吹雪型 · 18番艦(特II型8番艦) · 第7駆逐隊
AKEBONO 駆逐艦 曙
単艦で重巡に挑み、700名を救った駆逐艦
1931年就役、吹雪型(特型)駆逐艦18番艦。スラバヤ沖海戦では燃料が尽きる中、単艦で英重巡「エクセター」に突撃。姉妹艦「漣」の生存者89名、重巡「最上」の生存者約700名を救助した。1944年11月、マニラ湾での空襲により着底し、終戦を迎えることなくその役目を終えた。
SPECIFICATIONS
諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
吹雪型18番艦
建造所
藤永田造船所
基準排水量
1,700t
最大速力
34.0kt
主砲
12.7cm連装砲×3基6門
魚雷兵装
61cm3連装発射管×3基
9射線
9射線
| 艦名 | 曙(あけぼの) |
| 艦型・番艦 | 吹雪型(特型)駆逐艦 18番艦(特II型8番艦) |
| 艦名の由来 | 雷型駆逐艦「曙」に続き2隻目 |
| 建造所 | 大阪・藤永田造船所 |
| 起工日 | 1929年(昭和4年)10月25日 |
| 進水日 | 1930年(昭和5年)11月7日 |
| 竣工日(就役日) | 1931年(昭和6年)7月31日 |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)1月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 118.5m(垂線間長112.0m、特II型標準値) |
| 全幅 | 10.36m(特II型標準値) |
| 機関 | 艦本式タービン2基2軸、艦本式重油専焼缶4基、出力50,000馬力(特II型標準値) |
| 速力 | 34.0kt(計画38.0kt、特II型標準値) |
| 航続距離 | 4,500海里/14kt(特I・II型標準値) |
| 乗員 | 約219〜226名(特II型標準値) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲(特II型はB型、仰角引き上げ型):3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm3連装水上発射管:3基(計9射線) |
| 所属駆逐隊履歴 | 第7駆逐隊(潮・曙・漣、後に朧編入、1931年)→第一航空艦隊第一航空戦隊(1941年12月、攻撃部隊には参加せず)→第五艦隊(1944年1月) |
| 主要艦長履歴 | 板垣盛少佐(初代、1931年2月〜1934年11月)/中川浩中佐(兼、後に重巡古鷹艦長・軽巡阿賀野初代艦長・第三水雷戦隊司令官としてサイパン島で戦死)/河西虎三中佐/天谷嘉重少佐/高橋亀四郎中佐/清水逸郎少佐/中川実少佐(1941年7月25日〜、スラバヤ沖海戦時の艦長)/花見弘平少佐(後に天霧艦長としてPT-109を撃沈)/犬塚家孝少佐/余田四郎少佐/堀部史朗少佐(1942年10月20日〜) |
| 特記事項① | 1941年12月、航続力不足のため真珠湾攻撃部隊には参加せず、日本近海哨戒に従事。同じ第7駆逐隊の僚艦(潮・漣)はミッドウェー島砲撃を実施 |
| 特記事項② | 1942年3月1日、スラバヤ沖海戦で燃料が尽きる中、単艦で英重巡洋艦「エクセター」に突撃。第三艦隊への誘致・拘束役を務め、僚艦と共に同艦含む2隻撃沈に貢献 |
| 特記事項③ | 1944年1月14日、姉妹艦「漣」の沈没時に生存者89名を救助 |
| 特記事項④ | 1944年10月25日、レイテ沖海戦で重巡「最上」の生存者約700名を救助後、雷撃処分を実施 |
| 最終結末 | 1944年11月13日、マニラ湾キャビテ港にて米空母艦載機の空襲を受け直撃弾1発・至近弾10数発が命中。左舷に傾斜し翌14日朝に着底。戦死48名、負傷43名 |
■ 吹雪型(特型)駆逐艦・特II型について
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。曙は吹雪型後期型(特II型、綾波型とも)8番艦として、大阪・藤永田造船所で建造された。
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。曙は吹雪型後期型(特II型、綾波型とも)8番艦として、大阪・藤永田造船所で建造された。
FULL TIMELINE
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1932年(昭和7年) — 第一次上海事変
長江水域の作戦に参加
- 第7駆逐隊として長江水域での作戦行動に従事。
1941年12月8日 — 太平洋戦争開戦
真珠湾攻撃部隊から外れ、日本近海哨戒
- 第7駆逐隊は第一航空艦隊第一航空戦隊に配属されたが、航続力不足のため攻撃部隊には参加せず日本近海の哨戒を行った。
- 第7駆逐隊司令・小西要人大佐指揮の第1小隊(潮・漣)は、真珠湾攻撃と並行してミッドウェー島砲撃を実施している。
1942年1月13日〜2月6日 — 蘭印作戦
空母護衛、アンボン・マカッサル攻略支援
- 1月13日、空母「飛龍」「蒼龍」を護衛して呉を出港。1月31日、アンボン上陸作戦を支援。
- 2月6日、マカッサル攻略作戦に第11航空戦隊直衛として参加。
1942年3月1日 — スラバヤ沖海戦
病院船誤認の先に英重巡、単艦突撃
- 11時40分、オランダ病院船と誤認して臨検しようとした艦が、実は英重巡洋艦「エクセター」だった。曙は攻撃を受け射撃を開始。
- 救援を求めるが、第三艦隊は曙に対し、敵艦隊を誘致・拘束するよう命じた。
- 11時45分、燃料も尽きかけていた曙はエクセターに突撃を開始(「われ燃料つく、突撃す」)。
- 11時48〜50分、第三艦隊到着。雷が接近、水柱に包まれる曙を目撃。曙は誘導のため反転。
- 駆けつけた僚艦によりエクセターほか2隻が撃沈された。
- 3月末、修理のため横須賀海軍工廠へ帰投。
1942年4月末〜5月8日 — 珊瑚海海戦
空母「翔鶴」護衛、攻撃集中も生還
- 重巡「妙高」「羽黒」を護衛してトラック諸島へ向かい、ポートモレスビー攻略作戦に従事。
- 5月8日、高木武雄少将率いるMO機動部隊として参戦。曙は空母翔鶴、姉妹艦「潮」は瑞鶴をそれぞれ直衛。
- 米空母ヨークタウン攻撃隊に発見され攻撃を受ける。瑞鶴はスコールで難を逃れ、翔鶴に攻撃が集中(米側は2度「空母撃沈」と誤報するも実際は大破)。
- 5月末、瑞鶴を護衛して呉海軍工廠へ帰投。
1942年6月 — ミッドウェー海戦
北方部隊としてダッチハーバー攻撃に参加
- アラスカ・ダッチハーバーの米海軍基地を攻撃する北方部隊の一員として参戦。その後横須賀へ帰投。
- 以後、各種南方進攻作戦や北方・南方での海上護衛・輸送作戦に従事。
1944年1月1日
第五艦隊に配属
- 第五艦隊配属となる。
1944年1月14日
姉妹艦漣、沈没。生存者89名救助
- パラオ諸島東方で姉妹艦「漣」が雷撃を受け沈没。曙はその生存者89名を救助した。
- 1月25日、修理・改修のため横須賀へ帰投。大湊警備府に配属され、10月まで北方海域の哨戒を行う。
1944年10月24-25日 — レイテ沖海戦
重巡「最上」生存者約700名を救助
- 10月24日、志摩清英中将の艦隊の一員として参戦。
- 10月25日、スリガオ海峡海戦で大破し撤退中の重巡「最上」を護衛するが、米軍の空襲を受け最上が航行不能となる。
- 曙は最上の生存者約700名を救助した後、雷撃処分を行った。
1944年10月31日〜11月4日 — 第二次多号作戦
陸軍第一師団のオルモック輸送に成功
- 上海から到着した陸軍第一師団をオルモックへ輸送するためマニラを出港。11月1日にオルモックに到着。
- 揚陸がほぼ完了した翌11月2日、敵の空襲で輸送船「能登丸」が沈没したが、輸送作戦はほぼ成功。11月4日、マニラへ帰投。
1944年11月5日
マニラ湾空襲で直撃弾2発、航行不能
- マニラ湾一帯を米軍が空襲。停泊中の曙は直撃弾2発を受けて炎上、航行不能となる。
- 参加予定だった第四次多号作戦には参加できず、代役として駆逐艦「秋霜」が参加した。
- 修理のためキャビテ港第2桟橋に係留(タンカー「第5蓬莱丸」、後に「秋霜」も同桟橋に回航)。
1944年11月13日 — 戦没(着底)
マニラ湾・キャビテ港で再空襲、着底
- 午後、米空母艦載機がマニラ湾を再び空襲。第5蓬莱丸は船体後部に直撃弾を受け同日中に大破着底。
- 曙は直撃弾1発・至近弾10数発を受けて左舷に傾斜。外側の秋霜も直撃弾3発を受け弾薬庫が誘爆して炎上。
- 曙は翌14日朝、艦橋部のみを海面上に露出させて着底。秋霜も同日朝、右舷を下にして転覆し着底。
- 乗員48名が戦死、43名が負傷。同湾停泊中の「初春」「沖波」も空襲で沈没、「木曾」も着底した。
1945年1月10日 — 除籍
初雪型駆逐艦・第7駆逐隊・帝国駆逐艦籍から除籍
- 5月5日、第7駆逐隊は解隊された。
- 戦後、曙の船体は1955〜56年、「木曾」「秋霜」とともにマニラ現地で浮揚・解体(播磨造船所=現IHI技師による、日本の戦後賠償事業の一環)。
SUMMARY
まとめ
単艦突撃から700名救助まで、誰かを助け続けた艦
吹雪型18番艦・曙は、絶望的な状況でも踏みとどまる艦だった。スラバヤ沖海戦で燃料が尽きかけながらも英重巡洋艦「エクセター」に単艦で突撃し、姉妹艦「漣」の生存者89名、重巡「最上」の生存者約700名を救助した。
その粘り強さは、しかし無敵を意味するものではなかった。最終的に曙の活動を終わらせたのは、敵の決定的な一撃ではなく、マニラ湾で繰り返された空襲という、もっとも無防備な停泊中の被弾だった。「戦って沈む」のではなく「動けないまま力尽きる」という最期は、制空権を失った戦争末期の現実を映している。
曙が残したものは、単艦突撃という一度の英雄的行動だけではない。漣の89名、最上の700名——この艦の本当の戦果は、撃沈数ではなく救助数にあった。
その粘り強さは、しかし無敵を意味するものではなかった。最終的に曙の活動を終わらせたのは、敵の決定的な一撃ではなく、マニラ湾で繰り返された空襲という、もっとも無防備な停泊中の被弾だった。「戦って沈む」のではなく「動けないまま力尽きる」という最期は、制空権を失った戦争末期の現実を映している。
曙が残したものは、単艦突撃という一度の英雄的行動だけではない。漣の89名、最上の700名——この艦の本当の戦果は、撃沈数ではなく救助数にあった。
▼ 関連記事
■ 参考文献・資料
- ・大高勇治『第七駆逐隊海戦記』光人社、2010年
- ・あけぼの会編『駆逐艦曙便り1号〜14号』あけぼの会、1979〜1984年
- ・雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年
- ・歴史群像編集部/田村俊夫「昭和19年の特型(3)」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ70 完全版 特型駆逐艦』学習研究社、2010年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
- ・Morison, S.E. “Coral Sea, Midway and Submarine Actions” / “Leyte, June 1944-January 1945”
- ・Brown, D. “Warship Losses of World War Two”
- ・Wikipedia「吹雪型駆逐艦」「曙 (吹雪型駆逐艦)」