吹雪型 · 19番艦(朧型・特II型9番艦) · 第7駆逐隊
SAZANAMI 駆逐艦 漣
沈みゆく空母へ単艦で引き返した艦
1932年就役、吹雪型(特型)駆逐艦19番艦。真珠湾攻撃直後にミッドウェー島を砲撃し、珊瑚海海戦では沈没した空母「祥鳳」の現場へ単艦で引き返し、生存者203名を救助した。1944年1月、ヤップ島南東で米潜水艦アルバコアの雷撃を受け、被雷からわずか2分で轟沈した。
SPECIFICATIONS
諸元データ
竣工時兵装基準・サマリー
艦型
吹雪型19番艦
建造所
舞鶴工作部
基準排水量
1,700t
最大速力
34.0kt
主砲
12.7cm連装砲×3基6門
魚雷兵装
61cm3連装発射管×3基
9射線
9射線
| 艦名 | 漣(さざなみ) |
| 艦型・番艦 | 吹雪型(特型)駆逐艦 19番艦(朧型・特II型9番艦) |
| 艦名の由来 | 雷型駆逐艦「漣」に続き2隻目 |
| 建造所 | 舞鶴工作部 |
| 起工日 | 1930年(昭和5年)2月21日(同日、姉妹艦「響」も起工) |
| 進水日 | 1931年(昭和6年)6月4日(6日説も) |
| 竣工日(就役日) | 1932年(昭和7年)5月19日 |
| 除籍日 | 1944年(昭和19年)3月10日 |
| 類別 | 一等駆逐艦 |
| 全長 | 118.5m(垂線間長112.0m、特II型標準値) |
| 全幅 | 10.36m(特II型標準値) |
| 機関 | 艦本式タービン2基2軸、艦本式重油専焼缶4基、出力50,000馬力(特II型標準値) |
| 速力 | 34.0kt(計画38.0kt、特II型標準値) |
| 航続距離 | 4,500海里/14kt(特I・II型標準値) |
| 乗員 | 約219〜226名(特II型標準値) |
| 主砲 | 50口径三年式12.7cm連装砲(特II型はB型、仰角引き上げ型):3基6門 |
| 魚雷発射管 | 61cm3連装水上発射管:3基(計9射線) |
| 所属駆逐隊履歴 | 第7駆逐隊(潮・曙・朧、1932年編入)→第7駆逐隊一時除籍・第五航空戦隊(1941年9月1日)→第7駆逐隊復帰(1941年9月25日、潮・曙・漣の3隻)→第五艦隊(北方部隊、1944年1月18日) |
| 主要艦長履歴 | 稲垣義龝少佐(初代、1931年12月〜)/佐藤慶蔵中佐/崎山釈夫少佐/小田為清中佐/宮坂義登中佐/小山猛男中佐/天谷嘉重中佐/井上良雄中佐/角田千代吉少佐/上井宏少佐/菅明次少佐(1942年7月20日〜戦没時、天津風艦長への転任が決定していた)/橋本正雄少佐(1944年1月1日〜) |
| 特記事項① | 1941年12月8日、真珠湾攻撃の十数時間後、僚艦「潮」と共にミッドウェー島を砲撃 |
| 特記事項② | 1942年5月7日、珊瑚海海戦で沈没した空母「祥鳳」の現場へ単艦で引き返し、生存者203名を救助 |
| 特記事項③ | 1943年12月3日、空母「冲鷹」沈没時に生存者約30名を救助 |
| 最終結末 | 1944年1月14日正午、ヤップ島南東300海里で米潜水艦アルバコアの雷撃を受ける。魚雷3本命中、弾薬庫誘爆により前後に分断。被雷から2分で沈没。戦死154名、生存者89名は僚艦「曙」に救助される |
■ 吹雪型(特型)駆逐艦・朧型について
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。漣は吹雪型後期型「朧型」8隻(朧・曙・潮・漣・響・雷・電・暁)の一艦として、舞鶴工作部で建造された。戦後、海上自衛隊のたかなみ型護衛艦「さざなみ」がその名を継承した。
ワシントン海軍軍縮条約による主力艦保有制限の中、補助艦艇の戦力強化を目的に建造された一等駆逐艦。凌波性能を追求した船形、密閉式艦橋による居住性改善、重武装(12.7cm連装砲3基、61cm魚雷9射線)により、当時の列強海軍に衝撃を与えた。漣は吹雪型後期型「朧型」8隻(朧・曙・潮・漣・響・雷・電・暁)の一艦として、舞鶴工作部で建造された。戦後、海上自衛隊のたかなみ型護衛艦「さざなみ」がその名を継承した。
FULL TIMELINE
全戦歴タイムライン
竣工から戦没・除籍まで
1930年2月21日 — 起工
舞鶴工作部で起工、姉妹艦「響」も同日起工
- 1931年6月4日(6日説も)進水。1932年5月19日就役。響の竣工は漣から約1年遅れの1933年3月31日だった。
1937年〜1938年 — 日中戦争
上海・杭州湾上陸作戦、仏印作戦に参加
- 第7駆逐隊として各作戦に従事。
1940年4月15日
第7駆逐隊4隻体制(潮・曙・朧・漣)、第四水雷戦隊編入
- 第6駆逐隊(暁・雷・電・響)と共に第二艦隊・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将、旗艦那珂)に所属。
- 10月11日、漣のみ紀元二千六百年特別観艦式に参加。11月15日、第一水雷戦隊(旗艦阿武隈)に編入。
1941年7月18日
第一航空艦隊・第一航空戦隊編入
- 南雲忠一中将指揮の第一航空艦隊・第一航空戦隊(空母赤城・加賀)に編入。8月、司令官が小西要人大佐に交代。
1941年9月1-25日
第五航空戦隊への編入、第7駆逐隊への復帰
- 9月1日、漣・朧が第7駆逐隊から除籍、第五航空戦隊(空母翔鶴・春日丸)に編入。
- 9月25日、漣のみ第7駆逐隊に復帰。第7駆逐隊は「潮・曙・漣」の3隻で太平洋戦争に突入する。
1941年12月8日 — ミッドウェー島砲撃
真珠湾攻撃の十数時間後に砲撃を敢行
- 11月27日に館山湾を出撃して東進。南雲機動部隊の真珠湾攻撃から十数時間後の12月8日午後6時40分、艦砲射撃を開始。
- 20分ほど砲撃を行って退避。米空母レキシントンは同島まであと1日の距離。米潜水艦アルゴノートと遭遇していたが気づかなかった。
- 12月22日、呉に到着。
1942年1月〜2月 — 蘭印作戦
アンボン上陸支援、掃海作業
- 1月、アンボン上陸作戦で空母「飛龍」「蒼龍」を護衛。1月28日、第7駆逐隊(潮・漣・曙)は蘭印部隊に編入。
- 2月5-8日、漣は掃海艇部隊を指揮してアンボンの掃海を実施、輸送船団の入港を実現させた。
1942年2月27日〜3月2日 — スラバヤ沖海戦
第一次・第二次昼戦参加、米潜水艦パーチを攻撃
- 重巡2・軽巡2・駆逐艦14隻の大兵力で輸送船団を護衛しスラバヤ沖海戦に突入。漣・潮は第二水雷戦隊に臨時編入され昼戦に参加。
- 2月28日、燃料不足の潮・漣はボルネオ島バンジャルマシンへ向かう。
- 3月2日、前日沈没した英重巡エクセターの生存者捜索中、米潜水艦「パーチ」を発見し魚雷攻撃。
- 3月末、修理のため横須賀海軍工廠へ帰投。
1942年4月18-20日 — ドーリットル空襲
空母祥鳳護衛に指定、合流できず
- 米軍機動部隊の日本本土空襲を受け、近藤信竹中将が追撃を下令。第7駆逐隊(潮・曙・漣)は空母「祥鳳」の護衛に指定されるが合流できず、4月20日に作戦中止。
1942年5月7-8日 — 珊瑚海海戦
空母祥鳳沈没現場へ単艦で引き返し、203名救助
- 4月末、漣は祥鳳を護衛してトラック諸島へ、ポートモレスビー攻略作戦に従事。MO攻略部隊主隊(祥鳳・第六戦隊・漣)として参戦。
- 5月7日9時35分、米空母レキシントン・ヨークタウン艦載機の攻撃で祥鳳撃沈。護衛部隊は第二次空襲を避け現場を離れる。
- 12時以降、漣は単艦で反転し祥鳳沈没現場へ向かう。15時30分到着、最終的に203名を救助して離脱。
- 18時55分、軽巡夕張も生存者発見、駆逐艦弥生が2名救助。漣は自艦の内火艇も収容。
- その後、損傷した空母「翔鶴」を護衛してサイパン経由で横須賀へ帰投。
1942年5月20日〜6月
北方部隊編入、ミッドウェー海戦
- 第7駆逐隊(潮・曙・漣)は北方部隊・第二機動部隊に編入、四航戦(龍驤・隼鷹)と行動。
- 6月、アラスカ・ダッチハーバーの米海軍基地攻撃に参加、横須賀へ帰投。
1942年8月17-28日
戦艦大和との行動、フライングフィッシュ雷撃回避
- 戦艦「大和」(山本五十六長官・宇垣纏参謀長座乗)と桂島泊地を出撃、たびたび大和から燃料補給を受ける。宇垣参謀長は「四日毎に腹を減らす赤坊にも困りものなり」と記す。
- 8月28日、トラック目前で大和が米潜水艦フライングフィッシュに雷撃される。潮・漣と大和搭載機の爆雷攻撃で再襲撃を防いだ。
1942年9月12-21日 — ガダルカナル鼠輸送
複数回の輸送任務に従事
1943年3月〜8月
三式戦闘機輸送護衛、第一次ベララベラ海戦
- 4月、重巡鳥海・駆逐艦4隻で三式戦闘機輸送の空母「冲鷹」「大鷹」を護衛してトラックへ。
- 6月、空母群と共にトラック進出。7月、損傷艦「秋月」「大波」等の護衛任務に従事。
1943年8月15-17日 — 第一次ベララベラ海戦
漣を旗艦とする夜戦隊で出撃
- 米軍のベララベラ島上陸に対し、第三水雷戦隊司令官・伊集院松治大佐は漣を旗艦とする夜戦隊(漣・時雨・浜風・磯風)で出撃。
- 米駆逐艦4隻との夜間水上戦闘が発生。巡洋艦または大型駆逐艦1隻撃沈を報告するが実際の戦果はなし。駆潜艇4隻喪失も輸送は成功。
- 8月22日以降、サンタイサベル島レカタ撤退作戦「E作戦」に従事。8月28日、川内と共に七聯特転進隊をブインへ輸送。
1943年12月3日
空母冲鷹沈没時、生存者約30名救助
- 空母「冲鷹」が米潜水艦セイルフィッシュの雷撃で航行不能、12月14日朝沈没。「浦風」が約130名、「漣」が運用長以下約30名を救助。乗組員・便乗者含め約1250名が戦死。
1944年1月1-12日
B-24捕虜、北方部隊復帰内示
- 1月1日、漣は撃墜したB-24爆撃機の乗員3名を捕虜とする。ラバウル周辺の制空権・制海権は完全に米軍のものとなっていた。
- 1月8日、福留繁参謀長が漣・曙の北方部隊(第五艦隊)復帰を内示。1月12日、輸送船団護衛のためラバウルを出港。
1944年1月14日 正午頃 — 戦没
米潜水艦アルバコアの雷撃で被雷後2分で轟沈
- 漣・曙は間隔5000mの単縦陣・速力16ノットで航行中、ヤップ島南東300海里(北緯03度30分・東経141度34分)で米潜水艦アルバコアの雷撃を受ける。
- 魚雷3本が命中、弾薬庫の誘爆により艦は前後に分断。被雷から2分で沈没した。
- 天津風艦長への転任予定だった前艦長・菅明次少佐を含む154名が死亡(160名死亡・80名生存とする文献もある)。89名の生存者は僚艦「曙」に救助された。
- 同じウルフパックの雷撃で輸送船「日本丸」「健洋丸」も撃沈された。
1944年3月10日 — 除籍
初雪型駆逐艦・第7駆逐隊・帝国駆逐艦籍から除籍
- 1月15日、連合艦隊は第7駆逐隊(漣・曙・潮)の北方部隊(第五艦隊)復帰を制式に下令していたが、その直後の戦没を受けて除籍に至った。
SUMMARY
まとめ
引き返す勇気と、見えない敵による2分間の最期
吹雪型19番艦・漣は、撃沈の記録ではなく救助の記録によって特徴づけられる艦である。珊瑚海海戦では護衛部隊全体が空襲を避けて現場を離れる中、漣だけが単艦で反転し、沈みゆく空母「祥鳳」の生存者203名を救助した。空母「冲鷹」沈没時にも約30名を救助している。
しかし、その粘り強さも見えない敵の前では無力だった。1944年1月、輸送船団護衛という日常的な任務の最中、米潜水艦アルバコアの魚雷3本が漣を襲い、弾薬庫の誘爆により艦はわずか2分で姿を消した。生存者89名を救ったのは、かつて漣自身が幾度も救助に駆けつけたのと同じように、僚艦「曙」だった。
漣が残したものは、戦果としての撃沈数ではなく、救う側と救われる側が繰り返し入れ替わった、姉妹艦同士の記録である。
しかし、その粘り強さも見えない敵の前では無力だった。1944年1月、輸送船団護衛という日常的な任務の最中、米潜水艦アルバコアの魚雷3本が漣を襲い、弾薬庫の誘爆により艦はわずか2分で姿を消した。生存者89名を救ったのは、かつて漣自身が幾度も救助に駆けつけたのと同じように、僚艦「曙」だった。
漣が残したものは、戦果としての撃沈数ではなく、救う側と救われる側が繰り返し入れ替わった、姉妹艦同士の記録である。
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沈みゆく空母へ単艦で引き返し、203名を救った吹雪型19番艦——漣の物語を、その身に纏う。
「離れることを選ばなかった艦——漣、引き返す勇気を纏う一艦」
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書29『北東方面海軍作戦』朝雲新聞社、1969年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書83『南東方面海軍作戦(1)』朝雲新聞社、1975年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書96『南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦(2)昭和十七年六月以降
- ・宇垣纏『戦藻録』原書房、1968年
- ・外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)各艦公文備考・海軍辞令公報
- ・D’Albas, Andrieu. “Death of a Navy: Japanese Naval Action in World War II”
- ・Brown, David. “Warship Losses of World War Two”
- ・Wikipedia「漣 (吹雪型駆逐艦)」「吹雪型駆逐艦」