特型Ⅰ型(吹雪型)「叢雲」——諸元・全戦歴・サボ島沖の雷撃処分

特型Ⅰ型5番艦「叢雲」の基本諸元・全戦歴タイムラインを完全収録。1929年竣工から1942年10月の鉄底海峡沈没まで、雲級筆頭艦の軌跡を詳細解説。

特型Ⅰ型(吹雪型)· 吹雪型5番艦 · 第12駆逐隊→第11駆逐隊
MURAKUMO 叢雲
仲間の盾となって果てた「雲級」の筆頭艦

大日本帝国海軍・特型Ⅰ型(吹雪型)5番艦「叢雲」。藤永田造船所(大阪)で建造され1929年竣工。 第12駆逐隊(叢雲・東雲・薄雲・白雲)「雲級」の筆頭艦として、マレー・蘭印・バタビア沖・ミッドウェー・ガダルカナルと転戦。 1942年10月12日、古鷹乗員捜索中の空襲で大破炎上。東艦長が艦に残ろうとするも説得され、 「白雪」の魚雷によって雷撃処分されてソロモン海に沈んだ。

SPECIFICATIONS
基本諸元・建造データ
HULL TYPE
特型Ⅰ型(吹雪型)
吹雪型5番艦・雲級筆頭
SHIPYARD
藤永田造船所(大阪)
起工1927.4.25 / 竣工1929.5.10
DISPLACEMENT
1,680t(基準)
公試:1,980t / 全長118.5m
MAIN GUN
A型砲 40°
50口径12.7cm連装砲 3基6門
TORPEDOES
61cm三連装×3基
9門(九三式酸素魚雷)
FATE
1942.10.12 処分
空襲大破後・白雪による雷撃処分
項目内容
艦名叢雲(むらくも)2代目 / 旧称:第三十九号駆逐艦(1928年8月1日「叢雲」に改名)
艦型吹雪型駆逐艦(特型Ⅰ型) 5番艦・雲級(叢雲・東雲・薄雲・白雲)筆頭
建造所藤永田造船所(大阪府大阪市)
起工1927年(昭和2年)4月25日
進水1928年(昭和3年)9月27日
就役(竣工)1929年(昭和4年)5月10日
初代艤装員長柳原信男 中佐(1929年5月10日〜)
最終艦長東日出夫 少佐(1941年4月10日〜1942年11月15日除籍)
全長118.5 メートル
全幅10.36 メートル
吃水3.2 メートル(平均)
基準排水量1,680 トン
公試排水量1,980 トン
機関艦本式ロ号専焼缶 4基
艦本式ギアードタービン 2基2軸
出力50,000 馬力
速力(計画)最大 38.0 ノット
航続距離14ノットで5,000海里
主砲(竣工時)50口径12.7cm A型連装砲 3基6門(仰角40°)
密閉砲塔・日本駆逐艦初の完全密閉式砲塔採用型
魚雷発射管61cm 三連装魚雷発射管 3基9門(一二年式→九三式酸素魚雷に換装)
爆雷投下軌条 2軌
対空機銃13mm連装機銃 2基
乗員約250名
所属駆逐隊第12駆逐隊(叢雲・東雲・薄雲・白雲)→1942年3月10日より第11駆逐隊(初雪・白雪吹雪・叢雲)
所属水雷戦隊第二水雷戦隊→第三水雷戦隊(橋本信太郎少将・旗艦川内)
型の特記雲級(吹雪型5〜8番艦)の筆頭艦。第四艦隊事件(1935年)で甲板等に損傷を受けた後、艦体強化改装を実施。特型Ⅰ型の標準的な性能を保持。
最終・処分1942年10月12日、ガダルカナル島北方(南緯8°40′ 東経159°20′)。古鷹乗員捜索中の米軍機空襲で大破炎上・航行不能。東日出夫艦長が艦に残ろうとしたが白雪艦長・菅原六郎の説得で退艦。白雪の雷撃処分で沈没。
■ 雲級と第12駆逐隊の変遷
叢雲・東雲・薄雲・白雲の「雲級」4隻は第12駆逐隊として太平洋戦争に臨んだ。しかし東雲が1941年12月17日に空襲で沈没(全員戦死)、白雲が1942年3月の編制変更で第20駆逐隊へ転じ、叢雲は単独で第11駆逐隊(吹雪白雪・初雪)に編入された。吹雪がサボ島沖で沈没した後も叢雲は第11駆逐隊の一艦として行動し続け、最後は白雪の手で処分されるという結末を辿った。
BATTLE RECORD
全戦歴・タイムライン

「叢雲」は日中戦争から太平洋戦争を通じて、マレー・蘭印・バタビア沖・ミッドウェー・ガダルカナルと転戦した。鼠輸送に費やした8〜10月の期間が最も密度が濃く、最期もその任務の延長線上にあった。

1927〜1929年 — 建造・竣工
藤永田造船所にて起工・竣工
  • 1927年4月25日起工。1928年8月1日「第三十九号駆逐艦」から「叢雲」に改名。同年9月27日進水。
  • 1929年5月10日竣工。初代艤装員長:柳原信男 中佐。第12駆逐隊(東雲・薄雲・白雲・叢雲)に編入し雲級4隻が揃った。
  • 竣工2ヶ月後の1929年7月9日、豊後水道演習中に駆逐艦「望月」が右舷に衝突。乗員1名死亡・2名負傷。白雲に曳航されて呉に帰投した。
1931〜1936年 — 隊内の変遷・第四艦隊事件
第12駆逐隊の変遷・満州国皇帝の供奉・艦体強化改装
  • 1931年:東雲が第20駆逐隊に編入し、第12駆逐隊は叢雲・薄雲・白雲の3隻体制に。
  • 1934年6月:演習中に深雪・電が衝突。切断された深雪の艦首部分の曳航を叢雲・初雪が試みたが濃霧で見失い翌日も発見できなかった。
  • 1935年:満州国皇帝・溥儀が戦艦「比叡」を御召艦として来日。第12駆逐隊(叢雲・薄雲・白雲)が供奉艦に指定、日中を往復した。
  • 1935年9月26日:第四艦隊事件(三陸沖台風)で叢雲も甲板等に損傷。呉海軍工廠で修理・艦体強化改装を実施。
  • 1936年12月:東雲が第12駆逐隊に戻り、4隻体制に復帰。
1937〜1941年 — 日中戦争・開戦前
日中戦争(華中沿岸・仏印進駐)・佐世保での整備・開戦準備
  • 1937年以降:第二遣支艦隊に編入し、華中での沿岸作戦・海上封鎖任務に従事。興化湾・南日水道での封鎖中に薄雲が機雷触雷で大破、叢雲が台湾まで曳航した。
  • 1940年:北部仏印進駐作戦に参加。
  • 1941年8月〜9月:佐世保海軍工廠で修理・整備。9月26日に瀬戸内海へ移動し訓練。
  • 1941年11月20日:叢雲・東雲・白雲の第12駆逐隊3隻が桂島沖を出発し、マレー作戦参加のため南方へ。
1941年12月8日 — 開戦
太平洋戦争開戦・マレー作戦参加
  • 第三水雷戦隊(第12駆逐隊)として小沢治三郎中将(南遣艦隊司令長官)指揮下でマレー作戦に参加。
1941年12月17日 — 僚艦「東雲」沈没
僚艦「東雲」がボルネオ沖で空襲により沈没——全員戦死
  • ボルネオ島攻略作戦中、東雲がセリア付近でオランダ軍飛行艇に空襲され沈没。乗員全員(艦長以下227名)戦死。
  • 叢雲が現場を捜索したが乗員は発見できず沈没の痕跡のみ確認。第12駆逐隊は叢雲・白雲の2隻体制に激減した。
1942年3月1日 — バタビア沖海戦
米重巡「ヒューストン」・豪軽巡「パース」撃沈に貢献——東艦長が軍刀を持って艦橋に立つ
  • 蘭印(ジャワ島)攻略作戦に伴うバタビア沖海戦。第五水雷戦隊・重巡三隈・最上・第11駆逐隊・敷波等と協同。
  • 東日出夫艦長が軍装を整え軍刀を持って艦橋に立ち指揮を執った(乗員の証言)。叢雲は両艦撃沈に貢献した。
  • 戦闘後の午前3時30分、叢雲はオランダ海軍駆逐艦「エヴェルツェン」を発見・砲撃してセブク島に座礁させた。翌朝、装載艇でエヴェルツェン艦内を調査・食糧を獲得した。
1942年3月10日 — 第11駆逐隊に編入
編制変更——白雲が第20駆逐隊へ、叢雲は第11駆逐隊(初雪・白雪吹雪)に編入
  • 蘭印作戦終結後の編制変更。叢雲は第12駆逐隊から第11駆逐隊(初雪・白雪吹雪・叢雲の4隻)に編入。以降の行動は第11駆逐隊として。
1942年6月 — ミッドウェー海戦
主力部隊護衛として参加・交戦機会なく帰投
  • 第三水雷戦隊として山本長官直率の主力部隊(大和等)を護衛。機動部隊の壊滅的敗北を後方から見守り、撤退艦隊の護衛にあたった。
1942年8〜10月 — ガダルカナル島攻防戦・鼠輸送
鼠輸送・飛行場砲撃・乗員輸送——繰り返される危険な夜間往復
  • 8月28日:嵐・弥生・哨戒艇と共に陸戦隊約770名をミルン湾ラビ東方へ揚陸。
  • 9月4日:夕立・初雪ら6隻でルンガ泊地突入・飛行場砲撃。米高速輸送艦グレゴリー・リトル撃沈。
  • 9月7日:輸送作戦中、ガ島第十三設営隊長から陸軍舟艇機動隊の窮状を伝達。第八艦隊が対応。
  • 9月10〜11日:川口支隊の遭難舟艇を収容してカミンボへ揚陸。
  • 9月13・14・18日:対地砲撃・輸送・揚陸作戦を繰り返し実施。
  • 10月1日:初雪・白雪・吹雪と青葉支隊司令部80名・糧食を輸送。初雪舵故障で3隻で揚陸成功。
  • 10月4日:時雨・吹雪白雪・叢雲・綾波でガ島輸送。
  • 10月7日:日進・秋月・時雨・吹雪白雪・叢雲・綾波で出撃。天候不良で日進・秋月帰投、残る5隻で揚陸成功。
  • 10月11日:日進・千歳を護衛してガ島輸送作戦。叢雲は護衛駆逐艦6隻(叢雲・秋月・綾波・朝雲・夏雲・白雪)の1隻として参加し揚陸成功。この夜、サボ島沖海戦が発生し「吹雪」「古鷹」「夏雲」が沈没した。
1942年10月12日 — 最期
古鷹乗員捜索中の空襲——大破炎上・雷撃処分
  • 叢雲と白雪が「古鷹乗員の救援」を命じられ夜明けをまたいで現場に向かう。古鷹も乗員も発見できず、大型艦を発見して雷撃するが命中しなかった。
  • 夜明け後、米軍機の空襲が始まる。叢雲は艦尾に被弾してスクリューを喪失し、続いて一番砲塔・魚雷発射管に直撃弾を受けて戦闘不能となった。
  • 初雪が先着して本多水雷長以外の乗員を収容。朝雲・夏雲が到着するが夏雲は空襲で沈没。朝雲が残員救助。
  • 正午頃、川内・秋月・綾波が救援に向かう。16時40分に朝雲・白雪と合流し日没後に炎上する叢雲を発見。
  • 杉野司令が総員退去を命令するも、東日出夫艦長が艦に残ろうとした。白雪艦長・菅原六郎が説得に赴き、東を連れ帰った。東は杉野の手を握りしめて泣きながら謝罪したという(藤原盛宏証言)。
  • 白雪・朝雲が炎上し艦尾切断された叢雲の曳航を断念。白雪が雷撃処分を実施した。
    沈没地点:南緯8度40分 東経159度20分。
1942年11月15日 — 除籍
帝国駆逐艦籍から除籍
  • サボ島沖海戦で沈没した吹雪・夏雲と共に1942年11月15日付で帝国駆逐艦籍から除籍された。
  • 東日出夫艦長は後に親・花月艦長を歴任し、終戦後は雪風艦長として復員業務を担った。
■ 制空権なき海域の現実——叢雲の最期が示すもの
古鷹乗員の捜索という命令は正当な任務だったが、夜明けを跨いでヘンダーソン飛行場の空襲圏内に留まることは1942年秋のガダルカナル周辺では致命的だった。叢雲の大破は1機または複数機の爆撃機によって達成された。水上艦艇の優位が夜間のみに限られるという現実を、叢雲の最期は証明している。
■ 東日出夫少佐とその後——雪風艦長として
「叢雲」沈没を経た東日出夫少佐はその後、陽炎型「親」・松型「花月」の艦長を歴任。終戦後は「雪風」艦長として引き揚げ輸送業務に従事した。太平洋戦争を通じて最も多くの乗員を引き揚げた「雪風」と、叢雲の最期を泣きながら艦を離れた東という組み合わせは、戦争の残した人間の歴史の深さを示している。
CONCLUSION
叢雲の航跡が示すもの

特型駆逐艦5番艦「叢雲」の生涯は、帝国海軍駆逐艦の「栄光と消耗」をそのまま体現している。「雲級」筆頭艦として産声を上げ、緒戦で敵艦撃沈に貢献しながら、ガダルカナルの消耗戦で繰り返し夜間の海峡を往復し続け、最後は夜明けに敵空軍の前に無力化された。

東艦長が艦に残ろうとした事実と、菅原艦長の説得に涙した事実は、戦史の中でも際立って人間的な記録だ。「叢雲」という艦は、その最期の場面だけで戦争の現実を静かに語り続けている。白雪が放った魚雷が海面に消えた瞬間から、東は次の艦——そしてやがて「雪風」へと繋がっていった。

COMPANION ARTICLE — PART 1
叢雲 ドラマティック伝記を読む
仲間の盾となって果てた叢雲——東艦長が「泣きながら艦を降りた」夜

⚓ 猫工艦ミリタリーグッズはこちら

特型駆逐艦・帝国海軍シリーズのTシャツ・ミリタリーグッズを販売中。

「群れ立つ雲を切り裂き、仲間の盾となって果てた叢雲——その誇りを、その身に纏え」

SHOP を見る →

■ 参考文献・資料

  • ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
  • ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪還作戦開始まで』朝雲新聞社、1971年
  • ・防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第83巻 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年
  • ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報各号
  • ・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争——34人の艦長が語った勇者の条件』光人社NF文庫、1993年
  • ・志賀博(天霧先任将校)『海軍兵科将校』光人社、1985年(バタビア沖海戦・東雲沈没の直接証言)
  • ・藤原盛宏(第11駆逐隊庶務主任・白雪乗艦)『わが青春と海軍』(東艦長の退艦場面の目撃証言)
  • ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年(ISBN 4-7698-1246-9)
  • ・Wikipedia「叢雲(吹雪型駆逐艦)」「サボ島沖海戦」「バタビア沖海戦」
  • ・連合艦隊軍艦銘銘伝 / JACAR(アジア歴史資料センター)

⚠️ 関連記事リンクの「【URLを後で設定】」は公開後に実際のURLへ差し替えてください。

— OFFICIAL STORE —
FIELD TO STREET // 着る、戦術。
NECOKOUCAN SHOP
ミリタリーグッズ・オリジナルTシャツ・全アイテムはこちら
T-TRINITY| PREMIUM TEE| ¥4,400〜
ENTER SHOP →
ttrinity.jp
NECOKOUCAN — EST. 2023 — FUKUOKA