1942年2月8日22時15分、スラウェシ島マカッサル沖。悪天候の中、船団は互いの位置を確認し合うため識別灯を点灯させながら航行していた。しかし、味方を照らすはずのその光は、同時に敵の目印にもなっていた。輸送船団の最後尾を航行していた駆逐艦「夏潮」に、米潜水艦S-37の魚雷が命中する。3缶前部機械室が浸水し、航行不能に陥った。僚艦「黒潮」による懸命の曳航も虚しく、翌9日朝、浸水が進んだ夏潮は中央部から折れて沈没した。陽炎型駆逐艦19隻の中で、最初の喪失艦だった。
陽炎型6番艦として1940年8月に竣工した「夏潮」は、僚艦「親潮」「早潮」と共に第十五駆逐隊を編成し、開戦からわずか2ヶ月あまり、フィリピン攻略戦から蘭印作戦へと転戦を続けていた。マカッサル攻略作戦もその延長線上にあり、これまで大きな損害もなく南方の要衝を次々と攻略してきた部隊の、順調な航海のはずだった。
そして——味方同士の識別のための光が、敵に位置を教える結果となった。開戦からわずか3ヶ月、日本軍の快進撃がまだ続いていた時期に、陽炎型は早くも最初の犠牲を出すことになる。
1937年12月9日
1940年8月31日竣工
野間口兼知中佐
111.0m(垂線間長)
52,000馬力
3基6門
九三式酸素魚雷16本
最初の喪失艦
開戦からわずか3ヶ月
「夏潮」は1937年12月9日、藤永田造船所で起工した。1939年2月23日進水、1940年8月31日に竣工。同日、僚艦「親潮」「早潮」と共に第十五駆逐隊を編成し、初代司令には植田弘之介大佐が任命された。編成直後は呉鎮守府練習駆逐隊としての穏やかなスタートだった。
1940年11月15日、僚艦「黒潮」が第十六駆逐隊から編入され、第十五駆逐隊は陽炎型4隻(黒潮・親潮・早潮・夏潮)体制となる。同時に第二艦隊・第二水雷戦隊(司令官五藤存知少将)に編入された。1941年6月23日、日向灘で行われた演習中には、僚艦「峯雲」(朝潮型)の衝突を受けて損傷するという事故にも見舞われている。
1941年12月8日の開戦時、第十五駆逐隊(黒潮・親潮・早潮・夏潮)は第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将、旗艦「神通」)に所属し、比島部隊の指揮下でダバオ・ホロ攻略作戦に参加した。年が明けて1942年1月4日にはメナド攻略作戦、続いてケンダリー・アンボン攻略作戦と、南方の要衝を次々と攻略していった。
1942年2月5日、マカッサル攻略部隊(旗艦「長良」、第8駆逐隊〈大潮・朝潮・満潮・荒潮〉、第15駆逐隊〈夏潮・黒潮・親潮・早潮〉、第21駆逐隊〈若葉・子日・初霜〉ほか)は、セレベス島スターリング湾に集結した。前日には別部隊の駆逐艦「涼風」が米潜水艦スカルピンの雷撃で大破しており、船団はすでに連合軍潜水艦に狙われていることが分かっていた。
2月6日夕刻、船団はスターリング湾を出撃。前路掃討中の「満潮」がスカルピンに爆雷攻撃を行うも取り逃がしている。2月8日、船団がマカッサルに接近する頃、天候が悪化した。攻略部隊指揮官・久保九次少将は天候不良時の上陸方法について各艦に指示を出す。マカッサル入港を控えた船団は、各艦相互の位置確認のため識別灯を点灯しながら航行していた。しかしこの光は、味方の識別に役立つと同時に、敵にとっても格好の目印になっていた。対潜警戒は、おろそかになっていた。
22時15分、輸送船団の最後尾にいた「夏潮」が、マカッサル沖(南緯5度36分9秒、東経119度6分6秒)で米潜水艦S-37の雷撃を受ける。3缶前部機械室が浸水し、航行不能に陥った。この時点では「今の処沈没の憂きなきも」と、まだ致命的とは判断されていなかった。
沈没時、乗員と重要物件は「親潮」「黒潮」に収容された。第十五駆逐隊司令はこの喪失を「誠ニ恐懼ニ堪ヘズ(まことに恐れ多く、耐え難い)」と報告している。戦死者は准士官1名・下士官兵7名の計8名、重傷者6名。つまりどういうことか——曳航による生還の可能性を最後まで模索しながらも、浸水の進行には抗えなかった。開戦からわずか3ヶ月、日本軍の快進撃が続く中での、静かで、しかし確実な喪失だった。
「夏潮」の戦没は、第十五駆逐隊の編制そのものを変えることになった。それまで司令駆逐艦だった「夏潮」を失ったことで、佐藤寅治郎大佐(当時の司令)は司令駆逐艦を「親潮」に変更。第十五駆逐隊は黒潮・親潮・早潮の陽炎型3隻編制で、以後の任務を続けることになる。
この3隻編制は、7月にキスカ島沖で被害を受けた第十八駆逐隊から「陽炎」が編入されるまで続いた。夏潮の不在は、単に1隻が欠けたということ以上に、僚艦たちに重い教訓を残したはずだ。識別灯という「味方のための光」が「敵を招く光」にもなり得るという事実は、以後の南方作戦における対潜警戒のあり方に、静かな影を落としたに違いない。
竣工からわずか1年半、実戦参加からはわずか2ヶ月あまりでの喪失。夏潮の艦歴は短いが、陽炎型19隻という長大な艦型史の「最初の1ページ」として、常にこの艦型の物語の冒頭に刻まれ続けることになる。
夏潮の本質は、開戦初期の快進撃の中で、日本軍がまだ十分に自覚していなかった潜水艦の脅威を、身をもって示した艦だったという点にある。マレー攻略、蘭印作戦と、この時期の日本軍はほとんど損害らしい損害を出さずに南方の要衝を制圧し続けていた。夏潮の喪失は、その快進撃に最初の影を落とした出来事だった。
しかし、夏潮の最期の原因は、敵の実力だけではなかった。悪天候下での識別灯の点灯という、味方同士の安全確保のための判断が、結果的に敵潜水艦に位置を教えることになったという皮肉は、対潜警戒という概念がまだ十分に徹底されていなかった開戦初期の日本海軍の課題を映し出している。僚艦による懸命の曳航も、浸水の進行には抗えなかった。
夏潮が残したものは何か。それは、陽炎型19隻という長い艦型史の「最初の喪失」という重い記録である。この艦の沈没を境に、僚艦たちは司令駆逐艦を継承し、隊列を組み直し、戦争を戦い続けた。最初に失われた艦の存在は、その後に続く18隻の艦歴すべての、静かな出発点となっている。猫工艦は、この艦型史の始まりに位置する夏潮の記録に、深い敬意を表したい。
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