朝潮型 · 8番艦 · 第9駆逐隊
MINEGUMO 峯雲
エレクトラを屠った砲手、レーダーに見えない敵に葬られた艦
朝潮型駆逐艦8番艦。藤永田造船所で建造され、1938年4月竣工。スラバヤ沖海戦で英駆逐艦エレクトラの撃沈に貢献するなど、視認戦での実力を示した。1943年3月5日、コロンバンガラ島輸送任務の帰途、クラ湾でレーダーを備えた米艦隊の奇襲を受け、気づかぬまま被弾・戦没した。
SPECIFICATIONS
SPEC
基本諸元サマリー
TYPE
朝潮型 8番艦
DISPLACEMENT
2,000 t級
MAX SPEED
35.0 kt級
MAIN GUN
12.7cm × 6
TORPEDO
61cm × 8射線
FATE
1943.3.5 戦没
| 艦名 | 峯雲(みねぐも)※資料により「峰雲」表記あり |
| 艦型・番艦 | 朝潮型駆逐艦 8番艦 |
| 建造所 | 藤永田造船所 |
| 起工日 | 1937年3月22日 |
| 進水日 | 1937年11月4日 |
| 竣工日 | 1938年4月30日 |
| 主砲 | 三年式50口径12.7cmC型連装砲 3基6門(最大仰角55度) |
| 魚雷発射管 | 61cm4連装水上発射管 2基(九〇式魚雷16本) |
| 対空機銃 | 25mm連装機銃2基(1942年10月以降、五月雨の40mm機銃と交換) |
| 爆雷 | 九一式爆雷×36個 |
| 出力 | 51,000馬力 |
| 艦長 | 鈴木保厚中佐(1940年10月〜) → 上杉義男中佐(1943年2月1日〜、戦没時) |
| 所属駆逐隊 | 第9駆逐隊(朝雲・夏雲・山雲) |
| 特記事項 | 1942年2月27日スラバヤ沖海戦で英駆逐艦エレクトラ撃沈に貢献。1941年6月に日向灘で二重衝突事故を起こした経歴も持つ |
| 戦没 | 1943年3月5日 ソロモン諸島クラ湾(ビラ・スタンモーア夜戦) |
| 戦没原因 | レーダーを装備した米第68任務部隊の奇襲砲撃・魚雷命中 |
| 戦死者 | 210名(乗員255名中、生存45名) |
| 除籍 | 1943年4月1日(帝国駆逐艦籍・朝潮型から除籍) |
BATTLE HISTORY
TIMELINE
竣工から戦没・除籍まで
1937年3月22日 — 起工
藤永田造船所で起工
- 同時期に舞鶴海軍工廠で駆逐艦「霰」も起工されている。
1938年4月30日 — 竣工
竣工。第41駆逐隊に編入
- 12月15日、第三予備艦となり横須賀海軍工廠でタービン機関の改造工事(臨機調事件)を実施した。
1939年11月15日 — 部隊改称
第41駆逐隊が第9駆逐隊に改称
- 1940年11月15日、第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦那珂)に編入された。
1941年6月23日 — 二重衝突事故
1941年12月8日 — 開戦
ビガン・リンガエン湾上陸作戦を支援
- 第9駆逐隊(朝雲・山雲・夏雲・峯雲)として比島部隊に所属。12月31日、山雲が触雷し戦線離脱した。
1942年1-2月 — 蘭印作戦
タラカン・バリクパパン・マカッサル攻略作戦
- 残る第9駆逐隊3隻(朝雲・峯雲・夏雲)で蘭印作戦に従事した。
1942年2月27日 — スラバヤ沖海戦
英駆逐艦エレクトラ撃沈に貢献
- 朝雲・峯雲は英駆逐艦エレクトラ・エンカウンターと3000mで砲撃戦。朝雲被弾後も峯雲が掩護を続け、エレクトラ撃沈、エンカウンター・ジュピターを撃退。以後、司令駆逐艦は夏雲に交代。
1942年3月下旬 — クリスマス島攻略
インド洋クリスマス島攻略作戦に参加
- 3月31日朝、守備隊が降伏した。
1942年4月1日 — 「那珂」被雷
米潜水艦シーウルフの攻撃、那珂大破
- クリスマス島沖哨戒中の那珂・夏雲・峯雲をシーウルフが襲撃。那珂は名取に曳航され、峯雲ら護衛部隊と共にジャワ島バンタム湾へ帰投した。
1942年4月6-20日 — 那珂護衛・追撃
シンガポールへ護衛、ドーリットル追撃も会敵せず
- 那珂をシンガポールへ護衛後、夏雲(旗艦)・峯雲は横須賀へ向かう途中、ドーリットル空襲部隊を追跡するも会敵できず、20日横須賀着。
1942年5月2-15日 — 対潜哨戒
本州南岸で対潜掃討
- 5月2日、瑞穂が米潜水艦ドラムに撃沈される。5月15日、山雲が9駆から除かれ3隻編制に。
1942年5月19日〜6月 — ミッドウェー作戦
攻略部隊本隊に配属、主戦闘には不参加
- 近藤信竹中将指揮の攻略部隊本隊(第四水雷戦隊)に配属。6月5-7日の海戦敗北後、ウェーク島近海での牽制作戦、続いてアリューシャン方面に転戦した。
1942年8月7日 — ガダルカナル戦開始
前進部隊としてトラック泊地集結
- 近藤信竹中将(旗艦愛宕)指揮下の前進部隊に所属した。
1942年8月20日 — 座礁
トラック泊地出港時に冬島で座礁
- 応急修理後、油槽船を護衛して前進部隊を追跡した。
1942年8月24-25日 — 第二次ソロモン海戦
水上機母艦「千歳」を護衛
- エンタープライズ艦載機の爆撃で操舵不能となった千歳を護衛しトラック泊地へ後退。9月20日まで同地で修理。
1942年9月20日 — 外南洋部隊編入
三川軍一中将指揮下、ソロモン諸島へ進出
- 9月25日、由良(四水戦旗艦)がショートランドでB-17空襲を受け小破した。
1942年10月2日 — ガ島輸送成功
5隻でガ島輸送、零式水偵の援護下で成功
- 佐藤康夫大佐(朝雲座乗)指揮下、9駆(朝雲・夏雲・峯雲)+2駆(村雨・春雨)で実施。
1942年10月5日 — 空襲で被弾
SBD9機の空襲で至近弾、速力12ノットに
- 陸兵約650名・野砲2門を輸送中、峯雲が至近弾で浸水。村雨も被害を受け引き返す。夏雲が峯雲を護衛してショートランド帰投。
1942年10月12日 — 「夏雲」戦没
サボ島沖海戦、第9駆逐隊は2隻に
- 峯雲・村雨はこの頃ラバウルで修理中だった。
1942年10月20-30日 — 砲身交換
損傷した「五月雨」と主砲・機銃を交換
- 宇垣纏連合艦隊参謀長の指示で、工作艦「明石」がトラック泊地で両艦の主砲砲身と機銃を交換した。
1942年11月16日〜12月3日 — 内地帰投・修理
横須賀・横浜で本格修理
- 1943年2月1日、上杉義男中佐が峯雲駆逐艦長に就任。2月12日修理完了。
1943年2月15日-3月2日 — 再進出
南東方面部隊編入、ラバウル進出
- 2月15日、9駆司令が佐藤康夫大佐から小西要人大佐に交代。村雨・峯雲(橘正雄大佐指揮)がラバウルに到着。
1943年3月4-5日 — コロンバンガラ輸送
ドラム缶・弾薬を輸送、クラ湾で揚陸
- 3月4日夕ラバウル出発、5日21:30-22:30コロンバンガラ島クラ湾で揚陸を実施した。
1943年3月5日 22:57-23:15 — ビラ・スタンモーア夜戦
レーダー射撃を受け、峯雲・村雨が撃沈される
- 米第68任務部隊がレーダーで探知、22:57砲撃開始。峯雲は空襲と誤認するも被弾・炎上、続いて魚雷が命中し23:15艦尾から沈没。村雨も23:30沈没。乗員255名中、生存45名・戦死210名。
1943年4月1日 — 除籍
帝国駆逐艦籍・朝潮型から除籍
- 第9駆逐隊は朝雲1隻となり、後に薄雲・白雲(初雪型)を編入して3隻編制となった。
SUMMARY
RECORD
峯雲 全艦歴まとめ
朝潮型8番艦「峯雲」は、1942年2月のスラバヤ沖海戦で英駆逐艦エレクトラの撃沈に貢献するなど、朝潮型の中でも屈指の戦闘実績を残した艦だった。座礁や被弾を重ねながらも輸送任務・護衛任務を全うし続け、僚艦「五月雨」の修理にも自らの砲身を提供している。しかし1943年3月5日、コロンバンガラ島輸送の帰途、クラ湾でレーダーを装備した米第68任務部隊の奇襲を受け、僚艦「村雨」と共に一方的に撃沈された。乗員255名中、生存はわずか45名だった。
視認戦とレーダー戦の分水嶺——峯雲は肉眼と訓練された砲術で英駆逐艦を沈めた実力艦だったが、レーダーという技術格差の前には為す術がなかった。この対比は、太平洋戦争後半における日米の技術力の差を象徴している。
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■ 参考文献・資料
- ・防衛省防衛研究所 戦史叢書26・40・96『蘭印・ベンガル湾方面/南太平洋陸軍作戦<3>/南東方面海軍作戦<3>』朝雲新聞社
- ・アジア歴史資料センター(JACAR)峯雲関連公文書・第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報
- ・種子島洋二『ソロモン海「セ」号作戦』光人社NF文庫、2003年
- ・小板橋孝策「第三章 ソロモンの海へ」『下士官たちの太平洋戦争』光人社、1986年
- ・寺内正道ほか『海軍駆逐隊』潮書房光人社、2015年(丹羽年雄「第九駆逐隊の奮闘と壮烈なる最後」所収)
- ・木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- ・Wikipedia「峯雲 (駆逐艦)」「朝潮型駆逐艦」「ビラ・スタンモーア夜戦」「スラバヤ沖海戦」