし1943年10月6日、第二次ベララベラ海戦で米第42駆逐群と交戦し、集中砲火を浴びて沈没。艦長以下241名が戦死したが、生存者の一部は敵の内火艇を奪い、投降を拒否して1日半漂流の末にブーゲンビル島へ生還を果たした。
夕雲型「唯一の戦前竣工艦」という記録——夕雲型19隻のうち、太平洋戦争開戦前に竣工していたのは夕雲ただ1隻。残る18隻はすべて開戦後の竣工であり、この艦の艦歴の長さと戦歴の豊富さは、夕雲型全体の中でも際立っている。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書29・31・96『北東方面海軍作戦/海軍軍戦備(1)/南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)夕雲艤装員関連公文書・第10駆逐隊/第三水雷戦隊戦時日誌
- ・木俣滋郎「16.駆逐艦『夕雲』」『撃沈戦記』光人社NF文庫、2013年
- ・駆逐艦秋雲会編『栄光の駆逐艦 秋雲』1986年
- ・及川幸介「地獄の海に記された『夕雲』奇蹟の生還記」『駆逐艦「神風」電探戦記』光人社、2011年
- ・岩重多四郎『日本海軍小艦艇ビジュアルガイド 駆逐艦編』大日本絵画、2012年
- ・Wikipedia「夕雲 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「第二次ベララベラ海戦」