夕雲型 · 14番艦 · 第三十一駆逐隊
OKINAMI 沖波
谷風・鈴谷・那智を救い続けた艦——マニラ港、誰にも救われなかった最期
舞鶴海軍工廠が建造した夕雲型駆逐艦14番艦。幾度も他艦の乗員を救助しながら、1944年11月13日、マニラ大空襲で港内停泊中に大破着底するまでの諸元と全戦歴。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
夕雲型 14番艦
DISPLACEMENT
2,077 t
MAX SPEED
35 kt
MAIN GUN
12.7cm 連装 × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1944.11.13 戦没
| 艦名 | 沖波(おきなみ) |
| 艦型・番艦 | 夕雲型駆逐艦 14番艦 |
| 建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
| 仮称艦名 | 第342号艦(マル急計画) |
| 起工日 | 1942年(昭和17年)8月5日 |
| 命名 | 1943年(昭和18年)5月25日 |
| 進水日 | 1943年(昭和18年)7月18日 |
| 竣工日 | 1943年(昭和18年)12月10日 |
| 除籍日 | 1945年(昭和20年)1月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 基本計画番号 | F50(陽炎型はF49) |
| 全長 | 119.3m |
| 基準排水量 | 2,077t |
| 満載排水量 | 約2,772〜2,940t |
| 出力 | 52,000馬力 |
| 最大速力 | 35ノット |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲 3基6門(最大仰角75度) |
| 機銃 | 九六式25mm連装機銃 2基(就役時。後年増備) |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装発射管 2基8射線 |
| 搭載魚雷 | 九三式魚雷 16本 |
| 爆雷兵装 | 九四式爆雷投射機 1基 |
| 竣工時定員 | 約225名 |
| 31駆司令 | 福岡徳治郎大佐(司令駆逐艦は「岸波」) |
| 特記事項 | 米潜水艦に撃沈された「谷風」、サマール沖海戦で沈んだ重巡「鈴谷」(乗員412〜415名)、重巡「那智」の生存者を繰り返し救助 |
| 最終所属 | 第三十一駆逐隊 |
| 最期 | 1944年11月5日、マニラで空襲を受け損傷。応急修理中の11月13日、マニラ大空襲により港内停泊中の各艦と共に大破着底。12月31日放棄、翌年1月7日爆破処理 |
TIMELINE
HISTORY
沖波 全戦歴タイムライン
1942年8月5日 — 起工
舞鶴海軍工廠にて起工(仮称第342号艦)
- マル急計画による駆逐艦(甲)として建造開始。夕雲型14番艦として建造される。
1943年12月10日 — 竣工
竣工。第十一水雷戦隊で訓練に従事
- 1944年1月29日、「岸波」と共に燃料欠乏の空母「雲鷹」隊を救援、2月7日に横須賀へ帰投させる。
1944年2月10日 — 第三十一駆逐隊編入
「岸波」「朝霜」と共に第三十一駆逐隊に編入、夕雲型4隻に
- 司令・福岡徳治郎大佐、司令駆逐艦は「岸波」に指定。「長波」は修理中のため当面3隻で輸送作戦に投入された。陸軍第29師団の松輸送にも従事。
1944年6月9日 — 谷風の生存者救助
タウイタウイ方面で対潜警戒中、米潜水艦「ハーダー」に撃沈された「谷風」の乗員を救助
- 3日後、渾作戦(大和型戦艦護衛)に参加。6月19日のマリアナ沖海戦にも小沢機動部隊と合流し参戦した。
1944年7月 — リンガ泊地進出
遊撃部隊を護衛してリンガ泊地に進出、訓練に従事
- 10月、捷一号作戦発動に伴い第一遊撃部隊(栗田艦隊)としてレイテ沖海戦に参加。
1944年10月25日 — サマール沖海戦
重巡「鈴谷」の乗員412名(一説に415名)を救助、「早霜」の救援にも尽力
- その後、損傷した重巡「熊野」を護衛してマニラに帰投した。
1944年10月31日 — 多号作戦第二次輸送部隊
警戒部隊一番隊(霞・沖波)としてマニラを出撃
- 11月1日、オルモック湾に到着し揚陸作業を掩護。11月2日、P-38・B-24の攻撃を受ける。
1944年11月5日 — 那智の生存者救助・自艦も損傷
マニラ在泊中に空襲を受け損傷しながら、沈没した重巡「那智」を救援
- 被害を受けながらも他艦の救助を優先する行動を取った。応急修理のためマニラ港に留まる。
1944年11月13日 — 戦没
マニラ大空襲により港内停泊中の各艦と共に大破着底
- 木曾・曙・初春・秋霜ら僚艦と共に沈没。12月31日、正式に放棄が決定。1945年1月7日、爆破処理された。
1945年1月10日 — 除籍
夕雲型駆逐艦・帝国駆逐艦籍から除籍
- 残骸は戦後になり浮揚・解体された。
SUMMARY
RECORD
沖波 全艦歴まとめ
沖波は1943年12月に舞鶴海軍工廠で竣工した夕雲型駆逐艦14番艦。竣工直後から燃料欠乏の空母「雲鷹」隊救援にあたり、1944年2月には「岸波」「朝霜」と共に第三十一駆逐隊に編入された。6月には米潜水艦「ハーダー」に撃沈された「谷風」の生存者を救助し、10月のサマール沖海戦では重巡「鈴谷」の乗員412名(一説に415名)という大規模な救助を成し遂げ、「早霜」の救援にも尽力した。11月5日にはマニラで空襲を受け自らも損傷しながら、重巡「那智」の生存者救援にあたっている。しかし応急修理中の11月13日、マニラ大空襲により港内停泊中の木曾・曙・初春・秋霜ら僚艦と共に大破着底。同年12月31日に放棄が決定し、翌年1月7日に爆破処理された。幾度も他艦の乗員を救い続けた艦だったが、自らの最期には救援の手は差し伸べられなかった。
救助の艦という記録——谷風・鈴谷・那智と、沖波が救助した乗員は延べ数百名にのぼる。駆逐艦としての戦闘任務以上に、多くの命を救い続けた艦としての功績が際立っている。
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■ 参考文献・資料
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)第31駆逐隊戦時日誌・第一遊撃部隊戦時日誌・第一水雷戦隊戦時日誌
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書『捷号作戦』『レイテ沖海戦』『多号作戦』関連巻
- ・福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社NF文庫、1993年
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・山本平弥ほか『秋月型駆逐艦〈付・夕雲型・島風・丁型〉』潮書房光人社、2015年
- ・Wikipedia「沖波 (駆逐艦)」「夕雲型駆逐艦」「サマール沖海戦」「谷風 (陽炎型駆逐艦)」